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歴史の襞の中から5 ― 宮中の闇より ―
基本情報2(石垣純二氏の血統関係)と基本情報3(昭和天皇皇太子テロ関係)
基本情報2
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大正天皇とイギリス系の女性、后(側室・石垣姓)との間に兄妹が誕生。
滝山氏はBの人物を大正天皇と考えておられますが、私が調べたところそうではないようです。どうも石垣純二氏は伏見宮家の血筋のようです。北白川智成は17歳で亡くなっているのですが、娘が1人居たようです。この女性がイギリス人男性と結婚し、彼らから生まれたのがBの男性ではないかと私は考えています。
(2015年12月、竹下さんの見解。現在も同じ。)
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この兄妹の兄が石垣純二氏。この石垣純二氏の実の娘が、後の瀧山澄子さん。
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一方、石垣純二氏の妹(石垣姓)はドイツ系日本人の大学教授と結婚して、二卵性双生児が生まれた。その二卵性双生児の兄が現在の明仁上皇、妹が瀧山治子氏。
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石垣純二氏には恋人がいて、二人の間には既に子供ができていた。
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石垣純二氏の恋人、二人の間の子の母は、昭和天皇の正室である香淳皇后良子様の姉妹。
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皇室関係のある大事件が起こり、石垣純二氏の恋人が昭和天皇の正室香淳皇后の替え玉として宮中に入る。石垣純二氏との間の子供(女子)は、香淳皇后の替え玉となった母が連れていき、昭和天皇が宮中で引き取る形に。
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この香淳皇后の姉妹の母とともに宮中に入った子供が瀧山澄子さん。そして瀧山澄子さんが滝山善一氏の実母。
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石垣純二氏の妻となったのが徳川慶喜の孫で、中田久松の娘である中田志げさん。この結婚の裏には大正天皇拉致・軟禁の一連の事件があった。
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石垣純二氏と妻となった中田志げさんとの間には子ができず、やがて離縁となり、中田志げさんは帰郷した。
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石垣純二氏と離縁した中田志げさんは、故郷の村の瀧山勇作氏と再婚した。勇作氏は西郷隆盛の孫。
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離縁・帰郷の際に中田志げさんは、昭和天皇が引き取っていた石垣純二氏と香淳皇后の姉妹の子、つまり後に瀧山澄子さんと名付けられる女子を皇室から連れ出して、帰っていった。
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中田志げさんが皇室から連れ出した女子は、瀧山勇作氏との間の子として戸籍に入り、その女子は瀧山澄子さんと名付けられた。二卵性双生児で明仁上皇の妹も瀧山勇作氏と中田志げさんの間の子として戸籍に入り、瀧山治子さんと名付けられた。
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瀧山澄子さんは、加賀前田家の直系の末裔である古川栄徳氏と結婚。二人の子として滝山善一氏が誕生した。
基本情報3
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昭和天皇には男子が誕生しなかった。それで皇太子家を創設したが、皇族テロにより多数の死傷者を出して、皇太子候補の男子2名が次々と惨殺された。
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皇太子候補の男子の一人目は刀で惨殺された。香淳皇后はかばおうとされ、背中に大傷を負われた。そのため、皇后の替え玉として石垣純二氏の恋人であった香淳皇后の妹が皇室に入った。
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皇太子候補の男子の二人目も護衛ごと襲撃されて惨殺。
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惨殺された二名の皇太子候補は、三笠宮家からの貰い子か……不明。この皇室テロは極秘事項で、宮中に記録もないと思われる。
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三人目の皇太子候補として宮中に上がったのが、現在の明仁上皇。
皇太子候補惨殺テロ 〜惨殺テロによる深い影響
さて、今回のこの旅路も終わりに近づいてきたようだが、残っていた謎の部分、石垣純二氏の恋人であり、石垣純二氏との二人の間の子、つまり瀧山澄子さんの母親であり、香淳皇后の妹君であったであろう女性、この女性がなぜ香淳皇后の替え玉となって宮中に入ることになったのか?
今日はこのことから見ていこうか。
今日はこのことから見ていこうか。
へい。
…既に子供も産んでいた女性が替え玉として宮中に入る、これは尋常には思えやせんや。
いってぇなぜそんなことに?
…既に子供も産んでいた女性が替え玉として宮中に入る、これは尋常には思えやせんや。
いってぇなぜそんなことに?
