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これは中央銀行がもつ支配力をテーマとする映画である。中央銀行には経済・ 政治・社会を変える権力がある。それはこのようにして行われる...
リチャード・ヴェルナー教授の著書に基づく 『
円の支配者 - 中央銀行と経済の変革』
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アメリカ軍による占領
(ニュース映像)
9時30分 横浜到着予定。 当初の予定通り上陸する。
ダグラス・マッカーサー元帥が、横浜に近い厚木海軍飛行場に到着したのは、1945年8月30日のことだった。
航空機から現れた彼は、タラップを降りる前に立ち止まり、片手をポケットに入れ、 コーンパイプをきつく咥えて、 自分達が征服した地を見渡した。
このポーズはカメラマンたちが様々なアングルから撮影し、各紙でこの好場面が何度も繰り返された。
民主主義が日本人に植えつけられようとしていた。
まるで初めて耳にする話であるかのように...
(ニュース映像)
「問題は日本人の頭の中身だ 。 彼らの脳は私たち同様によく働くが、中身の良し悪しは、頭の中で考えていることによって決まるのだ。」
忠義なサムライを演じる歌舞伎は、禁止されるか、厳しい検閲を受けた。広島や長崎の原爆に関する本や映像も禁止。マッカーサーを風刺した漫画も禁じられた。 占領による検閲に言及することも厳格に禁止されていた。
(ニュース映像)
山下陸軍大将
戦犯法廷:「委員会は被告を有罪と判決し、絞首刑を宣告する。山下陸軍大将は裁判は公正だとして委員会に謝意を述べた。
太平洋戦争の際首相だった東条元帥は公判中次のように答えた。
「日本国の臣民(自分)が、陛下のご意思に反してかれこれすることはありえぬことであります。」
反対尋問は即座に打ち切られた。一週間後、東条は律儀に述べた。「天皇は常に平和を愛し平和を欲していた」と。
(ニュース映像)
東条英機元帥
東条英機元帥は戦争遂行の責任を負っていたが、天皇の戦争遂行責任を免除するためにできることは何でもした。
後にマッカーサーはアメリカ上院でこう述べた。
「現代の文明から見ると、日本人は12歳の子供のようだ。」
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戦争が終わると銀行の貸付状況は悪化していた。銀行が保有する資産は、主に戦時国債と戦争で破壊された諸産業への貸付金だった。銀行部門自体が事実上破産していた。
この問題は日本銀行によって容易に解決された。日本銀行は、銀行部門の不良債権を新たに創出した準備金を使って
買取りさえすればよかった。
しばしば無価値となっていた資産と引き換えに良貨を与えたのである。
終戦後、まず2人の中央銀行総裁が、アメリカ占領軍によって任命された。最初に任命された日本銀行総裁は、新木栄吉(あらき・えいきち)だった。
新木栄吉(あらき・えいきち)
だがこのポストに就くとまもなく新木は戦犯検事によって起訴され、辞職しなければならなかった。そして1951年、公職にあった戦犯容疑者に対する大赦の後、新木はアメリカ合衆国大使に任じられた。1954年、大使としての職を辞して帰国すると再び中央銀行総裁の任につけられた。
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1951年に行われた戦犯に対する特赦の後、戦時中の官僚の多くが戦争当時の地位に復帰した。この中には戦時中の政治家や内務省官僚の大半が含まれていた。彼らは思想警察を統制していた者たちで、その多くが文部省に異動した。
(ニュース映像)
アメリカ陸軍:極東の運命の鍵は日本だ。近代史の流れで今再びこの言葉が差し迫った現実味を帯びている。
田園地域での騒乱を避けるうえでこれは中国共産党の助けとなった。アメリカは大土地所有者から小作人への土地の再分配に着手した。財閥と呼ばれる、日本で影響力をもつ資本家エリート(支配層)は犯罪的な戦争の支持者達として一掃されビジネスを続行することを禁じられた。
ヴェルナー: 「ドイツで戦争が行われた1930年代に改革主義派ファシスト官僚にも実施できなかったファシスト政策をアメリカ占領軍が達成したのです。土地改革や財閥に対する政策もこれと同様でした。」
(対談の相手):「そうですね、これは戦時中の日本のファシストたちと米ニューディール政策推進者とのとてもこっけいな出会いですね。」
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佐藤栄作首相は当時、国内と米国でまったく異なる発言、いわゆる二枚舌外交をしていたとのこと。
佐藤栄作と岸信介は兄弟で、あべぴょんは岸の孫ですから、もはや二枚舌は血筋だと言って良いと思います。