注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
6歳前後の頃、悪戯して親に叱られるたび「山に捨てるぞ」と脅されていた。いよいよ度が過ぎて闇夜の山道に連れて行かれ、車から追い出され、泣いて謝りながら山の中へ全力で駆け出し「明日迎えに来てなあああ」と叫んだ私を必死に追いかけた親はその後育児に脅しを使わなくなった。
— 吉藤オリィ@対孤独の発明家 (@origamicat) August 25, 2020
育児ってのは難しい
野人であり教師である父に物心つく頃からよくサバイバル話をされ、「夜山はまず雨風をしのげる場所を探し朝を待て、沢に下らず尾根に登れ、生存する事のみ考えよ」と教えられていたので実践しようとしたと思われる
— 吉藤オリィ@対孤独の発明家 (@origamicat) August 25, 2020
父に教わったロープワークで近隣の村人を縛ったり、2階から降りたりしてよく叱られた
年少時は悪戯ばかりの落ち着きの無い子どもだったが、11歳から逆に不登校になり精神不安定な状態が3年半続いた。
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珍しい事に中学教師の父と3年間同じ中学になり、基本不登校で通えても保健室登校の私と、息子が不登校であると知られている熱血教師の父、お互い気まずい関係が続いた
育児ってのは難しい
学校でも自宅でも居場所がなく、習い事も辞めてしまい孤独で辛かったが、私が不登校である事を知る人のいないキャンプに参加すると、父から教わったロープワークやサバイバルの技術を褒められ、ツリーハウスなどを作って頼られる存在になれた
— 吉藤オリィ@対孤独の発明家 (@origamicat) August 25, 2020
悪戯しかせず怒られていた技術が人の役にたった瞬間だった
その後、工業高校から高専へ編入するも退学し、黒い白衣で村を歩いて怒らせ、高い学費の早稲田で研究室に入りたくなくて自分で研究所を立ち上げて独立宣言など親には心配と迷惑をかけ続けたが、大学4年間は父の勤めるキャンプ場で共に働き、よき師の下で学んだ知識は今に生きてる。
— 吉藤オリィ@対孤独の発明家 (@origamicat) August 25, 2020
育児ってのは難しい
先日電話で、手が足りないので私をもう1人オーダーしたいと言うと「あんたは製造コストが高すぎる」「でもあの時は余裕無かったが今ならもう2.3人くらい育てられる」と言われた。
— 吉藤オリィ@対孤独の発明家 (@origamicat) August 25, 2020
難しい育児をしてくれた両親には本当に感謝している。
「3年半、不登校になっていた自分が、学校に戻ることができて、人と話すことは苦手でしたけど、少なくとも毎日楽しく研究している。この状態を“癒し”と捉えたとき、両親の応援だったり、ロボット競技大会で相手に負けた悔しさだったり、久保田師匠との出会いであったり、そこには必ず人が介在していた。この人に認められたいとか、この人にこんなことを言われて腹が立ったとか、ネガティブなこともポジティブなことも、すべて人がもたらすものなんですよね。人を本当の意味で癒すことができるのは、社会に復帰することであって、そのためには人とのコミュニケーションは避けては通れない。そこに障害があるのであれば、それを取り除く方法を研究した方がいいと考えたんです」
(以下略)
最後のツイートのお父様の言葉が面白いです。
子育てをもう一度やり直せるなら今度はもっと上手にやる、という子育て卒業組の言葉を聞くことがあります。子どもと一緒に苦闘されたのだなあ。