ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 第11話 ― 中国動乱の震源

 ドイツ関連のことは、①世界への甚大な影響、②現代日本に繋がっている、このような点からも非常に重要なのです。
 ただし、ヒトラーがドイツ首相に就任したのは昭和期だったので、大正編ではドイツ関連のことは一旦離れ、地域としては日本、満洲、中国、アジアのところに戻ります。

 アヘン戦争以来、中国は動乱の渦の中に巻き込まれますが、大正期も中国はやはり更なる動乱の渦の中にありました。
 満洲族が建国したのが清朝ですが、中華革命で清朝が打倒され中華民国誕生。しかし中華民国が誕生しても、中国大陸は群雄割拠の状態で大きく激しく複雑に揺れ動きます。この中国大陸を当時揺り動かしたいわば震源の中心にいたのが堀川辰吉郎です。
 「堀川辰吉郎の娘」を自称の中丸薫氏は、最近の著書の著者紹介欄には «中国生まれ。北京の紫禁城で幼少期を過ごす。» とあり、これは事実だった模様です。中国において、堀川辰吉郎は自分の娘を紫禁城に住まわすことのできる人物だったということになります。
 しかし、紫禁城は皇居で、満洲皇族の住まいであるのになぜ堀川辰吉郎が? 落合氏の「疑史 第71回」(読書日記)によると、清朝末期の満洲皇族の中心が醇親王であり、その満洲皇族との対応を担当したのが堀川辰吉郎であり、醇親王と堀川辰吉郎は «見識相通じて、爾後の満洲経略を練った。四十二年に中島比多吉が紫禁城に入って溥儀の傳役となり、翌年には辰吉郎が紫禁城の小院に寓居を構えるが、すべて醇親王の計らいであることは言うまでもない。» としています。
 実際に紫禁城に堀川辰吉郎の部屋があり、その後の満洲国建国、また中丸薫氏のことを考慮しても、堀川辰吉郎と満洲皇族が密接な関係を築いていたのは事実でしょう。
 一方、清朝を打倒したのは中華革命でしたが、堀川辰吉郎が「中国革命の父」と呼ばれている孫文と昵懇の間柄であったことはすでに見ています。打倒される側の満洲皇族と清朝打倒側の孫文、この両者に堀川辰吉郎は深く通じていたことになります。
 更には、やがて満洲の覇王となる張作霖とも堀川辰吉郎は、落合氏によると「昵懇を通じていた」とのことで、これも事実と見受けられます。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 第11話 ― 中国動乱の震源


中華革命の背後にはやはりホワイト・ロッジ 〜トライアドとは?


大正期の始まりと中華民国の誕生は重なっていました。孫文らの革命運動によって清朝が倒され、中華民国が誕生したわけですが、倒された清朝は満洲族によって建てられた国家でした。当然、漢民族からすればイギリスからの侵略を含め不満が多く、打倒清朝の水面下の動きは秘密結社の結成など中国国内にあったのです。

2020/10/27の竹下さんの記事 «中国をコントロールしていたのは「(裏の)イルミナティ」であり、彼らは「光の銀河連邦」の指示で動いていた» と指摘されています。

清朝を倒した中華革命には、秘密結社が実行部隊として深く関わっていますが、さらにその背後には裏のイルミナティ、そして光の銀河連邦の存在があったということでしょう。

そして、この記事では「ヘンリー・メイコウ氏のブログ記事」を載せられています。
そこには «中国のエリートは、共産党指導部、香港の大物、犯罪者のトライアドの合併です。3つの派閥はすべて、イルミナティの協力からその力を導き出しています。» とあり、 «トライアドとは、18世紀の中国に生まれた清朝打倒を目的とした秘密結社・犯罪集団の総称» と指摘しています。

そのうえで、孫文、そして蒋介石もトライアドのメンバーだったとしています。

孫文(右)とその後継者となる蔣介石
Wikimedia Commons [Public Domain]

トライアドは「三合会」です。『兵頭正俊の優しさ出前』というブログの「『三合会』を従える李家(その2)」記事には次のようにあります。

世界のイルミナティはもちろん深く結束している。香港の李一族が、欧米のイルミナティと違っているのは、三合会と深くつながっていることだ。

中国史は、王朝と秘密結社の歴史である。王朝の権力に対抗するには、基本的に秘密結社しかなかった。日本にゆかりのある孫文は、フリーメイソンの権力者で、王朝の権力に対抗するためにあちこちで「三合会」を創り、その指導者にもなっている。その情熱は世界に拡大し、ホノルル、シカゴ、そして日本でも「三合会」の支部を創っている。ほとんど知られていない孫文の素顔だ。

第1話では、孫文と、打倒幕府の天忠党を率い、五龍会の中央の黄龍会の会長となっている中山一族とは密接な関係にあったこと、堀川辰吉郎と孫文が生死をともにするような活動を展開していたことを見ました。孫文は客家であり、同時に「三合会」の有力メンバーだったと見て間違いないでしょう。

八咫烏は全体としてはホワイト・ロッジ所属の「星の教団」の下部組織とのことでした。裏のイルミナティと光の銀河連邦はホワイト・ロッジの組織であり、その影響下にあったであろう「三合会」はホワイト・ロッジに所属の秘密結社ということでしょう。

「三合会」も「星の教団」に関係するのかは不明ですが、「三合会」と八咫烏は早くから秘密結社ネットワークを組んでいて、中国、アジアからの地上世界の再編を睨んでいたということでしょう。


