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独逸の伯林で見た、聞いた、感じた社会問題、教育問題 ~第121楽章 ピアニスト ダン・タイ・ソンとベトナム・植民地主義との戦い・・

 我が家には、カーテンがありません。9月の満月の時には、就寝のために電気を消して寝るや否や、月の光が差し込んできて、月の光を浴びながら寝ることができました。また、丑三つ時ぐらいに少し目を覚ますと、三日月が見えたりすることも多いです。カーテンがない家もいいものです。ドビッシーの「月の光」の曲が聴こえてくる感じがします。(ドイツの家は日本とは違い自分でカーテンレールを取り付けなければいけないので・・ということで、怠惰で作業していないだけなのです・・笑)しかし、欧州ではこの冬、暖房代が高騰しますので、カーテンをつけなければいけないのかな・・とも思いますが、できたら、断熱シートで済まそうかな・・。

 欧州で寒いなどとは言っていられません。ロシアのサハ共和国では、マイナス71度になるそうです。こちらの動画では、サハ共和国のヤクーツクの生活がわかります。水が凍るので、水道管が使えないシーンが見どころです。サハ共和国の人々のことを思いながら、今年の欧州の冬を乗り越えるつもりです。

 さて、ベルリンの日本大使館にある通りは、なんと・・広島通り(ヒロシマシュトラーセ)と言います。リンクのウィキペディアによると、史上初の原爆がベルリンに落とされる可能性があったから・・連帯感を表わして・・と書かれています。いずれにしても、実験されたのね・・と怒り心頭ですね。
 同様に、枯葉剤を撒いて実験・・といえば、ベトナム戦争ですね。ベトナム戦争を乗り越えて、1980年のショパンコンクールに優勝された方がいらっしゃいます。ピアニストでコンクールの審査員でも活躍されている、ダン・タイ・ソンです。
(ユリシス)
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近状について


まずは、私事なのですが、おかげさまで、ライターをさせてもらいつつ、シャンティ・フーラでの祈りや学びが大好きで、映像配信で学んでいます。ですので、東京で暮らしている夫に竹下先生が映像配信でおすすめしているアーバン博士の「愛のヨガ」の本を送ったところ、今更といわれまして、完全にREJECT🙅🏻‍♂。また、サーカーのお弟子さんの本「資本主義を超えて」も同時に送ったのですが、これもスルー🤷🏻‍♂。そして、先日、「宗教は受け入れない!」と断言されまして、「宗教ではないのよ、宗教を否定しているのよ・・宗教は天界では無価値になったのよ・・」と言っても、完璧にREJECT🙅🏻‍♂。日本の社会で働いている男性のよくありがちな有様だと思うのですが、もっと柔軟かと思いましたが・・ものすごい反発で仰天しました。

私の父親にこれを話したところ、「まあ、受け入れるのが恥ずかしいんだな・・」と言っていました。私が大事にしていることを受け入れないことに、かなり憤慨しましたが・・・宗教を受け入れない!って言ったけど、護国寺に熱心にお参りに行っている・・それは何?笑

やっぱり・・1995年のオウム真理教の事件は、多くの日本人が本当の神さまの理解につながっていくインド哲学やヨガなどの思想を怪しいものとして拒否してしまう無意識の土台を作り上げることに貢献したんですよね・・

地下鉄サリン事件現場の一つとなった霞ケ関駅
Author:Ribbon[CC BY-SA]


リヒテルが代役に抜擢したダン・タイ・ソン


さてさて、本題。ある日、突然、以前に書いた第97楽章ショパンコンクールの優勝者を思い出し、優勝者の師匠はダン・タイ・ソンだったな・・ということで、最初のきっかけはこちらの動画の7分52秒からダン・タイ・ソンが教えているシーンですが、教えている場所を見て、少しびっくり・・ピアニストらしからぬ場所というか・・はっきりいうと、あまりお金を儲けていないのでは・・と思い、少し興味を持ち、早速ダン・タイ・ソンのピアノ演奏をいろいろと聴いてみました。そして、びっくりしたのです。今まで特に興味を持たなかったのですが、なんと素晴らしい音色・・・もしかして、一番好きなピアニストになったかもしれません・・とりこになり、色々とYouTube動画を探しましたが、そんなに多くはありませんでした。

ダン・タイ・ソン
Author:không[CC BY]

