翻訳チームからの情報です。
注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
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金塊の歴史年表
転載元より抜粋翻訳)
Kグループ 15/12/22付け
2.04 1921年の法律 – 国家間条約:黄金の委託
1921年法 – 国家間条約 – 三極三頭三国間黄金委員会:
1921年に日本の昭和天皇はイギリスのジョージ五世国王やウォレン・ハーディング米国大統領、フランスのジョルジュ・クレマンソー首相(全員がフリーメーソン)と会うためにロンドンへ飛んだ。目的は彼らの【戦争ごっこ】“第二次世界大戦"を造り出し、それを資金援助するため。連邦準備制度も戦争の間ずっとドイツのナチスを資金援助することとなった。

日本は「1921年国家間条約」で昭和天皇が当初合意した内容に沿って、金塊の大半を1924年から1945年の間に日本が建設したインドネシア(当時はオランダ植民地)やフィリピン諸島(当時はアメリカ植民地)の秘密の掩蔽壕の中へと運び込んだ。
2.05 1929年のニューヨーク“株式市場崩落"
1929年、アメリカ連邦準備制度の私的所有者たち(ロスチャイルドの手先であるJ・P・モルガンやシティバンクやチェース・マンハッタン銀行)は彼らの市場に対する権力を駆使し、人工的な株式市場“バブル"を画策した。自分たちより小さい銀行や個人投資家を騙して、巨額の資本に投資させたのだ。
それからわざと市場を崩潰させ、ロスチャイルドの手先がアメリカの株式の大半をただ同然で購入できるようにした。欧洲に波及した連鎖反応は、本来の価値を大きく下回る安値で彼らが国際的な企業を次々に買収することをも可能にした。
3.00 中国国民党と国際担保口座協定
3.01 1911年のアメリカ合衆国および中華民国の賃借契約
1911年の秋、幾つかの条件が重なり中国南部で暴動が発生、清(あるいは満州)王朝に反対する辛亥革命が起こった。各地域が中国の共和制設立と帝国制度の終焉を夢見て、革命派閥に支持を表明した。
最初の叛乱が発生した際、孫医師【=孫文のこと】は米国で資金集めに奔走しているところだった。ロンドン、そしてパリへと急いだ彼は、奮闘中の清王朝政府に両国が資金面でも軍事面でも支援しないように約束を取り付けた。両国は一致して孫を、新たに創設された中華民国の暫定的首脳に選んだのだ。
革命に対する国際社会の反応は用心深かった。大変動の最中、中国に投資していた外国勢は中立を維持していた。ただし、清王朝との第一次および第二次“阿片戦争"によって、自分たちが得た条約上の権利を守ることに腐心していた。
とはいえ、アメリカは共和制への移行を大筋において応援しており、1913年にはこの新しい中華民国と全面的な外交関係を樹立した最初の国々の1つとなった。イギリスや日本、そしてロシアがすぐさま後に続いた。
1927年から1938年の間、宋子文(中国の財務大臣)とヘンリー・モーゲンソウ(アメリカ合衆国財務長官)との間で交わされた取決めにより、アメリカは蔣介石率いる国民党政権の中国から5000万オンスの銀を購入し、大量の金を借りている。
この当時、中国は部分的に日本軍によって占領されており、中国側は国土を蹂躙されることを怖れていた。中国から届けられた貴金属に対して、中国とアメリカの間で交わされた極秘の合意により証明書が発行された。この証明書はまずは1928年の債券、そして【後述する】1934年の連邦準備券という形で、国民党政権の原資産となり、台湾の中国国民政府を経済的に延命させる手段となった。
3.02 1934年のアメリカによる証券法および金準備法による泥棒行為
1934年、アメリカでは新たな証券法と金準備法が公布された。これにより、全ての金塊と金貨は連邦準備制度に引き渡すことが義務付けられたが、この民間企業はアメリカの中央銀行として活動し、アメリカドルの発行を担うことを違法に認可されているのだ。

国内で所有されていた黄金は買い上げられた。財務省の管理していた外国の黄金も連邦準備制度に引き渡され、貸し出された結果、1934年の一連の債券が連邦準備制度によって発行される運びとなったのだ。これらの債券は一度たりとも償還されることなく、経過利息は1968年の一連のケネディ債券という形で追加発行されることとなった。
1934年の連邦準備債券は中国の内乱が続く中、国民党政権の中国における活動を補佐するために発行された。これら1934年の債券は賃料の支払いを保証し、中華民国政府が経済的に存続することを手助けした。
金塊はスイス・ユニオン銀行(UBS)の口座で書面化され、スイス法務長官の保護下に置かれ、スイス国立銀行を経由して国際決済銀行(BIS)に登録され、連邦準備制度の「機関的親登録口座群【※意味がはっきりしませんが、連邦準備制度という組織の資金源となるべく登録された大口の口座でしょうか?】」を形成するために積み上げられた。

