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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝29 ― フリーメーソン上層部の抗争
ロッジを占有していたジャコバイト派 ~近代フリーメーソン結成の狙い
1717年に結成された近代フリーメーソンは、テンプル騎士団の流れと古代メーソン「秘密の力」が合流していると幾度も指摘しました。
この合流は、ハイアラーキーに所属する悪魔崇拝でないいわばポジティブなテンプル騎士団、悪魔崇拝で裏のイルミナティ所属のネガティブなテンプル騎士団、そしてブラック・ロッジに所属する「秘密の力」という異なる組織が合流しているので、その合流は決して友好的なものではなかったのです。むしろ、そのフリーメーソン上層部では抗争だったと見る方が正確なのでしょう。
このフリーメーソン合流の一つのキーとなるのが「ジャコバイト派」というワードです。『テンプル騎士団とフリーメーソン』p320で以下の記述があります。
「私たちが主張したい論点とは、彼ら(注:ジャコバイト派のこと)が少なくとも当初はフリーメーソン団の最大の守護者であり宣伝者であったことである。1717年のグランド・ロッジ―その後これはイングランド内のフリーメーソン団の最大の貯蔵庫になった―は、従来のジャコバイト派の実質的なロッジ独占を打破するため、ホイッグ党とハノーヴァー派が創設したにも等しいものであった。」
ここではフリーメーソンを育て、勢力を拡大したジャコバイト派、そのジャコバイト派のフリーメーソンロッジの独占を打破するために、ホイッグ党とハノーヴァー派が近代フリーメーソンを創設したとしています。
ジャコバイト派、そしてホイッグ党とハノーヴァー派とは何か?ですが、まずは当時の状況です。
アムステルダムの銀行家、つまり黒い貴族から、マールバラ公爵ジョン・チャーチルを始め、シュールズベリー卿、シドニー・ゴドルフィン、サンダーランド伯爵など、ジェームズ2世の重臣側近たちが賄賂で買収され、1689年に名誉革命が成立しました。
これで否応なくジェームズ2世はフランスに亡命です。しかし当然ながらジェームズ2世は王位復権を狙ってもいたのです。このジェームズ2世を支持するグループがジャコバイト派です。
Wikimedia Commons [Public Domain]
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敵国の王子であったオレンジ公ウィリアム3世の英国王就任に納得していない人々は多く英国内にいたのです。特に王権がハノーヴァー朝に移行すると、ドイツ人の王朝に嫌悪する人々がスチュワート家の復権を主張するようになります。この代表がトーリー党です。
敵対するトーリー党とホイッグ党は王政復古の際にできたもので、チャールズ2世の後任としてジェームズ2世の即位を認めていたのがトーリー党です。
一方、これに対抗してジェームズ2世の即位に反対したのがホイッグ党です。ホイッグ党は現実路線の経済優先の一派だったようで、ハノーヴァー朝を支持するハノーヴァー派と協調する姿勢をとっていたのです。
かたやスチュワート家の復権を主張するトーリー党は、概ねはジャコバイト派の一派と見てとれます。
ジャコバイト派はロスリン発祥のフリーメーソン ~騎士道精神が残っていたジャコバイト派
元々フリーメーソンを占有していたジャコバイト派について、『コトバンク』では以下のようにしています。
「Jacobites 名誉革命で亡命した国王ジェームズ2世とその子孫を,正統のイギリス君主として支持した人々。ジェームズ派の意で,その名称は,ジェームズ Jamesのラテン語形ヤコブス Jacobusに由来する。フランスのサンジェルマンにあった亡命宮廷に仕えた者も,イギリス国内にとどまった者もいた。
彼らはまずフランス王ルイ14世の援助を得てウィリアム3世の打倒とジェームズの復位を策し,1696年ウィリアム3世暗殺計画を試みた。
1714年ハノーバー朝が成立すると,翌年彼らは,大王位僭称者 J.F.E.スチュアートを擁して「十五年の反乱」を起したが鎮圧された。続いてオーストリア継承戦争中に,小王位僭称者 C.E.スチュアートをスコットランドに迎えて「四十五年の反乱」を起したが,再び失敗し,こののち彼らの勢力は衰えた。」
彼らはまずフランス王ルイ14世の援助を得てウィリアム3世の打倒とジェームズの復位を策し,1696年ウィリアム3世暗殺計画を試みた。
ルイ14世
Wikimedia Commons [Public Domain]
1714年ハノーバー朝が成立すると,翌年彼らは,大王位僭称者 J.F.E.スチュアートを擁して「十五年の反乱」を起したが鎮圧された。続いてオーストリア継承戦争中に,小王位僭称者 C.E.スチュアートをスコットランドに迎えて「四十五年の反乱」を起したが,再び失敗し,こののち彼らの勢力は衰えた。」
ジャコバイトは、フランスにジェームズ2世に付き従って行った多くの者たちと英国内に留まった者とがあり、英国とフランスのジャコバイトが当時のフリーメーソンの超主流派だったわけです。ジェームズ2世自体がフリーメーソン会員でもありました。
実は、どう見てもジャコバイト派とは、端的にはシンクレア家の一団であり、悪魔主義でないポジティブなテンプル騎士団です。
外伝19で見たように、シンクレア家がテンプル騎士団に石工組合を組み入れてフリーメーソン組織を形成させたのです。「フリーメーソンリーの発祥の地は、15世紀中葉のロスリン礼拝堂にほかならい。」そして「ロスリンのサン・クレア家は、代々スコットランドのメーソンリーグランドマスターとなり、また1700年代後半までスコットランドのマスター・メーソンでありつづけた」のです。
