ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第47話 ― 日本独立?

 吉田元首相に続く、戦後2回目となる安倍元首相の国葬が大問題となっています。当然です。他にもありますが、主には国益(日本国民の利益)に反することばかりしてきた人間の国葬だからです。ただしアベシだけではなく、先の吉田茂の国葬がそもそも全くおかしいのです。
 吉田茂は関東軍が中国大陸侵攻するのを後押しをし、戦時中は日本の機密情報を米国に流し、あまつさえ原爆の日本投下を誘導した人物です。日本国民が大量に死亡し、日本の国土が焦土と化する、この誘導を行ったのが彼です。その彼は、戦後は長く日本国首相を務めます。その中で日本が独立とは形式の名ばかりで、現実には、米国に隷従していく今日にまで続く路線を敷いたのが彼でもあります。
 その米国に隷従し、自身は利益を得るという路線に乗っかったのがアベシでした。吉田元首相、安倍元首相の国葬はどちらにしても「皆殺しのルメイ」を叙勲するのと同一の文脈です。国民を殺し傷つけ疲弊させ、国益を差し出す者こそが称賛されるという倒錯の文脈です。
 ただし、勿論悪魔崇拝に完全支配されるようになった米国相手に交渉をする困難さという一面は分かります。…情状酌量の部分も否めない…それでも倒錯の現実は変わらず、それで行為が肯定されるわけでもないでしょう。日本における倒錯の現実を変えるには、日本民衆がその現実をあるがままに認識していくことからでしょう。
 今回は、戦後から今日に至る路線を孫崎享氏の『戦後史の正体』を参考文献として見ていきます。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第47話 ― 日本独立?

日本統治の路線変更と確定


  • 「主権在民? 民主主義? 日本国憲法? …そんなもの知ったことかクソ喰らえ! 民衆などすぐに記憶喪失するバカの烏合、騙して黙って従わせればそれでいい。
  •  憲法などは邪魔だから、“緊急事態条項”を盛り込んで憲法の中身を骨抜きにすれば良い。
  •  まずは米国から出される指令を最優先にして…」

この十数年、こういった政府姿勢が誰の目にも明瞭になっていった現在日本。この現在日本に繋がる基本路線を確定させたのが1950年に始まった「朝鮮戦争」と言えるでしょう。『戦後史の正体』p98に、

朝鮮戦争が起こり米国の対日政策の変化が確定します。米国は日本に経済力をつけさせ、その軍事力も利用しようと考えるようになりました

と示されている通りです。

1945年から始まったGHQによる日本統治、ただし、その日本統治は僅か数年の間に全く相反する2つの路線が現れたのです。そして、戦後日本に施行される路線の確定をさせたのが朝鮮戦争だったのです。

Wikimedia_Commons [Public Domain]

この2つの路線とその変化は『戦後史の正体』をもとに、植草一秀氏の『知られざる真実』に今年8月19日の「はしご外された右翼の人々」の題にて、以下のように要点がまとめられています。

1947年以降、米国の対日占領政策の基本路線が転換した。1947年は日本国憲法が施行された年。
日本国憲法は転向した米国にとって鬼子の存在だった。
日本国憲法を生んだ米国と1947年以降の米国との間に大きな断絶がある。
対米従属主義者が日本国憲法を敵視し、戦後民主主義支持者が日本国憲法を尊重する理由がここにある。
敗戦直後の1945年から1947年にかけて一気呵成に日本民主化が断行された。
日本民主化を主導したのはGHQ・GS=民政局。
しかし、1947年に米国の外交政策路線が転向した。「ソ連封じ込め」が米外交政策の基本に据えられた。
連動して米国の対日占領政策の基本が転向した。GHQの主導権がGSからG2=参謀2部に移行。
参謀2部を取り仕切ったのがウイロビー少将である。ウイロビーと結託したのが吉田茂氏であり、岸信介氏はウイロビー少将の強い働きかけにより戦犯容疑者から釈放されたと見られる。
GHQは日本民主化を中止し、日本非民主化、日本再軍備化、日本反共化を推進した。

『戦後史の正体』では、「無条件降伏」の日本はGHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーの命令どおりにする以外になかったこと、そのダグラス・マッカーサーは日本の民主化と共に特に「非軍事化」を再重視していたことが指摘されています。これは、米国が米ソ東西冷戦にて外交政策路線が転向した後も基本はそうだったようです。

ところが、朝鮮戦争にてそのダグラス・マッカーサーは1951年4月に罷免されます。これは、マッカーサーが進めた「①非軍事化 ②戦争犯罪人の処分 ③民主化の最優先」(p112)を軸とした日本占領政策の終わりを意味していたとも指摘されています。

退任演説を行うマッカーサー(1951年)
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朝鮮戦争によるマッカーサー罷免が決定打になって、植草氏が記すように「GHQは日本民主化を中止し、日本非民主化、日本再軍備化、日本反共化を推進」。これは現在に至る日本の対米従属路線そのものです。


吉田茂が米国との調印に


GHQの日本統治にも、日本の民主化と非軍事化を主導するGSの路線と、日本の非民主化と再軍備化、反共産化を推進のG2の相反する路線が存在したこと、これは米国内にも相反する流れがあったことを意味し、マッカーサーは日本の非軍事化を重視していたとのことです。


