ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第46話 ― 朝鮮戦争

 現在も休戦中であって正式には終結していないのが、1950年6月の北朝鮮の侵攻によって始まった朝鮮戦争です。この戦争で実際に激しい戦闘が繰り広げられたのは、1950年から1953年の3年間です。北朝鮮と韓国が38度線を境界にして分断建国されたのが1948年、分断国家の建国の間もない朝鮮半島は戦争で荒廃し、多数の人民が犠牲になりました。該当のウィキペディア記事では「最終的な民間人の死者数は200万人といわれ、全体で400万人〜500万人の犠牲者が出たという説もある」としています。
 朝鮮戦争は東西対立の文脈で語られ、戦闘の主力は“東側”が北朝鮮軍と共産中国軍、“西側”が韓国軍と米軍であり、双方の激しい戦闘がありました。ただし、現在も休戦中であることから分るとおりに、この朝鮮戦争の勝者は存在しません。数百万人という多数の民間人犠牲があった上に、軍隊で言っても北朝鮮と共産中国、そして韓国と米国、そのそれぞれが深いダメージを負ったのが戦闘の事実です。形として表層では、勝者そして利益を得たものが見えない戦争が朝鮮戦争で、これでは一体この戦争は、具体的には何を目的に始められたのかが不明な戦争でもあるのです。
 具体的部分では大きなダメージと犠牲だけが見えるこの戦争、しかしその中で副次的と言うべきか、唯一具象として利益を受けたと言えるのが日本でした。戦後、文字通り食うにも困る貧困に喘いでいた日本は、戦争による特需(朝鮮特需)をもとに戦後復興と経済成長を遂げていくのです。朝鮮戦争開始の1950年6月のわずか数カ月後、「朝鮮特需のおかげで、1950年10月、日本の鉱工業生産は戦前を上まわるようになります」(『戦後史の正体』p107)と指摘されるように。
 具体的な目的不明の朝鮮戦争を見直すことで、背後の権力の思惑や戦後の大まかな流れが少し垣間見えてきます。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第46話 ― 朝鮮戦争


朝鮮戦争で日本は経済成長に


1945年8月の敗戦から1952年4月の建前上の日本独立までの7年間、GHQによる日本統治が続きました。戦後間もない日本では、多くの餓死者が続出したほどの徹底的な貧困ぶりでした。私の寺の過去帳の記録でも、戦時中の死者数より終戦時からしばらくの期間の死者数のほうがずっと多いのです。

「ボクタチハ ワタシタチハ オナカガペコペコデス」のプラカードを掲げて食糧メーデーに参加した小学生たち。
Wikimedia Commons [Public Domain]

その死者の多くが病死でしょうが、この病死の実態としては栄養失調と不衛生で劣悪な環境が原因だったでしょう。当時の日本では、政府配給の食料のみでは餓死してしまうため、田舎の農家への買い出しや闇市などで何とか食料調達…

このような貧困を極めた日本が、復興の歩みを豊かさへの軌跡を描きかけるもとになったのが1950年に始まった朝鮮戦争でした。日本では1950年代半ば頃には国民所得が第2次世界大戦前の水準に回復したようで、朝鮮戦争による戦争特需(朝鮮特需)が日本の戦後復興、そして経済成長の端緒になり、やがて日本は経済大国へと成長していったのでした。

このような作用を日本にもたらした朝鮮戦争ですが、ウィキペディアの該当記事には朝鮮戦争の開始については以下の記述があります。

1950年6月25日にソ連のヨシフ・スターリン書記長の同意と支援を取り付けた金日成首相率いる北朝鮮が事実上の国境線と化していた38度線を越えて韓国に侵略戦争を仕掛け(国際政治史を専門とする五百旗頭真も奇襲と呼ぶ)勃発した。分断国家朝鮮の両当事国、北朝鮮と韓国のみならず、東西冷戦の文脈の中で西側自由主義陣営諸国を中心とした国連軍と東側社会主義陣営諸国の支援を受ける中国人民志願軍が交戦勢力として参戦し、3年間に及ぶ戦争は朝鮮半島全土を戦場と化して荒廃させた。1953年7月27日に国連軍と中朝連合軍は朝鮮戦争休戦協定に署名し休戦に至ったが、北緯38度線付近の休戦時の前線が軍事境界線として認識され、南北二国の分断状態が続くこととなった。

朝鮮戦争は1950年に北朝鮮軍が38度線を超えて南下侵攻することで勃発、1953年に38度線を再度軍事境界線とすることで休戦に至っています。北朝鮮はソ連のスターリンの同意と支援を取り付け軍事作戦を開始し、北朝鮮には東側社会主義陣営諸国が支援、一方の当事国である韓国には、米国を中心とした西側自由主義陣営諸国が支援。このように朝鮮戦争は東西冷戦の中での戦争と位置付けされています。

1950年から1953年の戦闘中、実際に主に交戦したのは北朝鮮軍・中国人民志願軍 vs. 韓国軍・米軍という構図でした。ソウルを占拠し更に南下する北朝鮮に対して、米軍を率いて反転攻勢に出て逆に北上し平壌まで占拠したのがGHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーでした。この状態に北朝鮮の支援として、1950年10月に共産中国が「人民志願軍」として参戦してきて米軍と交戦したのです。

中共軍、北朝鮮軍、韓国軍、アメリカ軍、国連軍。
朝鮮半島を南北に移動する戦線の様子(1950年6月〜1953年7月)
Author:Leomonaci98 [CC BY-SA]


阻止された米軍の勝利


この朝鮮戦争、単に東西冷戦の文脈上では語られない複雑な部分があります。いや、それ以前に東西冷戦自体が、単に米国を中心とする西側自由主義陣営諸国と、ソ連を中心とする東側社会主義陣営諸国が互いの覇権をかけて激しく対立したという文脈では収まりません。

