アーカイブ: 血筋の入れ替え

[YouTube]宇佐神宮乗っ取り事件 総裁が九州に調査へ

 去年の年末に時事ブログでも取り上げられた、宇佐神宮乗っ取り事件ですが、朝堂院大覚氏がいろいろと動いているようです。朝堂院大覚氏によると、世襲家で本来最も宮司になることが相応しいと思われる到津克子(いとうず よしこ)氏の解任決議の嘆願書を神社本庁宛に出すことを指導したのが田中恒清・神社本庁総長とのことです。その嘆願書の画像が別の動画にありましたので、記事に貼り付けています。
 また"宇佐神宮宮司の永弘は、名誉宮司の娘である到津克子(いとうず よしこ)に、暴力で三週間の重傷を負わせてる"とのこと。別件ですが、神社本庁を題材にして小説を書いた作家が行方不明になったり、神社本庁/山口県神社庁と争っていた宮司が死亡している例もあるようです。また、総裁が宇佐神宮乗っ取り事件の件で神社本庁に電話したところ、相当ガラの悪い顧問弁護士が対応したそうです。
 朝堂院大覚氏は"神に仕える職業で、こういう者を神職として認めて良いのか…神社本庁及び、神社を乗っ取ろうと企む、この利権屋宮司達を神職から追っ払いたい"と訴えかけています。
(編集長)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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宇佐神宮乗っ取り事件 12月4日 総裁が九州に調査へ
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[竹下雅敏氏]天皇家の中に例外的に入り込んだイスラエル・ユダヤの血

竹下雅敏氏からの情報です。
 日本の歴代天皇は、基本的にイスラエル・ユダヤの血は入っていません。八咫烏たちは神武天皇や応神天皇をイスラエルの血筋だとしたいようですが、事実は異なり、純粋な日本人です。
 先に基本的に、と言ったのは例外があるからです。2つの系図の枠で囲った人物は、イスラエル・ユダヤの血が入っている者たちです。
 現在の皇室において、天武系の七方八代の天皇が別扱いされている理由もここにあります。
 実は天武天皇は舒明・皇極(斉明)の子ではなく、高向王の子である漢皇子なのです。“続きはこちらから”以降に小林恵子氏の説を紹介していますが、この通りではないかと思います。要するに、天武天皇(漢皇子)は、高句麗から日本にやって来たということです。彼はイスラエル・ユダヤの血筋です。要するに天武天皇のクーデターによって、日本に初めてイスラエル・ユダヤの血筋の王が現れたのです。聖武天皇が秘密結社八咫烏を組織し、仏教を偽装しながら、実のところ原始キリスト教の信奉者でカバラを奥義としたというのもこの流れです。
 聖徳太子は古書をことごとく焼き捨て、日本の歴史を隠ぺいし、こうした血筋の入れ替えを強力に推し進める役割を果たしました。彼が聖人でないことは確かだと思います。大体、まともな人間はお札の肖像画に描かれたりはしません。
 これまで柳田国男氏の論考などから、被差別民のルーツを手繰って来たのですが、柳田氏は、それがヒジリにあり、山の民であったのではないかと推論しています。私はもっと直裁に、彼らのルーツは古代イスラエル人であると考えています。
 世界的に見ても、ユダヤ人は独特の風習を保持し他と交わらないため、どの国でも様々な問題を引き起こして来ました。日本も例外では無かったと考えます。
 天武天皇の即位で偽りの歴史書を編纂し、日本の過去をわからなくした上、彼らの血筋が日本を乗っ取ろうとしたのですが、その後、天武系の血筋は天皇家から排除されました。
 ところが、明治になって今一度革命が起こったわけです。系図2をご覧になると、違和感を感じる方もあると思いますが、この系図は真実の物ではありません。明治以降の歴代天皇は、血の繋がりがありません。
(竹下雅敏)

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宝皇女(皇極天皇・斉明天皇)
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系図1
転載元より抜粋)
聖武天皇
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系図2
転載元より抜粋)
昭和天皇
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[竹下雅敏氏]聖武天皇、吉備真備、安倍晴明らが意図的に創り出した混乱

