ユダヤ問題のポイント ― 特別編(黄金の流出から)8 ― 全景 ―

 江戸時代の日本からの黄金流出、これが今回の特別編全体の主要テーマの一つででした。2019/12/26の「蘭芳公司を通した欧州への日本の黄金流出」の記事内容が非常に気にかかったのです。それで黄金流出の実態とその影響を探ってみようとしたのが今回の特別編に向かう私の動機であったのです。
 ようやく今回の記事でその全体像を、無論非常に大雑把で不完全なものではありますが、一応の提示はできそうです。
 結論としては日本から意図的に黄金を流出させたその影響は甚大なものでした。それは私自身が当初予想した範囲を超えた質と規模のものでもありました。
 日本からの黄金流出、ホワイト・ロッジに属する八咫烏が、その幹部であったであろう天海を通じて、ブラック・ロッジが主体であるはずのオランダ東インド会社と提携することでそれは始まっていった模様です。その背景になったのが日本支配層の構造です。
 そしてその黄金流出の影響は、世界には世界革命という世界潮流を生み出し、日本自身に対しては明治維新に繋がっています。
 そうと知ってみれば、日本からの黄金の流出を抜きにしては世界史を語らうことが出来ないほどのものでした。
 以前に明治維新は世界革命の一環であると指摘していましたが、黄金流出と世界革命、そして明治維新は連動していたのです。もちろんその底流にあったのがハルマゲドン計画ではあります。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント ― 特別編(黄金の流出から)8 ― 全景 ―



オランダ東インド会社との提携 〜黄金利用の道をつけた天海


さて、ぼちぼち出発としようか。
喜多さん、お前さん、前回の最後に黄金流出を巡る全体的な構図かな?、そのようなものが浮かび上がってきたように言ってなさったが、それは?

へい、まぁまだ薄ぼんやりとした絵なので、整理しながら、と、なりやすが…。

ふむ、ではどのあたりから進めるかい?

へい、先ずでやすが、豊臣氏が莫大な黄金を蓄えていた。これは間違いねぇでやしょう。
そしてその莫大な黄金が徳川側に移された。豊臣の埋蔵金が出てこねぇんだからこれも間違いねぇでやしょう。

そうだね。そう見るのが妥当だろう。
そして落合氏は、豊臣から徳川への黄金の移動を差配したのが天海だとしているね。更にこれに真田幸村が協力していたと。

その天海でやすが、朝廷政策と宗教政策が担当でやしたね。徳川幕府のブレーンだった天海は、同時に朝廷や公家側と太いパイプがあったわけでやすね。
落合氏の説では天海自身が伏見宮家の血流とのことでやしたが、それならば一層のこと朝廷側とは太いパイプが最初からあったことになりやすね。

ふむ、そうだね。
確認はできないが、天海が伏見宮家の血流ということは可能性としては否定はできないね。
そして朝廷側というか公家の世界では、藤原氏の開祖である鎌足がブラック・ロッジ首領のデーヴァダッタの転生であった点から、ブラック・ロッジとの太いパイプは繋がっていたと見るのが普通だろうね。

天海の立ち位置

そうでやすね。
公家の世界ではブラック・ロッジとのパイプが繋がったままで、その藤原氏を守護したのが武甕槌命(タケミカヅチノミコト)でもありやしたね。
天海は武甕槌の春日系グループに属していやしたから霊的世界でもブラック・ロッジに、また地上世界でもブラック・ロッジの地上組織の表のイルミナティ組織とは太いパイプが繋がっていたはずじゃありやせんか?

そうだろうね。天海がブラック・ロッジ、表のイルミナティとのパイプを持っていたのは当然だろう。
そしておまけに天海はホワイト・ロッジでミトラ、マイトレーヤの弟子であり、また光の銀河連邦関連者だった。つまりマイトレーヤたちの意向を理解した上で裏のイルミナティとも繋がっていたことになるね。

そうでやすね。
天海は春日系、[裏]南朝勢力に属していたので闇組織と裏のイルミナティに繋がってた上に、八幡系の守護を受けていたホワイト・ロッジ、マイトレーヤの弟子でもあり、ブラック・ロッジ、表のイルミナティにも太いパイプを持っていたわけでやすね。

どことでも繋がっていた天海は、見かけ上はホワイト・ロッジの計画であるハルマゲドン計画を進めるために、ブラック・ロッジに働きかけ、世界革命の資金援助を申し入れた。こうじゃありやせんか?

