国民は家畜程度!?自民党の改憲草案の中身とは…
〜親子関係は世界を変える鍵〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 憲法改正は、安倍首相とその背後に居る連中の悲願です。彼らにしてみれば、今のこのチャンスを逃すと2度と憲法改正のチャンスは巡って来ないと思っているでしょう。戦前の日本に戻すために膨大な努力を払って来た彼らにしてみれば、国民を騙してでも憲法改正を実現したいところです。
 さっそく菅官房長官が熊本地震を利用して、緊急事態条項新設の必要性を持ち出しました。問題なのは、緊急事態条項の中身であり、自民党の改憲草案の中身です。そこの説明と議論無しに、災害を利用してただ必要性を強調しても、本来ならどうにもならないはずなのですが、メディアに踊らされる愚民には、これで十分なのです。普段何も考えていない国民は、メディアでいわゆる識者がこぞって緊急事態条項の必要性を強調すれば、中身など関係なしにこれは必要なものだと思って賛成するからです。現在、安倍政権が大手メディアをほぼ完全にコントロールしている状態は、非常に危険だと言えるでしょう。
 その自民党の改憲草案の中身ですが、記事によると「個人」という概念が否定され、犬、猫程度の扱いになっているというのです。自民党の言い分とは、“国民が個々に好き勝手しているから、共同体が崩れ、モラル・ハザードが起きた…それは「個人」などと言って、子供に勝手をさせるから…それは、「個人」を主張しすぎる憲法が悪い”ということらしい。 
 実に驚くべき薄っぺらな見解で、反論するのもバカらしい感じがします。女性を産む機械くらいにしか思っておらず、子育てを女性に押し付けて父親らしいことを何もして来なかった類の連中が、“最近、妙な殺人事件が多い”のは、“子供を勝手にさせるから”だというのです。彼らの言う父親らしさとは、子供が悪戯をすれば殴ってでも子供に言うことを聞かせ、社会のルールを教えるということなのでしょう。
 これほど間違った子供への関わり方はありません。自民党、そして日本会議の皆さんは、一度真剣に映像配信の親子の講座をご覧下さい。子供を厳格に躾けると何が起こるか。親の居る前では従順を装い、親の目の届かない所で弱い者いじめをする、サイコパスのような人格が育ってしまうのです。誰とは言いませんが、適当な人物の顔を思い浮かべてもらえれば、この通りだとわかるでしょう。
 この連中に言いたいのは、子供を人格のある個人として自分と対等の人間として接したことがこれまであるのか、ということです。子育ての中で、常に両親が子供の人格を尊重し、愛情深く育てれば、子供の心は非常に安定し、およそ暴力行為とは無縁の、協調性のある自立した大人になります。これは、親子関係だけではなく、あらゆる関係に対して求められることで、人類がもし、動物などのあらゆる生命に対してこうした態度で接することが出来るようになれば、世界は一変することでしょう。
 しかし逆に言うと、我が子に対してすら出来ないのであれば、一体誰に対してなら出来るのかということになります。その意味で、親子関係は世界を変える鍵となる重要なものなのです。
 誰に対してもまともな関係を結べない者たちは、常に上下関係の中だけで生きており、強い者には従い、弱い者には横暴な振る舞いをします。要するに、弱い者を家畜同然と見なして、人間扱いしないわけです。
 記事の最後の部分をご覧下さい。憲法改正を目指している連中は、“戦前日本のエスタブリッシュメント層、保守支配層の子孫とその取り巻き”です。言わば、勝ち組ということになります。彼らが夢想する素晴らしかった時期とは、“国家が一丸となった、終戦までの10年ほどの…ファシズム期”なのです。
 彼らは私たちを家畜程度にしか見ていないようですが、彼らの精神構造を見れば、彼らは家畜どころか害虫なのではないかと思えます(虫に失礼だと言う意見もあります)。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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人権否定、戦前回帰の自民党・改憲草案はなぜ生まれたのか? 憲法調査会に巣食うグロテスクな世襲議員たち
引用元)
(前略) 

 自民党改憲草案は憲法以前のもの。そう話すのは、憲法学の権威であり、“護憲派の泰斗”と呼ばれる樋口陽一・東京大学名誉教授だ。樋口氏は、改憲派として長く自民党のブレーンとして活動してきた小林節・慶應義塾大学名誉教授との対談本『「憲法改正」の真実』(集英社新書)で、改憲草案を「憲法とは呼べない」と断罪、小林氏もそれに同意している。

 護憲派も改憲派も口を揃えて批判する改憲草案。ふたりがもっとも驚愕したというのは、「「個人」という概念がこの草案では消されてしまっている」(小林氏)という点だ。

(中略) 

「個性」を否定し、「犬・猫・猿・豚などとは種類の違う生物」程度の扱いになっているのだ。
 憲法上で「個人」が「人」に置き換わることの意味。自民党は改憲草案のQ&Aのなかで、こう記している。

《人権規定も我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました》

 天賦人権説とは、人は生まれながらにして人間としての権利、つまり「人権」をもっているとする考え方。自民党は改憲によって、この人類普遍の原理さえ奪おうとしているのだ。これでは北朝鮮と同じような国になるだろう。

(中略) 

 だいたい憲法というのは、権力の暴走を防ぐために国家を縛るもの。そうした立憲主義をこの自民党の改憲草案は根底から覆している。

(中略) 

 というのも、自民党内で憲法議論を進めてきた族議員の多くは、「地盤の強さだけで勝てる世襲議員」(小林氏)。

(中略) 

「これがなにを意味するかと言えば、現在、自民党内で憲法について集中的に考えている議員たちのほとんどが、戦前日本のエスタブリッシュメント層、保守支配層の子孫とその取り巻きであるという事実です」
彼らの共通した思いは、明治維新以降、日本がもっとも素晴らしかった時期は、国家が一丸となった、終戦までの一〇年ほどのあいだだった、ということなのです。普通の感覚で言えば、この時代こそがファシズム期なんですがね」(小林氏)

(中略) 

 “生涯政治家”一家に生まれた世襲議員たちにしてみれば、自分たちの手足を縛る現行憲法は疎ましい。そうして自分たちにとって都合の良い憲法を追求した結果、このグロテスクな改憲草案を生んだのだろう。ほとんどの憲法学者たちから“憲法の体も成していない”と指摘されるのも当然の話だ。だってこれは、たんなる“私利私欲”の塊なのだから。

(水井多賀子)

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