ふむ、そうだね。
今回は上に、前回に見た基本情報2の下に基本情報3を付け足している。それのa.b.に目を通してごらん。答えが出されているからね。
今回は上に、前回に見た基本情報2の下に基本情報3を付け足している。それのa.b.に目を通してごらん。答えが出されているからね。
え❗❓背中に刀で大傷❓ いや、その前に皇太子候補が殺害されたテロ?
本当にこんなことがあったんで?
本当にこんなことがあったんで?
ふむ。
基本情報3のd.にあるように、この皇太子テロは極秘で、宮中に記録もないだろうとされているからね、その証明はできないだろうね。
基本情報3のd.にあるように、この皇太子テロは極秘で、宮中に記録もないだろうとされているからね、その証明はできないだろうね。
ただし、この皇太子テロに関わったのではないが、深い影響を受けた実在の人物たちがいるからね。
滝山善一氏からの情報提供をもとに作成した系図
Wikimedia Commons [Public Domain]
Wikimedia Commons [Public Domain]
ああ、そうか…そうでやすね。
替え玉となった女性はもちろんでやすが、その恋人であった石垣純二氏、お二人の間の子であった瀧山澄子さんがそうでやすね。
替え玉となった女性はもちろんでやすが、その恋人であった石垣純二氏、お二人の間の子であった瀧山澄子さんがそうでやすね。
そう、それに基本情報3のe.にあるように、明仁上皇もそうであるし、明仁上皇の双子の妹とされる瀧山治子さんも、やはり大きな影響を受けたわけだ。
皆の運命が変わったからね。
皆の運命が変わったからね。
ふーむ、なるほど。
いや、しかし考えてみやすと古今東西、王の暗殺や王の後継者を巡る争い、殺し合いなど枚挙に暇もないほどでありやすね。西洋でも日本の江戸期でも、毒味役などは置かれていたんでやすからね。
そういうことだね。
王自身、そして次期の王の候補が暗殺される、これは全然珍しい話ではないわけだ。日本の皇室も例外では無いとしても不思議はない。
無論こういったことは決して口外されず、皇室や王室は気品高く、華やかで美しいと外目は糊塗されるがね。とにかく皇室には、外目こそが非常に大事なようだからね。
なるほど。
話を戻しやすと、1番目の皇太子テロによって背中に深い刀傷を負ってしまわれたのが香淳皇后。
その姿を外目に晒せねぇので代わりに選ばれたのが、顔や雰囲気がよく似ておられる石垣純二氏の恋人だった香淳皇后の妹君ということでやすね?
その姿を外目に晒せねぇので代わりに選ばれたのが、顔や雰囲気がよく似ておられる石垣純二氏の恋人だった香淳皇后の妹君ということでやすね?
そういうことだったんだろうね。
関東大震災の頃には、既に拉致・軟禁されていたかも知れないね。
昭和天皇と香淳皇后が結婚されたのは関東大震災の翌年の1924年。この結婚は関東大震災の影響で延ばされたとあるね。しかし、結婚延期は本当は大正天皇が行方不明だったのが原因ではないか? あたしはそう見ているよ。
ウィキペディア記事を見ると、大正天皇は摂政がつけられた1921年の翌年からは、皇城を離れ静養生活に入ったとされ、昭和天皇の婚礼の宴席にも出席せず、全く表に出ていない状態だからね。関東大震災の頃には、既に拉致・軟禁されていたかも知れないね。
なるほど。ウィキペディア記事では1918年には昭和天皇・香淳皇后の結婚は決まっており、翌年には正式に婚約もされてやすから、もっと早くに成婚されていてもおかしくないはずでやすね。
まぁ香淳皇后との結婚話にはひと悶着があったのはウィキペディア記事にもあるがね。
そして、ともあれ問題だったのが、婚約期間を含めたならば10年近く経ってもお二人の間には男子は誕生しなかったことだね。それで仕方なく、外部から皇太子候補を連れてきた。
ところが、その候補の男子が惨殺され、香淳皇后も大怪我を負ってしまったようだね。
うーん、色々と状況を突き合わせると1929年頃かな?