ふむ、落合氏の説、1615年大阪夏の陣にて豊臣から回収した大量の黄金を天海が、オランダ独立戦争の資金のためオランダ東インド会社の船でオランダに運ばせた件、それと1641年に貿易先を絞り日蘭貿易を開始したのに天海の差配があっただろうという件に関わることだね?

へい、そうでやす。
実際に天海が差配し、オランダに莫大な黄金を運ばせたかどうかは分かりやせんが、天海がブラック・ロッジと提携し、日本の黄金を資金提供することを決定したのは事実かと…。

なるほど。そうだね。オランダ独立戦争にはブラック・ロッジが深く関与していただろうし、オランダ東インド会社の主力はブラック・ロッジのはずだね。
事実として天海の差配で日本の貿易先がオランダに限定されたと見て取れる。

ふむ、ホワイト・ロッジに属しながらもブラック・ロッジに太いパイプを持つ天海が、ブラック・ロッジを提携先として資金援助することを決定したというのは自然な見解だろうね。
それにね、実物の莫大な黄金がオランダ・アムステルダムに運ばれていなくても資金援助は可能だったかも?、だ。

金融に熟達していたブラック・ロッジ 〜アムステルダム銀行の約束手形


❓ 実物の黄金がなくても資金援助が可能? 信用創造による紙幣による資金ということで?
うーん、しかし確か金匠手形、ゴールドスミスノートが出てきたのは1600年台の半ばじゃありやせんか?

そうだね。確かに近代銀行の始まり、ゴールドをタネ金とした紙幣の金匠手形が発行されたのは1600年台の半ば。大阪夏の陣の頃はまだその時期になっていない。

ただね…、そうだね、少しおさらいしようか。実際には手元にありもしない金の預かり証を貸し出したのがゴールドスミスの金匠手形の紙幣だったね。この方法は無からお金が作れるので莫大な利益を生む反面、必然的な危険があったね。

へい、実際に金を預けた人間たちが揃って大量の金の預かり証を持ってきて、実物の金との交換を迫られた場合でやすね。
手元に実物の金がないんだから交換できず、詐欺がバレてしまう危険でやすね。

その通り。それで金匠がとった手段が、仲間内で秘密裏に金を融通し合うシステム、銀行カルテルだ。

お金ができる仕組み。銀行の詐欺システム

そうでやしたね。
銀行は自分の金庫に金が無くても、提携先の仲間の金庫に金があれば紙幣を作って貸し出すこと出来たわけでやすね。提携先にさえ実物があれば自分は金を保有して無くても資金調達できると…。

そういうこと。
日本で黄金を管理していたのは天海も幹部であったろう八咫烏組織だろう。アムステルダムの、つまりブラック・ロッジ所属の銀行家たちは、アムステルダムに実物がなくても提携先の日本の八咫烏組織が莫大な黄金を保有し、自分たちがそれを使えるという契約さえ成立していたら、その日本の黄金を根拠にして資金調達を出来たようにも思えるんだね。

ふーむ、てぇいいやすと? 1615年頃にはまだ金匠手形は発明されていやせんが?

そうだね。しかし、1609年に設立されたアムステルダム銀行では既に約束手形制度が導入されていた。『「新」経世済民新聞』2018年10月1日の「【三橋貴明】おカネの話(後編)」を読んでみるといいよ。

…ふーむ、…約束手形といえば貨幣の代わりになるものでやすが、このコラムを読むとこのアムステルダム銀行の仕組みは、紙幣と言うよりは銀行通帳制度の走りのような感がしやすね。
ブラック・ロッジは金融に関して熟達していたようでありやすね。

そうなんだ。ベンジャミン・フルフォード氏は「バビロニア式借金奴隷制度」と言っている。
古代バビロニア、言うまでもなくブラック・ロッジの王国だね。そこでは借金でしかお金が調達できない制度ができていて、それが石版に記録されていたそうだ。
借金でお金が作られる今日の銀行制度は、ブラック・ロッジの手で既に古代バビロニアの頃に確立していたわけだね。

うーむ、それじゃ現物の金をタネ金にお金を作るやり方など、ブラック・ロッジの連中は当然熟知していたでやしょうね。
提携し、日本の黄金が使用できるとなれば、確かに彼らならそれを利用して資金調達できそうに思えやすね。
それに実際日蘭貿易の始まった1641年以降はオランダ側に黄金が確実に流入している。

