日本全国に招魂社が設立 〜明治天皇の命名の問題
天皇は大神官であり、日本の最高神官である。このことを否定する方はいないでしょう。明治維新もそうですが日本の歴史を見るには、天皇は最高神官であるとのこの超重要事項を踏まえた上で見ていく必要があるでしょう。
日本では明治以降は天皇を政治的な側面で見ていく傾向が強いように感じますが、天皇の原点、本来の役割は神官なのであってこの視点を欠くと日本の歴史観は歪曲を生じると見ています。そして天皇は大神官であるとの当たり前の原点から見るならば、天皇を担いだ明治新政府が、日本の伝統的文化や宗教的慣例に対していかに“異様な行為”を断行したかが見えてきます。
明治以降日本は「国家神道」に傾いていくのですが、それの象徴というか手始めが「招魂社」の設立です。明治に入って早々に岩倉具視の発布によって日本全国に招魂社が設立されていきます。
1869年8月6日(明治2年6月29日)- 戊辰戦争の官軍側戦死者を祀る神社として東京招魂社(現靖国神社)が創建。 pic.twitter.com/NHLxQCmxSN
— 久延毘古⛩陶 皇紀2679年令和元年葉月 (@amtr1117) 2017年8月5日
「官祭招魂社(かんさいしょうこんしゃ)」で検索してみてください。そうすると「官祭招魂社は、政府が管理を行った招魂社」で、この政府管理の招魂社だけでも日本全国に114、とりわけ旧長州の山口県には21もの官祭招魂社があることが分かります。
このうち東京九段の招魂社が明治天皇の命名によって国家神道の象徴たる「靖国神社」になります。他の招魂社の多くは「護国神社」の名となっているのです。
実は日本全国における招魂社の設立が明治新政府からの国家事業の一つであったのです。しかしこの招魂社は普通の日本人的な常識や語感からは大いな”違和感”がいくつもあるのです。
ウィキペディアの「招魂社」を見れば、招魂社は「明治維新前後から、また以降に国家のために殉難した死者を奉祀した各地の神社」、そしてそのルーツは「1863年(文久3年)に高杉晋作は、下関戦争での戦没者の霊を慰めるため、また、今後の戦いに臨むに当たって自分たちの生墳(生前にあらかじめ建てておく墓)が必要であると発起し、奇兵隊の賛同を得て隊員共同の招魂場を設置することになった。日本初の招魂社となる櫻山招魂場(現・櫻山神社)は1864年(元治元年)5月に山口県下関市に築かれ、翌年8月に社殿が完成した」とのこと。
連投4RT @iwj_ch1 4.岩上「靖国神社の由来というのは東京招魂社、さらに遡って山口県下関の櫻山招魂場ですね。靖国に祀られているのは明治政府側の戦死者だけ。死者をも差別しているわけです。長州の人間たちが国家を乗っ取った」視聴:https://t.co/KT1jnnEH7o pic.twitter.com/AWSMIVLeGx
— 岩上安身 (@iwakamiyasumi) 2017年1月12日
招魂場は幕末まで日本に存在しない新しい施設ですが、要するに、主に戊辰戦争以降の戦死者を祀る施設と見なせます。もとは招魂場の招魂社は墓や霊園と見なすのが自然なのです。従ってこの時点では招魂社は“社”の文字があっても“神社”ではありません。
ところがこの招魂社を明治天皇は「神社」と命名したのです。これが大変な問題なのです。1879年(明治12年)に東京招魂社を「靖国神社」と命名した明治天皇のふるまいは、大神官、国家の最高神官としてのふるまいとしては大変な違和感があるのです。善悪は別として全くおかしいのです。
神社とは何か? 〜靖国神社は神社ではない
これはコトバンクの「神社」で冒頭に出てくる解説文です。これこそが通常の日本人の「神社」に対する感覚でしょう。簡単には「神様をお祀りする社」が神社です。
「日本固有の神々」とは天照大神、イザナギ・イザナミノミコト、スサノオノミコト、ツクヨミノミコト等々が私達には思い浮かぶでしょう。これらの日本の神々が「ホツマの神」であると竹下さんは教えられます。
そしてこれらの「ホツマの神」が本来は日本の神社で祀られている神々で祭神です。「ホツマの神」を祭神としてお祀りする社、これがオーソドックスな日本の神社となります。そしてこの「ホツマの神」への祭祀を行う最高神官が天皇であり、天皇自体が神武天皇から、いや天照大神からの血統を男系で代々受け継いできた存在となります。
しかしウィキペディアの靖国神社の記事を見てください。あえていえばこの“神社”に祭神はいないのです。祭神が祀られていない施設を、たとえそれがいかに立派な社殿であっても「神社」と呼ぶでしょうか? 靖国神社の祭神には「ホツマの神」らしき名前は一切ありません。祭神として記されているのは最初の欄では戊辰戦争・明治維新の7751柱で、この祭神は旧幕府軍を除いた新政府側の戦死者のようです。
柱とは神の数え方ですが、戦死者が神で祭神? それも新政府側の戦死者のみ? なぜそれが神になるのか? 戦死されたのは人間であって神ではないでしょう。靖国神社の祭神は全てがこの調子です。政府側の都合で戊辰戦争から太平洋戦争までの戦死された人間を神として計上、これは元来の神道や神社の伝統から見れば全くの暴挙ではないでしょうか?
