会いに行く時のワクワク感と違って、お別れの時の飛行場は嫌いです。何度見送ったことでしょう。そして、何度泣いた事でしょう。でも、その日は確実に来るのです。それも必要なことなのでしょう。
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お別れの日がやって来た
早いもので、孫が生まれて50日過ぎました。朝晩は少し寒くなってきました。ずっと家の中にいたので気が付きませんでしたが、公園の木々が紅葉し始めています。夕方、救急車の音がすると思って窓の外を見たら、コカトゥという白いオウムが群れて家路を急いでいる声でした。空が覆われるほどの数です。私も帰る時間が来たなあ~と何だか寂しくなりました。
娘夫婦も赤ちゃんのいる生活に慣れ、自分達で子育てのハンドルを握って運転し始めました。もう後部座席に乗って助ける必要はないようです。孫も順調に育ち、2~3日前から顔を見て笑ってくれるようになりました。ツボにはまると声をたてて笑います。愛おしい!!・・・そう、心残りは孫に会えなくなる事だけ。
そんな私の本心に蓋をして、いつもと変わらず家事をしていたのですが、孫の小さな洗濯物を干して、かわいい!と思っただけで涙が出そうになりました。隠している私の涙スイッチが入ったら、いつでも涙が溢れてくるだろうなあと思いました。大泣きの準備は万端です。
いよいよお別れの日がやって来ました。
夕方の便なので娘のパートナーがランチにパプリカを炒めてアボガド、トマト、モッツァレラチーズ、レモンスパイスを並べてオープンサンドを作ってくれました。かぼちゃの種をトッピングにしたかぼちゃスープも絶品でした。あ~本当においしい日々でした!
娘夫婦があらためて「ママ、ありがとう!とても助かったよ」と言ってくれました。私は孫を何度も抱き、「幸せを祈っているよ」と伝えてさよならをしました。幸せなのに悲しい・・。
孫と別れてドアをバタンと閉めてマンションの階段を一段一段下りていたら涙が溢れてきました。下に着くころにはもう前が見えません!ああ・・涙スイッチが入った!と、そんな自分に泣き笑いしながら・・・娘が運転してくれる車で空港へ向かいました。空港まで1時間かかります。
車の中で娘と2人、親になった気持ちなどを話しながら行きました。「ママは安心して日本に帰るよ。あなた達はとてもいい親になれると確信できたし、ずっとあなた達の幸せを祈っているからね。」と最後に娘を抱きしめながら伝えました。いつも自分の進む道ばかり見て涙を見せなかった娘の目に涙が溜まっていました。それは私と別れる寂しさではなく、子どもと離れる母親の気持ちをわかってくれた涙だと思いました。娘も母親になったのです。
まだ搭乗するには時間がありましたが、赤ちゃんが家で待っています。笑顔で手を振りながら別れました。
さあっ!気持ちの切り替えです。
北を向いたら日本があり、そこでは夫と愛犬が首を長くして待っています。夏には上の娘が4番目の赤ちゃんを生みます。かわいい孫達もいます。子どもが多いってことはこんなことかなあ?関われる幸せ、体験させてもらえる幸せを思いました。
娘の立場、母の立場
人生60年で一巡りというけれど、私はこの年になって自分の子育ての振り返りをさせてもらっているようです。
思えば・・・まだ25歳の頃、生まれて2ヶ月の子を連れて海外へ旅立つ飛行場で、夫に会える喜びと、これから始まる新しい生活の事で頭がいっぱいで涙も出ませんでした。でも見送ってくれた母たちは大泣きしていたなあ。今はその立場の気持ちを味わっています。
夫が一足先に旅立った時、私に「あんたは息子に会えるからいいね!」と睨みつけた義母。産後の肥立ちも無視して引っ越しや荷造りで忙しくて体調を壊した私に「あんたの体調なんかどうでもいい。長男の嫁が実家にずっと居るなんて恥ずかしいと思いなさい」と電話で怒鳴りつけた義母。
その状況から逃れたくて早く旅立った私でしたが、今思うと義母の愚かさと同時に寂しさもわかります。息子や孫に会えない寂しさを弱い立場の私にぶつけたのでしょう。その後、認知症になった義母はかつて自分が嫁の立場の時に義母から「どこの馬の骨だかわからん」と言われたことを何度も話します。この義母の苦しいネガティブ思考の輪廻は私の反面教師となってくれました。
片や、私の実家に引越しした全ての家具を置き、片付けもままならぬまま旅立った娘の私。「お母様には口答えしてはいけないよ。言葉は一生残ります。」と言って後片付けを引き受けて送り出してくれた母。母も姑に苦労した人でした。
私は引っ越した段ボールの中から必要なものだけを取りだし、母に何も告げずに旅立ってしまいました。話しだしたら泣き出して立ち上がれなくなるような気がしたのです。でも、旅立つ前日、便箋に走り書きをして段ボール箱の中に忍ばせました。
きっと残りの荷物を片付ける途中で見つけてくれるだろうと思ったのです。文面までは覚えていませんが母への感謝と、このままにしていくことを許してくださいと書いた記憶があります。
母はその手紙を見つけて段ボール箱の隅で泣いたそうです。
そんな母がお産の手伝いにカナダに来てくれることになりました。私と同じ50日です。その時の母の気持ちが今の私と重なります。留守の家業、父の身の回りのことを気にかけながら母にとっては初めての海外生活。孫に会える喜び・・・。そして帰る寂しさ。
立場が変われば見えてくるもの、感じるものが違います。その時は娘の立場でしたが、今は母、祖母としての思いの中にいます。又、親になって行く娘を微笑ましく見ながら子育て支援者として客観的に観察している自分もいます。
生まれて育ち世代交代をして・・・と、普通の生活をしているだけですが、なんて感動的な日々でしょう!自分も含めて人が劇的に変わっていく瞬間に巡り合えます。
生まれる事。生きていくこと。死ぬこと。すべてが神聖な仕事だと思います。