米ソ対立を象徴する2つの軍事同盟
北大西洋条約機構(NATO) vs. ワルシャワ条約機構
Author:Chronus [CC-BY-SA]

激しい対立そのものはありました。朝鮮戦争で言えば、多くの人民が半島全土が戦場となったその犠牲となっており、その後も見かけ上の東(北朝鮮・ソ連)西(韓国・米国)の対立は続いていきます。しかし実態は、朝鮮戦争の東西対立の構図は本来は早々に終わっていたはず、朝鮮戦争は中国軍の参戦を阻止した米軍側勝利にて終結しようとしていたようです。

ダグラス・マッカーサー将軍はトルーマンに電報を送り、米空軍のジョージ・E・ストレートマイヤー将軍に命じて、鴨緑江沿いに集結していた中国第56師団を爆撃し、橋梁と中国軍展開地域を破壊すると報告していた。
(『新版 300人委員会[下]』p270)

マッカーサー率いる米軍は参戦してくる中国軍主力の動きを捉えていて、空爆が実現すれば中国軍の展開を壊滅、つまり朝鮮戦争は1950年内に米軍側勝利で終結できる状態にあったようです。

しかし、トルーマン大統領はこの空爆の許可を出しませんでした。なぜか?

『新版 300人委員会[下]』p270〜271に次のような内容が記されています。

国務次官補ディーン・ラスクがマッカーサー案に強く反対、それは「イギリス政府の事前の同意がない限り中国軍への攻撃はできない」「空爆は中国政府と緊密な関係にあって中国アヘン貿易で巨利を得るファミリーの、つまりは300人委員会の損失になる」から。

ディーン・ラスク
Wikimedia Commons
[Public Domain]
ハリー・トルーマン
Wikimedia Commons
[Public Domain]

これでトルーマンの許可が出ず、結果は、米軍は鴨緑江を超えてきた中国軍に軍事的敗北。しかし、米軍はその後に体制を建て直し盛り返します。ところが、ここでまた300人委員会の意向に沿ってトルーマンは休戦命令を発します。

そこからの動きが、p271〜272には次のように記されています。

マッカーサーはこれ(註:休戦命令)に反対し、「共産主義者は逃げ出した。休戦など必要ない。奴ら(中国)に最後通牒を突きつけてやれ。朝鮮から出ていくか、さもなければ皆殺しだ」と宣言した。しかしトルーマンは、マッカーサーを解任することで応じた。

現在では一般的に、マッカーサーは朝鮮戦争時には愚将になっていて解任されたことになっている模様です。しかしそうではなく、コールマン博士は朝鮮戦争での「アメリカ軍の戦死者9万4522人(戦傷者は15万7530人)のうち60パーセントが、ラスクとトルーマンがマッカーサーの指揮権を奪ったあとに死んでいる」(p272)と指摘しています。

現場では当然ながら、軍人は自分達の生命を賭して自軍の勝利のために動きます。しかし、その自国の大統領と長官が自軍の勝利への最大の障壁になっていたようです。朝鮮戦争で米軍はその犠牲となっていました。


朝鮮戦争の全体的な実際


現場での軍人レベルとは異なった上のレベルでは、つまり“闇の権力”の青写真では、第2次世界大戦後には東西冷戦を創出し、それを維持拡大する計画が置かれてあったのです。その東西冷戦の路線で北朝鮮、そして共産中国も維持されることが決まっていたということです。そしてその維持の理由には、コールマン博士の指摘のように300人員会メンバーのアヘン貿易の利益の死守も含まれていたというもの、これはこの通りでしょう。

このように「東西冷戦の文脈から北朝鮮の維持」は“闇の権力”によって決まっていて、それで朝鮮戦争での米軍の勝利は阻止されたのです。

しかも朝鮮戦争が更に複雑なのは、朝鮮戦争は東西冷戦の文脈にありながらも、それを外れた部分も大きい点なのです。北朝鮮は表向きは共産主義国家の“東側”ですが、実質は「金一族」の王朝独裁国家だという認識は普通に常識的なものです。北朝鮮は共産主義や社会主義の範疇に入らない国家なのです。

更にはその北朝鮮「金王朝」の初代である金日成は、北朝鮮初代副首相となる金策によって担がれたもので、それで北朝鮮が成立したであろうことは既に第36話で指摘した通りです。北朝鮮建国の真の立役者である金策は日本名は畑中理、アヤタチ上田サンカの血流で、緑龍会の笹川良一の弟で陸軍中野学校の残置諜者であることは、時事ブログで度々指摘されてきた通りです。

参考:時事ブログ 2016/04/0804/10

2018/06/20の記事で竹下さんが、「北朝鮮を作ったのが、まさに裏天皇・堀川辰吉郎の人脈」と指摘されている通りです。

  • 北朝鮮は“闇の権力”の思惑に従って動かされてきた。
  • 北朝鮮は裏天皇グループが作り動かしている。

この2点を認識しておく必要があるでしょう。

裏天皇グループが動いていたのは「日本を中心としたNWO創設」に向けてであり、言うまでもなく、朝鮮戦争を仕掛けたのは裏天皇グループということになります。

以上を踏まえれば、裏天皇グループは“闇の権力”の東西冷戦の路線の意向をよく理解し踏まえた上で、それを利しながら朝鮮戦争を仕掛けたということになるでしょう。その具体的な意味での目的は、取り巻く要素が複雑かつ不明瞭なものが多く不明なのですが、「日本を中心としたNWO創設」に繋げる目的であったことは間違いがないでしょう。そして、そこには朝鮮戦争によって日本が戦後復興、そして経済成長に繋がることも十分に見越してもいたことも間違いないことでしょう。



Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

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