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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第36話 ― 終わらぬ戦争2
北朝鮮の建国
板垣英憲氏は、北朝鮮をしばしば「第2の日本」と表現します。これは、ほとんど多くの日本人にとって受け入れがたい表現でしょう。主にマスコミの「すりこみ報道」の影響によるものでしょうが、日本人の北朝鮮に対するイメージは「日本(および米国)と戦争危機のある敵対国家」「ならず者、犯罪国家」「将軍様の独裁国家」「虐げられ洗脳された国民の国家」こんなところでしょう。「第2の日本」などの語感とは程遠いイメージです。
朝鮮半島は1910年から日本に併合されていました。しかし日本の敗戦、それと米ソの対立関係から、朝鮮半島は38度線を境界に北と南の分裂国家が成立していきました。1948年、北は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、南は大韓国(韓国)です。1945年9月2日の日本の降伏までには、北緯38度線以北にはソ連軍が、南には米国軍が駐在していたのであり、それの強い影響による分裂国家の成立でした。
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北朝鮮の建国は、ウィキペディア「朝鮮民主主義人民共和国の歴史」記事によると次のとおりです。
ソ連は、東ヨーロッパの衛星国に対して採った方針を踏襲し、第二次世界大戦期をソ連で過ごした朝鮮人の共産党員に、好んで権力を与える方針を持っていた。そのため、1946年2月にソ連軍(赤軍)は、ソ連に亡命し、そこで朝鮮人共産党員の指導的役割を担っていた金日成を、北朝鮮の行政機関である北朝鮮臨時人民委員会の委員長に任命した。金日成率いる抗日パルチザン出身の一派(後の満州派)は、朝鮮の共産主義者の中では少数派に過ぎなかった。しかし、(中略)...金日成は北朝鮮の社会主義化政策を進めると共に、朝鮮共産党北朝鮮分局(後に北朝鮮労働党に改称)を結成し、徐々に反対派を権力の中枢から追放していった。
(中略)
朝鮮民主主義人民共和国は、ソ連の朝鮮占領軍が監督する中で、1948年9月9日に独立を宣言した。 以上のウィキペディア記事によれば、北朝鮮は共産主義国家ソ連の傀儡国家として誕生したことになります。その北朝鮮建国に中心的役割を果たしたのが抗日パルチザンを率い、後にソ連に亡命していた金日成だということが分かります。
金日成(1946年)
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実際に北朝鮮では、金日成は建国の父であり最高権力者であって、その血統が北朝鮮を治めてもいます。そして、北朝鮮がソ連の傀儡国家であった模様は朝鮮戦争(1950年6月25日~1953年7月27日休戦)の様相に出ています。ウィキペディア「朝鮮戦争」記事冒頭に次のようにあります
1950年6月25日にソ連のスターリンの同意と支援を取り付けた金日成労働党委員長率いる北朝鮮が事実上の国境線と化していた38度線を越えて韓国に侵略戦争を仕掛けたことによって勃発した。
(中略)
朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国のみならず、東西冷戦の文脈の中で西側自由主義陣営諸国を中心とした国連軍と東側社会主義陣営諸国の支援を受ける中国人民志願軍が交戦勢力として参戦...(以下略)
北朝鮮はスターリンの同意と支援のもとに南に進軍、この朝鮮戦争には、西側諸国の国連軍と東側諸国の支援を受ける中国人民志願軍が参戦もしているのですから、朝鮮戦争は「東西対立」の「代理戦争」とするのが当然でしょう。
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この文脈では、北朝鮮は明らかにソ連共産主義の傀儡国家であって、これが定説になります。しかし、板垣英憲氏の見解はこの定説とは全く逆方向のものです。
北朝鮮が日本防衛?
板垣英憲氏は、2015年1月7日に「北朝鮮は『第2の日本』として建国され日本を守り日本列島を米本土防衛の最前線としていた米国を守ってきた」との題の記事を出しています。そこには一般的な定説を記しながらも、北朝鮮は社会主義共和国を名乗りながらも事実上「専制君主政」(ドミナートゥス国家)と指摘。
北朝鮮が専制君主国家、これはこの通りで、北朝鮮は定説とは異なり、共産主義・社会主義体制とは矛盾する国家体制なのは事実(ソ連も共産主義国家であったのかは大いな疑問ですが)です。北朝鮮は少なくとも定説には嵌らないのです。そして、朝鮮戦争について次のように記しています。
北朝鮮人民のなかには、「社会主義に立脚する体制をめぐる戦争」と考える者がいた一方で、「帝国主義からの解放を目指す民族解放戦争」と受け止める者も少なくなかった。(中略)...ベトナム戦争は、米国が「資本主義を共産主義から守る体制戦争」ときめつけたのに対して、ベトナム民族は、「米帝国主義から解放を図る民族解放」と受け止めた。この点で「朝鮮戦争」と「ベトナム戦争」は共通している。
ベトナム戦争は「米帝国主義からの民族解放戦争」であったと同様に、朝鮮戦争は「帝国主義からの民族解放」の側面があるのを指摘しています。次いで以下の決定的なことを記しています。
これに北朝鮮は、「畑中理(朝鮮名・金策)ら大日本帝国陸軍中野学校の残置諜者によって建国された国家」だったと捉えれば、「第2の日本」であると受け止めることができる。要するに、北朝鮮は、「日本を防衛する目的で建国された緩衝国家」ということになる。
板垣英憲氏の見解は、北朝鮮とはソ連がその傀儡国家として建国した国家ではなく、畑中理(朝鮮名・金策)たち「陸軍中野学校の残置諜者によって建国された国家」とのものです。その北朝鮮の国家としての性格は、日本そして米国の敵対国家ではなく、逆に日本を守るための国家、また(結果的には)米国を防衛する国家の性格を有するのが北朝鮮というのです。
何から日本を守るために北朝鮮は建国されたというのか?
