朝鮮戦争で日本は経済成長に
1945年8月の敗戦から1952年4月の建前上の日本独立までの7年間、GHQによる日本統治が続きました。戦後間もない日本では、多くの餓死者が続出したほどの徹底的な貧困ぶりでした。私の寺の過去帳の記録でも、戦時中の死者数より終戦時からしばらくの期間の死者数のほうがずっと多いのです。
「ボクタチハ ワタシタチハ オナカガペコペコデス」のプラカードを掲げて食糧メーデーに参加した小学生たち。
その死者の多くが病死でしょうが、この病死の実態としては栄養失調と不衛生で劣悪な環境が原因だったでしょう。
当時の日本では、政府配給の食料のみでは餓死してしまうため、田舎の農家への買い出しや闇市などで何とか食料調達…。
このような貧困を極めた日本が、復興の歩みを豊かさへの軌跡を描きかけるもとになったのが1950年に始まった朝鮮戦争でした。日本では1950年代半ば頃には国民所得が第2次世界大戦前の水準に回復したようで、朝鮮戦争による戦争特需(朝鮮特需)が日本の戦後復興、そして経済成長の端緒になり、やがて日本は経済大国へと成長していったのでした。
このような作用を日本にもたらした朝鮮戦争ですが、
ウィキペディアの該当記事には朝鮮戦争の開始については以下の記述があります。
1950年6月25日にソ連のヨシフ・スターリン書記長の同意と支援を取り付けた金日成首相率いる北朝鮮が事実上の国境線と化していた38度線を越えて韓国に侵略戦争を仕掛け(国際政治史を専門とする五百旗頭真も奇襲と呼ぶ)勃発した。分断国家朝鮮の両当事国、北朝鮮と韓国のみならず、東西冷戦の文脈の中で西側自由主義陣営諸国を中心とした国連軍と東側社会主義陣営諸国の支援を受ける中国人民志願軍が交戦勢力として参戦し、3年間に及ぶ戦争は朝鮮半島全土を戦場と化して荒廃させた。1953年7月27日に国連軍と中朝連合軍は朝鮮戦争休戦協定に署名し休戦に至ったが、北緯38度線付近の休戦時の前線が軍事境界線として認識され、南北二国の分断状態が続くこととなった。
朝鮮戦争は1950年に北朝鮮軍が38度線を超えて南下侵攻することで勃発、1953年に38度線を再度軍事境界線とすることで休戦に至っています。
北朝鮮はソ連のスターリンの同意と支援を取り付け軍事作戦を開始し、北朝鮮には東側社会主義陣営諸国が支援、一方の当事国である韓国には、米国を中心とした西側自由主義陣営諸国が支援。このように朝鮮戦争は東西冷戦の中での戦争と位置付けされています。
1950年から1953年の戦闘中、実際に主に交戦したのは北朝鮮軍・中国人民志願軍 vs. 韓国軍・米軍という構図でした。ソウルを占拠し更に南下する北朝鮮に対して、米軍を率いて反転攻勢に出て逆に北上し平壌まで占拠したのがGHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーでした。この状態に北朝鮮の支援として、1950年10月に共産中国が「人民志願軍」として参戦してきて米軍と交戦したのです。
■中共軍、■北朝鮮軍、■韓国軍、アメリカ軍、国連軍。
朝鮮半島を南北に移動する戦線の様子(1950年6月〜1953年7月)
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3分25秒~14分20秒で、“アメリカは朝鮮戦争後の韓国、日本を「反共産主義」の防波堤にしようと画策しました。その際に暗躍したのがアメリカの諜報機関である中央情報局、俗にいうCIAです。…岸信介はなくなった安倍晋三氏の祖父として名前が知られています。そんな岸信介の出身母体となる自民党は、水面下でCIAからの資金援助を得ながら、1955年、当時の自由党と日本民主党が合わさる形で結成されました。これが「55年体制」です。CIAから自民党への秘密の資金援助は、1950年代後半から1970年代の初めまで、少なくとも15年間にわたって続いていたと言われています。岸信介は自民党が結成されたわずか2年後の1957年には内閣総理大臣に就任しています。…1958年、統一教会は日本へ進出、翌1959年、日本統一教会設立。…1964年11月、統一教会が本部を東京都渋谷区南平台に移転、この場所は何と岸信介の邸宅の隣だったんです。…このアジア反共連盟については、実は前段があったりします。それは1954年、韓国の李承晩、台湾の蒋介石らが中心となって結成された「アジア諸国人民反共連盟」です。この結成に際し、裏で支援していたのがCIAの長官アレン・ダレスなんですね。…1968年、反共産主義を掲げる統一教会の政治組織「国際勝共連合」が設立されます。…1970年、勝共連合の挨拶に立った笹川良一は、驚いたことに、「私は文鮮明の犬だ!!」とすら言い放ったんです。…
統一教会は1954年に文鮮明の手によって韓国で創設されたのはすでに申し上げた通りですが、韓国では1961年、朴正熙のクーデターによって、軍事独裁政権が誕生しました。この同じ時期に作られたのが、韓国の諜報機関KCIA(韓国中央情報部)です。もちろん、KCIAの設立には、アメリカのCIAが深く関わっています。KCIAの初代局長金鐘泌(きんしょうひつ)は、統一教会に深く絡んでいます。1963年、CIAによって作成された内部文書には、次のように書かれています。「金鐘泌は統一教会を組織化し、2万7000人ほどの信者たちを政治的なツールとして使っている」。つまり、統一教会の背後には韓国政府の諜報機関KCIAが控えていたということ。要するに統一教会をめぐる全ての根源はCIA、つまり、アメリカなんです。”と言っています。
15分48秒以降は、統一教会のアメリカ進出について。「コリア・ゲート」の調査委員会であるフレイザー委員会の400ページを超える報告書には、「2万人の統一教会信者が、贈賄、銀行詐欺、違法なキックバック、武器販売に関与した。(17分9秒)」とあり、さらに「統一教会そのものが、KCIAによって作られた存在であり、第2次世界大戦後にKCIAを設立した主要機関はCIAである。統一教会信者はアメリカの外交政策に影響を与える政治的道具としてKCIAと協力している(17分22秒)」と記載されているとのことです。