その少し前に瀧山澄子さんは誕生されていたが、このテロ事件で石垣純二氏と香淳皇后の妹は別離し、瀧山澄子さんと一緒に宮中に入ったわけだね。
その少し前に瀧山澄子さんは誕生されていたが、このテロ事件で石垣純二氏と香淳皇后の妹は別離し、瀧山澄子さんと一緒に宮中に入ったわけだね。
一方、この少し後に石垣純二氏は中田志げさんと結婚したんだろう。
謎の異父兄妹 〜明仁上皇の母と叔父
ふーむ。
皇太子候補が惨殺されて、宮中ではまた新たな皇太子候補を準備しやしたが、その二人目の皇太子候補も護衛ごと惨殺されたとありやすね。
皇太子候補が惨殺されて、宮中ではまた新たな皇太子候補を準備しやしたが、その二人目の皇太子候補も護衛ごと惨殺されたとありやすね。
そう。その二人目の惨殺についての情報も得ているが、それは置いておこう。
二人の皇太子候補が惨殺され、それで三人目の皇太子候補として宮中に入ったのが、現在の明仁上皇ということだね。
二人の皇太子候補が惨殺され、それで三人目の皇太子候補として宮中に入ったのが、現在の明仁上皇ということだね。
うーん、それにしても……血に塗れてやすね。
富山の村では大正天皇が妻子を得やしたが、テロで殺害されたとのことでやしたね。これも皇太子候補の殺害になりやすね。
皇太子・天皇の座を巡るなんとも激しい争いや殺し合いが、闇で繰り広げられていたわけでやすね。宮中の関係とは、ほんとに血なまぐさく危険なものでやすね。とてもじゃねぇですけど、近づきたくもねぇや。
そうだね。
宮中・皇室か……、古から連綿と続いてきた権力の一つの頂点だが、表面はともかく、中身は野望の掃き溜めで、ドロドロに欲望が渦巻き、血塗られてもいた感が強いね。
へい。まったく。
で、明仁上皇に関してでやすが、明仁上皇は二卵性双生児の兄、妹は瀧山勇作氏と中田志げさんの養女となり、瀧山治子さんと名付けられ、瀧山澄子さんの妹として育てられたわけでやすね。
そう。
どういう経緯でそうなったかは明瞭ではないが、瀧山治子さんは徳川サイドが引き取ったわけだ。2015年の情報では、瀧山治子さんに昭和天皇からの暗殺令が何故か出されていたようだがね。
昭和天皇からの暗殺令?
それがほんとでやしたら、双生児の兄は皇太子として皇室に、一方の妹はこの世から抹殺?
えれぇチゲぇだ。まったくなんとも血なまぐさい。
それがほんとでやしたら、双生児の兄は皇太子として皇室に、一方の妹はこの世から抹殺?
えれぇチゲぇだ。まったくなんとも血なまぐさい。
まったくだね。
繰り返すが、皇太子候補の殺害については証明することはできない。しかし、それに深く関連し、影響を受けた人物たちが実在していた。これは間違いないことだね。
そうだね。
いくら隠蔽しようとしても人間が実際にやってきたこと、これには何らかの痕跡は残るものだね。
いくら隠蔽しようとしても人間が実際にやってきたこと、これには何らかの痕跡は残るものだね。
そうでやすね。
ところで、明仁上皇と瀧山治子さんの双子の母親の胸中はどうだったんでやしょうかね。一方は皇太子として宮中に、一方は殺害命令が出されて手元から離されたわけでやすね。
うーむ、この母親、石垣純二氏の妹と認識され、実際は石垣純二氏とは異父兄妹の妹であったこの女性だね。この方も宮中での欲望の嵐の巻き添えになったわけだね。
随分と辛い想いをされ、過ごされたとは想像するが、この大正天皇の娘でもある石垣姓の女性についての情報はないので何とも言えないところではあるね。
そうだね。
石垣純二氏については滝山氏から多くの情報が寄せられているね。ただし、一般的には石垣純二氏も謎の人物に分類されるだろうね。
随分と辛い想いをされ、過ごされたとは想像するが、この大正天皇の娘でもある石垣姓の女性についての情報はないので何とも言えないところではあるね。
ふーむ、そうでやすか。
…この明仁上皇の母君も秘密の謎の人物に分類されるんでやすね。
…この明仁上皇の母君も秘密の謎の人物に分類されるんでやすね。
一方、石垣純二氏は大変な富豪であったとか?
