ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝60 ― 犯罪シンジケートの継承者 〜 アイゼンベルグ2

 ショール・アイゼンベルグが1968年にイスラエル・コーポレーションを設立したことはやはり重要であり、それを巡る『ユダヤの告白』以外の情報があります。マイケル・C・パイパー著『ケネディとユダヤの秘密戦争』という図書があり、p200に、
シオニスト運動に共鳴したフランスの貴族エドモン・ド・ロスチャイルド男爵の助けを借りて、ローゼンバウムは「イスラエル・コーポレーション」を設立した。この団体の役割は世界中のユダヤ人から資金を集めてイスラエルのさまざまな国営・半国営事業に投資することだった。
とあります。ここの記述は事実と見て間違いがなく、これで2点の見えてくる事柄があります。
 先ずは1点目は、ショール・アイゼンベルグのイスラエルでの事業のパートナーがローゼンバウム[タイバー(ティボー)・ローゼンバウム]だったことです。彼はユダヤ教ラビであり銀行家であり、イスラエル・コーポレーションの金融を担当したのです。
 2点目はイスラエル・コーポレーションの設立者たち、つまりショール・アイゼンベルグ、ローゼンバウム、ランスキーの犯罪シンジケートのシオニストメンバーたち、彼らのバックには、やはりロスチャイルドがいたということです。
 また、アイゼンベルグを追っていくとそのバックにはロスチャイルドもありますが、英国、ソ連、全米犯罪シンジケート、裏天皇グループと複雑に絡み合うスパイ網が見えてきます。スパイ網は敵と味方、所属がどこか?と複雑ですが、スパイ網を概ね束ねていたのは英国情報機関であり、英国情報機関がアイゼンベルグのバックにあったのも明らかです。
 そして複雑なスパイ網ですが、裏天皇グループも古代イスラエルの末裔だと考慮すれば、スパイ網のそれぞれを掌握していたのは“いわゆるユダヤ人”の確率が非常に高いのも事実です。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝60 ― 犯罪シンジケートの継承者 〜 アイゼンベルグ2

上海に向かったアイゼンベルグ


1938年11月9~10日の夜に、ドイツ全土のユダヤ人を襲った迫害(ポグロム)を「水晶の夜」といいます。1921年にミュンヘンに生まれたショール・アイゼンベルグがナチス下のドイツを出国したのは、この「水晶の夜」のあった後の1938年から1939年にかけてであり、スイスからの脱出だったようです。

『ユダヤの告白』第5章によると、1938年以降にドイツから脱出できたユダヤ人はほぼ皆無だったということで、これはその通りでしょうが、その上でそのような状況下でショール・アイゼンベルグと同様に、1938年以降にドイツを脱出したユダヤ人がヘンリー・キッシンジャーだったと指摘し、次のように記述しています。「不可解」との記述に同感です。

アイゼンバーグとキッシンジャーの両者について言えるのは、二人のナチス・ドイツから脱出した経緯、そして後に情報合戦の国際舞台で大きな役割を果たすようになったことを考え併せるとき、もともといかなる基盤もなかったところからどうしてかかる権力者の地位にまで上りつめることができたのかが、不可解だということである。ところでキッシンジャーは大々的に名前が売れ、世間の脚光を一身に浴びているのに対し、アイゼンバーグの方は全くその逆である。

さて、『AERA dot.』にNissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)という人物のショール・アイゼンベルグを紹介する記事が掲載されています。そういった情報も参考にすると、1940年にアイゼンベルグは上海に向かい滞在していた模様です。阿片売買の上海ネットワークの本拠地です。


この時分は既に阿片王と称された里見甫は上海に里見機関を設立していて、莫大な阿片による収益をあげていました。もちろんここに全米犯罪シンジケートも深く絡んでいたはずです。

そして外伝58で見たように、ヘンリー・メイコウ氏によれば、全米犯罪シンジケートのシオニストは裏天皇グループに対して、阿片事業だけではなく、軍事からイスラエル建国、そして世界再編を見越したような同盟関係を強めつつあったとのことでした。

ともあれ、1940年に上海に滞在していたアイゼンベルグでしたが、同年には早くも日本に向かい移住したのでした。『ユダヤの告白』では、

(筆者註:リヒャルト・ゾルゲ)は日本国内での活動のために人脈を作り、要員を徴募し、訓練を行っていた。その人脈の中にショール・アイゼンバーグも含まれていたと思われる。

と、アイゼンベルグは、ドイツとソ連の二重スパイで、昭和天皇と西園寺公一の兄弟からの日本の機密情報を流していたリヒャルト・ゾルゲ、彼と共に日本に潜入したとの見方を示しています。

上海阿片ネットワークの上海はもとより、英国、ソ連、全米犯罪シンジケート、裏天皇グループと複雑に絡み合うスパイ網の集約地でしたが、アイゼンベルグはそういったスパイ人脈に元々から繋がっていた特異な家庭の人物だったと見るのが自然に思えます。


