まみむのメモ(61)〈生命(いのち)輝く田んぼ〉

 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

コオイムシとヤゴ

 約5年ぶり?に水を張った田んぼですが、水性生物たちの生命輝く田んぼになりました。卵を背負ったオスのコオイムシ(タガメの仲間)、ゲンゴロウ、水カマキリ、数種類のオタマジャクシやカエル、ヤゴやトンボ。
 一番奥まった場所にある綺麗な環境の田んぼで、薬も肥料も一切使わず、田の端のぐるり数十㎝を耕しただけ(水持ちを良くする為)の田んぼは、生き物たちの生命で輝いていました。
 ちなみに耕したところはヒエなどの水性植物が繁茂しました。耕さないところとの植生が明らかに違っていました。それから田植えの時に表面の草を刈っただけのところは生育不良で、やはり草の根を鍬や鎌で削ったり、手で抜いたりして田植えをしないと草に負けるようです。

 今回の挑戦は生き物の復活、動物たちとの関わり、自然農の実際と成果、労働の年齢的な負担、等いろいろ検証できたかなと思います。
 実際お米作りは大変で、皆んなの食卓を賄ってきた農家さんたちの勤勉さには頭が下がります。
 とはいえ、経済性、生産性、高齢化、重労働など様々な要因で、農薬や除草剤、機械化によって他の生物を顧みず、自然の恩恵を受ける農業が、自然や他の生物たちのことが考えられなくなっていることに疑問を感じます。
 シャンティ・フーラの時事ブログを読んでいて認識できるようになった”経済奴隷社会”の現代。その矛盾というものが、農業のあり方をも歪めているのでしょう。
 また、これからどんなに科学が進んでも、自然を尊び、感謝することを忘れてはいけないと思います。人類が地球をもっと愛し愛される存在になりますように。人間同士だけでなく、いろんな生き物と愛し合えるようになりますように。
(まみむ)
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まみむのメモ(61)〈生命(いのち)輝く田んぼ〉
ある日、田んぼで驚きの光景に出会いました。


ギンヤンマがジョロウグモの卵の袋の近くに生きたまま捕らえられて繋がれているのです。片方の羽根だけが枝にくくりつけられ、元気な状態でした。私が田んぼに立てていた木の棒に羽根の先端がくるりと巻きつけられ、まるでボンドで分厚く固めたようにクモの糸が巻かれていました。もうすぐ孵る(かえる)であろうクモの子供たちのためだとはわかったのですが、ギンヤンマを助けずにはおられず、手で解こうとしたら、トンボの羽根の1枚の先が千切れてしまいました。もう一枚はくるっと曲がった形で外れました。

ギンヤンマを田の草につかまらせておいて、車で帰っていると目の前を2度大きなオニヤンマが通り過ぎました。まるでギンヤンマを助けたことを感謝されているような気がしました。オニヤンマがトンボの王様なんだなと思うのと、離れた所にいてもちゃんと分かっているのだと思いました。そういえばセミのように鳴いて存在を知らせることもしないトンボたちはテレパシーみたいな能力でわかり合っているんだと思いました。トンボだけでなく、蝶やいろんな虫たちの世界が少し理解できた気がします。

植物たちがテレパシーで話しているのは聞いたことがあったのですが、考えてみると虫たちもですよね。

ちなみに、同じ模様のジョロウグモが家の壁と庭木との間に巣を張っていて、私が通る度にクモの糸を切っていました。それでも逃げずに壁に4〜5日留まっていたある日、スズメバチがそのジョロウグモを獲ってむしゃむしゃ食べていたのです。



稲は1反ある田んぼの半分も植えることができませんでしたが、福岡正信さんのハッピーヒルは見たことないくらい茎が太く、穂付きの良い稲が育ちました。


手刈りで何日かかけて稲刈りをしました。刈った稲は車で運んで家の物干し竿や布団干しにかけて、テラスで雨の当たらない場所で乾燥させました。お米の乾燥具合を測る機械を借りて、15〜16という数値が出てこれなら大丈夫ということで、近所の方が田んぼで脱穀をしてくださいました。お礼は蕎麦焼酎1本で良いと・・・。


