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ベルリンの壁崩壊とともに
振り返れば、1988年3月だったでしょうか・・。
大学3年生にて、航空券の安い春休みに、2月、3月と
ドイツのケルンの語学学校に通学していました。
ミュンヘン、プラハ・ブタペスト、ベルリン
どこに行こうかと思い、ベルリンの壁はいずれなくなるかも??
という声が聞こえたのか、そう想ったかでベルリンに行きました。
(人生の伏線というものがあるものなのかな・・と思います)
ドイツの西のケルンという街から、東ドイツの中の
当時の西ベルリンに行くための専用道路を通り、ベルリンの壁がある
東西冷戦時代のベルリンに行きました。そして、チェックポイント
チャーリーという国境検問所から東ベルリンに入国しました。
バスの中の検問では、ドイツの軍服を着た検問員がパスポートを
ひとりひとりチェックして、まるで映画のシーンのようでした。
ベルリンの壁の反対側に入国して、一瞬びっくりしたのが、
東に入った途端、広告がなにもなかったことです!
西側のごちゃごちゃした広告がなにもなくて、びっくりするほどに
殺風景だったけれど、人々の小さな、静かな生活の音が
聞こえて来るような気がしました。
小さなお店の商品は少なめで、すっきりした感じがしましたが、
なんとなく寂しげ、人の表情も寂しげに感じたのは、
資本主義にまみれている人(当時の私)から見ての感覚だったのかもしれません。
竹下先生が映像配信でおっしゃられていた、歓喜を求めてはいけないというのは、
こういうことなのかなとも振り返って思います。
資本主義の生活はものが溢れて、歓喜を求めるように仕向けられるからです。
その後、1989年の11月にはベルリンの壁は崩壊しました。
西と東が一緒になった瞬間です。
1990年以降はユーゴスラビアが崩壊して、多くのスラブ系の
方たちがドイツに移住してきました。
その後、パレスチナ、シリア、アフガニスタンの方たちが
ドイツに移住してきました。
ベルリン在住の外国人の割合は、2017年のデータによると、
トルコ人約9万8千人、ポーランド人約5万6千人、シリア人約3万2千人、イタリア人約2万9千人とつづきます。
日本人は4千人くらいいるそうです。
トルコ人、ポーランド人、イタリア人などは、昔から仕事を目的にして移民としてドイツに来ていますね。
パレスチナ人が記載されていないのが気になります。国として認められていないからですね。国としては、イスラエル、シリア、レバノンになると思います。
また、難民は、ドイツで市民になるには、10年くらいかかると聞いていますので、シリアの方が市民になる数がまだ少ないのです。シリアの難民がドイツに押し寄せたのが2011年からですので。
ベルリンは西と東の世界が一緒になり、難民、移民も加わって、
一般の人々の日常の想いはどうだったのでしょうか・・。
普通の人たちは、何のために翻弄されてきたのでしょうか・・。
ベルリンの当時は、ドイツの中でも家賃が安いといわれていたので、
多くの移民がこれまでベルリンにやってきましたが、現在は、
ベルリンも家賃が高騰して、デモにもなっています。
What a crowd! More than 40.000 people demonstrating for housing revolution in #Berlin. #Mietenwahnsinn pic.twitter.com/OfmrKUwyR3
— Maxim Boennemann (@MaximB_) 2019年4月6日
次々に侵略されていく小さきものたち
ところで、東方面のロシアに目を向けてみると、
ロシアでは先住民の言語が消えかかっているそうです。
理由としては、経済活動に参加するためにも、少数派が消えていくそうです。
https://jp.rbth.com/education/81874-roshia-shousuugengo-ga-shoumetsu-no-kiki-ni-hinsu?fbclid=IwAR2k74V3RSKPlE8hJSUgitzU6PmPA8VYtpuvIxwlWJB_RemRc6wysVcHPYA
こちらの記事では、先住民族の言語が物の考え方の表現を助け、アイデンティティーを作る、そして、言語が多いほど、豊かになると述べています。
私たち日本人は、世界中から見ても、英語が下手であるとよく言われます。これは本当は、喜ばしいことで、日本人の物の考え方は、英語圏の人とは違うので、簡単に英語に表現できないからです。また、日本各地の方言なども残して行きたいですね。
