かんなままさんの執筆記事第17弾です。
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子育ての秘訣
大家族の中で
父は7年前に亡くなりましたが、私の両親はとても仲のいい夫婦でした。
私が生まれた時から大家族で、両親と私たち兄弟4人、祖母と父の弟夫婦とその子ども2人、その上、小さな病院を開業していたので住み込みの看護師さんが4人、入院患者さんが8人の大所帯でした。だから母は病院の手伝い、家族や入院患者さんの食事の世話で、とても忙しくしていました。その上、本家でしたので、お正月とお盆は親戚中が集まって40人くらいのお客さんが来ていました。今のように外食するところもなく、母が1人で食事の世話をしていました。いつも親戚の誰かが泊まっていたり、なぜか家出してきて居候する人もいました。とにかく人の多い家でした。
だから母に構ってもらった記憶はありません。でも、いつも近くにいて忙しく働いていた母の姿をずっと見ていました。当時は日曜休診もありませんでしたし、夜になると保険請求の仕事もあります。夜遅くまで仕事しているのに少し時間ができると子ども達にセーターを編んでくれていました。私のセーターの番になると嬉しくて毎日どこまで進んだのかを確かめながら出来上がるのを楽しみにしていたものです。
そんなある日、2歳の私はトイレに行きたくなったのですが、母はお客様の世話で母が忙しくしているので、1人でトイレに行き、昔の便所に落ちそうになって必死にしがみついているのを兄が見つけて、間一髪で助けられたこともありました。母は構ってあげられなかった事をとても悔やんだそうです。
私が小学生になった時、「私のお母さんは朝から晩まで毎日忙しく働いて構ってくれません。でも、私はお母さんが大好きです」という作文を書き、それが廊下に貼りだされました。母は参観の時にそれを見つけ、事もあろうに、思わずその作文を胸にしまって持って帰ったそうです。一晩その作文を抱いて寝て、翌日先生に謝り、返しに行ったそうです。構ってあげられない申し訳なさと、それでも好きだという言葉を胸に抱いて、どんな気持ちで夜を過ごしたのでしょう。この事を私が知っていることを母は知りません。
優しい内緒
もう一つ、母は今でも私に内緒にしていることがあります。実は兄2人は先妻の子どもで、母は兄たちが2歳と3歳の時に嫁いできたのです。とにかく祖母が厳しい人で兄たちのお母さんは務まらなくて追い出されたとか。そして母も嫁ぐなり2人の子どもがいて家業も忙しく、相当苦労したようです。でも、母自身もお母さんを亡くし、義母に育てられたので兄たちの気持ちがわかったのでしょう。私が大人になるまで気がつかなかったほど、兄たちにも分け隔てなく優しくしていました。兄が大学に行くとき、泣いて見送りもできない母です。結局、今でも母と兄たちはそのことを私に内緒にしています。私は知らないふりをしていますが、その当時の母の苦労や兄の寂しさを思うと胸が詰まります。
そして祖母も厳しいけど私にとっては優しい祖母でした。いつもおんぶしてくれていた事や、一緒に寝て毎日昔話をしてくれたことを思い出します。祖母もまた、若くして夫を亡くし、7人の子どものうち3人を亡くしながら、苦労して父たちを育てあげた気丈な人だったのです。でも、晩年は母を頼り、母の胸に抱かれて旅立ちました。
静かにそばに
やがて、私が結婚して流産や早産の危機で長期入院した時、少し仕事が楽になった母は、5か月間毎日お弁当を作り、バスに乗って私のもとに来てくれました。決まって11時。廊下のむこうからコツコツコツという母独特の足音が聞こえてきます。私はベッドから一歩も起き上がれず、心細い思いで過ごしていましたので、この母の訪問が楽しみでした。今思うと、母は私が小さい時に構えなかったことを埋め合わせるように来てくれていたのだと思います。とりとめのないことを話して帰っていくだけですが、その時の母はもうすぐ母になる私に、無言で、親とは子どもが試練の時に寄り添うものだという事を教えてくれました。
そして、私が夫の母の事で苦労している時も「絶対に相手を傷つけるような事は言ってはいけない。言葉は残るから」と言いました。これは母の学んだ道だったと思います。厳しい祖母に対して抗わず、むしろいたわり、頼りにされるまでになったのを見てきましたので、私も律することができました。ただ私は母をお手本にすればよかったのです。
私達子どもは、情に厚く、突然笑い出して止まらなくなる笑い上戸の母が大好きです。そして、父も優しい人で、母を大切にしていました。私は父から怒られたことがありません。晩年は母のお蔭で幸せだったと口癖のように言い、皆に感謝ばかりしていました。その父が亡くなった今、94歳の母は自立して生活し、仏壇の前で「もうすぐ行くけど、ちょっと待っててね」と父と語らい、過ごしています。兄夫婦が隣にいて、優しくしてくれています。
私はこの両親を見て育ちました。私をとても大事にしてくれて、自分の事よりも私が不幸になったら自分の事以上に悲しむのを知っていました。だから、本当につらい事は話しませんでした。悲しませたくなかったのです。
雪が深々と降る夜中、家に1人でいるのが辛くて飛び出すのですが、行くあてがありません。車を走らせ向かうのは両親が眠る家。門の外に車を停め、寝ているであろう部屋を見ながら・・両親が悲しまないように頑張ろうと自分に誓い、帰ったことが何度もあります。
桜吹雪に変えたのは
やっと私達夫婦に穏やかな日々が訪れて、夫と二人で両親の家の桜を見に行った時、急に風が吹いて桜吹雪が舞いました。私は突然あの時の雪の舞う情景を思い出しました。
冷たくて悲しい雪が桜に変わり、何もなかったかのように夫と両親とで桜吹雪の中にいるのが不思議でした。神様から「頑張ったね」という労いの桜吹雪だと思いました。試練を乗り越えて前よりずっと幸せになれたのも両親が私に教えてくれた愛のお蔭なのです。