張作霖という人物 〜八咫烏との関係


堀川辰吉郎を裏天皇として立てる八咫烏が進出していったのが朝鮮半島であり、満洲中国大陸でした。その中で中国、満洲での緑龍会の秘密工作的な動きが重要で、改めてですが第3話で以下のことを見ました。

落合氏の説によれば緑龍会=大江山霊媒衆は、中国大陸にて以下のような動きを取ったことになります。

①メンバーの多くが玄洋社と共に満洲で馬賊に。また清国本部にも潜入。
②馬賊の頭となったのが出口ナヲの次男・清吉。 清吉は張作霖を親日に、満洲の覇王に養成
③大正時代には中華民国に大本教の実質支部の紅卍会を創設。
緑龍会=大江山霊媒衆の動きに伴い、堀川辰吉郎は紅卍会の日本総裁に、また張作霖との交流を深め、その息子の張学良と義兄弟の盟約を交わす

上の④についてはそのままお預けになっていましたので、②のところも合わせて見ていきます。

張作霖
Wikimedia Commons
[Public Domain]
児玉源太郎
平成の松下村塾
[Public Domain]
田中義一
Wikimedia Commons
[Public Domain]

張作霖は元々は馬賊の頭で、日露戦争ではロシア側のスパイとして活動していました。日本軍はその張作霖を捕縛し処刑しようとしたところで、張作霖に見どころを見出した陸軍参謀次長であった児玉源太郎が助けます。その後は張作霖は日本側のスパイとなり、児玉源太郎、そして児玉の部下で後の首相となる田中義一が彼を利用していきます。

日本軍の後押しもあって、張作霖は次第に軍閥としての勢力を伸張します。やがて張作霖は奉天省、黒竜江省、吉林省を勢力下に収め「満洲の覇王」に君臨していったのです。

Wikimedia Commons [Public Domain]

張作霖を助け、利用した児玉源太郎は明治編 第32話などで見たように、白龍会会長の杉山茂丸とは盟友関係にありました。ここからも張作霖が八咫烏勢力と密接になるのは自然だったと見受けられます。

更に落合氏は、張作霖を日本側に引き入れたのが緑龍会関係者で、馬賊に転じていた出口ナヲの次男の清吉だとしているのです。

そして、堀川辰吉郎が「張作霖との交流を深め、その息子の張学良と義兄弟の盟約を交わす」のは、堀川辰吉郎が世界紅卍会会長就任と相まって、彼が世界天皇の候補者との名乗りを上げ、満洲、中国、アジアに進出していき、それらをコントロール下に置く動きを本格化することを意味していたでしょう。落合氏の言葉で「辰吉郎と慇懃を通じていた張作霖は満洲の覇王だけでなく、中国全体も掌握しようと動くのです。


袁世凱の死 〜満洲皇族と気脈を通じていた堀川辰吉郎


日本の中国大陸、アジア進出については、軍事を用いて積極的に日本の権益を拡大していくというグループと、日本の体力、統治の困難さや国際関係を勘案し、進出に慎重もしくは反対、相手国の内政に干渉しないというグループにざっくりは二分されていました。

杉山茂丸の盟友の児玉源太郎やポーツマス条約を結んだ小村外相などは進出派です。一方、外国への干渉に反対していたのが伊藤博文でした。この構図は大正時代にも維持されていました。

日露戦争後の満洲をめぐる問題
平成の松下村塾 [Public Domain]
平成の松下村塾 [Public Domain]
セリフはこちらを参考

さて、孫文が中華民国臨時大統領になった後、引き継ぎ大統領となったのが袁世凱でした。この袁世凱が1916年に急死します。この年、北洋軍閥を率いていた袁世凱は帝政を復活させたものの、周囲から、そして日本からも強い反発と非難を浴びてやむなく帝政を廃止、失意のうちの急死とされます。落合氏は袁世凱の死について以下の見解を示しています。

新生中華民国が群雄割拠となったのを国情の必然と覚った袁世凱は、共和政は不可能として帝政復帰を図るが、これを孫文にとって重大な障害と観た辰吉郎は、革命党に手を回して大正五年に袁を毒殺させたと聞く。
(読書日記「疑史 第68回」より)

南方革命派の孫文とも奉天覇権の張作霖とも昵懇だった辰吉郎が、愛新覚羅氏に代って帝政を維持せんとした袁世凱を排除するのは当然である。
(読書日記「疑史 第71回」より)

堀川辰吉郎が袁世凱を毒殺させたとのことですが、これは事実かどうかは確認できません。ただし、堀川辰吉郎が孫文、そして張作霖、更には満洲皇族とも気脈を通じていたのは間違いないでしょう。袁世凱の帝政は彼らにとっては認められないものだったようです。

Author:Pixelflake [CC BY-SA]

ともあれ袁世凱の死後、中国内では各軍閥による複雑で激しい権力争いとなります。その中、奉天派の張作霖が中国全土の掌握を目指し、中国内での戦争となったのが1922年と1924年の第1次と第2次の「奉直戦争」です。奉天派と直隷派の軍閥の戦争の意味です。この「奉直戦争」の対応をめぐり日本では紛糾します。

張作霖は日本の軍隊の助けを当然ながら求めます。しかし、中国内での戦争であるのにも関わらず張作霖側で軍事援助という形で日本が加担すれば、これは中国への「内政干渉」となります。張作霖が勝利すれば日本の中国での権益は拡大する意味はあるでしょうが半面、中国民衆からの日本への反発や、国際的にも日本は難しい立場に立たされます。日本では、海外進出派と慎重派との間での激しいせめぎ合いとなるのです。


Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

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