日本全国に招魂社が設立 〜明治天皇の命名の問題
天皇は大神官であり、日本の最高神官である。このことを否定する方はいないでしょう。
明治維新もそうですが日本の歴史を見るには、天皇は最高神官であるとのこの超重要事項を踏まえた上で見ていく必要があるでしょう。
日本では明治以降は天皇を政治的な側面で見ていく傾向が強いように感じますが、天皇の原点、本来の役割は神官なのであってこの視点を欠くと日本の歴史観は歪曲を生じると見ています。そして
天皇は大神官であるとの当たり前の原点から見るならば、天皇を担いだ明治新政府が、日本の伝統的文化や宗教的慣例に対していかに“異様な行為”を断行したかが見えてきます。
明治以降日本は「国家神道」に傾いていくのですが、それの象徴というか手始めが「招魂社」の設立です。明治に入って早々に岩倉具視の発布によって日本全国に招魂社が設立されていきます。
「
官祭招魂社(かんさいしょうこんしゃ)」で検索してみてください。そうすると「官祭招魂社は、政府が管理を行った招魂社」で、この政府管理の招魂社だけでも
日本全国に114、とりわけ
旧長州の山口県には21もの官祭招魂社があることが分かります。
このうち東京九段の招魂社が明治天皇の命名によって国家神道の象徴たる「靖国神社」になります。他の招魂社の多くは「護国神社」の名となっているのです。
実は日本全国における招魂社の設立が明治新政府からの国家事業の一つであったのです。しかしこの招魂社は普通の日本人的な常識や語感からは大いな”違和感”がいくつもあるのです。
ウィキペディアの「
招魂社」を見れば、招魂社は「明治維新前後から、また以降に国家のために殉難した死者を奉祀した各地の神社」、そしてそのルーツは「1863年(文久3年)に高杉晋作は、下関戦争での戦没者の霊を慰めるため、また、今後の戦いに臨むに当たって自分たちの生墳(生前にあらかじめ建てておく墓)が必要であると発起し、奇兵隊の賛同を得て隊員共同の招魂場を設置することになった。日本初の招魂社となる櫻山招魂場(現・櫻山神社)は1864年(元治元年)5月に山口県下関市に築かれ、翌年8月に社殿が完成した」とのこと。
招魂場は幕末まで日本に存在しない新しい施設ですが、要するに、
主に戊辰戦争以降の戦死者を祀る施設と見なせます。もとは招魂場の招魂社は墓や霊園と見なすのが自然なのです。
従ってこの時点では招魂社は“社”の文字があっても“神社”ではありません。
ところがこの招魂社を明治天皇は「神社」と命名したのです。これが大変な問題なのです。1879年(明治12年)に東京招魂社を「靖国神社」と命名した明治天皇のふるまいは、大神官、国家の最高神官としてのふるまいとしては大変な違和感があるのです。善悪は別として全くおかしいのです。
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確か、テレビで見たのですが、専業主婦というのは、明治になってからできた特別な女性の立場だったと思います。それまでは、女性も男性と同じ様に仕事をしなければならなかったのが、経済力のある男性に嫁ぐことで、家を守り子供を育てることに特化した特別待遇の女性が現れたということで、確か、 「奥様」というのは、専業主婦に対する称号だったように記憶しています。
記事のデータと主張が正しければ、専業主婦が増えることが女性の幸福度が高まるということになり、そうした社会は、男性の給与で生計が建てられる社会ということになります。昭和の時代ですね。日本会議のおっさんたちは、こうした社会の方が望ましいと思っているのではないでしょうか。
記事では、幸福のおすそ分けという形で、女性に「男性を経済力で選ばない」ことを呼びかけています。しかし、その結果共働きになり、子供も産めないということになれば、“幸福のおすそ分け”というよりも、“一方的な犠牲”になる可能性の方が高いような気がします。
「男性を経済力で選ばない」という観点は大事だと思いますが、結婚しても生活に困窮するような社会は構造に問題があると言えます。この意味でも、ベーシックインカムを視野に入れるべきだと思います。
記事自体に関しては、いくつかの疑問点があります。記事では、「結婚=高い幸福度」が前提になっているような気がします。しかし現実は、“結婚を後悔している夫婦”も多いのではないでしょうか。
年収、身長、学歴とかで相手を選ぶのではなく、数日身に付けた下着をお互いに嗅ぎ合うことで相性の良い人を選ぶ方が、より確実に幸福度が高い結婚生活が送れるような気がします。