下の子供が生まれた頃、通信でカウンセリングと心理学の勉強を始めました。子育ての中で感じた様々な苦労から、他のママ達を助けたい思いが出てきて、いつか子育て支援がしたいと思ったのがきっかけです。以前から関心のあった心理学、カウンセリングからのアプローチが自分には向いている気がして、勉強してみようと思ったのです。現在は必ずしもカウンセラーという形を目指してはいないのですが、心理学の勉強は好きで続けています。今回は、私が好きな心理学と、日々の気づき、体験を交えて、自分の子育てについて書いてみたいと思います。
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自己肯定感と子育て(1)
私は自分のことが好きです。
自分に酔っているわけではないので、決してナルシシズムでそんなことを言っているのではありません(笑)
私は私でよかったなと、心からそう思うのです。
もちろん、昔からそうだったわけではありません。
記憶にある限り、少なくとも小学校の低学年頃には、私は私のことが嫌いでした。
子供の頃の私は、楽しそうに遊び回る他の子供達の姿を沈んだ気分で見つめていました。
「どうして私は私なんだろう?」
「あの子たちは、なんであんなに楽しそうにしていられるんだろう?」
「私もあの子だったらよかったのに。」
私という身体の中から、世界を見つめている自分という意識。それを不可思議に感じると同時に、嫌で嫌で仕方ありませんでした。自分が自分ではないような、また常に自分ではない誰かになりたいと思っていました。
周りの人がどう感じているか、自分に対してどういう印象や感情を抱いているか、瞬間的に掴んでいましたし、それにより人知れず、傷ついてもいました。親や周りの人たちの態度や思いに、内心いつも翻弄されていました。
私のような人間は心理学において、近年、HSPというタイプに分類されるようです。
HSPの人は全人口の15%〜20%と言われますが、日本人の民族性としてはもっと多いようにも感じます。
刺激に対する感受性には、人それぞればらつきがありますし、明らかな虐待やいじめを受けていなかったとしても、非常に多くの人が、大なり小なり、心に歪みや傷を抱えて大人になっています。
自分に酔っているわけではないので、決してナルシシズムでそんなことを言っているのではありません(笑)
私は私でよかったなと、心からそう思うのです。
もちろん、昔からそうだったわけではありません。
記憶にある限り、少なくとも小学校の低学年頃には、私は私のことが嫌いでした。
子供の頃の私は、楽しそうに遊び回る他の子供達の姿を沈んだ気分で見つめていました。
「どうして私は私なんだろう?」
「あの子たちは、なんであんなに楽しそうにしていられるんだろう?」
「私もあの子だったらよかったのに。」
私という身体の中から、世界を見つめている自分という意識。それを不可思議に感じると同時に、嫌で嫌で仕方ありませんでした。自分が自分ではないような、また常に自分ではない誰かになりたいと思っていました。
周りの人がどう感じているか、自分に対してどういう印象や感情を抱いているか、瞬間的に掴んでいましたし、それにより人知れず、傷ついてもいました。親や周りの人たちの態度や思いに、内心いつも翻弄されていました。
私のような人間は心理学において、近年、HSPというタイプに分類されるようです。
HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン/Highly Sensitive Person)とは、米国の心理学者であるエレイン・N・アーロン博士が提唱した心理学的概念で、神経が細やかで感受性が強い性質を生まれ持った人のこと。全人口の15~20%、約5人に1人はHSPと考えられている。
HSPの特徴的な4つの性質「DOES(ダズ)」
■ D:Depth of Processing/深く処理をする
■ O:Overstimulation/過剰に刺激を受けやすい
■ S:Sensitivity to Subtleties/些細な刺激を察知する
