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インスブルックのよいところ
ドイツのお隣の国で、同じドイツ語圏のオーストリア。息子は、こちらの映画(0:19から)の影響で、オーストリアというと、もちろん『G'day, mate!』🤣
(オーストリアとオーストラリア・・ごちゃごちゃにならないでね!)
前回のオーストリア旅行は、第32楽章に書いたように、ザルツブルグからザルツカンマーグート(塩の御料地)でした。今回は、チロル地方に行こう!ということで、インスブルックに決定。オーストリアを旅する理由がアルプスの山々を見ることなので、オーストリアといえば、多くの方がウィーンに行くのですが、私はなぜか首都のウィーンは避けてしまっています。
インスブルックの街のよいところは、山からのミネラル豊富な水をそのまま水道水にひいているそうで、山からの流れる勢いで、ポンプも必要なく、マンションの高層階までも持っていけると聞きました。実際に購入したペットボトルの水もベルリンよりも美味しかったですし、滞在の最後の日には、肌がツルツルしたような気がしましたし、また、スーパーで買った地元のリンゴが非常に美味しく、最後の日も購入して帰りの電車の中でも食べるほど。ベルリン近郊のリンゴよりかなり美味しかったです。また、インスブルック大学の図書館は、一般にも開放されているそうです。人口は15万人ほどで、大学生が3万人らしいので、人口の1/5が大学生だそうです。
アルプスに囲まれ、イン川が流れる大学の街・・素敵だと思いました。インスブルックという都市名は、イン川にかかるブルック(橋)という意味です。街の中心にイン川が流れています。
アルプスに囲まれたインスブルックの街の風景をお楽しみください。
現在、映像配信で、サーカーのプラウト経済主義を学んでいますので、プラウト経済民主主義の三層構造に、インスブルックの街は近いのかも・・という目線でも眺めていました。
市場で購入した、スペルト(ディンケル)小麦や古代小麦のみのパン屋さんの簡素なパンも、非常に美味しかったです。小麦を避けている市民も多いこともよくわかりました。また、普通のスーパーでもヤギや羊のミルクが売られていたので、さすがオーストリアだとも思いました。しかし、物価は、ベルリンよりも高く、スーパーに入った途端、あ、高い!とすぐにわかりました。ベルリンの方まだ物価が安いのですね・・。
インスブルックの頂上 ノルドケッテ
さて、インスブルックといえば、チロルの州都で、山に囲まれた街、マリアテレジアの贅沢三昧に喝を入れるのは後回しとして、まずは、インスブルックの頂上、ノルドケッテに行きました。この山の中腹、1100mぐらいからの水が水道水の源だそうです。こちらで頂上のライブ映像を見ることができます。頂上までは、ケーブルカーとロープウェイを2回乗り継ぎ到着。インスブルックの街の中心からすぐに標高2000メートル以上の山の頂上まで行けることはすごいことだなと思いました。日本でも北アルプスの新穂高ロープウェイ、中央アルプスの駒ヶ岳ロープウェイがありますが、主要な駅から遠いですね。立山黒部アルペンルートのロープウェイは立山駅から近いですが富山駅から1時間かかるし・・。インスブルックの風景は、日本だと富山県から見る立山連峰に近いでしょうか・・。
ノルドケッテ
Author:böhringer friedrich[CC BY-SA]
立山連峰
Author:タチヤマカムイ[CC BY-SA]
ちょっと脱線・・富山駅からの景色とインスブルック中央駅からの景色が似ていますね・・ということで、富山県を調べ出して、富山寿司を見た瞬間、日本帰国の際は、富山に決定。311以降、お寿司を食べていない我が家。日本海側の安全なお寿司を食したい。富山湾の寿司ネタを眺めていたら、インスブルックなんて吹っ飛んでしまいました・・
さてさて、インスブルックに戻らなければ・・やはり、強烈に脱線してしまうぐらい、日本のお寿司は素晴らしいんですよね・・しかし、311で14歳以下と女性は1000キロ以上離れることと言われていたので、我が家は海外に脱出したのでした。よく欧州に住んでいることが羨ましいと思われがちですが、そうでもないものです・・日本人は日本に住むことが本当はよいのです。しかし、311のせいで我が家は仕方なく、欧州に住んでいるだけで・・。(喜んでいる点もありますけどね・・)
日本にも3大アルプス(北アルプス、中央アルプス、南アルプス)がありますが、海外の人にとって日本の観光といえば、京都と奈良がダントツに有名です。オーストラリア人は、白馬にスキーに来る方が多いようです。私の父はアマチュアの登山家だったのですが、好きな山は、西穂高岳と言っていました。その遺伝のせいなのか、私はアルプスの風景が大好きです。
ノルドケッテで育ったオーストリアの登山家
インスブルックのアルピニストであり、世界第9位標高8000mカシミール地方パキスタンにある西ヒマラヤにある山、ナンガ・パルバット(「ディアミール(山の王)」とも呼ばれる)の初登頂者であるヘルマン・ブールの記念碑がケーブルカーの駅にあります。
