[慰安婦問題]彼女たちは「慰安婦」ではなく、性暴力の被害者・性奴隷です ~人身売買という国家犯罪に手を染め、蓄財していた天皇一族

竹下雅敏氏からの情報です。
 映画「主戦場」が各地で上演され、東京の「シアター・イメージフォーラム」では、ロングラン公開中とのことです。
 「慰安婦問題は完全なデマ」と主張する歴史修正主義者たちにとってはかなり都合の悪い映画のようで、歴史を歪曲する者たちに対して、専門家が事実関係をきちんと説明しているようです。
 林博史教授の「慰安婦」問題の解説記事はとてもわかりやすく、この問題の全体像を知ることができます。必要最小限の引用に留めているので、引用元で全文をご覧ください。
 記事を読むと、「慰安婦」という言葉が、実態を全く表わしておらず、“彼女たちは「慰安婦」ではなく、性暴力の被害者・性奴隷です”と言っています。性病の問題があるため、“若くて売春に関わっていない女性”を朝鮮半島や台湾といった植民地から連れてきたとのことです。「どちらも植民地になってから日本の公娼制度が持ち込まれ、業者が若い女性を借金漬けにして売春に従事させる仕組みが完成されています」と書かれています。
 これで思い出すのが、天皇家が邦人女性数十万人を売春目的で海外に売り飛ばしたという話です。日本人女性を海外に売春婦として「輸出、売却」して、兵器購入資金を得るという福沢諭吉のアイディアに、天皇一族が飛びつき実行に移したらしい。
 “1900年初頭から天皇の命令の下、「海外に行けば良い仕事があり、豊かな生活が出来る」という宣伝が日本全国で大々的に行われ…天皇一族によりだまされ「売春婦として欧米に販売された」日本人女性の数は数十万人”に上るとのことです。
 張勝植氏の著書「朝鮮名は張基元 朝鮮半島から[万人幸福の世界作り]を目指した明治天皇」の p84に、「明治天皇は、1910(明治43)年に、影武者の天皇をあとにすえて、日本を出て韓国に渡った」と書かれています。ということは、“1900年初頭の天皇の命令”は、張勝植氏の曾祖父・張基元(大室寅之祐)によるものだということになります。明治天皇の影武者は徳川の人物だということですが、いずれにせよ、天皇一族は人身売買という国家犯罪に手を染め、蓄財していたということになります。
 “業者が若い女性を借金漬けにして売春に従事させる仕組み”が日本の植民地化で完成されていたというのは、こうした経緯を見れば、とても納得できます。日本人女性を海外に売り飛ばせるのだから、植民地の女性を性奴隷にすることなど、いとも簡単なことだっただろうと思います。
 結局、日本軍がやったことと言えば、多くの女性を性奴隷として扱うことはもちろん、言葉にできないほどの残虐な行為、そして金品の略奪。かき集めた莫大な金銀財宝はインドネシア、フィリピンに埋め、その財宝の所有権は誰なのかを、今でも争っているということではないでしょうか。
 一部の気の狂ったような連中の貪欲さに国民は騙され、犯罪の片棒を担ぐどころか、「中国や朝鮮の人々への蔑視」から、とんでもない犯罪に多くの兵士が手を染めてしまった。しかも、自分たちが騙されてきたことにいまだに気付けないばかりか、過去の悪事をなかったことにする始末です。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————
映画『主戦場』劇場予告編
配信元)
————————————————————————
配信元)
————————————————————————
今さら聞けない「慰安婦」問題の基本を研究者に聞く――なぜ何度も「謝罪」しているのに火種となるのか
引用元)
(前略)
長年「慰安婦」問題を研究し、『日本軍「慰安婦」問題の核心』(花伝社)などの著書を持つ、林博史・関東学院大学教授に「慰安婦」の実態や問題の本質を解説してもらった。
(中略)
林博史氏(以下、林氏) 日本軍「慰安婦」制度というのは、軍専用に女性たちを集めて、兵士のセックスの相手をさせることを指します。明治以降、日本では国が性売買を公認・管理する公娼制が敷かれ、その場合は「娼妓」などの言葉を使っていました。日本軍も最初は同じような言葉を使っていたんですけれども、次第に兵士を「慰安」する女性として、「慰安婦」を使い始めた。(中略)… この言葉は実態をまったく表していない。彼女たちは「慰安婦」ではなく、性暴力の被害者・性奴隷です。そのためカギ括弧を付けて使用しています。 
(中略)
まず日本軍が国内にいる場合は、各駐屯地の近くに売春宿があり、兵士たちは普段からそこに通っていました。日中戦争が始まってそれぞれの部隊が中国へ行くことになると、通っていた売春宿に「女性たちを連れて一緒にきてくれ」と頼むわけです。だから最初は、日本人女性が連れて行かれました。