HSPの人は、感覚的な刺激に対して無意識的・反射的に対応する脳の部位、「扁桃体」の機能が過剰に働きがちで、HSPではない人と比べて刺激に強く反応し、不安や恐怖を感じやすいことが分かっています。相手の気持ちを察知して行動したり、物事を深く探究できる半面、ささいなことで動揺したり、ストレスをためてしまうこともあります。
HSPの特徴的な4つの性質「DOES(ダズ)」
■ D:Depth of Processing/深く処理をする
簡単に結論の出るような物事であっても、深くさまざまな思考をめぐらせる
■ O:Overstimulation/過剰に刺激を受けやすい
刺激に対する反応が強く表れやすく、疲れやすい
■ E:Emotional response and empathy/全体的に感情の反応が強く、共感力が強い
他人との心の境界線が薄く、相手の感情の影響を受けやすい
■ S:Sensitivity to Subtleties/些細な刺激を察知する
他の人が気づかないような音や光、匂いなど、些細な刺激にすぐ気づく
HSPの人は、感覚的な刺激に対して無意識的・反射的に対応する脳の部位、「扁桃体」の機能が過剰に働きがちで、HSPではない人と比べて刺激に強く反応し、不安や恐怖を感じやすいことが分かっています。相手の気持ちを察知して行動したり、物事を深く探究できる半面、ささいなことで動揺したり、ストレスをためてしまうこともあります。
(引用元)
HSPの人は全人口の15%〜20%と言われますが、日本人の民族性としてはもっと多いようにも感じます。
刺激に対する感受性には、人それぞればらつきがありますし、明らかな虐待やいじめを受けていなかったとしても、非常に多くの人が、大なり小なり、心に歪みや傷を抱えて大人になっています。
○セルフイメージの形成と旧日本的子育て
他人が自分をどう見るか、そこに振り回されてしまっている人は、少なくないはずです。
(最近の目立つ例としては、マスクをつけるのか、外すのか。注射を打つのか、打たないのか。と言ったような)
自分の本当のところの意思は置いておいて、周りを見て判断する。
それは社会の空気感を具(つぶさ)に感じとる、共感力の強さ、責任感の強さなども影響しているとは思います。ですが多くの人が、潜在的に他人の目、社会の目を恐れています。
他人の評価が自分の存在価値を決めるかのような錯覚を、無意識的に抱いているようです。
自分がどんな人物なのかという、自己像(セルフイメージ)の形成には、発達過程における他人からの評価、言動が大きく関係していると言われます。そして、そのセルフイメージが、人生に、とても大きな影響を与えるのです。
日本人は、海外に比べると、自己肯定感が低い人が多いと言われます。つまり、セルフイメージが良くないということです。
基本的に、平和的で真面目で親切な素晴らしい国民性だと思います。一方で、空気を読むこと、輪を乱さないことが重視され、我慢が美徳のようなところがあります。それは裏を返すと抑圧している感情や要求が多いとも言えます。
規律を乱すと叱られる。素のままの自分を出すと否定される。
他人への迷惑は御法度。お行儀の良い日本人。
子供の頃から、私たちは、どれだけ多くの「だめ!」を言われて大きくなっている事でしょう!
これを書いている私も、書きながら自分の言動を省みています。
反射的に子供に言ってしまう、「ダメ!」「こら!」「やめーい!!」
子育て経験のある方ならほぼ100%共感いただけるのではないでしょうか…。
【島にない大型ショッピングモールにテンションが上がりまくる息子の図】
本当に、子供の行動というのは全く読めません。特に長男が小さい時は初めての子育てということもあり、戸惑うばかりでした!
その中で、大きな怪我や事故につながるような危険なことなど、どうしてもダメと言わざるを得ない場面が多々あることは事実です。
明らかにダメなものはダメですが、例えば、服が汚れたら洗うのが大変だからとか、どうしてもこちら都合でダメと言いたくなってしまう場面はできる限り、グッと堪えて^^;「どうしてだめなのか?」「本当にだめなのか?」と自分に問いつつ、つい反射的に口にしてしまう、ダメの数を減らしていく心掛けは、続けていきたいと思っています。(頑張ろう母ちゃんズ!)
