公開日時: 2014年12月26日

第二次大戦(1938-1945)で、原爆を投下された後の広島(RIA Novosti)
人類に対する時効の無い犯罪の可能性がある、1945年の
アメリカ軍による広島と長崎への原爆攻撃にたいする国際的調査を始めたいとロシア下院議長は考えている。
“来年はニュルンベルク裁判70周年で、広島と長崎という二つの民間都市に対する最初で唯一の核爆撃の70周年でもある。これらの出来事に私が触れるのは偶然ではない。
人類に対する犯罪に時効はないのだから、
この話題を弁護士や国際法専門家と議論すべきだと思う”とセルゲイ・ナルイシキン議長はロシア歴史協会幹部会で語った。
広島と長崎への核攻撃は、満州におけるソ連軍の勝利で
日本の敗北は事実上決まっていたのだから、純軍事的な立場から到底正当化できないことをロシア議会議長は想起した。
“二つの平和な都市への爆撃は、何万人もの日本人一般市民の死をもたらした純然たる脅迫行為だ。来年アメリカをこの問題に立ち帰らせよう”とナルイシキン議長は述べた。

セルゲイ・ナルイシキン・ロシア議会議長(RIA Novosti / Mihail Mokrushin)
広島と長崎の原爆攻撃は、1945年8月初めに行われ、大半が一般市民の、150,000人から、250,000人の死者をもたらした。アメリカ当局は、この威力の誇示が日本の降伏を早め、アメリカ軍に多数の死傷者をもたらす可能性があった日本本土上陸作戦を不要にしたと述べている。同時に、
二度の爆撃、特に広島爆撃は、根本的に、人の道に外れた、
敵国の一般市民に対する大量破壊兵器の使用を禁じた条約の精神に違反するとして、世界の人権コミュニティーによって、何度も非難されてきた。
放射性降下物が、広島と長崎の子供達を傷つけ、一部の人々に様々な病気を引き起こし、それ以外の人々対しても、高額な医療検査や、絶えざる健康不安をもたらしている、今日も続く原爆問題を、日本の当局者や世界の人権活動家達は提起している。
記事原文のurl:
http://rt.com/politics/217787-naryshkin-russia-hiroshima-trial/
ホツマツタヱの伝承を見ると、神武天皇は父親のウガヤフキアワセズノミコトから天皇の位をすでに譲り受けていて、東征の理由は、飛鳥を統治していたナガスネヒコの行動に問題があったためだとわかります。
神武天皇の一行は、ナガスネ軍の強い反撃にいったん退却し、南に下り迂回して大和に向かうことにします。しかし山が深く、一行は道に迷ってしまいます。伝承を見るとこの時夢のお告げがあり、そのお告げの通り、目が覚めると“目の前にヤタノカラスという翁が尋ねてきて、翁は飛鳥の嶺嶺を越えて道なき道を切り開いて軍を引導”したとあります。ヤタノカラスとは、3本足の烏ではなく翁なのです。おそらく杖をついた老人だったのでしょう。
私はこのヤタノカラスというニックネームが付けられた翁は、イスラエルの失われた十支族のレビ族の長老で、この辺りに住み着いていたのだと思います。レビ族はイスラエルの祭祀階級なので、その長老ともなると、少なくとも神の声を聞く能力を持っていたはずです。ヤタノカラスの翁は、神の声の導きに従って神武天皇の前に姿を現したのです。
一進一退の戦いの最中、“どこからともなく金色の鵜の鳥が飛び来て、天皇が手にする弓の弭に止まりました”とあります。日本書紀では金鵄、すなわち金色の鳶(とび)となっていますが、ホツマツタヱでは金色の鵜(う)です。この鳥は、神武天皇の祖父である賀茂建角身命の霊体です。従って、その姿はほとんどの者には見えなかったことでしょう。
賀茂建角身命はすでに神上がっており、通常は高い階層に住んでいます。しかし神武東征の間、鵜の姿で降臨し、神武天皇を導いていたと考えられます。霊体が自由に鳥や別の生命の身体を取り得ることは、せれなさんのブログ(光の海から)のこのヴィジョンを参照してください。
したがって、下賀茂神社宮司家のレビ族の祖であるヤガタガスの翁と賀茂建角身命は、全く別の存在です。賀茂建角身命がヤタガラスの翁に、神武天皇の処に行って奉仕するように命じたのです。
現在、下賀茂神社の社家の人たちは、賀茂建角身命とヤタガラスの翁を同一人物と考えています。しかし賀茂建角身命はホツマの神であり、ヤタガラスの翁はレビ族の老人です。これを混同して、賀茂建角身命の名で、祖であるヤタガラスの翁の祭祀を行っているわけです。もしもこの混同が意図的なものであるならば、祭神のすり替えを行なっていることになります。他の神社のことも考え合わせると、その可能性が高いと思います。