中国での戦争中、中国の銀行で発行された受託債券の所有者の大半は日本軍に殺害され、残りの者は後に国民党政権と中国共産党の双方に殺害されたため、【上記口座に預けられた】金塊は国家、特に中国国民党の所有となってしまった。
蔣介石率いる国民党政権が台湾へと逃げた際、連邦準備債券の多くは中国共産党の元に残された。【上記口座に預けられた】金塊は連邦準備債券の大半(しかし全てではない)を台湾に移動させた国民党政権により国有化され、台湾の原資産の礎となり発展に寄与した。
連邦準備債券はアメリカが購入したり借りたりした金塊とその他の貴金属によって保証されていたため、価値を保有していた。国民党政権はこれら【上記口座に預けられた】金塊とアメリカが発行した連邦準備債券の守護者として、婉曲的に“ドラゴン・ファミリー"の名で知られるようになる者たちを任命した。
4.00 アジアの“ドラゴン・ファミリー"組織
4.01 1934年に彼らはドラゴン・ファミリーとして知られるようになる
ドラゴン・ファミリーとは、要するに、二国の政権の政治的分断に囚われることなく、中国と台湾にまたがる古い家系の間で動く組織だ。【中略】ここに複数国の資産が付属している。
ドラゴン・ファミリーは公けに姿を現すことなく、その存在を知らしめることもなく、高位の国際的金融機関や300人委員会、そして特に連邦準備制度と常に協調し、世界の幸せと利益のために活動してきた。
何年も前に、アメリカ政府はドラゴン・ファミリーから巨額の担保資産(基本となるのは黄金と銀)を借りた。それにより、アメリカ政府は連邦準備制度を通じて大量のアメリカ・ドルを発行することが出来たのだった。
前世期、ドラゴン・ファミリーは資産をさらに増やし(そして何兆もの利子も増え続け)、それらは連邦準備制度に対する様々な種類の紙幣や債券や証券という形を取った。【中略】第二次世界大戦の終結時、中国での共産党と国民党の派閥闘争を受けて、国際社会と中国側は金塊がインドネシアのスカルノ大統領によって公然と管理されることに同意した。
(ロンドンで結ばれた「1921年国家間条約」で当初合意された内容に従って、日本軍がこれら金塊の大半を1924年から1945年の間にインドネシアとフィリピンで建設した秘密の掩蔽壕に隠したため。)
この10年ほど、ドラゴン・ファミリーの組織は世界中の数多の人道的支援を行うために厖大な額のアメリカ・ドルを寄与する試みに着手した。例えば様々な国の災害時の救済、具体的にはアメリカのハリケーン・カトリーナ、ハイチや中国やインドネシアの大地震、チェルノブイリの原発事故、グルジア共和国のインフラ再構築、ケイマン諸島やバングラディッシュへの水とエネルギー供給などが含まれる。
4.02 1944年ブレトン・ウッズ協定:力ある者たちの共同クーデター
1944年7月1日から22日まで、ニューハンプシャー州のブレトン・ウッズ、連合国通貨金融会議にて。この協定が定めたのは国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行の設立と、何より重要なのが調整可能な固定相場制の導入だった。各国通貨は金によって固定され、収支不均衡が発生した際にはIMFに介入する権限が与えられた。

本当のところは、1944年にイギリス・フランス・アメリカへ世界の金融制度を50年間統治する権限が与えられたのだ。この協定は地球を発展させ近代化するためのものだったが、実際はルーズベルトが毒を盛られ(暗殺された)、世界の大半の黄金は市場から姿を消し、秘密の帳簿か秘密の場所へと隠されてしまった。独裁者たちの不換通貨制度による世界支配を完成させるクーデターを許してしまったということだ。この軍事産業複合体は地球を発展させるどころか、世界から富を盗み、支配するようになる。
翻訳者:Yutika
※【 】内の文字は、訳者が付け加えたものです。
読み易さを重視しましたので、正確な情報は元記事をお確かめください。
今回は複数入り組んでます(苦情は元記事にお願い致します):
(1)アメリカ合衆国の乗っ取り完成編:
アメリカって他国のトップを暗殺したり脅して、経済崩壊させて、資源と株式ごっそり奪って、その国に傀儡政権作って支配するのがお好きですが、こうしてアメリカ史を見てみると、それ、全部自分たちの国でもやってましたわ(笑)っていうか、”自国”という感覚がそもそも無いのでしょうけど。人生、楽しいのかな…。