そして、ダン・タイ・ソンの経歴などに興味が湧きました。お父様が詩人で、ベトナムはフランスの植民地でしたので、お母様がフランスに留学されていた大学のピアノの先生なのですね。お父さんの詩人の遺伝子を受け継ぎ、お母さんのピアノの教え方が上手(1:08にお母様が映っていらっしゃいます)なら、そして当時のモスクワに留学で、ロシアのピアニズムを習ったとしたら、・・それはそれは、素晴らしいことです。誰かのコメントで、詩人のお父さんは、投獄されていたと書いていた方もいらっしゃいました。

まずは最初から、ダン・タイ・ソンの繊細な演奏、夜想曲ノクターンから・・


そして、ダン・タイ・ソンの本当に船を漕いでいるような演奏「舟歌 バルカローレ」から・・


ぜひ、他の方の演奏と比較してみてください。何かが違います・・というか、素晴らし過ぎて・・びっくりしました。ショパンの伝えたかったメロディーがはっきりと伝わってきます。他の方の演奏だと・・本当のメロディーがよく聴こえてこないことが多かったです。今まで、ショパンの曲は、まあいいかな・・ぐらいの程度で思っていましたが、ダン・タイ・ソンの演奏を聴いて、ショパンの曲がより好きになりました。

また、こちらの記事では、リヒテルが日本公演の代役に、ダン・タイ・ソンを抜擢したことが書かれています。

なぜ、ダン・タイ・ソンが1つ1つの音がまるで躍動しているように響く演奏ができるのか・・と興味を持って調べると、ベトナム戦争中、防空壕に7歳ごろから7年間もいたのですね・・。ある映像でダン・タイ・ソンはこう言われていました。

『戦争で山の中の防空壕にいたので自然と触れ合う期間が多かった。夜になると、月をよく眺めていた。この経験は演奏のために大いに役立った。ピアノを演奏することは、ただ機械的に演奏するだけでなく、エモーショナルの部分が非常に大事である

そっか・・7年間も防空壕の中にいて、月をずっと眺めていたら・・夜想曲(ノクターン)のイメージはより鮮明に深く表現できるだろうな・・。


こちらのインタビューでも、最後の部分で、ショパンの曲を演奏する場合、ただ曲を弾くだけでなく、ショパンの経歴や時代背景、何をショパンが表現したかったのかを学ぶ必要があると解説されています。

『ピアニストとして可能性のある神童はまだたくさんいるが必ずしも良い方向に向かうとは限らない。親は、思春期の演奏家に「あなたが一番」という意識を植え付け、それが個人の成長を妨げることがある、とダン・タイ・ソン曰く。

音楽界の天才たちの90%は、パパとママの過度な影響により可能性を十分に発揮できていない。この点、ロシアのシステム(ダン・タイ・ソンはいまだに反射的に「ソビエト」と呼ぶ)は有利。親を遠ざけ、教師を重視し、放蕩者の才能にバランスのとれた教育の機会を与えることができる。』
my/maSCENAより一部翻訳)

また、上記記事の中で、「同性愛の男性ピアニストが数十年にわたり大成功を収めているのは、男性と女性の両方の特徴が一つの身体と心の中で幸せに同居しているからだ」と優等生的に書かれていますが、故中村紘子さんが、「ピアニストはユダヤ人かホモしか成功しない!」とキッパリ断言されていたことからもわかるように・・。音楽業界はホモ推奨・・有名指揮者のお誘いを受けた日本人指揮者もいらして、断ると・・というお話も・・音楽業界もディープステートの支配下ですので、ユダヤ人が有利なのですね・・。これに関しては、seiryuuさんのユダヤ問題をチェックですね・・


ベトナム戦争・植民地主義との戦い


ベトナム戦争は、1955年から1975年ごろまで、インドシナ半島で起きた戦争。原因は、最初は、北ベトナムと南ベトナムの内戦、その後アメリカやソビエト・中国が参戦、資本主義陣営と社会主義陣営の代理戦争といわれます。 最終的に北ベトナムの社会主義陣営が勝利し、アメリカは撤退。

Wikipedia[Public Domain]

しかし、本当のところは、ベトナム戦争とは、米国が、1954年のジュネーブ協定で取り決められたベトナム南北統一の実現を妨害、南ベトナムに干渉、かいらい政権(米政府の意のままになる政府)を樹立して、ベトコンを討し北ベトナム政府を屈服させるために南北ベトナムで進めた侵略戦争のことなのです。

