ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第29話 ― 日本の秘密研究

 昭和三〇年台に発表され大人気となったのが、横山光輝氏作の「鉄人28号」でした。ストーリーでは、太平洋戦争末期に大日本帝国陸軍が起死回生の秘密兵器として開発していた巨大ロボットが「鉄人28号」です。これは横山氏の単なる空想の産物ではなく、現実に進めらていた事実に基づいて描かれ、作られていった作品だと思えます。
 「陸軍登戸研究所」のウィキペディア記事では、「研究・開発された兵器」の欄に次のものがあげられています。
原子爆弾、生物兵器、化学兵器、特攻兵器、謀略兵器、風船爆弾、缶詰爆弾、怪力光線、殺人光線、電気投擲砲。
漫画の世界の兵器のように思えるものが並んでいます。鉄人ロボットの構想があったとしても何らの不思議もないのです。
 そして戦争で実際に使用された兵器もあります。「生物兵器、化学兵器、特攻兵器、風船爆弾」は実際に使用されています。日本は被爆国ですが、逆に原爆使用国になる可能性も実はありました。
 秘密研究の兵器開発が行われていたのは、日本の内地よりむしろ満洲などでした。現在の地上世界においても「電磁波兵器」は最先端の兵器に分類されるでしょうが、当時の満洲で既に電磁波兵器の研究もされていたのです。
 日本の秘密研究の背後には、やはり秘密の宇宙プログラムの影が見え隠れもしています。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第29話 ― 日本の秘密研究

ナチス科学者と共同研究した日本人科学者


神坂新太郎(こうさかしんたろう)という異色の科学者がいました。神坂新太郎氏は2007年に死去されていますが、彼がなぜ異色の科学者なのか?について。

神坂氏は自身を石ころの「コロ」と自称されていて、常識や学問的権威また学閥などから全く離れた独自の研究からのユニークな作品を次々に発表されていたからです。

日本の科学者はほぼ全てが学閥の権威付の中に組み込まれおり、その彼らには、彼らだけの世界の常識や権威の範疇でしか物事を見ない傾向を非常に強く感じます。

これは医学界も同様であり、これでは自立した自由で独自の研究成果は出てこようがないのです。日本の閉塞した学閥の中では、独自の成果などは黙殺・抹消されることになるのです。神坂氏はこのような閉塞した世界を逸脱していて、最晩年期においても正直で好奇心旺盛で少年のような天真爛漫さを見せられていました。


神坂氏は晩年期において講演活動をされて、その動画配信がありました。その中に最晩年期になりますが、巨大UFOに搭乗したこと、そしてそこでアルザル人(地底人)と接触し、また第2次世界大戦時に神坂氏と共同研究に従事し、既に死んでいたはずのドイツ人科学者と再会したことを語られているものがありました。

神坂新太郎氏

第2次世界大戦時の神坂氏ですが、1919(大正8)年1月生まれの神坂氏は、満洲で「満洲の夜の帝王」甘粕正彦の甘粕機関の下で、ドイツのラインホルト博士と共同で種々の研究をされていたようです。『るいネット』の「満州で進められた日本の秘密兵器開発」記事には以下の記述があります。

戦前、すでに開発されていた秘密兵器に「電磁波兵器」があります。敵のレーダーを使用不能にすることを目的に、甘粕機関下の神坂新太郎博士とドイツのラインホルト博士が満州で共同開発していました。戦後も国内でさらなる開発が進められ、現在は「HAARP(統合地球物理学兵器)」と呼ばれ、世界に7か所、日本にも滋賀、長野、青森に施設が置かれています。

神坂氏と共同の研究を行っていたラインホルト博士とは「ラインホルト・シュルツェ」のようです。

1938年に来日した「ヒトラーユーゲント」の団長

神坂氏が最晩年に巨大UFOに搭乗した際に再会した死んでいたはずのドイツ人科学者がラインホルト博士で、実は生存していたのです。

神坂氏のウィキペディア記事では、神坂氏とラインホルト博士の二人が研究していたのはプラズマ研究としていました。これはUFO技術に直結し、「ポータル」にも深く関連がありそうです。

更にこれは私の記憶でしかありませんが、確か神坂氏は講演の中で、第2次世界大戦中に地底世界のアルザルに、そして火星にも行っていたと語られていたはずです。この内容はラインホルト博士とのプラズマ研究の中での出来事であったと思われます。


秘密の宇宙プログラムと日本の関わり


ナチス・ドイツは敗戦前に、本当に優秀・有望な科学者そして優秀な軍人たち地下を潜らせ、秘密の宇宙プログラムを進展させていました。

✒ 2:52〜3:37:ナチスのベル型円盤ディグロッケ(DIE GLOCKE)のテスト飛行の様子。開発責任者はハンス・カムラー。

軍人関係ではナチスの軍事諜報機関のトップであったヴィルヘルム・フランツ・カナリスは、ヒトラー暗殺クーデターを計画したとして1945年4月に処刑されたことになっています。しかし、実際にはカナリスは生き残っていて、ナチスの第2代総統となっているのです。つまり、カナリスは処刑という形で死を偽装して地下に潜ったのです。

ヴィルヘルム・カナリス
Wikimedia_Commons [Public Domain]