それで今は籾米の状態です。早く新米の味見がしたいのですが、町内のコイン精米所はどこも籾摺りができるところがないようなのです。

以前は籾摺りができたであろう外観のコイン精米所も行ってみると、玄米のみになっていました。農協(JA)に電話で問い合わせると、ライスセンターでは、最低でも5袋ないとできないそうなのですが、2袋そこそこしかありません。

稲刈りと同時に乾燥、脱穀、籾摺りまでするのが一般的なようです。

近所の方は、たまたまハゼ干しで稲作をされていて、稲を刈りながら束ねる機械を持っておられ、脱穀機も手で稲を通してするタイプをお持ちなのです。それでも素人には難しく、服装も巻き込まれる恐れがないようにきちんとしていないと危ないとのことで、12月初旬の天気の良い午前中に1〜2時間で脱穀をしてくださいました。

それに脱穀作業に使ったその田んぼでは、神社に奉納するしめ縄用の稲を育てておられ、普通の稲より随分と長いその稲藁を使って、脱穀した後の藁をくくってくださいました。

手前がしめ縄用の長い稲


使い慣れた道具で藁をしごいて藁くずを除き、押切で先の方を切りそろえて結んで2つに分けて広げて長くして一抱え分くらいに纏めます。

藁紐を3本づつに分けて広げて


藁で束ねる時の結び方はハゼ干しの稲にする束ね方で、左右の藁を揃えてぐるぐるっと捻って端を馳せ込む早業です。


今回の稲作で、試したかった自然農の稲作がこの齢でもできるのかという点では、むしろ身体の動きが良くなって、自由気ままにする自然農は実に健康的です。

裸足で生き物いっぱいの田んぼに入り、転ばないように歩き、下を向いてかがんでする作業です。

石油燃料の農機を使わない自然農は一人では無理そうですが、少し農機に助けられれば、なんとか食料自給はできそうです。ただし、一人で1反は広すぎでした。3〜5畝(せ)くらいがちょうど良さそうです。

もう一つの発見は、知り合いのご主人がされているバケツ稲が早くから水温上昇して、稲の生育がとても良かったことです。

田んぼの中でも、取水口に近い場所は水温が低く、稲の育ちが良くありませんでした。後から冷たい水が直接入らないように波板で迂回させてみましたが、それほど効果はなかったようです。以前の田んぼではまず小さな池を作って水を温めていました。

その点バケツの水は、苗を植えた直後頃からお風呂のお湯のようになっていて、稲がぐんぐん育ち、バケツ一杯に株が張って、株別れの本数も多かったのです。


ところが、2本植えしたものだから、あまりに稲が良く育ち、稲穂がでる段階で栄養が枯渇してしまったようで、田んぼの稲と比べると実付きが良くありませんでした。

もしかしたら途中で補いをしていれば良かったのかもしれません。

ともかくハッピーヒルは1本植えで良く育ち、そのたくましい姿はさすが自然農の福岡正信さんのお米だと感心しました。

脱穀して下さった農家さんも粒が大きいと話されて、お米の名前などメモしておられました。

稲の籾摺りが悩ましいところですが、脱穀しきれなかった短い稲の穂を鉄鍋で籾のまま炒ってみました。うまく籾だけが焼けるかなと期待したのですが、籾ははずれることはなく、炭状態になって中のお米まで火が通っていて、結構食べられました。わざわざ炭を買って食べる昨今ですが、籾の炭がいただけます。保存性も籾の方が良いので、緊急時用にこのまま保存しておくのも良いかもしれません。

お正月のしめ縄を”おどんどさん”で焼く時に、稲のお米が炭の上でポン菓子のように弾けて食べていました。もっと火力があれば、ポン菓子風に弾けるかもしれません。

”ぶっとう”という熟していないお米を臼でつぶして、水にさらして米粉を沈殿させていたと母から聞いたことがあります。籾の状態で臼で潰して水にさらして沈殿させて米粉にするという方法も考えられますが、相当手間がかかりそうです。