ベトナム戦争もアメリカのお得意な侵略戦争ですね。分断させて支配するお決まりのパターンですね・・。枯葉剤を撒くところが卑怯極まりないです。ベトナム戦争の最中の頃だと思うのですが、ハワイにもサリンを撒いたらしく、その後に日本のハワイブームがはじまったそうですよ・・

1974年ごろに小学生だった方は、ベトナムのダーちゃんの絵本でベトナム戦争のことを知った年代かと思います。当時は、父親が以前にアメリカの通信会社で働いていて、同僚がベトナムの17度線のあたりのダナンの基地に行った方が多く、父親も興味があったのか・・家には赤いタイム雑誌がかなりあり、表紙のベトナム戦争の写真をよく見ていた小学生時代でした。父親も1998年ごろから2002年ごろまでベトナムでの仕事があり、北部のハノイ、中部のフエ、南部のホーチミンで仕事をしていました。母親も一緒にベトナム生活をしていましたが、私は枯葉剤の影響を受けると大変なのでということでベトナムに行ったことはありませんでした。日本の大企業は、1989年ごろからベトナムに視察に行っていて、防空壕を見たなどと聞いたことがあります。

軍事境界17度線に建てられた記念碑
Author:Si-take.[CC BY-SA]

父親から聞いたことは、ベトナム人はおとなしく、忍耐強いということです。戦争の時も、地下に潜って、敵を欺く作戦をしてきた、夜中に動くなど、ベトコンは、頭脳派で賢いと聞きました。竹の材質の帽子をかぶり、竹の製品が多く、鉄のものがないので、金属を探知することができず、アメリカ軍は苦労したとか・・。「キリギリスとアリ」のまるでアリこそがベトナム人だそうです。地下に通路や防空壕を作るところも同じですね。

さらに聞いたことは、北ベトナムはアメリカが嫌い、北爆を恨んでいる。民族意識が強い。ベトナム人は自分の意見を言わない・・とのことでした。ベトナム人は15年の戦争を、米と塩で生き抜いてきたそうですので、サバイバルするための参考になりそうですね。

『われわれは平和を切望し妥協を重ねてきたが、妥協を重ねれば重ねるほどフランスはわが国を征服しようとしている。われわれは犠牲を辞さない。われわれは奴隷とはならない。すべての老若男女に訴える。主義主張、政治性向、民族を問わず、立ち上がり、フランス植民地主義と戦い、国を救おう---ホー・チミン抗戦声明』
Wikipediaより引用)

日本の戦後からアメリカによる支配、3S政策や経済第一主義で洗脳されてきた騙されっぷりとはちょっと違い、気概を感じます・・

『戦争当時のビデオ映像で、圧倒的な武器や物量で攻撃されながら、トンネルや落とし穴、自給自足のための知恵を発揮してたたかいぬいた記録に圧倒されました。ジャングルの中に総延長250kmにも及ぶ地下トンネルの中には、作戦司令部、兵舎、病院、食堂から学校まであったそうです。歩いていると直径10メートルもある砲撃の後がいくつも見かけられます。壊されても壊されても、トンネルを造り続けて抵抗を続けた知恵と努力が、勝利を勝ち取ることが出来たのです。
ベトナム紀行より引用)

しかし、ベトナムが第二次世界大戦後あたりからフランスからの独立を試みようとしたきっかけは、日本の支配もあったからなんですよね・・。日本はアジアが植民地から独立をするきっかけを与えたとも言えるのです。インドネシアも(戦後オランダから独立)フィリピンも(戦後アメリカ・スペインから独立)マレーシアも(戦後イギリスから独立)独立してきました。

フランスがなぜベトナムを植民地にしたのか・・と調べると、こちらの記事によると、ベトナムは、原油、石炭、水力、地熱、バイオエネルギー、太陽エネルギーなどの豊富な自然エネルギー資源に恵まれているのですね。

母親からは、ハノイは政治の街だけれど、ホーチミンはフランスの影響を受けている街で、ベトナム雑貨も綺麗で楽しいわよ・・と聞きました。こちらは、お土産の貝でデザインされたベトナムらしい綺麗な小物入れです。


ダン・タイ・ソンはベトナム戦争終了から5年後にショパンコンクールで優勝したものの、他のピアニストとは違い、もう一度モスクワ時代の音楽大学に戻ることになったようですし、ベトナムは社会主義国だったため、演奏会などの際にもビザがすぐに下りずに大変苦労をされたようです。

