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歴史の襞の中から4 ― 替え玉より ―
系図と基本情報2(石垣純二氏の血統関係)
滝山善一氏からの情報提供をもとに作成した系図
Wikimedia Commons [Public Domain]
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大正天皇とイギリス系の女性、后(側室・石垣姓)との間に兄妹が誕生。
滝山氏はBの人物を大正天皇と考えておられますが、私が調べたところそうではないようです。どうも石垣純二氏は伏見宮家の血筋のようです。北白川智成は17歳で亡くなっているのですが、娘が1人居たようです。この女性がイギリス人男性と結婚し、彼らから生まれたのがBの男性ではないかと私は考えています。
(2015年12月、竹下さんの見解。現在も同じ。)
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この兄妹の兄が石垣純二氏。この石垣純二氏の実の娘が、後の瀧山澄子さん。
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一方、石垣純二氏の妹(石垣姓)はドイツ系日本人の大学教授と結婚して、二卵性双生児が生まれた。その二卵性双生児の兄が現在の明仁上皇、妹が瀧山治子氏。
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石垣純二氏には恋人がいて、二人の間には既に子供ができていた。
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石垣純二氏の恋人、二人の間の子の母は、昭和天皇の正室である香淳皇后良子様の姉妹。
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皇室関係のある大事件が起こり、石垣純二氏の恋人が昭和天皇の正室香淳皇后の替え玉として宮中に入る。石垣純二氏との間の子供(女子)は、香淳皇后の替え玉となった母が連れていき、昭和天皇が宮中で引き取る形に。
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この香淳皇后の姉妹の母とともに宮中に入った子供が瀧山澄子さん。そして瀧山澄子さんが滝山善一氏の実母。
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石垣純二氏の妻となったのが徳川慶喜の孫で、中田久松の娘である中田志げさん。この結婚の裏には大正天皇拉致・軟禁の一連の事件があった。
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石垣純二氏と妻となった中田志げさんとの間には子ができず、やがて離縁となり、中田志げさんは帰郷した。
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石垣純二氏と離縁した中田志げさんは、故郷の村の瀧山勇作氏と再婚した。勇作氏は西郷隆盛の孫。
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離縁・帰郷の際に中田志げさんは、昭和天皇が引き取っていた石垣純二氏と香淳皇后の姉妹の子、つまり後に瀧山澄子さんと名付けられる女子を皇室から連れ出して、帰っていった。
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中田志げさんが皇室から連れ出した女子は、瀧山勇作氏との間の子として戸籍に入り、その女子は瀧山澄子さんと名付けられた。二卵性双生児で明仁上皇の妹も瀧山勇作氏と中田志げさんの間の子として戸籍に入り、瀧山治子さんと名付けられた。
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瀧山澄子さんは、加賀前田家の直系の末裔である古川栄徳氏と結婚。二人の子として滝山善一氏が誕生した。
さて、出発と行きたいが、その前に上にある系図と基本情報2を照らし合わせ、よく読んでおいておくれ。
へい。
…ふーむ、…この基本情報2、これも滝山氏から提供された情報を整理したものでやすね?
で、上の系図と基本情報2のa.b.c.とにはズレが、見解・認識の相違があるようでやすね。
そう、系図は竹下さんが調べられた結果の図だね。
一方、基本情報2は滝山氏からの情報を整理したもので、滝山氏や瀧山澄子さん、そしてその周辺関係者の認識はこうだっただろう。
一方、基本情報2は滝山氏からの情報を整理したもので、滝山氏や瀧山澄子さん、そしてその周辺関係者の認識はこうだっただろう。
系図と基本情報2、この双方にはズレがあるが…、ただし、これは仕方ないだろう。
禁裡の中の性関係はもうなんて言おうか、シッチャカメッチャカで、本人も周囲も誰が誰の子なのか❓分からない状態のようだ。
無論、母親は誰との子かは分かってはいるが、そういうことは口が避けても言明しないだろうからね。事実と違っていても「こうだ。」と関係者が認識してしまえば、それがそれで通るようだね。
事実も大事だが、関係者がどう認識しているかも同様に大事だということだろうね。この認識で実際に現実が動いた。だからどんな認識だったかの情報は貴重だね。
そうでやすよね。
大正天皇と裕仁親王の血は繋がっていない。しかし大正天皇は裕仁親王を我が子と思い込んでいて、周囲もそういう認識だったわけでやすね❓
大正天皇と裕仁親王の血は繋がっていない。しかし大正天皇は裕仁親王を我が子と思い込んでいて、周囲もそういう認識だったわけでやすね❓
前回に関係するが、2015年12月の公開された情報によると、記憶を回復された大正天皇は帰城を希望するが、元の部下から「帰城すれば、子供の部下たちに殺されますよ」と諌められた。大正天皇は三日三晩泣きはらして「私の子が天皇になったのだからそれで良い」と悟られた、とある。
この2点が窺えるね。
ここから、
①大正天皇の元部下たちは、昭和天皇から大正天皇の殺害命令が出されていることを知っていた。
②大正天皇は昭和天皇を実の息子と思い込んでいた。
この2点が窺えるね。
富山の村に潜んで生活する分には命までは取らないが、帰城すれば命はない、ということでやすね。
それにしても誰が誰の子か、本当に分かっていなかったようでやすね。
皇室関係者、誰が誰の子か分からない…、こりゃなんともため息の出るような話ではありやすがね。石垣純二氏の父親 〜瀧山澄子さんと瀧山治子さんの血流
まぁ、そうではあるね。現代でも秋篠宮親王の父親は誰か❓と騒がれていたからね。
しかし、ま、そういったことはさて置いといて改めて出発としようか。系図などからいくつか洗い直し、確認が必要なことがあるからね。プライベートのことも絡むが、不明部分やなかなかに複雑な部分がいくつも潜んでいるんだね。
へい。出発としやしょう。
さて、で、一番の問題で確認が必要なのが、石垣純二氏の父親についてでやすね?