神道思想では、人は神にはならない、神は神、人は人だ
— 唯門居士 (@yuimonkoji) 2015年8月23日
ところが、靖国など明治以降に設置された招魂社は、仏教の「廻向」をパクって、人が死んで神(軍神)になるとした
申し訳ないが、はっきり言って、ここを神社と言うならトンボも飛行機だわ pic.twitter.com/Njm5GE9dZa
明治天皇までの代々の天皇、最高神官たる天皇で、戦死した人間を神として祭祀したり、戦死した人間を祀る施設を神社とした天皇がいたのでしょうか? そんな天皇は皆無でしょう。明治天皇は過去の天皇とは全く異質です。伝統的な天皇の延長線上には明治天皇はいないのです。
それに語感として違和感があるのが「招魂」です。戦死など不本意で怒り・恨みをもつ死者は「荒魂」で、「荒魂」に対して行うのは普通の日本人の感覚では「鎮魂」もしくは「慰霊」でしょう。それを招魂? この招魂がまた問題なのです。
闇の儀式である招魂祭 〜国家神道と軍国日本は一体
そもそも招魂社(場)は幕末の長州が始まりで、それまで日本にはそのような名称の施設は無かったのです。過去日本には無かった招魂社を、明治新政府から日本全国に建設し、それを神社とし、戦死者を祭神として祀ります。
戦死者は「荒魂」です。また死者を「鬼」や「鬼神」と古来中国では呼んでいたので、「荒魂」の戦死者は「鬼神」といえます。神の字を入れるならば、招魂社由来の神社の祭神は「神」ではなく「鬼神」となります。そしてその「鬼神」に「招魂祭」を行っていくのです。この「鬼神」への「招魂祭」儀式、これこそが国家神道の柱となるでしょう。
現在も靖国神社(護国神社全ても?)で戦死者(荒魂、鬼神)への「招魂祭」は続けているのですが、この国家神道は本来の神道とは全く別物で異質な新宗教です。国家を挙げたカルト宗教、邪教というべきかもしれません。
招魂教(靖国神社)はテロリストの為の新興宗教/招魂は慰霊ではなく,死んだ軍人の魂を招き寄せ,生者に憑依させて[攻撃の鬼]にする(暗示をかける)呪術。軍人の霊をひきだして[その神となられた瞬間の心を以て全國民の心とする]。 https://t.co/mUMxWFyJ8f
— 無双 (@hujihaharetari) 2017年6月21日
🔘闇の正体は 偽ユダヤ(グローバリズム)
🔘招魂教(靖国神社)はテロリストのための新興宗教である。
招魂社の記事には「王朝時代には、死者に対する陰陽道の招魂祭(しょうこんのまつり)は禁止されていた。死者・生者に対する神道儀礼は鎮魂祭と称されていた。」とあり、「招魂祭」の記事では実際に“禁を破って”死者に対する「招魂祭」を行った陰陽師の例が記されています。
「招魂祭」はどうやら神道ではなく、中国から朝鮮半島を経て入ってきた陰陽道の呪術で、朝鮮文化とも関連が深そうです。さらにそのルーツをたどるとユダヤ秘教カバラに行き着きそうです。招魂祭は神道儀式ではなく、しかも死者への招魂祭は少なくとも平安時代までには禁止されていたのです。天皇によって国禁とされていたように思えます。
靖国神社は元の名を招魂社という。招魂というのは死んだ魂で、この世にしがみついて輪廻転生の輪に入らずさまよっているものを呼び出して利用する呪術で神道では絶対にやってはならないわざ。兵隊に「死んだら靖国にいく」と教え込み、その未成仏霊を集めたはずなんだ。呪術に使うために。
— 雅 羊々 (@miyabi_yoyo) 2016年12月29日