と、考えていくと、日本の会社で英語を使用するという、グローバリズムむんむんの作戦は、日本語を撲滅して行こうとしているのかもしれません。日本人は、300年後には300人になるという記事をちらっと見たのですが、ガヤトリーマントラでお祈りをしないと・・・。
こちらで世界中の消えかかっている言語がわかるようです。
こちらの動画では、教皇がひざまづいているのには驚きました。
スーダンで多くの犠牲が出ている原因も石油の利権ですね。
地図でアフリカのスーダンの位置を確かめてみても、
紅海をはさんでサウジアラビア、今、爆撃を受けているイエメンにも近く、
さもありなんと思ってしまいました。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol59/index.html
『ベルリン天使の詩』の監督、ウィム・ベンダーズのドキュメンタリー映画
『フランシスコ教皇PopeFrancis - A Man of His Word』がカンヌ映画祭で
上映されたようですが、良き方向に動いているのでしょうか・・。
https://spinou.exblog.jp/29767827/
西洋人がひざまづくというのは、相当な思いじゃないとできないのでは・・
と瞬間に感じましたがどうなのでしょうか・・。
私は信者ではないのですが、何も知らずにカトリックの学校で育ってきまして、
幼稚園からカトリックの主の祈りを寝るときに唱えて来たので、本当にどうにかしてほしいです。
4歳からガヤトリーマントラに出会いたかったですね。
アメリカでもネイティブインディアンが侵略されて、
オーストラリアでもアボリジニの人々が侵略されて、
その他多くの国で大きなものが小さなものを
侵略してきました。
アメリカのネイティブインディアンが大切にしてきた
エキナセアというハーブや、アボリジニが大事にしてきた
ティーツリーなども興味深いですね。
まだまだ、多くの小さな、知られていない大切なものがあるはずです。
経済活動や利権のために権力のあるものが
小さきものを侵略して、言葉や文化を滅ぼして行くのは、
本当の豊かさが損なわれるのではないだろうか・・。
多くの言語があり、文化があることが豊かなことなのに・・。
みんなが同じになってしまうと、こうなってしまうのかもしれません。
・「大学入学式、スーツ黒一色の謎 減点嫌う社会を反映?」
・「東京大学の入学式の様子」
黒い色、紺色に息子も唖然としたようです。
息子は、写真を見て、エージェントスミスのようだと言いました。
エージェントスミスとは、これです。
多くの言語と多くの文化が散りばめられている国といえば、東南アジアのインドネシアです。300以上の民族がいて、公用語はインドネシア語なのですが、583以上の言葉があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/インドネシア
1991年ごろには、インドネシアのジャカルタにいたのですが、
インドネシアには、バティックという素敵な布がたくさんありました。
私の母は日本の着物が大好きでしたので、バティックには共通点があると、
インドネシア生活を大変楽しんでいました。
日本の着物も金糸が電磁波予防をするという素晴らしい点があると
シャンティ・フーラの記事にもありましたね。
そういえば、マーラーの糸にも素晴らしい効果がありますね。
ピヨちゃんマーラーは、両親には贈ったので、今年こそは
ドイツの我が家も購入したいですね。
インドの手織りの伝統工芸も素晴らしいですね。
ドイツ人は、小さい頃からの教育のせいもあるのか、
自分の意見をはっきりと主張するところがあります。
と同時に、どんな小さな意見でもすくい上げる傾向が
あると聞きました。
デモが盛んである理由でもあると感じています。
どんな小さな意見でも、少数派・・・
私は小さな頃から、幼稚園時代、小学校時代から
静かにしている生徒が妙に気になってしまう子供でした。
多くの方が、目立つ、人気があるという方に行きがちですが、
私はどちらかというと、大きいものより小さなものに興味があります。
ドイツのベルリンでは、道端に、春の訪れを知らせる
黄色や紫色の小さなクロッカスが咲いています。
日本の春の色といえば、桜色のイメージですが、
ベルリンで感じる春の色は、道端の小さな黄色と紫色ですね。
毎週、奥様に会いに来ているのでしょうか・・。
お墓の横に黄色と紫色のクロッカスが植えられていて、
その前にポータブルの椅子をもってきてすわり、
本を静かに読んで、そして、帰って行く方を見ました。
美しい国に逝ってしまった奥様とお話をしている様子が
聞こえるように想いました。本が大好きなカップルだったのかな・・。
第34楽章は、ドイツで、境を越えて、小さきものに目を向けて・・です。