9月26日のまのじ編集長の記事のピアニストが亡くなられた記事をTwitterで流れてきましたので、私もちょうどTwitterで見ていて、亡くなられた方は、25年も香港在住だったのに・・とプロフィールを見て、気づいたこと・・福島や東北のための復興コンサートの演奏会にいらしていますよね・・そして、ダン・タイ・ソンも福島や東北の生徒に教えるためによく来日していたことを見ましたが、大丈夫だったのでしょうか・・と私は老婆心ながら心配になってしまいました・・。

ラフマニノフの楽興の時も・・ダン・タイ・ソンはロシア人ピアニストよりもラフマニノフの心の内にあるもの・・を的確に表現しているような気がしました。

ラフマニノフ 楽興の時第5番、第6番


おまけ・・


ベトナム料理は、コリアンダー(体内の毒素、重金属などを排出)など、ハーブをふんだんに使うので、嬉しいですね・・
ベトナム料理で使うハーブ
絶品ベトナム料理



Writer

ユリシス

311を機に息子と共に、東京からシアトル、2012年ケアンズ、2015年ベルリンへと移住。
ユリシスの名前は、ケアンズ近郊でみられる見ると幸せになると言われる青い蝶から命名。
幸運にもケアンズの家の近くでペアのユリシスに遭遇したので、それを思い出し・・。
映像配信、東洋医学セミナーなどシャンティフーラでの学びが大好きです。
体癖1-3 


まみむのメモ(49)〈食べられる野草図鑑・秋(1)〉

 今年も新米の季節になりました。晴れた日が少ない中、さっと稲刈りを済ませた田んぼを見かけるようになりました。機械化ならではの早業です。
 手作業だけの自然農のお米作りを何年も挑戦してきましたが、ついに自給自足できるまでには至りませんでした。それでも諦めきれずに、種籾だけでもとバケツ稲作をしています。このバケツ稲作の簡単さに比べて、実際の稲作の大変な事!!全部手作業でとなると、昔のようにみんなで集まって、楽しみながらやるのがいいのかなぁと思います。
 田んぼで苗を育てて、苗取りをして、田植えをして、草取りして、稲刈りをして、ハゼ干しして収穫しても、食べれるようになるまでには、まだその後があります。足踏み脱穀機で稲ワラから籾をはずし、唐箕で屑米や稲クズを飛ばします。さらに玄米にするには籾すりが必要で、さすがに手作業ではできません。幸い田舎では精米だけでなく、籾すりもしてくれるコイン精米所が時折あります。何とかして自給できる体制を整えなければと、食料危機の問題以前に、最低限度自立した暮らしを目指す身としてはまだあきらめていません。
 これから自給自足を目指し、お米作りにも挑戦される方がおられるかもしれませんので、これまでの数々の失敗体験談を参考にしていただけたらと、後日別記事にてご紹介させていただきたいと思っています。
 さて、今回のクズとキンミズヒキ、繁殖力旺盛だったり、服にくっついてきたりと嫌われがちですが、本当はすごく助けてくれる強力な助っ人野草!!
 他にも最近美味しくいただいているのはヨモギの花です。以前はお茶にするだけでしたが、油炒めや佃煮風など意外と美味しく、元気になる気がします。とはいえ、ヨモギの花を咲かせているのは我が家くらいかも・・・。ヨモギからもらえる元気、すごいんですけどね〜。もちろんキンミズヒキも育っています。
(まみむ)
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まみむのメモ(49)〈食べられる野草図鑑・秋(1)〉

クズ(葛)


時期 5月頃から新芽を出して、花期は8〜9月、10月頃種を付け、地上部は枯れていく。
場所・環境 温帯、暖帯に分布し、中国からフィリピン、インド、インドネシア、ニューギニアに分布。北海道〜九州の日本各地の林縁や川土手など普通に見られる。
葉腋から総状花序が上向きに立ち上がり、濃紅紫色の甘い芳香を発する蝶形花を房状に密集してつけ、下から順に咲かせる。形は蝶形で旗弁、翼弁、竜骨弁からなっている。花色には変異がみられ、白いものをシロバナクズ、淡桃色のものをトキイロクズと呼ぶ。