とりあえず隣町まで行って以前の籾摺りコイン精米機が今もあるか確かめようと思っています。

そういえばこの頃、古米を粉にしてもらって、米粉のパンケーキ?をよく作ります。重そう一つまみと松葉酢(or豆乳ヨーグルト)を入れると、フライパンでふっくらパンケーキになり、卵、ココアパウダー、野菜や果物、野草などいろいろなバージョンで楽しんでいます。


ところで、介護が必要な母は、田んぼに行ってくると伝えていても、寝て起きると忘れていて、私を探します。何度かそうしたのですが、自閉症のようになって反応が鈍くなるのでした。それで車で待ってもらって短時間で切り上げるようにしていました。

蒸し暑い時期は胃腸が弱って熱中症気味になっていたからか、私も母もほとんど玄米が食べられなくなりました。お粥のように柔らかくしても吐き戻してしまうのです。お米作りをしながらお米が食べられなくなって皮肉な感じでした。お米作りは大変だし、主食はお米という考えを改めようかとも思いました。(その頃はニュージーランド産のりんごが美味しくて元気をもらいました。)母にとって放っておかれるのがかなりストレスだったようです。白内障や緑内障にもなりました。先日は急に意識不明になって倒れて救急車を呼びました。こんなことははじめてで、幸い私がそばにいて支えていたので怪我はしませんでしたが、もし私がいない時だったらと思うとゾッとします。

救急車の後について自家用車で病院へ向かいながら、母をお助けくださいとガヤトリー・マントラを唱えていました。お陰で病院で検査してもどこも悪くなくて、自家用車で一緒に帰りました。神様に守られている安心感で心がリラックスしているのを感じ、とても幸せな気持ちになりました。母なる神様ありがとうございます。

ということで、今年はまたバケツ稲で種籾の確保だけにしようと思います。実は毎年身内がお米を届けてくれて、新米を確保できているので、とりあえずお米作りができるのがわかったので良しとしようと思います。

でも自然農のお米作りは生き物たちと触れ合えて楽しくて・・・また出会いたい・・・。お金儲けとか収量とか気にしないで自由気ままに働きたい時に働くと、身体にも心にも健康的で環境にも優しくて、自然農の自給自足ってやっぱりいいなぁと思います。

できれば地域で助け合って、健康と生物全体を考えた、欲張らない、楽しんでする、安心安全な稲作や畑作ができるといいなと思います。今回それができると実感できて大満足です。あんなに良い環境での挑戦ができたのも、知り合いが引っ越してきてくれたのも、きっと神様のお助けがあったのだと思います。田植えをしている時に昔の百姓仲間から偶然電話があり、田植えは半夏(はんげ)までにって言っていたでしょうと、3人が手伝いにきてくれたり、


動物避けの柵を毎年直したり(今回は私も参加しました)草刈りや田んぼを管理されてきた地元の方や、水路のつまりを直しに山へ度々一緒に行ってくれた知り合いご夫婦にも、近所の農家さんにも、耕運機を貸してくれたり影ながら援助してくれた身内にも、生き物たちや田んぼやたまこ様(太陽)にも、そして氏神様、皆様に感謝いたします。ありがとうございます!!



Writer

まみむ

以前「地球の鼓動・野草便り」を書かせていただき、現在「食べられる野草図鑑」連載中です。
まぁは、普通のことを普通に話しているだけなのですが、普通かどうかは基準が人それぞれですね。この頃、特に関心があるのは、これからの地球の自然と人間の関わり方。
みぃは、時々神様のお話や植物たちのお話をしてくれます。とにかくこれから良くなっていくことを信じて、ガヤトリー・マントラを日々唱えています。
むぅは、以前から知っていたのですが、最近やっと会いました。あまりおしゃべりではないけど、とってもピュアな感じ。神の存在に対する認識がこの頃できてきて、自分の良心にしたがって生きることの大切さを感じています。



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