ベンズアルデヒドを調べ始めた読者さんは、ついにベンズアルデヒド抗がん剤を研究開発された故・東風睦之博士の夫人、東風斡子氏の著作にたどり着かれました。そこには、ベンズアルデヒド抗がん剤が受けた社会的迫害の事実と、東風博士の多くの人を救いたいという熱意を継ぐ思いが記されていました。その思いに突き動かされ、読者さんが著書の要点をまとめて下さいました。
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40年ほど前に厚生省(現・厚生労働省)に追放された、東風睦之博士の開発した「ベンズアルデヒド抗がん剤」は副作用がなく、安価で、広範のがんに効く! びわの粉末に関し、令和3年1月に更新されたのは何故? -その2-
(前回からの続きです)
要約させて頂きます。
東風睦之博士は、細菌学者だけあって、いつもポケットにはアルコール綿入りの小ケースを携帯。金銭についても徹底した潔癖主義で開業後も、入院費、治療費以外、患者からお礼などは一円たりとも受け取らなかったそうです。昭和29年(1954年)当時は、まだ結核が蔓延していて東風氏の病院も満床でした。
それから数年後、東風博士は毎日聖書を読むようになり、この聖書がきっかけになって、ベンズアルデヒド抗がん剤が生まれたのだそうです。旧約聖書の列王記下20章が、ふと目に留まり、「ヒゼキヤ王が死ぬほどの腫物の病に罹り、苦しんでいて、神様に祈ると『干しいちじくを腫物に塗りなさい』と告げられ、そのようにして癒された」という一説があり、東風博士は死ぬほどの腫物とはガンに違いない、そして「いちじく」にはそのガンを治す力があるに違いないと信じ、早速研究を始めたのだそうです。
いちじくの白い液を注射器に吸い取って集め、薄めて有効物質を抽出、それを繰り返し濾過したのち、腹水がんのハツカネズミで実験しました。しかし、どうしても毒性が除去できず失敗に終わりました。
それでも、東風博士と斡子夫人はお二人でさらに涙ぐましい大変な努力を重ね有効成分を抽出し、その有効物質を腹水ガンのハツカネズミに注射したところ、一週間から10日で腹水ガンの細胞は死滅したそうです。
思わず「バンザーイ!」と叫び、聖書を賛美、神に感謝していた様子が思い出されますと懐古されています。当時5歳だったお娘さん(長女斎藤潤医師)は、犠牲になったたくさんのハツカネズミを「かわいそうに」「ごめんなさいね」「どうもありがとう」と言いながら、庭にお墓を作って毎日拝んでいたと回想しています。
聖書がきっかけになって生まれたベンズアルデヒド抗がん剤
要約させて頂きます。
私は現在90歳過ぎです。若い頃は歯科医師をしており、みずからクリニックを開業していましたが結婚後は、病院の院長であり夫でもある医師の助手として、はじめは結核患者を、その後はずっとがん患者を支えてきました。その医師というのが東風睦之(こちむつゆき)です。
40年ほど前ベンズアルデヒドを開発した人物で、ベンズアルデヒド抗がん剤は広範ながんに効果を発揮し、副作用なく、しかも安価なのに、国は何の説明もなく、突然、この抗がん剤の認可を中止してしまったのです。そこで読者の皆様には、ぜひ本書を読んでいただき、ベンズアルデヒド抗がん剤承認のご協力をお願いしたいのです。(文中より)
40年ほど前ベンズアルデヒドを開発した人物で、ベンズアルデヒド抗がん剤は広範ながんに効果を発揮し、副作用なく、しかも安価なのに、国は何の説明もなく、突然、この抗がん剤の認可を中止してしまったのです。そこで読者の皆様には、ぜひ本書を読んでいただき、ベンズアルデヒド抗がん剤承認のご協力をお願いしたいのです。(文中より)
東風睦之博士は、細菌学者だけあって、いつもポケットにはアルコール綿入りの小ケースを携帯。金銭についても徹底した潔癖主義で開業後も、入院費、治療費以外、患者からお礼などは一円たりとも受け取らなかったそうです。昭和29年(1954年)当時は、まだ結核が蔓延していて東風氏の病院も満床でした。