地面を這うつるは、他のものに巻きついて10m以上に伸び、全体に褐色の細かい毛が生えている。葉は大型の三出複葉で、長い葉柄で互生し。小葉は直径15cm超の菱形状の円形でさらに中裂することがあり、受ける日光の強さで角度を変え、草質で幅広く大きい。葉の裏面は白い毛を密生して白色を帯びている。
花後に褐色の剛毛に被われた枝豆に似た、長さ6〜15cmほどある扁平な莢(さや)果を結ぶ。種子は長さ4mmほどの楕円形の豆果。

基部は木質、上部は草質となり、長さ10mに達する。根は長大で肥大した長芋状の塊根となり、多量の澱粉を蓄え、主根は長さ1.5m、径約20cmに達する。

見分けるポイント つる、葉ともに有毛で、花には甘い香りがある。
間違えやすい毒草 なし
生え方 大型の多年草。つる性半低木。
学名 Pueraria montana var. lobata
科名・属名 マメ科・クズ属
採取方法 クズの根を秋から春にかけて、地上部に残った茎をつたって、掘り採り、十分に水洗いして、乾燥しやすいように、外側の皮を取り除き、板状あるいはサイコロ状に切ってから天日で乾燥させる。

葛粉(くずこ)は、掘りとった根を水で洗い、外皮を取り除いた根をすりおろして粥状にし、綿布でこして繊維質を除き、少し放置してうわ澄み液を捨てて、数回同じことを繰り返すと、底に白泥が残る。これを乾燥したもので、でんぷん質だけを集めたもの。(または、たたき潰して出る汁を水にさらす。白いデンプンが沈殿するので、水洗いして集めて乾燥する。)病後や風邪をひいたときなどに、薬用にする葛湯(くずゆ)は、あまり水にさらさないので灰色にならない。

クズの花(葛花・かっか)は、9月の開花の始まる頃、穂状の総状花序ごと採取し、風通しのよい場所で速やかに乾燥させる。
柔らかいつる先や若葉を食用に。
あく抜き 地上部はほとんどアクはない。根には甘みと少し苦味があり、葛粉にするには数回水にさらす。
調理法 新芽、若葉をそのままで天ぷら、油炒めに。塩茹でして、あえもの、炒め物、煮付け、つるの硬いものは皮を剥いてサラダに。花や蕾は、熱湯にくぐらせ、甘酢、三杯酢、辛子和え、かき揚げ、塩漬けなど。塩茹でした新芽や若葉を刻んで暖かいご飯に混ぜ、30秒茹でて梅酢に漬けた花を散らしてクズの花ご飯に。

塊根を蒸して裏ごしして繊維を取り除ききんとんに。それを広げて揚げてクズチップや棒状にしてチョココーティング等してお菓子に。

また、葛粉で葛湯(水で溶いて鍋に入れ木べらで混ぜながらとろみがついてふつふつするまで加熱)のほかに、くず餅、和菓子などに利用。葛湯と花でハーブティーに、葉っぱを煮出して葛湯と混ぜても。

クズからとれるクズデンプンは和菓子の材料として利用されていて、はるさめに似た葛切(くずきり)は、クズデンプンを水でといて煮たものを冷ましてから、うどんのように細く切ったもの。

花を砂糖と水で発酵させたクズ酵母液に少しイースト菌を足してパンを焼く。酵母液はしだいに綺麗な色のお酒になり、花酒ゼリーなどにも。花酒をさらに発酵させると花酢になり、クズの香りがする寿司に。

豆を煮豆に。
他の利用方法 昔は、クズのつるを材料にして葛布(くずふ)に織って着物にした。葛布は今も各地に残る民芸織物に利用され、特に掛川(静岡)の葛布の織物は有名。

葉を家畜の飼料にしていて、ウサギや馬などが好んで食べる。つるを農作業に利用。

2008年、石油の代替エネルギーとして注目されるバイオエタノールをクズの根から製造する技術が、宮崎大学によって開発された。
効能 解熱、鎮徑(ちんけい)、脳冠状血管血流増加作用や血糖降下、女性ホルモン様作用があり、発汗解熱効果がすぐれている。

二日酔いその他の酒毒、諸毒の解毒に、花を1日に15g(乾燥花3〜5g)煎じて(沸騰したら火を止め冷めるまで放置)、または粉末にして服用する。血便や下痢便にも効果。花の乾燥粉末を蜂蜜で5mm大の丸薬にして常時服用すると黄疸、肝炎、肝硬変の改善薬に。(枯れた花や中国産の花には効果がない。)クズの花と小豆の花を同量粉末として飲めば酒に酔わない。