 ただ、普段から売春に関わっている女性は、性病にかかっている率が高く、兵士にうつるケースが多い。そこで、性病になっていない、若くて売春に関わっていない女性を集めようという発想になる。しかし日本国内で女性を集めると大問題になるので、朝鮮半島や台湾といった植民地から連れてくるわけです。どちらも植民地になってから日本の公娼制度が持ち込まれ、業者が若い女性を借金漬けにして売春に従事させる仕組みが完成されていますから、日本軍が直接関わらなくても、業者を使って女性を集めることができました。そのため、朝鮮人・台湾人の場合は人身売買が多い。
(中略)
親に金を渡すことなく、本人を騙して連れて行くパターンもあります。貧しい家の娘を、「食事の支度や裁縫など日本軍兵士の身の回りの世話をする仕事があり、食事も3食提供される」とそそのかして連れて行く。その場合も交通費などはかかるので、結局借金漬けにされる。ですから、詐欺といっても、実は人身売買だというケースが多い。
(以下略)


————————————————————————
「語らないことでまた責任が生じる」
相模原の男性が語り続ける 慰安婦への加害の記憶
引用元)
(前略)
先の戦争で自ら手を染めた後ろ暗い過去と向き合い、告白を続ける人が相模原市南区にいる。元牧師の松本栄好さん、92歳。
(中略)
筒状の器具を性器に差し込み、のぞき込む。炎症で赤くなっていないか。できものは見当たらないか。月に1度の性病検査。軍医の手伝いが衛生兵、松本さんの任務だった。女性の体を思ってのことではなかった。
 「兵力を維持するためだった」
(中略)
中国山西省盂県に出征したのは1944年2月。当時21歳。城壁で囲まれた大隊の拠点に慰安所はあった。

「慰安婦としていたのは20代ぐらいの6、7人。日本の着物ではなかった。兵隊たちが『朝鮮ピー』と呼んでいたので、彼女たちが朝鮮の人々なのだと分かった」
(中略)
慰安所は大隊本部にしかなかった。だから兵隊たちは『討伐』と称し、村々で食料を奪うのと同時に女性たちを強姦していった
(中略)
女性たちは駐屯地の兵舎の片隅に監禁され、「兵隊たちはそこで代わる代わる強姦した。私は避妊具を配り続け、やはり女性たちの性病検査を行った」。
(中略)
松本さんは言う。「慰安婦だけの問題ではない。中国や韓国の人たちが怒っているのは、それだけではないと認識すべきだ」

村々での強姦、慰安所ではない兵舎での監禁。女性たちの体に刻み付けられた暴力の残虐さに違いなどない。なのに人集めの際の強制性の有無を論じたり、慰安婦制度ばかりに焦点が当てられることは問題の本質から目を遠ざけることになると感じている。

「私たちは中国や朝鮮の女性を性の奴隷として扱っていた」
(中略)
「当時の教育を見詰めないといけない。(中略)… 『日本よい国 きよい国 世界に一つの神の国』と自国の民族の優位性を強調する教育が行われた。その過程でとりわけ中国や朝鮮の人々への蔑視と傲慢さが、私たちの心の内に生み出されていった
(中略)
何をしてきたのかを知らなければ、同じ過ちを繰り返す。語らないことでまた責任が生じる」
(以下略)

Comments are closed.