具体的には、共産主義ソ連の南下による日本侵略です。それが(結果的に)米国(西側陣営)が共産主義に侵されるのを防衛してきたとの見解を板垣氏は出しているのです。
朝鮮戦争の側面「帝国主義からの解放」の“帝国”とは、米国(欧州も)とソ連、主にソ連です。共産主義という名ながら帝国主義ソ連と日本(更に米国)の間に入って、その侵略と直接打撃を和らげているのが北朝鮮だというのが板垣氏の見解なのです。だから北朝鮮を「緩衝国家」と表現するのです。
1950年のソ連とその勢力圏
— 世界歴史地図bot (@1234maps_bot) August 21, 2021
第二次世界大戦において戦勝国となったソ連は、枢軸陣営についていた東欧諸国や独立を回復したポーランド、占領した東ドイツなどを勢力圏に取り込んだ。これらの国々ではソ連型社会主義が適応され、「鉄のカーテン」を挟んだ西側諸国との対立の最前線となった pic.twitter.com/mh8weu4lfY
Wikimedia Commons [Public Domain]
この板垣氏の見解は大部分はその通りだとも思いますが、ただ、いずれにしてもキーになるのは「畑中理(朝鮮名・金策)です。
建国の立役者である金策
北朝鮮の咸鏡北道南端,日本海岸の都市に「金策市」があります。この金策市は旧名は城津、この城津出身とされる金策にちなみ1953年に改名しているのです。北朝鮮では金策の名があちらこちらにあり、北朝鮮における金策の存在の大きさが表れています。
金策(畑中理)
Wikimedia Commons [Public Domain]
ウィキペディア記事では、金策は、
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抗日パルチザン活動からソ連に亡命。
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1940年頃に金日成と合流。
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1945年、金日成らとともにソ連軍(赤軍)に同行して帰国。
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1948年北朝鮮の建国の際に副首相兼産業相、1950年、朝鮮戦争勃発時には朝鮮人民軍前線司令官に任命。
以上のような経歴が記されています。まさに金日成の右腕です。板垣氏は、この金策が陸軍中野学校出身の畑中理であって、残置諜者だったというのです。
さて…この答えは既に出ています。時事ブログを「畑中理」で検索していただけるといくつもの記事が出てきます。
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「畑中理(朝鮮名・金策)」は、緑龍会総裁笹川良一の弟です。
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緑龍会の頭はアヤタチ上田サンカの血統で、無論、笹川良一も畑中理もそうです。
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上田サンカはサンカの親分であり、禁裡御用達の忍者かつ忍者の頭でもありました。
参考:時事ブログ 2016/04/08、04/10
畑中理たち残置諜者が北朝鮮を建国したのは、大体は次のような流れではないかな?と推測されます。
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代々忍者である上田サンカの血流である畑中理が、忍者養成機関の陸軍中野学校で研鑽を更に積む。
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畑中理は城津出身の金策として北朝鮮から満洲あたりの地域の共産組織に潜入。
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朝鮮人共産組織の人間としてソ連の部隊に所属、同様にソ連の部隊に所属していた朝鮮人?共産組織の若者に目をつける。
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目をつけた若者に、抗日パルチザンとして勇名をはせた金日成を名乗らせ担ぎ上げ、ソ連の指導者たちにも認められる。
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1946年、金日成と共に北朝鮮に帰国。金日成は北朝鮮臨時人民委員会の委員長、畑中理(金策)は臨時人民委員会の副委員長として北朝鮮の権力中枢を掌握していく。
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1948年、北朝鮮建国、金日成は北朝鮮初代首相に金策は初代副首相に。
板垣氏の言葉を借りれば、笹川良一の弟である畑中理(金策)は「長老」中の「長老」です。そして北朝鮮の建国の目的ですが、これは板垣氏の見解のように「共産ソ連の南下を防ぎ日本を守る」というよりも、日本を中心としたNWOの拠点としての北朝鮮の建国でしょう。
より具体的には竹下さんが既に指摘されているように、日本列島と朝鮮半島を合体させた新日本皇国、更にそこに旧満洲を加えたネオ満洲皇国の建国の橋頭堡として北朝鮮を建国したということです。「北朝鮮はソ連の傀儡国家として建国」は、目的を遂げるための“見せかけ”の姿ということです。1945年9月2日の日本の降伏で太平洋戦争は終結しましたが、大東亜戦争は続行していたという言い方もできるかも知れません。
ソ連を中心とした社会主義諸国が東側、米国を中心とした資本主義諸国は西側。この2つの体制が厳しい対立をしていたのですが、競争による力の均衡によって米ソの戦争を防いでいたので「冷戦」と呼ばれました。しかしその中でも実際の激しい戦闘となった朝鮮戦争、ベトナム戦争などありました。ただし、これらの戦争も東西対立の文脈で「大国の代理戦争」と位置づけられています。
日本近隣諸国では日本と韓国は西側、北朝鮮と中国は東側に位置づけられました。…しかし、東西対立の文脈では説明がつかない、収まりがつかない事柄は多数です。先にあげた朝鮮戦争やベトナム戦争なども東西対立の文脈の戦争では収まりが悪いのです。
地上の歴史を見る視点として、一般的なもので決定的に欠け、秘匿されているのがNWOです。特に、慎重に見えなくされてきたのは、日本を中心とするNWOです。太平洋戦争のずっと前から日本を中心とするNWOは発動していたし、太平洋戦争が終結したからと言って、日本を中心とするNWOが終了したわけではなく、ずっと作動し続けてきたのです。
謎の多い北朝鮮という国家、この国家像も、日本を中心とするNWOの視点でようやく見えてくるものがあります。