また、V2ロケットそしてUFO開発もそうでしょうが、ナチスの秘密兵器製造の責任者であったハンス・カムラーSS大将も、公式記録では1945年5月に服毒自殺したことになっていますが、これも事実かは判然とせず、行方不明というのが妥当なところで、実際にはハンス・カムラーSS大将も自殺を偽装し、地下に潜ったのでしょう。

ハンス・カムラー

神坂氏によると、ラインホルト博士はドイツもしくは日本の敗戦時に自殺、ところが、2006年時点で生存していてUFO内で再会したとのことですから、自殺は偽装で、ラインホルト博士もまた優秀・有望な科学者として地下に潜ったナチス科学者の具体例の一人となるでしょう。


さて、神坂氏と後に地下に潜るナチスの優秀な科学者が満洲で共同研究を行ったということは、重要な事実を示してもいます。秘密の宇宙プログラムに日本の科学者も関わっていたということです。

秘密の宇宙プログラムを進展させたのはドイツでした。しかし秘密の宇宙プログラムに関与したのはドイツだけではなく、特に第2次世界大戦後に秘密の宇宙プログラムに最も深く関連してくるのが、国で言えばドイツからペーパークリップ作戦で科学者たちを連行した米国となるでしょう。

そして、戦中にドイツと同盟国であった日本の科学者も、ごく少数でしょうが秘密の宇宙プログラムに関与していたということです。ただし、日本が秘密の宇宙プログラムに関与していた、これはある意味当然とも言えるでしょう。

地上世界で秘密の宇宙プログラムが本格的に進展していくこととなった発端は、ヒトラーの師匠であるカール・ハウスホーファーにホワイト・ロッジとブラック・ロッジ双方の地底人(宇宙人)グループが接触してきたところからです。

このハウスホーファーは緑龍会に所属していたのです。緑龍会の首領は実際にドイツの奥深くに赴いていて、地底人グループとも接触していた模様です。日本が秘密の宇宙プログラムに無関係なはずがないのです。


更には、「失われた十支族」の一部のグループは、地底人世界の中に受け入れられていました。この地底人世界はホワイト・ロッジとブラック・ロッジ両方の世界です。

「失われた十支族」の一部が地底人世界に存在している一方で、前回に触れたように「失われた十支族」のグループが日本に集結していたのです。そもそも八咫烏は古代イスラエルの末裔です。八咫烏に地底人となっていた「失われた十支族」が接触していたと見るのは自然でしょう。

失われたイスラエル十支族の移住先
地下 ホワイト・ロッジ側(アガルタ, etc. )
ブラック・ロッジ側
地上 日本(八咫烏)、チベット(ラマ僧グループ), etc.

さらにもう一点、コブラの「地球開放年表」には「戦後、数十万トンの山下金塊が注ぎ込まれ、地下で大規模の軍事基地システムが構築」と秘密の宇宙プログラムのために「山下財宝」が使用されていたとあります。ここにも当然ながら八咫烏の絡みがあるはずなのです。


ヒロシマ・ナガサキの原爆の製造元


超科学技術を有する地底人グループと八咫烏(日本側)との絡み、これはあったと見るのが自然なのですが、このことが日本の秘密研究による兵器開発にいかほどの影響を与えていたかは、資料が残っているはずもないので何とも言い切れません。

ただし、日本における秘密研究による兵器開発に関しては、二点のことは明確に指摘できるでしょう。

一点目、日本の秘密研究は環境として日本内地より満洲の地のほうが格段にやりやすかったこと。

これは七三一部隊のことを考慮すれば明らかでしょう。善悪は別として、七三一部隊の行った秘密研究は、日本内地ではとてもできることではなく、満洲だから可能だったのは明らかでしょう。環境面では幾つかありますが、最大のものは満洲では「通貨発行権」が自在に行使できたところ、となるでしょう。特に甘粕機関の下での秘密研究ならば、甘粕機関にはアヘン売買による潤沢な資金があり、神坂氏とナチスのラインホルト博士がプラズマ研究という秘密研究にあたることができたのも頷けます。

日本の秘密研究兵器に関する二点目です。当時の超兵器となると核爆弾になるでしょうが、実のところ、意外にも日本は核技術に関しては世界に先行した水準にあったようなのです。

原子爆弾を世界で最初に開発したのは米国の「マンハッタン計画」によってであり、こうやって製造された米国製原子爆弾がヒロシマ・ナガサキに投下された。これが定説となっています。しかし、この定説には事実に沿わない部分が大きくあるようなのです。

日本での原子力研究では、「理研」の仁科教授たちによって作成されたサイクトロンが有名です。しかし、日本の原子力研究はここが始まりでなく、その前があったのでした。先に紹介した「満州で進められた日本の秘密兵器開発」記事には以下の記述があります。

遡る1924年に東大の長岡半太郎博士、1934年には東北大の彦坂忠義博士によって、世界で初めて「原爆の原理」が発明されていました。

日本の原爆研究は世界に先駆けていたようなのです。

しかし記事によると、原爆開発は昭和天皇の反対でストップがかけられたとし、その後については以下のようになった模様と記されています。そして記された内容はどうも事実のようです。

  • 日本の原爆開発技術はドイツに移譲され、ドイツが世界最初の原子力爆弾を製造。
  • ドイツ製原爆はロンメル将軍によって米国に渡された。
  • 米国に渡されたドイツ製原爆がヒロシマ・ナガサキに投下された。

Wikimedia_Commons [Public Domain]


Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

これまでのseiryuu氏の寄稿記事はこちら


Comments are closed.