乾燥した根を1日3〜10g煎じて服用で、発汗、解熱、鎮痛、筋肉の緩和(肩こりなど)、清涼剤として口渇、嘔吐、頭痛、風邪、項背強痛(項から肩、背中へかけての痛み)、血の道に効果。生根汁を飲めば、食中毒、薬の中毒や飲酒による吐血に効果。

葛根(かっこん)は主に漢方処方の葛根湯の主薬となり、葛粉からつくる葛湯は、風邪などの時に用いるとよく効き目があり、寒気や熱をとり、のどの渇きや下痢をとめるという。

健康飲料には、水洗いした生の根を約100グラム小さく刻んでミキサーに入れて、水を加えて砕いた後に、繊維質が沈殿したら、うわ澄み液を別の容器に移して、これを1週間分として冷蔵庫に保存して、朝夕2回食前に飲む。

青葉汁を切り傷などの外用に、また盃1杯ずつの服用で血糖値を下げ、尿糖を減少させ、糖尿病に効果。

クズの新芽(つる先)約10cmを両手の人差し指と親指でできる輪の大きさ程度採集し、水から煮て1時間くらい煮詰めてお茶にして服用を続けると黒髪に、育毛剤に。

葉を乾燥して粉末にしたものに油を混ぜて外傷の出血に。

クズの葉にはビタミンC、カルシウム、鉄分、イソフラボンなど豊富な栄養素が含まれている。イソフラボノイド、ダイジン、プエラニン、ブテノリド、トリテルペノイドサポニン。ダイズイン、プエラリンなどの「イソフラボン誘導体」があり、これらは風邪の諸症状に効く作用を持っている。最近の研究では、「イソフラボン」には骨粗鬆症予防や更年期障害の軽減、高コレステロールの抑制効果などがあるそう。

内分泌系の補助、血管拡張、神経の安定に有効な数多くのフラボノイド類、肝機能の向上や血圧の安定、動脈硬化予防に良いとされる10種類以上のサポニン、皮膚粘膜の強化となるアラントイン、コレステロールの調整に役立つβ-シトステロールなど。他の有効成分は、多量のデンプン他。
その他 クズは「つる性植物」であり、茎を他の植物に巻き付けながら日光の当たる場所に進出していき成長が早く、河川敷や斜面などの日当たりの良い場所では、"クズが広い面積をびっしりと覆っている様子"が見られる。実は、特に森林などでクズが一定面積を覆うことは、悪いことばかりではなく、人間は家を建てて日差しや雨風を凌ぐが、同様に森に暮らす植物たちにとってもこれらの刺激は厳しいもの。ところが、クズが森林と外界の間を覆うことによって、森林内への直射日光や風の吹き込みを防ぎ、マイルドな環境を作っている。

このように森林の斜面などを覆う植物群を「マント群落」と言い、クズはマント群落を構成する代表的な植物。食用として救荒植物になり得る。

秋の7草の一つでクズの他には、フジバカマ、桔梗、ナデシコ、萩、オミナエシ、尾花(ススキ)。
参照サイト・文献 ウィキペディア
松江の花図鑑
イー薬草・ドット・コム
大地の薬箱 食べる薬草事典 村上光太郎著 / 農山魚村文化協会
ブーさんとキリンの生活
ハーブティー初心者ブログ効能口コミ
関連記事 [第24回] 地球の鼓動・野草便り 秋の七草

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[Twitter]凍ってる?

ライターからの情報です。
逆さまに見ることで、
影を追うことはなくなる、
鏡のような、世界。
反射するはずの、あちらの人は映ってないけど…
(しんしん丸)
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配信元)


[YouTube]シザーアーティストが見知らぬ人のシルエットを切る

竹下雅敏氏からの情報です。
スゴイ。本人より似ている。
(竹下雅敏)
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Scissor Artist Karl Johnson Cuts a Strangers Silhouette During Rehearsal || ViralHog
配信元)

[YouTube]ハワイのビーチで人を数える

竹下雅敏氏からの情報です。
人物をカウントするために使用するソフトウェアLabelFuseを使ったもの。
これでデモ参加者の人数を正確にかぞえられる。
(竹下雅敏)
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Counting people on the beaches of Hawaii, using drones and AI
配信元)