どのベッドも絶飲食の寝たきり老人
99歳で
特別養護老人ホームに入所した母が救急車で運ばれて市立病院に入院したのは3か月前。102歳でした。その時も覚悟を決めていましたが、誤嚥性肺炎や尿路感染症の治療を受けて生還しました。
でも、誤嚥予防のために絶飲食になりました。酸素吸入、痰除去などが必要なので元の老人ホームには戻れなくなり、
医療型の療養病院に転院しました。2ヵ月前です。
転院した時に説明を受けましたが、
面会時間は午後2時から5時までの間の30分間。2名まで。15歳以下は不可との事でした。
4人部屋で、どのベッドも絶飲食の寝たきり老人です。人手不足が深刻なのでしょう、スタッフは東南アジアから来た介護実習生がほとんどで、3時間おきに体位交換とおむつ替え、部屋や器具の掃除をしてくれていました。
看護師さんも3時間おきにバイタル検査の見回りをしてくれます。その時に名前を呼んで声をかけてくれますがほとんどの人は応答なしです。それ以外は誰も訪れず黙って寝ている状態です。
時々奇声を発する人や、小さな声で訴えっている人がいますが誰も来てくれません。
最低限死なないように管理してくれている病院です。そこに居るだけで胸が詰まりそうでした。
面会時間になっても面会に来ている人の姿はありません。「会いたくない」「こんな姿を見たくない」「仕事があるから行けない」「行っても反応がないから」などの理由で足が向かないのでしょう。
まるで姥捨て山です。
今でも面会禁止で孤独死が当たり前
人生100年時代。
療養型病院のニーズは増えているのに人手不足で病院が閉院の危機に瀕しています。母の場合は院長先生が兄の知り合いなのでやっと入院できたようです。
先生の回診の時に母の病状を聞くと「お強いですね。頑張っていらっしゃいますよ。耳は聞こえますからたくさん話しかけて手を握ってください」と言われますが、その後に
必ず「亡くなるのはたいてい夜中です。死に目には会えないと思ってください」と付け加えられます。
そのたびに私の胸が締め付けられるのです。30分の面会時間が終わって母を1人でこの病院に置いていくのが辛くてたまりません。
兄に「母のそばに居てあげたい。どうにかならないか」と話しても「病院の方針だから」「ここ以外に引き受けてくれるところはない」と逆に私を諭します。
終末期の患者が最期を快適に過ごすために身体的、心理的ケアと支援をしてくれるホスピスがありますが老衰の人は対象外です。
母は88歳になるまで家族の世話をして、2歳上の父を老々介護しました。父が最後に入院した時は父の入院室のソファに寝泊まりして看取りました。
自分の役割をやり遂げた感があるのか、それ以降の母は「あるがまま 今を楽しく生きよう」が口癖で誰にも頼らず、自分ができる範囲で満足し、動けなくなるまで人に頼りませんでした。
でも時代は大きく変わり、コロナ禍以降人の分断が加速しました。
赤ちゃんを産むのも計画分娩が主流になり病院主導の安全管理が優先です。妊婦健診も産後の面会も制限があり、もう出産は家族のイベントではなくなりました。
今回、もっとひどいのは老人施設や看取りの病院だと思いました。
コロナの集団感染で大変な目にあった施設や病院は今でも面会禁止で孤独死が当たり前になっているようです。
母を慕っている叔母が家で転倒して特別養護老人ホームに入所しました。最近面会に行きましたが、殺風景な部屋にひとり。10分間、ガラス越しの面会しかできません。声も聴きとれません。差入れ禁止。お花も持っていけませんでした。
まるで無罪刑務所。生きる気力が萎えてしまいます。ここまで一生懸命に生きてきた人に対しての尊厳はどこに行ったのでしょうか?
https://www.yomiuri.co.jp/yomidr/article/20230410-OYTET50007/
厚生労働省が面会制限を解く様に指導していますが、施設としてはその方が楽なのでしょう。なかなか改善されません。
https://vmed.jp/7806/
"「外国人に土地を所有させてはいけない」という意見に同意はするけれども、そもそも、外国人だろうと日本人だろうと人や企業が土地を(地球を)お金という数字で買える状態になっていることがおかしい。(お金という)数字を得ることが上手い人たちが地球上のほとんどの土地を持ってしまっている。地球上にはあらゆる生物が住んでいるのに、人間が「所有」という概念を振りかざして、お金という数字で買って、所有権を主張して、その上に住むあらゆる生物を駆逐して、地球上の循環を所有の壁で分断してしまっている。究極、国家が土地を所有して国境を作ることすらおかしい。土地は、所有するのではなく、未来の子供達のために汚さずに使っていくという考え方に変わっていくべきだと考える。
しかしそこに至るまでのステップとして、国があり国境がある限りは「国のもの」と考えて、一旦、土地の公有化、国有化を提案する。
数年前に「リバースモーゲージ」「リースバック」という金融商品が登場した。団塊の世代の老後の資金が苦しくなってきたところに、所有している土地を売って現金を手に入れ、その土地を借りて住む「リースバック」、所有している不動産を担保にお金を借りて最終的に不動産で清算する「リバースモーゲージ」は、いずれも金融機関に土地を取り上げられる設計になっている。ここには土地の私有制度と金融化の問題がある。
この現実に対して「土地の公有化」の具体策を提案する。「公有化、国有化」は、国民から強制的に土地を買い上げるということではない。長い時間をかけて国民の自由意志で進めていくものだ。
2つの柱がある。一つは「処分権の停止」で、土地をプライベートに(人や私企業に)売ってはいけないというもの。もう一つは「政府の買取保証」で、政府は国民から「買ってください」と言われたら適正な価格で買わなければいけないというもの。国民が土地を売りたい、買いたい場合、売りたい人は合意した値段で政府に売って、新たに土地を使いたい人は使用料を払って政府からその土地を借りる。これはある意味政府によるリバースモーゲージで、住宅ローンに行き詰まって金融機関に土地家屋と取り上げられるのではなく、政府から得た代金で金融機関に完済をして、残金は生活費に充てるという、住宅ローンの檻から解放するための方策になり得る。
土地が外国人にどんどん買われ、日本人が搾取され続け、使いづらい土地だけが残され、国民の生活の質が上がらないことに対して、これまでの土地の私有制度をそのままキープして、その枠内で解決しようとしている。土地問題は、専門家の叡智を集めてゼロから考えなければいけない。
土地はすべての経済の基本で、資本の一番大事なものが土地だ。複雑かつ感情的な問題で、「国有化」と聞いただけで日本人は感情的に反応してしまう。共産主義とか資本主義とか概念ワードのレッテル貼りがすでに思考停止だ。現実を見ろと言いたい。
「本来お金は不要だよね、価値がないものだよね。本来、土地は誰のものでもないよね。」と多くの人が気づけば、土地の公有化は進むはずだ。"