竹下雅敏氏からの情報です。
 下鴨神社の境内に、河合神社があります。これまで下鴨神社の祭神が入れ替えられていると説明して来たのですが、もしも公式説明の通りであれば、非常に奇妙な事が起こっていることになります。
 祭神の賀茂建角身命は、八咫烏ということになっていますが、河合神社の三井社と任部社の両方に祀られている形になります。これだけでも奇妙ですが、さらに下鴨神社の西殿に祀られているだけではなく、隣にある三井神社にも河合神社と同様の形式で祀られているのです。しかも下鴨神社の祭神の玉依姫と河合神社の祭神の玉依姫は、同名異神ということで、別の神だというのです。
 ホツマツタヱを読むと、これが誤りだということがわかります。白羽の矢(丹塗矢)の伝承は、賀茂建角身命の娘で神武天皇の母である玉依姫の伝承なのです。したがって河合神社と下鴨神社の玉依姫は、同一の神であることがわかります。
 玉依姫が神武天皇を生んだ時には、すでに両親は亡くなっていたので、神武東征の際に神武天皇の前に姿を現したヤタガラスの翁は、賀茂建角身命ではあり得ません。要するに河合神社は、神武天皇の母であった玉依姫を祀っており、三井社でその両親と共に三柱が祀られているわけです。加えて、神武東征に功のあったヤタガラスの翁を八咫烏命として任部社に祀っているのです。
 下鴨神社は、元々玉依姫の夫であるウガヤフキアワセズノミコトが西殿に祀られていたはずです。要するに、下鴨神社の祭神は、夫婦で祀られていたわけです。そしてその隣に玉依姫と両親が三井神社として祀られているのです。
 ところが、祭神が入れ替えられ、賀茂建角身命と八咫烏命を同一視ししたため、現在のような混乱が起こったのだと思います。この混乱は意図的なもので、これを計画し実行したのは、聖武天皇、吉備真備、安倍晴明らだと思います。長期に渡る陰謀ですが、彼らは死後も天界で極めて高い地位に居たため、こうしたことが可能であったと思います。
(竹下雅敏)
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[竹下雅敏氏]天神系の賀茂氏に巧妙に入り込み、下鴨神社宮司家の血筋を乗っ取った八咫烏の子孫

竹下雅敏氏からの情報です。
 記事によると、奈良県の葛城山、金剛山の東山麓に賀茂一族が住んでいたとあります。これは地祇系の賀茂氏で、先祖はホツマツタヱの編者であるオオタタネコノミコトになります。
 “続きはこちらから”以降は、相当に混乱した内容になっています。伝承では、神武天皇の祖父で既に亡くなっていた賀茂建角身命が、鵜に化身して、神武天皇を導きます。おそらく、賀茂建角身命の命を受けたヤタガラスの翁が、神武天皇を助けるために、天皇の前に姿を現します。ヤタガラスの翁はレビ族の長老で人間です。彼はおそらく霊能があり、神の声すなわち賀茂建角身命の言葉を受け取ることが出来たのだと思います。
 ところが、なぜか賀茂建角身命とヤタガラスの翁を同一視して、賀茂建角身命=八咫烏になってしまったわけです。山城国風土記逸文は、ヤタガラスの翁の子孫がその後地祇系の賀茂氏に入り込み、さらに北上して、現在の下鴨神社辺りに移って来た様子が書かれています。
 賀茂建角身命はホツマの神で、ホツマツタヱによれば、元々この河合神社の辺りに住んでいました。その末裔が天神系の賀茂氏です。結局イスラエルの末裔である八咫烏の子孫が、天神系の賀茂氏に巧妙に入り込み、下鴨神社宮司家の血筋を乗っ取ってしまったということが、この偽りの伝承から見て取れます。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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鴨都波神社
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葛城山麓から京都盆地に進出してきた鴨族
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[竹下雅敏氏]山城国風土記逸文の賀茂氏伝承は明らかに誤り 〜賀茂建角身命とヤタガラスの翁を同一視したために起こる混乱〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 ホツマツタヱでは、賀茂建角身命は神武天皇の祖父にあたり、神武天皇が生まれるずいぶん前に既に亡くなっています。したがって、今回取り上げた記事の賀茂氏の伝承は、明らかに誤りであることがわかります。
 山城国風土記逸文では、神武東征の先導役として葛城に至り、そこから山代川(木津川)を下り、葛野河(桂川)と賀茂河の合流点に至り、さらに賀茂河をさかのぼり、この地に落ち着いたとあります。
 しかし、ホツマツタヱでは神武東征の遥かに以前から、賀茂建角身命は河合神社の辺りに既に住んでいるのです。しかも、娘の玉依姫が白羽の矢(丹塗矢)の伝承で子供を身ごもる前に亡くなっているわけで、上記のような伝承が偽りであることは明らかです。
 仮にこの伝承に何らかの意味を見出すとすれば、賀茂建角身命ではなくて、神武天皇を吉野から大和へと導いたレビ族の長老・ヤタガラスの翁およびその末裔が、上記のようなルートを通って、現在の下鴨神社の辺りに住み着くようになったというのなら、意味がよくわかります。
 要するに、ホツマの神である賀茂建角身命と、イスラエルの末裔であるヤタガラスの翁(河合神社では八咫烏命として祀られている)を、同一視あるいは混同したために起こる混乱なのです。
(竹下雅敏)

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岡田鴨神社
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下鴨神社
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