ヘルマン・ブールも33歳の若さで亡くなっていますので、登山家とは結婚するな!というのがよくわかります。インスブルックでアルプスに囲まれて育つと、登山をしたくなる環境が揃っていますので、登山家になりたい方も多いですが、ヒマラヤレベルの8000メートル級の登山は3000メートル級の登山とはまた違う生と死が重なった世界です。
ヘルマン・ブール
Wikimedia_Commons[Public Domain]
ホーフブルグ宮殿は、ハプスブルグ家の政治中枢でした
インスブルックは、ドイツやイタリアの中継地点に位置し、交易路での重要な役割をしていました。ホーフブルグ宮殿は、ハプスブルグ家の政治中枢でした。マクシミリアン1世の治世時に都が置かれ、各地から商人が来て繁栄。チロルの鉱山から産出される豊かな資源を利用、武器工場があったそうです。
ということで、観光に便利なインスブルックカードでノルドケッテまで行ったのですが、ホーフブルグ宮殿も入場できるということで、ハプスブルグ家の贅沢品をみたくはないのですが、仕方なく見ることにしました。
ハプスブルグ家は、1361年からチロル支配を開始。1460年にホーフブルグ宮殿を建築して、ハプスブルグ家の歴代皇帝によって拡張、450年以上にわたるハプスブルグ家が所有していたものが展示されています。
18世紀のマリア・テレジア時代にロココ調の宮殿に完成したとかで・・いい加減にせーやー!!と思い、息子と凄まじい勢いで通り過ぎました。なぜって、こんなものじっくり見る必要もないですし・・どこかの国から奪った金銀財宝や武器で財を増やし、土地もどんどん奪っていくと、金ピカ宮殿になるのですね・・
ホーフブルグ王宮の写真のマリア・テレジアの宝石はどの国から奪ったものでしょうか・・と思ってしまいました。宝石の研磨技術は、紀元前からあることに驚きました。
黄金の小屋根だそうですが、金はどこから奪ったのでしょうか・・。
こちらは、マリア・テレジア時代の学校の跡地が小道に挟まれて残っていました。
22回の空襲を受けたインスブルック
インスブルックは22回の空襲ということですが、東京大空襲は106回ですけどね・・。
戦時中のインスブルックについてまとめてみました。
1938年11月のポグロムでは、ユダヤ人の家や会社が破壊され、シナゴーグの調度品も荒らされました。4人のユダヤ人が殺害され、また負傷して死亡し、その他にも多くの人が重傷を負った。その後、ほとんどすべてのチロル系ユダヤ人はウィーンに追放。1939/43年の南チロル・オプションでは、多くの南チロル人がインスブルック、特にプラドル地区に建設された特別な住宅団地に移り住みました。
第二次世界大戦中、インスブルックは西側連合国から22回の空襲を受け、1944年12月16日にはインスブルック大聖堂が大きな被害。1944年12月と1945年4月の爆撃では、アニッヒシュトラーセの医科大学病院の大部分も大きな被害。22回の攻撃で495人が死亡。1945年5月3日にインスブルックは戦うことなくアメリカ軍に引き渡されました。
第二次世界大戦中、インスブルックは西側連合国から22回の空襲を受け、1944年12月16日にはインスブルック大聖堂が大きな被害。1944年12月と1945年4月の爆撃では、アニッヒシュトラーセの医科大学病院の大部分も大きな被害。22回の攻撃で495人が死亡。1945年5月3日にインスブルックは戦うことなくアメリカ軍に引き渡されました。
インスブルック大聖堂
Author:Dnalor 01[CC BY-SA]
(インスブルック ウィキペディアドイツ語版よりまとめ)
ドイツに入るや否やマスクをする人たち
あっという間に、インスブルックの滞在も終了。ホーフブルグ王宮の隣には、オーストリア名物ザッハートルテを食べることができるザッハーカフェもありましたが、(前回、ザルツブルグでは食べたのですが・・)今回はハプスブルグ家の調度品を見た後で、アホらしくなり、食べる気も失せました。
ザッハートルテ
Author:David Monniaux[CC BY-SA]
今回の旅、日本人を見なかったですね・・王宮の中で日本人の方が働いていらして、少しお話をしたのですが、インスブルックに滞在している日本人は100人ぐらいだそうで、コロナ時代になり、日本人の観光客も減ったとのこと。日本人は、わざわざインスブルックまでスキーを目的に来る方はほとんどいないとのことでした。オーストリアといえば、みなさんウィーンに行ってしまうのでしょうね・・。
さてさて、帰りの途では、アルプスを通り過ぎると、ドイツ国内に入りました。電車の中では、みなさんドイツ国境になると、イタリアから乗ってきている方も咄嗟にマスクをし始めましたので、とても面白かったです。オーストリアでは、公共機関でもお店でも、マスクをしていませんでした。ドイツの公共交通機関はいまだにマスクが義務です。帰りの電車は、インスブルック発16:40でしたので、オーストリアさようなら・・のあたりで、17時(日本の深夜0時)となりましたので、ガヤトリー・マントラの除霊と浄化のプリントをカバンからガザガサと取り出して、風景を見ながら祈りました。(息子「ガサガサ取り出して祈るの?」私「はい、どこでも祈るのです、一番大事ですからね・・」息子「お祈りのアプリがあるといいな・・」)
こちらの動画はインスブルックの街をわかりやすく紹介されています。
動画の内容にさらに、詳しい説明を追加してみました!