そうだね。
基本情報2のa.の通り大正天皇もそうだっただろうが、ご本人たちは石垣純二氏の父親が大正天皇と認識していた。
大正天皇と石垣姓の側室との間に兄妹が生まれ、その兄妹の兄を石垣純二氏と認識していたわけだ。
他方、竹下さんの調べでは、石垣純二氏の父親は北白川宮家智成親王の娘とイギリス人男性との間の男子だということだね。簡単には北白川宮家智成親王の孫(系図のB)と石垣姓の側室との間の子が石垣純二氏だということだね。大正天皇と石垣姓の側室との間に兄妹が生まれ、その兄妹の兄を石垣純二氏と認識していたわけだ。
ふーむ、基本情報2のように本人や周囲たちからは、石垣純二氏との兄妹で妹と認識されていた娘。
系図によれば、この娘こそが大正天皇の娘さんだったんでやすね。石垣純二氏の母親の石垣姓の側室と大正天皇との間の子でやすね。
そしてこの娘さんとドイツ人科学者との間に二卵性双生児が生まれたわけでやすね。
そうだね。
石垣純二氏の妹と認識されていてドイツ人科学者との間に二卵性双生児を生んだ娘さん、この女子と石垣純二氏は、事実としては、母親は同じでも父親は異なる異父兄妹だったということだろうね。
そして非常に重要なのが、この娘さんとドイツ人科学者との間に生まれた二卵性双生児。二卵性双生児の兄が明仁上皇、そして妹が瀧山治子さんだったということだね。
誕生翌年(1934年)に香淳皇后に抱かれる継宮明仁親王
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ふーむ。
てぇことは、明仁上皇は血筋から大正天皇のお孫さんでやすね。それが昭和天皇と香淳皇后の嫡男として宮中に入ったわけでやすね。
一方、同じく血筋は大正天皇の孫である妹の女子は瀧山家の養女に入り、瀧山澄子さんの妹、瀧山治子さんとして育てられたわけでやすね。
そういうことだね。
ただ、どういう経緯でそうなったかについては、よくわからないし、煩雑になるので今回は置いておこう。
へい。
ここまでが基本情報2のa.b.c.に該当するところでやすね。
ここまでが基本情報2のa.b.c.に該当するところでやすね。
次のd.e.f.、ここには2015年12月に公開された情報には含まれていない情報がありやすね。
そう。
石垣純二氏には恋人がいて、この二人の間には既に子供ができていた。その子が後に瀧山澄子と名付けられた女子だった。ここまでは情報は公開されていた。
公開されていなかった情報がe.で、-
石垣純二氏の恋人で二人の間の女子の母の女性は、香淳皇后と姉妹だったとのこと。年齢や、昭和天皇と香淳皇后の成婚等の色々の状況を見れば、妹だっただろう。
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そしてこの女性が香淳皇后の替え玉として皇室に、昭和天皇のもとに入った。
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その際に、石垣純二氏との間の女子(瀧山澄子さん)が一緒に同行して皇室内に入ったわけだね。
石垣純二氏と恋人との子である瀧山澄子さんが皇室にいたことは、ぼやかした形ではありやしたが、公開された情報にあったような気もしやす。
しかし、恋人の女性が香淳皇后の妹君で、香淳皇后の替え玉になって宮中に入ったというのは今回が初めての情報でやすね。
石垣氏との間に女子を得ていたその香淳皇后の多分妹君が、なぜ替え玉になったんで❓
そうだね。
そこは重要なところだが話が長くなってしまうので、なぜ替え玉になったか❓については日を改めることとしよう。
そこは重要なところだが話が長くなってしまうので、なぜ替え玉になったか❓については日を改めることとしよう。
政争の道具にする姿勢 〜実母と切り離されるということ
へい。
で、一方、子供とともに替え玉になって宮中に入った恋人と別離した石垣純二氏は、徳川慶喜の孫娘である中田志げさんと結婚されたんでやすね。ところが、石垣純二氏と志げさんの間には子供ができずに離縁となったわけでやすね。
大正天皇テロ・軟禁からの一連の経緯からすれば、中田志げさんが石垣純二氏とあっさり離縁したのは、少々不思議な感はしやすね。
そうだね。経緯を思えばね。
離縁は、多分替え玉の貞明皇后のお言葉からのもののようだが、まぁ離縁の要因はいくつもあるようで、その一つがいわゆる「性の不一致」のようだ。
まぁね。
ま、男女の相性、取り巻きのこと、色々あるものさ。プライベートがあるからこれ以上は…。
ま、男女の相性、取り巻きのこと、色々あるものさ。プライベートがあるからこれ以上は…。
そうだね。
ちなみに系図のA、瀧山勇作氏の父親の名は瀧山勇松氏とのことだよ。勇松氏が西郷隆盛の息子ということのようだ。
なるほど。
中田志げさんと瀧山勇作氏の再婚はいいんでやすが、気になるのが、
中田志げさんと瀧山勇作氏の再婚はいいんでやすが、気になるのが、
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中田志げさんが帰郷の際に、宮中から石垣純二氏と香淳皇后の妹君の女子、つまり瀧山澄子さんをなぜ連れた上で帰ったのか?