それから数年後、東風博士は毎日聖書を読むようになり、この聖書がきっかけになって、ベンズアルデヒド抗がん剤が生まれたのだそうです。旧約聖書の列王記下20章が、ふと目に留まり、「ヒゼキヤ王が死ぬほどの腫物の病に罹り、苦しんでいて、神様に祈ると『干しいちじくを腫物に塗りなさい』と告げられ、そのようにして癒された」という一説があり、東風博士は死ぬほどの腫物とはガンに違いない、そして「いちじく」にはそのガンを治す力があるに違いないと信じ、早速研究を始めたのだそうです。
いちじくの白い液を注射器に吸い取って集め、薄めて有効物質を抽出、それを繰り返し濾過したのち、腹水がんのハツカネズミで実験しました。しかし、どうしても毒性が除去できず失敗に終わりました。
それでも、東風博士と斡子夫人はお二人でさらに涙ぐましい大変な努力を重ね有効成分を抽出し、その有効物質を腹水ガンのハツカネズミに注射したところ、一週間から10日で腹水ガンの細胞は死滅したそうです。
思わず「バンザーイ!」と叫び、聖書を賛美、神に感謝していた様子が思い出されますと懐古されています。当時5歳だったお娘さん(長女斎藤潤医師)は、犠牲になったたくさんのハツカネズミを「かわいそうに」「ごめんなさいね」「どうもありがとう」と言いながら、庭にお墓を作って毎日拝んでいたと回想しています。
1969年(昭和44年)ついに抗がん物質製造法の特許を取得
東風博士はその物質5㏄を注射器に詰め、副作用がないことを確かめるため、自ら人体実験1号となりました。歯科医師の斡子夫人が東風博士の顔色を見ながら注射をし、注射液が静脈に入り終わるまで、生きた心地がしなかったと言っています。みずからの命をかけて「がん」という現代の難病と闘っている、そう思うと、いちじくが抗がん剤になることを心から願ったそうです。幸い注射の結果、何ら副作用がないことが分かり、がん患者に治療ができる、と自信を持たれたそうです。
結核が恐ろしい病気ではなくなり、患者さんも減ってきたので東風博士は1970年(昭和45年)に結核病院を閉鎖し、翌1971年(昭和46年)にがん療養センターを開設。しかし千葉県の友納知事より「がん療養センター」という名前が、国立のように聞こえるから改名するよう要請され、現在の名前(一条会病院)に改名。
一般病院の経営が始まり2か月ほどしたころ、何処から聞いてきたのか、突然ある男性に「父親のがんを治療してください」と懇願され、診断書も何も持っていませんでしたが、半開きの口元から、舌がんと見て取れ、直接治療経過を目で見られる機会だと、治療を承諾しました。
真っ赤に腫れ、デコボコになってまるで噴火口のように恐ろしい状態だった舌も、十日が過ぎるとなだらかになり、1か月を過ぎると初診時の面影はなく、舌は滑らかになり、副作用は全くなく、その結果を見て、東風博士はいちじくから抽出した抗がん物質の本体の研究を急がなければならないと思われたそうです。
お子様の友達のお父様が理化学研究所に勤務されていることを知り、それまでの10年間のがん治療薬についての実験研究経過を説明し、その時入院していた舌ガンの患者の入院時からの経過写真を見ていただいたところ大変驚き、興奮され、早速、当時理化学研究所の所長だった星野氏に研究を申し入れたところ、すぐに承諾されました。
植物化学研究室を中心に、他の研究室も協力し、病院からも薬剤師の派遣が許可され、抗がん物質の探求が開始。丁度その頃「高速液体クロマトグラフィー装置」が開発され、いちじくからの揮発性物質の本体は「ベンズアルデヒド」であることが、竹内節男主任によって同定されました。
翌1972年(昭和47年)、科研製薬株式会社(財団法人・理化学研究所から改組されて発足した製薬会社)から協力の申し入れがあり、その協力を受け入れ動物実験を開始。その後、薬品としての実験、試験をすべて終了し、ついに製品化されました。
- CDBA:「内服薬」―ベンズアルデヒドサイクロデキストリンで包摂した腸溶錠(三菱化成・坂口健二氏の協力)
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BG :「静注薬」―ベンズアルデヒドにブドウ糖を加えた誘導体4.6ベンジリデングルコース(BG静注薬は、ブドウ糖が生理食塩水に難溶のため、あらかじめ100㏄の瓶に120mgベンズアルデヒドを入れて凍結乾燥して製品にしている。)
- 座薬 :ベンズアルデヒド60mg含有
(次回に続く)