・0:19 ノルドケッテ背景のイン川の風景
・0:54 ロープウェイの駅設計者のザハ・ハディッド
・1:05 20分でスキー場へ到着・ケーブルカーはWIFI可能
・2:13 この辺りの湧水が水道水へ行くのでしょうね・・
・2:20 スキージャンプ場(こちらも設計者のザハ・ハディッド)
・1:38 黄金の小屋根
・2:45 こちらは、ベル博物館を紹介していますが、実際に、インスブルックはベルの生産が有名でグラスマイヤーというメーカーがあります。400年以上前にオーストリアのインスブルックで設立された教会の鐘のメーカー・大砲も作っていたそうです。
・3:13 ゴミ箱にシェークスピアのハムレットで有名な台詞を文字っています。(捨てるのか、捨てないのか、それが問題だ)
・3:34 レストラン紹介(聞いたのですが、今、若者には、ブッダボウルが人気です!)
・4:02 オーストリアといえばシュトルーデル ・4:05 マリアテレジア通りから凱旋門
・4:49 アンブラス宮殿
最後におまけ・・・
いつも記事取りをしているオーストリアのREPORT24ですが、今回、オーストラリアでは、子供たちが昆虫チップスを食べている記事がありましたので、記載いたします。
(オーストリアとオーストラリア・・ごちゃごちゃにならないでね!)
オーストラリアは、子供たちがよくチップスを食べますので、最初の実験場になっているのかしら??
REPORT24の記事より
オーストラリアの1,000校の学校が、気候変動のために昆虫を使ったチップスを生徒たちに販売、怪しげな食品を常食化。心配なのは、記者と思われる人物が、幼い子供たちにこのチップスは特に健康に良いと説得。少年たちは、昆虫チップスが体にいいものと思わされている。担当ジャーナリストは自分の子供も昆虫チップが好きだと主張。ハッシュタグ#ecofriendly、そして、#地球温暖化も見逃せない。
健康の観点から、昆虫食は好ましくない。またある研究では、コオロギの原産地である昆虫養殖場が寄生虫であふれかえっている問題を指摘。調査した昆虫養殖場の81%以上から寄生虫を発見、そのうちの30%は、人間に病気をもたらす寄生虫。また、昆虫のアレルギー、貝類にアレルギーのある人は、昆虫にも同じように反応する可能性がある。気候とWEFのアジェンダに役立つものは、疑わしきは市民の意思に反して強制される。
— Parvissimus (@Parvissimus1) September 13, 2022
オーストラリアの1,000校の学校が、気候変動のために昆虫を使ったチップスを生徒たちに販売、怪しげな食品を常食化。心配なのは、記者と思われる人物が、幼い子供たちにこのチップスは特に健康に良いと説得。少年たちは、昆虫チップスが体にいいものと思わされている。担当ジャーナリストは自分の子供も昆虫チップが好きだと主張。ハッシュタグ#ecofriendly、そして、#地球温暖化も見逃せない。
健康の観点から、昆虫食は好ましくない。またある研究では、コオロギの原産地である昆虫養殖場が寄生虫であふれかえっている問題を指摘。調査した昆虫養殖場の81%以上から寄生虫を発見、そのうちの30%は、人間に病気をもたらす寄生虫。また、昆虫のアレルギー、貝類にアレルギーのある人は、昆虫にも同じように反応する可能性がある。気候とWEFのアジェンダに役立つものは、疑わしきは市民の意思に反して強制される。
(DeepL翻訳・まとめ)
ICE505ミュンヘン行き
南ドイツ・バイエルン州ののどかな田園風景、国境を超えて、アルプスの山岳地帯が見えてくると、オーストリアのインスブルックの街に到着。今回は、山からのミネラル豊富な水が豊かな古都インスブルックの街に滞在。
右側がインスブルック中央駅
なぜって、オーストリアは、ドイツよりも少し早めにワクチン接種が開始、そして、その後ワクチン義務化をされていた国。せっかく、中央駅から見える山の風景が素敵なのに、足が悪い方が多いという・・なんともいえない思いから、インスブルックの旅がはじまりました。