永野重雄との深い縁


来日移住したアイゼンベルグについて『ユダヤの告白』では以下のように記しています。

1940年に来日した彼は、日本財界の大物の一人である永野重雄氏と出会う。永野氏は新日本製鉄の創始者で、戦後における日本経済の復興を指導した人物である。
戦時中アイゼンベルグが何を行っていたかについての記録はないし、彼もそれを明らかにすることを拒んでいる。だが終戦直後、永野氏との関係を通じてアイゼンバーグは、当時の日本で大手としては唯一の金属と武器のスクラップ会社を設立した。

来日早々にアイゼンベルグが出会ったとされる永野重雄氏とは、八咫烏直属の五龍会の一つ黒龍会の第二代目総裁でした。元々裏天皇グループとの人脈が形成されていなければ、来日早々の外国人が、裏天皇グループのトップの一角の人物に出会えるはずもありません。

アイゼンベルグは日本国籍を有していました。それというのも、アイゼンベルグは1941年に日本国籍の女性と結婚しているのです。その女性の名は信子、信子は『日本プロファイル研究所』には「永野重雄の長女?」とされています。

Nissim Otmazginの記事では、信子・アイゼンベルグは日本在住のオーストリア人と日本人女性との間の娘となっています。どちらの情報が正確なのか不明です。ただいずれにしても、アイゼンベルグと永野重雄氏が非常に密接な関係にあったのは間違いのないところです。


戦後すぐにアイゼンベルグが設立した「当時の日本で大手としては唯一の金属と武器のスクラップ会社」はアイゼンベルグ商会でしょう。『日本プロファイル研究所』の「アイゼンベルグ商会」記事によれば次のようになっています。

(株)アイゼンベルグ商会
東京都中央区八重洲1-8-17 新槇町ビルヂング
1947年12月11日-設立
2005年9月30日-株主総会の決議により解散
2008年1月28日-清算結了

1947年末に設立されたアイゼンベルグ商会は、その後に急拡大していきますが、その様子を『ユダヤの告白』は、次のように記しています。

彼が一大事業集団を築き上げることになった手初めの大プロジェクトは、オーストラリアとフィリピンから鉄鉱石を買付け、それを日本の鉄鋼メーカー、とりわけ新日本製鉄の前身である八幡製鉄に売るというものだった。

アイゼンベルグが事業を起こし、更にそれを急拡大するもとにあったのは、新日本製鉄の創始者となる永野重雄氏があったわけです。

しかし、それだけではなく『ユダヤの告白』では、GHQ統治下の日本では日本人が事業を起こすのは禁じられていたのにも関わらず、アイゼンベルグだけはその自由が認められていたことも指摘しています。そして、アイゼンベルグは事業拡大と共に「日本国内での政治権力をも手にするようになった」とも。


アイゼンベルグのパートナー


アイゼンベルグは、日本から世界を股にかけた軍事部門を中心としたビジネスを展開し、やがて1968年にはイスラエル・コーポレーションを設立するのですが、それのもとをも『ユダヤの告白』は、次のように記しています。

アイゼンバーグが一躍世界的なビジネス・コネクションを手に入れるきっかけとなったのは、イギリス政府が同国の国有会社であるインぺリアル・ケミカル・インダストリーズ(ICI)の日本での代表者として彼を指名したことだった。
イギリスの大手国有企業の例にもれず、ICIもイギリス情報機関の秘密工作やスパイ活動に利用された。

アイゼンベルグが英国国有会社ICIの日本での代表者として指名されたこの事実は、アイゼンベルグのバックには英国情報機関があったことを示します。つまりは、GHQからも特別扱いもされていたアイゼンベルグは、裏天皇グループ、全米犯罪シンジケート、ADL、それに英国情報機関とも共にビジネス展開をしていたことも示します。彼がいかに特異な存在であったかも表してもいます。

そして、アイゼンベルグのバックに英国情報機関があったことからも、アイゼンベルグは少なくとも、モサドの設立に関与したモサドの最高幹部であったことは間違いがないでしょう。

1999年版の『300人委員会』のp424に「300人委員会系統図」があります。そこにはイギリス情報部から下にCIA、モサド、そのほかの国の情報部と示されています。CIAもモサドも英国情報部から作られているのです。

300人委員会系統図
ジョン・コールマン著 『300人委員会』より抜粋

さて、アイゼンベルグが設立したイスラエル・コーポレーションに関して重要な人物が2名います。一人はADL最高幹部でアイゼンベルグと共に資金洗浄していたとされるフィリップ・クラツニック。もう一人はタイバー(ティボー)・ローゼンバウムで、『ユダヤの告白』第10章では、次のように記されています。

イスラエル・コーポレーションの銀行取引の面倒を見たのは、他ならぬタイバー・ローゼンバ-ムだった。彼はスイスを本拠とする国際信用銀行の頭取であり、かつてモサドの出先機関の責任者だった人物である。

ティボー・ローゼンバウム

また『オルタナティブ通信』では、ローゼンバウムについて以下のような記述をしており、事実と見受けられます。

  • イスラエル最大の軍事産業アイゼンベルグの金融部門である、ローズ・コーポレーション
  • イスラエルのアイゼンベルグ=ローズ社
  • ローズ社は、イスラエルのあらゆる企業の創立に資金を与えた「株式会社イスラエル銀行」とも呼ばれ、その経営者である戦争マフィア=ティボー・ローゼンバウム...(以下略)


Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

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