そうだね。
石垣純二氏については滝山氏から多くの情報が寄せられているね。ただし、一般的には石垣純二氏も謎の人物に分類されるだろうね。
ネットでは東大出のラジオドクターの草分け、内務省衛生局官僚技官で医事評論家、また「臓器移植」問題に携わったぐらいは出ているが、顔写真もない。実際にはもっと裏の顔があったようだよ。
また明仁上皇は甥にあたるのかな、少なくともそのように認識されていて、宮中の明仁上皇の家庭教師も勤めていたとのことだ。
ふーむ。
石垣純二氏、そして明仁上皇と瀧山治子さんの双子の母親の女性、この2名は大変重要な人物であるのに、謎の人物になるんでやすね。いや、重要な人物だから謎にされているのか…。
このお二人の母親はどんな人物だったんで?
石垣純二氏、そして明仁上皇と瀧山治子さんの双子の母親の女性、この2名は大変重要な人物であるのに、謎の人物になるんでやすね。いや、重要な人物だから謎にされているのか…。
このお二人の母親はどんな人物だったんで?
大正天皇の石垣姓の側室女性、この女性は京都に住むイギリス系女性だったとのこと。お箸の持ち方など、イギリス系だったせいか下手だったようだね。
イギリス系? はて、石垣純二氏の父親は北白川宮智成親王の娘とイギリス系男性との間の子でやしたね。
ふーむ、石垣純二氏は祖父と母もイギリス系になるわけでやすね。うーん。
ふーむ、石垣純二氏は祖父と母もイギリス系になるわけでやすね。うーん。
そう。
石垣純二氏は外国でのほうが有名だったようで、海外にも多くの資産を有していたようだ。
となると、その資産は相続したものだろうから、祖父のイギリス系男性と母親の石垣姓のイギリス系女性が何者か?気にはなるね。
石垣純二氏は外国でのほうが有名だったようで、海外にも多くの資産を有していたようだ。
となると、その資産は相続したものだろうから、祖父のイギリス系男性と母親の石垣姓のイギリス系女性が何者か?気にはなるね。
そうでやす。
2代目裏天皇・堀川辰吉郎は、睦仁親王とロスチャイルドの娘との子。3代目裏天皇の前田ゴロウは、堀川辰吉郎とロスチャイルドの娘との子でやしたね。
京都に住むイギリス系女性と聞けば、このロスチャイルドの娘となんか関連が?とついつい連想してしまいやすね。
そう。それはあたしもだよ。
石垣純二氏の祖父もそうだが、母親のイギリス系女性はロスチャイルド関連か?とつい思ってしまうね。
しかし、これらの情報はないので何とも言えないね。
石垣純二氏の祖父もそうだが、母親のイギリス系女性はロスチャイルド関連か?とつい思ってしまうね。
しかし、これらの情報はないので何とも言えないね。
そうでやすね。
ただ、宮中の関係は何が潜んでいるのやら、ドロドロの闇の深さを実感しやした。
ただ、宮中の関係は何が潜んでいるのやら、ドロドロの闇の深さを実感しやした。
華やかさの中にも気品は高く、そしてお優しく美しい模範的で高貴な方々のお集まり、このような皇室イメージ作りの番組内容に、私自身は子供心ながら意図的な虚像部分を感じていたように思えます。そして、皇室を賛美だけするような路線はとても退屈だったのです。私だけでなく、この番組は多分ねじれ体質の人間には退屈で面白みがないのでは?とも思えます。
しかし一方、これだけの長寿番組ですから、一定の固い支持層もおられるのは事実です。皇室に敬意と憧憬を抱き、日本には無くてはならないものだと考えられている多くの方がおられもするのです。
ただし、現在は皇室の存続が問題になっているのも事実です。今後において皇室の存続が必要かどうか? 必要だとすればどうやって存続させるのか? これらは皆が話し合って決めれば良いことです。ただし、その話し合いには見せかけられてきた皇室の虚像ではなく、実態も皆に知らされなくてはならないと思います。
私は皇室に対しては全然無関心で、当然ながら皇室への思い入れもないまま現在にまで至ってきました。思い入れがないのですから、皇室の思いがけない実態を知っても感情が強く働いたことはなかったのです。それでも事実を知らされるにつけて、皇室の見せかけの姿と実態のギャップには唖然としたり呆れたりはしました。
見てきたところ、ドロドロの欲望が渦巻き、シッチャカメッチャカの性関係、そしてそれだけではなく、血にも深く塗れていた、どうも皇室の実態としてはこういったことは否定できないようです。