訂正のお知らせ(1/3 8:27):一部の表示環境で系図が崩れていた問題を修正しました。
竹下雅敏氏からの情報です。
注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
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地の巻 27アヤ タマヨリ姫に白羽の矢
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シラハノヤ【白羽の矢】
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丹塗矢(にぬりや) 下鴨神社
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写真共有サイト:PHOTOHITO 14/1/5
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ホツマツタヱの“玉依姫の伝説”を抜粋したものを紹介します。ご覧になると、玉依姫の両親はカモタケズミとイソヨリ姫で、姫が14歳の時に両親は亡くなります。ある日、禊(みそぎ)をしていると白羽矢(しらはのや)が飛んできて宮の軒端にささり、男児が生まれます。その後のことも下賀茂神社に伝わる伝承と幾つかの違いはあるものの酷似しています。
伝承の異なる部分は、ホツマツタヱでは“白羽矢”であり、下賀茂神社では“丹塗矢”です。また玉依姫の両親はこの時すでに他界していますが、下賀茂神社の伝承では、父の賀茂建角身命は生きており饗宴を催します。また天空高く消え去ったのは“白羽矢”ですが、下賀茂神社の伝承では“子”になっています。こうした違いはあるものの、どちらもワケイカヅチの名が出て来るなど、本来同一の伝承であったものが、時の流れによって変形したものと考えた方が理に適っています。
これが同一の伝承だとすると、系図の中の太字にした部分と、“続きはこちらから”以降の賀茂氏の系図の太字にした部分は、同一であると考えられます。すなわち玉依姫の子で上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命は三毛入野命(ミケイリノミコト)です。また賀茂氏の始祖・神皇産霊尊は、金折命(カナサキノミコト)だとわかります。
玉依姫は白羽矢によってミケイリを産むのですが、その後ウガヤフキアワセズの中宮となり、神武天皇を産みます。要するに二つの伝承が同じものだとすると、二人の玉依姫は同一人物ということになるのです。
その可能性が極めて高いと考えられるのは、下賀茂神社の丹塗矢の写真です。丹塗矢が、同時に白羽矢だとわかります。またホツマツタヱの伝承では、“御両親は相共にみまかって、河合(かわい)の神となられました”とあります。元記事の伝承では、両親のカモタケズミとイソヨリ姫は“河合の館”に住んでいたと記されています。この場所は、下賀茂神社の摂社である河合神社だと考えられています。河合神社の三井社の祭神は、賀茂建角身命、伊賀古夜日賣命(イカコヤヒメノミコト)、玉依媛売命ですが、これはカモタケズミ、イソヨリ姫、玉依姫だと考えられるからです。
これらの事柄は、私の直観にすべて合致します。しかし、そうなると先日コメントしたように、神武天皇はレビ族だということにならないか。実はホツマツタヱをきちんと読むと、これがあり得ないとわかるのです。祭神や宮司家の血筋の入れ替えも含めた詳しい内容は、次回以降に説明したいと思います。