もともと米国には革命戦争から、ポジティブなテンプル騎士団からの流れのフリーメイソンが打ち出した「建国の精神」の流れと、それを否定し建国された米国を呑み込んでいこうとするイギリス東インド会社(300人委員会、カバール)の闘争が延々続いていきました。

この闘争は、1913年のFRB設立によってイギリス東インド会社側の勝利で終わりますが、ポジティブ側のフリーメイソンも消滅したわけではなく、ダグラス・マッカーサーはこちら側のフリーメイソンに所属していたように思えます。

ダグラス・マッカーサー
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チャールズ・ウィロビー
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これに対して、マッカーサーの部下でG2を取り仕切っていたウィロビー少将(当時)は300人委員会(イギリス東インド会社の流れ)側の人間だったでしょう。彼によって「日本非民主化、日本再軍備化、日本反共化を推進」の路線が設けられ、朝鮮戦争にてこの路線が戦後日本で確定したのです。

注意点は、朝鮮戦争とは裏天皇グループが仕掛けたことで、つまり「日本非民主化、日本再軍備化、日本反共化を推進」は、米国側からの圧力と指示によるものであるのは当然ながらも、この路線を招き入れ、確定させていったのは裏天皇グループでもあるという別側面もあることです。


そして、日本国内にてそれを担当した具体的な人物として挙げられるのが吉田茂元首相ということになります。麻生太郎元首相の祖父です。彼は戦時中からヘンリー・スティムソンと繋がっていて、ヨハンセングループとして日本の機密情報を米国に流し、日本への原爆投下を誘導した人物でもありました。彼は裏天皇グループであると同時に、当然ながらCIAのエージェントとしてその名がリストに連なっています。

裏天皇 堀川辰吉郎
吉田茂
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ヘンリー・スティムソン
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戦後はG2のウィロビーとベッタリであった彼は、1946年5月〜1947年5月の第1次吉田内閣に続き1948年10月〜1954年末までの約6年間、内閣を構成し首相となっていました。

この間の1951年9月8日、吉田内閣はサンフランシスコ講和(平和)条約を締結。「占領は、戦った国とのあいだで講和条約(平和条約)を結んで、はじめて終了します」(『戦後史の正体』p137)とのことです。つまり、形式上はGHQの日本統治が終了し、日本が独立することが決定したのでした。

サンフランシスコ講和条約に調印する吉田茂首相
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また同日、吉田首相(当時)と米国側との間に日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(日米安保)が結ばれました。


サンフランシスコ講和条約と安保条約


『戦後史の正体』p116〜では、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約、同日結ばれたこのふたつの条約が戦後日本の基礎、しかし調印に際しての両者のあつかいは全く異なると指摘。

講和条約は、サンフランシスコの華麗なオペラ・ハウスで48カ国の代表が調印して結ばれた。日米安保条約は、サンフランシスコの軍事基地の下士官クラブにて、米国側はアチソン(国務長官)、ダレス(国務省顧問)、ワイリー(上院議員)、ブリッジス(上院議員)の4名が署名。日本側は吉田首相ひとりのみの署名。外交上日米安保条約の調印は非常におかしな状況とのことです。

日米安全保障条約に調印する吉田茂首相
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このサンフランシスコ講和条約と日米安保条約の最要点が、外交官寺崎太郎氏の言葉を引きながら指摘されています。

 “条約は、講和条約−安保条約−行政協定の順でできたが、本当の目的は最後の行政協定。行政協定のための安保条約、安保条約のための講和条約”

行政協定の眼目は何か?

p118にある日米行政協定の解説文には、次の文言があります。

占領中に使用していた基地の継続使用や、米軍関係者への治外法権、密約として合意された有事での「統一指揮権(日本軍が米軍の指揮下に入る)」など占領中の米軍の権利をほぼすべて認めるものだった。

要は、講和条約にて日本の経済を始め、その活動の自由度は大きく拡大はする。しかし、肝心の米国による軍事占領は継続されるということです。

安保条約の米側調印者にダレス(国務省顧問)がいました。アレン・ダレスの兄のフォスター・ダレスです。

ジョン・フォスター・ダレス
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彼のウィキペディア記事には、

1951年9月8日にサンフランシスコ講和条約が締結され、それと同じ日に調印された日米安全保障条約の「生みの親」とされる。

とあります。講和条約から安保条約を主導した具体的な人物がこのフォスター・ダレスということになるでしょう。p141にその方針が明示されています。

対日講和条約について「日本を早期に独立させる」「経済力をつけさせ、共産主義の防波堤にする」「同時に日本の基地は自由に使う」…
ダレスの考え:「われわれ(米国)が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する、それが米国の目標である」


占領下日本が継続すると言うことですが、占領下にあるとはどういうことか?

その象徴として公務追放と占領軍による検閲への参加の道があったといいます。p128にこうあります。

米国の方針に逆らえば追放される。逆にすり寄れば大きな経済的利益を手にすることができる。この構図は今日までつづいているのです。

現実に公務から追放された人間、逆に検閲の言論統制に参加した日本人インテリ層は5千名。彼らは当時では破格の高給をもって処遇されたとのことです。



Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

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