#Scotland has many amazing places to visit, but there's only one Rosslyn Chapel (15th Century). #DaVinciCode #BeInspired @Rosslynchapel pic.twitter.com/6tTUQsCczP
— Scotland Inspires (@scotlandinspire) 2018年8月15日
ロスリン礼拝堂
彼らには騎士道精神が残っており、王に対して服従では無いけど忠誠を誓うことが義務づけられていたのです。そしてスチュワート朝はスコットランドから出ているのです。
ポジティブなテンプル騎士団のフリーメーソンが、ジャコバイト派と呼ばれるようにジェームズ2世の擁護派であったのは自然でしょう。ロスリン発祥で勢力を伸ばしたポジティブなテンプル騎士団のフリーメーソン、つまり「ジャコバイトのロッジ占有」です。
これを「打破のためホイッグ党とハノーヴァー派が近代フリーメーソンを創設した」と『テンプル騎士団とフリーメーソン』は見ているのですが、この見解は確かに成立していそうです。
飲み込まれていったジャコバイト派 ~フリーメーソン上層部の抗争
pixabay [CC0]
近代フリーメーソン結成は合流と言えば合流です。しかし、実態は上層部では勢力の自陣への取り込み合戦であったのが見受けられます。
『ヘロデの呪い』の林陽氏解説文は次のように記しています。
「17世紀末に、ある子孫(注:「秘密の力」の子孫)が結社の復興を願って動き出す。彼らはのちに近代メーソンの創始者とうたわれるようになったアンダーソンとデザギュリエに接触、復興計画を打ち明ける。
ここに、組織復興のための秘密会議が開かれるが、双方の利害が折り合わず決裂、写本は奪われ、古代メーソンの子孫の一人、レビは暗殺されてしまう。キリスト教を撲滅してユダヤ教による世界支配を至上目的とする古代メーソンの主張が、プロテスタント指導者であったアンダーソンとデザギュリエのそれにかみ合わなかったものと見られる。
この奪われた写本に記されていた、古い規約と象徴を下敷きにして近代メーソンが結成された。」
ここに、組織復興のための秘密会議が開かれるが、双方の利害が折り合わず決裂、写本は奪われ、古代メーソンの子孫の一人、レビは暗殺されてしまう。キリスト教を撲滅してユダヤ教による世界支配を至上目的とする古代メーソンの主張が、プロテスタント指導者であったアンダーソンとデザギュリエのそれにかみ合わなかったものと見られる。
この奪われた写本に記されていた、古い規約と象徴を下敷きにして近代メーソンが結成された。」
「秘密の力」の子孫が「結社の復興のためアンダーソンとデザギュリエに接触」、ここから近代フリーメーソン結成に繋がるとあるのです。
目的は「秘密の力」の組織の復興と勢力の拡大です。ただし「写本は奪われ、古代メーソンの子孫の一人、レビは暗殺されてしまう」とあります。
まず「秘密の力」の子孫が接触したアンダーソンとデザギュリエですが、アンダーソンとは近代フリーメーソンの憲法ともいえるアンダーソン憲章を記したジョージ・アンダーソンです。このアンダーソン憲章は「秘密の力」の古写本を元にデザギュリエが書かせた模様です。
(左)アンダーソン憲章(1723年版)の口絵。右端の人物がデザギュリエ。
(右)デザギュリエ。「近代思弁的フリーメーソンの父」と呼ばれる。
Wikimedia Commons [Public Domain]
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デザギュリエはユグノー(カルヴァン派)迫害でフランスから移住してきた聖職者で学者でした。カルヴァン派といえばオレンジ家と切っても切れない関係です。そして感覚的にはデザギュリエは「裏のイルミナティ」に所属していたと思えます。彼などがホイッグ党を動かしていたのかも知れません。
デザギュリエたちは「秘密の力」の子孫レビを暗殺し、古写本を手に入れて近代フリーメーソン発足させたのです。こちらも「裏のイルミナティ」と見られる彼らの自陣勢力拡大のためです。ただし『ヘロデの呪い』によると「秘密の力」の子孫によってアンダーソンも暗殺されています。表のイルミナティの勢力「秘密の力」と「裏のイルミナティ」と見られる者たちが、それぞれが勢力の拡大を図っているのです。
この勢力の拡大とは、先ずは先行するフリーメーソン勢力を取り込むことになるでしょう。こうやって近代フリーメーソンが結成されたのです。しかもその際、表と裏と見られるイルミナティ勢力は互いに殺し合いをしているのです。
このような中、事実としては先行のジャコバイト派と呼ばれたポジティブなテンプル騎士団のフリーメーソンは、後発の近代フリーメーソンの勢力に段々と飲み込まれていきます。英国では「「四十五年の反乱」を起したが,再び失敗し,こののち彼らの勢力は衰えた」のです。その彼らがアメリカに移住していく、これも自然な流れとなるでしょう。
アメリカ独立を理解する視点として、前回見たイギリス東インド会社からの視点は重要です。アメリカ建国当初の国旗を見れば、イギリス東インド会社そっくりであったことから分かるように、アメリカ独立とはイギリス東インド会社からの独立であり、革命戦争だった強い側面があるのです。
そして、イギリス東インド会社からの視点と同様に欠かせない重要な視点がフリーメーソンを通した視点です。アメリカの革命(独立戦争)に尽力したのがフランスでした。そして、その後そう時を置かず引き起こされたのがフランス革命です。
実のところアメリカの革命とフランス革命は緊密な関係、ある意味では連結しています。いずれもフリーメーソンの動きによって起こされているのです。従って、アメリカの革命並びにフランス革命を理解するには、フリーメーソンの動きを把握しておく必要がどうしても出てきます。
今回は改めてとなりますが、近代フリーメーソン結成の実態を中心に見ていきます。