そういうことだね。
天海が、ブラック・ロッジが主力のオランダ東インド会社と提携を結び、日本の黄金が利用できる道をつけ、実際にオランダ側がそれを利用した図が浮き彫りになったわけだ。
それではお預けになっていた日本からの黄金流出のポイントを整理し直そうか…。


流出黄金が明治新政府誕生に 〜連動する黄金流出、世界革命、明治維新



へい。日本からの黄金流出のポイントになった年は、

🔯 大阪夏の陣の1615年
🔯 日蘭貿易開始の1641年
🔯 蘭芳公司成立の1777年
🔯 ウイーン会議の1815年
🔯 南北戦争の1861年

以上でやしたね。

そうだね。1615年、この頃はオランダ独立80年戦争の最中でもあったが、その後の1618年に、オランダ側にすれば独立戦争の一環ではあるが30年戦争が始まっている。
落合説のように莫大な金塊がオランダに運ばれたかは不明だが、日本の金塊がオランダ側の資金に利用された可能性は相当に高い。

そうでやすね。 日蘭貿易開始の1641年、この後は確実に日本の黄金がオランダ側に流失していったわけでやすが、この頃は既にオランダ・アムステルダムの黒い貴族が中心となって英国乗っ取り攻撃を加えており、1649年にはクロムウェルの清教徒革命があり、チャールズ1世が処刑されてやすね。

Wikimedia Commons [Public Domain]

そうだった。アムステルダムの銀行家たち「黒い貴族」の英国攻撃は、英国の要人を買収するという方法が主たるものだったね。日本からオランダに流入した金銀がこれに利用されたのは確実だろうね。

へい。で、続いてが 蘭芳公司成立の1777年でやすね。
この蘭芳公司成立によって日本から黄金の流出が更に本格的になったわけでやすが、この頃はアメリカ独立戦争の最中でやしたね。

そうだね。アメリカ独立戦争と1789年から始まるフランス革命、そしてその後のナポレオン戦争、これらは本格的な世界革命、ヴァイシャ革命だね。


これら革命にはコーディネート役のロスチャイルドがいたわけだが、その背後には本格的に日本から流出した黄金が資金として使われたんだろう。多分大室寅之祐の初代が渡欧したのもおそらくはこの頃だろう。

うーむ、ロスチャイルドにヴァイシャ革命、それの資金になったのが日本の黄金…。凄まじい影響を日本から流出の黄金は世界に与え、世界潮流を作る役目を果たしたわけでやすね。

そうだね。ほんとにとんでもない影響力だね。
一方日本は?といえば、 蘭芳公司成立の1777年の2年後の1779年に光格天皇が即位し、その後倒幕運動が起き上がっていった。

そうでやしたね。次のポイントがウイーン会議の1815年でやすね。

1815年のウィーン会議実質主催したのはネイサン・ロスチャイルドナポレオン戦争後の世界構造を世界政府樹立を目論見開催した会議だったが、ロシアのアレクサンドル1世に阻まれた。
ただ相当に世界革命は進んでいたのも事実だね。一方日本の方も更に倒幕への動きがあったんだね。

へい。そうでやすね。「蘭芳公司を通した欧州への日本の黄金流出」の元記事である『瓊音(ぬなと)チャンネル』では「ウィーン会議後の天保年間には、(中略)...金銀の為替のカラクリは一般にも知れて、日本列島から大量の金が流出しだしていた」とありやしたが、そのような中、光格天皇の皇子が中山家の養子となり1820年?にいよいよ天忠党が結成され、倒幕運動が本格化したわけでやすね。

そういうことだね。日本の黄金流出と世界革命そして倒幕運動が連動していたわけだね。

へい。で、倒幕のトドメになったのが幕末の大量の黄金の流出。
駐日大使のハリスなどがその主犯でやしたが、日本ではその影響による大インフレで民の不満が爆発。

Author:As6673 [CC BY-SA]
Wikimedia_Commons [Public Domain]

そう。一方ではその運び出された黄金が1861年のアメリカ南北戦争の資金になった。

へい。しかも南北戦争で余った兵器などが戊辰戦争に使われてやすね。最新の兵器を手にしていた薩長側が「勝てば官軍」で、1868年の明治新政府の成立の運びとなりやした。

そうだね。意図的に日本から流出させた黄金が巡り巡って、結局明治新政府誕生に繋がった…。

へい。おまけにその新政府はロスチャイルドに対する借金を抱えての出発でやしたね。やれやれだ。


Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

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