【予想外】
子供が小さければ小さいほど、感情その他の表現は、許していく、受け入れていくことが、ポジティブなセルフイメージ、自己肯定感に直結してくると思っています。大人になるにつれ、自分をコントロールする術は徐々に身についていくはずです。
それよりも、泣いている子供に「泣くな!」と言い、怒りを表す子供には「怒るな!」と言うことの弊害…。昔はそれが問題として扱われることはほとんどなかったと思います。しかし現在では、子供の感情に寄り添うということの重要性は、一般的に理解されるようになりました。
いつも批評され、素直な感情や要求は非難され、否定され、大人の決めたルールから少しでも外れたら叱られ。一体何が正解で、不正解なのか?度々大人の機嫌に左右され翻弄され、顔色を伺いながら行動するようになった子供達が、大きくなった時にどんなメンタリティーを持つのか。
自殺者数が世界でも常に上位にある日本。現代日本の大人が多く抱える心の問題は、HSP的な傾向を持つ人が多い国民性に加え、「こうあるべき」という暗黙的な正義のルールと関係があるのではないかと考えています。
私自身、これまでずっと、社会の目や批評をどこかで恐れている節がありました。
大人になっても、何か人とは違ったことをしようとすると、誰かに否定されたり、批判されたりするような気が、どこかしている(笑)漠然とした「普通」という枠組から、はみ出すことがなんだか怖い。
自分のことも長い間好きになれませんでした。
「こんな自分は愛されない、受け入れられない。」と潜在的に感じていましたし、自分自身の不完全さばかりに意識が向いていました。
○子育てを通して自分自身を好きになる
長い間私の中にあった不足感、自己否定感は、子育てに向き合う中で、徐々に薄まってきたという実感があります。
子供に対する不要な禁止を解いていく、不完全さを受け入れていくと、知らず知らず、自分自身に課していた禁止が解かれて自由になっていく。相手を許した分だけ、自分を許すことができるようになっていく。
子育ては、自分育てと言われることの所以が徐々にわかってきました。
子供をありのままに受け入れながら育てることで、自分自身が許されていく。解放されていく。子育ては、ダイナミックな変容の機会でした。
とはいえ、失敗したなと思うこと、反省することはたくさんあります。
子供達に謝らなければいけない場面はこれまでもたくさんありました。
こんな私ですが、子供達はいつでも私を許して、大好きだと言ってくれます。
許すこと、愛すること、子供達から様々なことを教わります!親が余計な教訓や信念を植え付けなくても、子供達はその本来の素質として、愛や思いやりをしっかりと知っていますし、本当に素晴らしい存在だと感じます。
子育ては、自分と子供、同時に向き合う分、体力的にも精神的にも、忙しいし大変なことも多いです。それでも、多くの先輩ママ、パパ達が「振り返ってみれば、あっという間だった」とおっしゃるように、今この機会を逃げずにどこまでやり切れるか、子供達に向き合えるかということが一つのポイントかなと思っています。
お兄ちゃんは6歳。妹は2歳。これまでも数え切れないほどの様々な事件(笑)を体験させてもらいましたが、これからまだ先は長い!我が家の珍事件については、いずれまたちょこちょこと、こちらでご紹介していければと思っています。
(つづく…)
他人が自分をどう見るか、そこに振り回されてしまっている人は、少なくないはずです。
(最近の目立つ例としては、マスクをつけるのか、外すのか。注射を打つのか、打たないのか。と言ったような)
自分の本当のところの意思は置いておいて、周りを見て判断する。
それは社会の空気感を具(つぶさ)に感じとる、共感力の強さ、責任感の強さなども影響しているとは思います。ですが多くの人が、潜在的に他人の目、社会の目を恐れています。
他人の評価が自分の存在価値を決めるかのような錯覚を、無意識的に抱いているようです。
自分がどんな人物なのかという、自己像(セルフイメージ)の形成には、発達過程における他人からの評価、言動が大きく関係していると言われます。そして、そのセルフイメージが、人生に、とても大きな影響を与えるのです。
日本人は、海外に比べると、自己肯定感が低い人が多いと言われます。つまり、セルフイメージが良くないということです。
基本的に、平和的で真面目で親切な素晴らしい国民性だと思います。一方で、空気を読むこと、輪を乱さないことが重視され、我慢が美徳のようなところがあります。それは裏を返すと抑圧している感情や要求が多いとも言えます。
規律を乱すと叱られる。素のままの自分を出すと否定される。
他人への迷惑は御法度。お行儀の良い日本人。
子供の頃から、私たちは、どれだけ多くの「だめ!」を言われて大きくなっている事でしょう!