なぜ死者への招魂祭は禁じられたのか? それは死者の霊魂を招聘して利用する呪術で黒魔術の要素が強いからでしょう。戦死者の荒魂をそのまま鎮魂や慰霊をせず、鬼神の状態に閉じ込めたまま「招魂」するのです。何のための儀式か?およその想像はつくでしょう。
長いですが正鵠を得ているであろう この記事をご参照に。
記事の最後部分に靖国神社は「第2次世界大戦に日本が敗れるまでの所轄は陸海軍省だった」とあります。国家神道と軍国日本の帝国主義は一体なのです。「お国のため」と言えば聞こえはいいですが、正確には「国家を牛耳る自分たちのために」喜んで戦争に行き、死んでくれる国民を大量生産するべく、招魂社は国家事業として日本全国に設立され、それを神社と称して戦死者(荒魂、鬼神)の招魂祭を行います。
1869年(明治2年)靖国神社の名前はまだ東京招魂社といい、神社の中で唯一陸軍、海軍の組織の中にあった。神主が存在せず陸軍省の人間が出向して祭りを行っていたそう。10年後靖国神社と名称を変更し、祭典は宮司が主催することに(管理は内務、陸軍、海軍)。軍人のための神社だね。
— urokosmile (@urokosmile) 2014年8月17日
その目的は一般国民を戦争の兵士として利用、それで戦死させた死者の霊魂、それをまた再利用してさらなる戦死者の仲間を呼び寄せ、増員させていくためです。そのような装置として靖国神社は誕生したのです。
死者への招魂祭は陰陽道の呪術、呪法であり呪詛です。誰に対する呪詛か? まずは日本の一般国民に対する呪詛であったでしょう。
「靖国神社は日本古来の伝統ある神道の神社で、そこではお国のため死んでいかれた多くの方々が祀られ、鎮魂と慰霊の祈りが捧げられている」。日本人の多くはこのように漠然と思っておられるようにも感じます。それで「その参拝に文句を言う近隣諸国は内政干渉だ」と…。
しかしその認識は完全に誤りです。「ヤスクニ」は国家神道の象徴となる神社です。ところが本質から見れば、国家神道は本来の神道とは全く異質、そして「ヤスクニ」は本来では神社ではありえない代物です。
神社と称している「ヤスクニ」の実体を日本会議・神道政治連盟の議員である稲田朋美元防衛相が言い表しています。WiLL2006年9月号特集で彼女はこう主張しています。
この発言は彼女のウィキペディア記事に出ていますが、意味は分かるでしょうか?
「ヤスクニ」の祭神?は戦死者です。太平洋戦争での戦死者はその多くが餓死であり、戦死者の殆どは苦しく無念の思いで亡くられた方々でしょう。その彼らの前で「申し訳なかった。貴方方のように苦しく無念の思いをされて死んでいく方たちを二度と出さないように戦争はいたしません」、このように誓ってはならない、と主張しているのです。
そして「お国のため苦しく無念の思いを抱かれ戦死した貴方方は後続の鑑です。どうぞその怨念をお持ち続け下さい。そしてその怨念で貴方方の後に続く者たちを募って下さい。私達もそれに大いに助力します。」、「ヤスクニ」ではこのようにお誓いしなければならない、このように稲田元防衛相は主張したのです。これが「ヤスクニ」の実体です。「ヤスクニ」はこういう装置として設立されたのです。
今日でも「ヤスクニ」では戦死者への「招魂祭」を執り行っています。しかしこの死者への招魂祭は、古来から日本では禁じられていた儀式です。国家神道の靖国神社とは、本来の日本の神道と神社に「成りすまし」「乗っ取り」、日本国民に呪詛をかけ続けている。こう表現するのが正しいように思えるのです。