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香淳皇后の妹君たちは、中田志げさんのこの行動をなぜ許したのか?
ふむ。
中田志げさんが連れて行った女子は、中田志げさんと瀧山勇作氏の戸籍に入れられ、瀧山澄子と名付けられたのだから、その疑問は当然の疑問だね。
中田志げさんが連れて行った女子は、中田志げさんと瀧山勇作氏の戸籍に入れられ、瀧山澄子と名付けられたのだから、その疑問は当然の疑問だね。
ふむ、そうだね。
前提だが、中田志げさんは石垣純二氏との結婚生活をしていた時には宮中によくいて、香淳皇后の妹君とは仲が良かったようだよ。それでごく短期間ということで、信用していた中田志げさんと女子を宮中側は送り出したようだ。
前提だが、中田志げさんは石垣純二氏との結婚生活をしていた時には宮中によくいて、香淳皇后の妹君とは仲が良かったようだよ。それでごく短期間ということで、信用していた中田志げさんと女子を宮中側は送り出したようだ。
ふーむ、でも、いってぇなぜ富山の村に女子を?
大正天皇に孫(と認識されていた)の女子の顔を見せるつもりで、皇后や香淳皇后の妹君は中田志げさんに女子を託したようだ。すぐに帰されるとしてね。
ふーむ、なるほど。
ところが、村の中に一旦女子が入り込むと、徳川(中田)側が女子を手放さなかったわけでやすね。
確か公開された2015年情報には徳川(中田)側は、宮中からの女子の帰還の要請に、これまた女子の替え玉の子を送り込んだとありやしたね。
確か公開された2015年情報には徳川(中田)側は、宮中からの女子の帰還の要請に、これまた女子の替え玉の子を送り込んだとありやしたね。
そのようだね。
徳川(中田)家は天皇家と交渉していくツールなどの意味として女子を取り込み、中田志げさんと瀧山勇作氏との子として戸籍を作ったようだね。
…それにしても、幼くして実の母と離れ離れにさせられた女子、後の瀧山澄子さんの心情を思うとね…。
へい。どれほど悲しく辛かったか…、察するにあまりがありやすね。
瀧山澄子さんの実父である石垣純二氏は、大変な富豪でもあったようだ。それで、石垣純二氏からは娘の瀧山澄子さんのため、多くの援助が向けられたようだ。
瀧山家を含む徳川(中田)側にも色々な事情が生じてはいたようだが、その事情を差し引いたとしても、幼い子供を利用するのは許容できないね。
しかし実際には、瀧山澄子さん自身にはほとんど届かなかったようでもあるね。
いずれにしても、幼い子供を政争の道具にするのはあまりにも残酷ではあるね。瀧山家を含む徳川(中田)側にも色々な事情が生じてはいたようだが、その事情を差し引いたとしても、幼い子供を利用するのは許容できないね。
そしてバイデン、彼だけではなく、オバマやヒラリー・クリントンなど支配層の代表者には、幾人ものクローンを含めた「替え玉」が存在していることが知られています。
「替え玉」が複数いるという意味、これにはケースバイケースの微妙な部分もあったりはしますが、基本的には「替え玉」の用意された人物は取り替え可能の人物だということになるでしょう。
取り替えが可能だということは、一人の人間として人物そのものが認められていると言うよりは「道具」として扱われているわけです。地位、財産、名誉、権勢などを維持したり、拡大するため利用される道具です。オンリーワンの存在、誰とも何とも代わりが効かない“たった一人”の存在としては見られていないのです。
端的には「命か金か」という言い方では、支配者たちは、一人の存在を「命」の視点で見るのではなく、「金(道具)」のフィルターを通してしか見ていないことになります。
これは他国や現代だけではなく、日本の皇室関係や支配層にも一貫していた姿勢だったことが分かります。「替え玉」が次々に登場してくるからそれが分るのです。彼らの世界、地位や財産や名誉や権勢は盛んであったとしても、悲しみに満ちた世界だったでしょう。