P160
ラーマリンガは、1823年10月5日、マルドゥール(Marudur)村で生まれた。
(中略)
p162~163
1867年、彼は貧しい人々に食物を与えて、旅行者や生活苦にあえぐ老人たちを温かく迎えるための慈善施設をこの地に作った。この施設の落成式は3日間にわたって行われ、この間に約1万人に食物が施された。
ラーマリンガの論文Jeevakarunya Ozhukkamの前半がこのときに発表された。この論文
には、すべての生き物に対して慈しみの念を抱くという彼の教えの基本原則が示されていた。ここでラーマリンガは「サンマルガム」(Sanmargam)、すなわち、すべての生き物に対して慈しみの心を持つ「公正なる道」に沿った生き方を提唱したのであった。
優しさは人間の生来の特質であることを彼は説いた。神はあらゆる生き物の中に宿っているので、
命あるものに優しさと思いやりをもって接することは、すなわち神に愛と優しさを示すことである。慈悲心に溢れる人は、神の愛や恩寵によって満たされることをラーマリンガは説いた。
P167
1874年1月30日、50歳になったラーマリンガは、帰依者に対して次のような声明文を発表した。
「親愛なる皆さん! 私はしばしの間皆さんの前から姿を消さねばならない。案じることはない。ランプの[光](Gnana Deepam)を永遠に灯し続けなさい。神がそこにおられることを思い描いて光を崇めなさい。あなた方は十分に報われるであろう。私は今この肉体の中に在るが、ほどなくして神のすべての被造物の中に入るであろう。
私の部屋の扉を閉めて外から鍵をかけなさい。指示されて扉を開けた時には、室内は空であろう」
ラーマリンガは
こう言い残してメットゥクッパム村にある小屋に籠った。その夜、帰依者たちがラーマリンガの部屋の外で、「至高の恩寵の光よ。至高の恩寵の光よ。我らの上に降りたまえ。至高の恩寵の光よ」と唱え続けていると、突然、
紫色の閃光がラーマリンガの部屋から輝いた。それはラーマリンガが「神のすべての被造物」と融合したことを告げるものであった。
後に扉が開けられたとき、室内は空であった。ラーマリンガは何の痕跡も残さずに姿を消したのである。
(前略)

マハー・アヴァター・ババジ -パラマハンサ・ヨガナンダの著書『あるヨギの自叙伝』よりWikimedia_Commons[Public Domain]
(画像はシャンティ・フーラが挿入)
ババジは、聖者ラヒリ・マハサラを山中に呼び寄せます。昔、聖者ラヒリ・マハサラが豪華な宮殿を見たいと述べたことがあり、ババジはその願いを叶えてくださったのです。
(中略)… 庭園の中には無数の宝石に飾られてあり、高いアーチに飾られた通路には、大きなダイヤモンドや、サファイアや、エメラルドなどの宝石がちりばめられていました。無数の宝石に飾られた宮殿は例えようもない美しさで立ってました!
ババジはこの世界は神の夢が具現化したものであり 、夢の中で夢を観てるのと同じに、
夢から覚めるとこの宮殿も消えると言い、聖者が目を瞑ったら消えてしまいました。
ユクテスワが後日愛弟子のヨガナンダの目の前に現れる
ユクテスワは体を纏って現れ 、ヨガナンダがしっかりと霊体の腕を掴んで確かめようとしている場面が圧巻です。ヨガナンダは肉体を脱いだ師匠に、今何処に居られるのですか?と訪ねます。
師匠であるユクテスワの以下のような言葉があります。
「ヒラニャローカだ、ちょうど預言者たちが、地上の人々の肉体的カルマの成就を助けるために地上につかわされるように、わたしもまた幽界の人々の救済者として奉仕するよう」神から命じられたのだ」
「わたしはそこで、霊的に進化した人々の幽体的カルマを取り除き、幽界での生まれ変わりから開放されるよう手助けするのだ」
「ヒラニャローカに生まれて来る人たちは、地上で死んだ人々のほとんどが行かなければならない普通の幽界の生活をすでに卒業した人たちだ。」
「かれらはここで、前の幽界生活でまいたカルマの種子を完全に取り除くのだ。(地上から来て、まだ地上のカルマを少しでも身につけている魂は、ヒラニャローカのような高い幽界の星にすぐに昇ることはできない)」
P429~P430
(以下略)
12月の初めに4番目の子どもを産んだお嫁ちゃん。上の子の学校があるので産後に実家に帰って体を休める事ができませんでした。それどころか、ママが入院していたことで不安になっているジェラシーの塊の3人の子ども達が容赦なくママへ愛を乞います。
でも、命がけで赤ちゃんを産んで、自分の体の回復と同時に昼夜問わずの赤ちゃんのお世話で手一杯のお嫁ちゃんにとって子ども達の要求は荷が重すぎます。体のホルモンも赤ちゃんのお世話仕様に特化しています。
ところが、子ども達の立場に立てば、甘えたい気持ちも当たり前なのです。本来は息子が産休を取って夫婦で支え合ってもらいたいのですが、残念ながら日本はその土壌ができていません。
私は、今まで子育て支援をしてきて、産直後から始まる体の疲れと余裕のなさが、その後の家族のありようにどれだけ影響を与えるかを見てきたので、今回のお嫁ちゃんのお産はまさに私の出番だと思いました。
必要なのはママや赤ちゃんの支援はもちろん、上の子どもや新米パパを含めた家族丸ごとの支援です。特に複数の子どもがいる場合は大変です。でも、そこに1人も取りこぼさない適切な支援があったら、新たな絆が生まれ、お互いを支え合う家族として更なる成長が始まるのではないかと思っています。
これは行政などの支援以前の問題です。パパや祖父母や身近な者が良き理解者になり支援が出来たら、ママの幸せが溢れだし、結果的に家族関係が変わり、社会にも伝播していくのです。
私は4人産んだお嫁ちゃんの幸せそうな顔が見たくて本気で取り組むことにしました。
ただ、お互いの信頼関係がなくて支援を押し付けるのは、また別の大きな問題を生むことも見てきました。一夜にしてその関係は築けません。幸いお嫁ちゃんは私を頼りにしてくれました。それも嬉しい事でした。