これを書いている私も、書きながら自分の言動を省みています。
反射的に子供に言ってしまう、「ダメ!」「こら!」「やめーい!!」
子育て経験のある方ならほぼ100%共感いただけるのではないでしょうか…。
【島にない大型ショッピングモールにテンションが上がりまくる息子の図】
本当に、子供の行動というのは全く読めません。特に長男が小さい時は初めての子育てということもあり、戸惑うばかりでした!
その中で、大きな怪我や事故につながるような危険なことなど、どうしてもダメと言わざるを得ない場面が多々あることは事実です。
明らかにダメなものはダメですが、例えば、服が汚れたら洗うのが大変だからとか、どうしてもこちら都合でダメと言いたくなってしまう場面はできる限り、グッと堪えて^^;「どうしてだめなのか?」「本当にだめなのか?」と自分に問いつつ、つい反射的に口にしてしまう、ダメの数を減らしていく心掛けは、続けていきたいと思っています。(頑張ろう母ちゃんズ!)
【予想外】
子供が小さければ小さいほど、感情その他の表現は、許していく、受け入れていくことが、ポジティブなセルフイメージ、自己肯定感に直結してくると思っています。大人になるにつれ、自分をコントロールする術は徐々に身についていくはずです。
それよりも、泣いている子供に「泣くな!」と言い、怒りを表す子供には「怒るな!」と言うことの弊害…。昔はそれが問題として扱われることはほとんどなかったと思います。しかし現在では、子供の感情に寄り添うということの重要性は、一般的に理解されるようになりました。
いつも批評され、素直な感情や要求は非難され、否定され、大人の決めたルールから少しでも外れたら叱られ。一体何が正解で、不正解なのか?度々大人の機嫌に左右され翻弄され、顔色を伺いながら行動するようになった子供達が、大きくなった時にどんなメンタリティーを持つのか。
自殺者数が世界でも常に上位にある日本。現代日本の大人が多く抱える心の問題は、HSP的な傾向を持つ人が多い国民性に加え、「こうあるべき」という暗黙的な正義のルールと関係があるのではないかと考えています。
私自身、これまでずっと、社会の目や批評をどこかで恐れている節がありました。
大人になっても、何か人とは違ったことをしようとすると、誰かに否定されたり、批判されたりするような気が、どこかしている(笑)漠然とした「普通」という枠組から、はみ出すことがなんだか怖い。
自分のことも長い間好きになれませんでした。
「こんな自分は愛されない、受け入れられない。」と潜在的に感じていましたし、自分自身の不完全さばかりに意識が向いていました。
○子育てを通して自分自身を好きになる
長い間私の中にあった不足感、自己否定感は、子育てに向き合う中で、徐々に薄まってきたという実感があります。
子供に対する不要な禁止を解いていく、不完全さを受け入れていくと、知らず知らず、自分自身に課していた禁止が解かれて自由になっていく。相手を許した分だけ、自分を許すことができるようになっていく。
子育ては、自分育てと言われることの所以が徐々にわかってきました。
子供をありのままに受け入れながら育てることで、自分自身が許されていく。解放されていく。子育ては、ダイナミックな変容の機会でした。
とはいえ、失敗したなと思うこと、反省することはたくさんあります。
子供達に謝らなければいけない場面はこれまでもたくさんありました。
こんな私ですが、子供達はいつでも私を許して、大好きだと言ってくれます。
許すこと、愛すること、子供達から様々なことを教わります!親が余計な教訓や信念を植え付けなくても、子供達はその本来の素質として、愛や思いやりをしっかりと知っていますし、本当に素晴らしい存在だと感じます。
子育ては、自分と子供、同時に向き合う分、体力的にも精神的にも、忙しいし大変なことも多いです。それでも、多くの先輩ママ、パパ達が「振り返ってみれば、あっという間だった」とおっしゃるように、今この機会を逃げずにどこまでやり切れるか、子供達に向き合えるかということが一つのポイントかなと思っています。
お兄ちゃんは6歳。妹は2歳。これまでも数え切れないほどの様々な事件(笑)を体験させてもらいましたが、これからまだ先は長い!我が家の珍事件については、いずれまたちょこちょこと、こちらでご紹介していければと思っています。
(つづく…)