Bappa Shota氏がペシャワール会の中村哲氏の偉業を紹介 ~「個人的には、この人こそが真のノーベル平和賞にふさわしい」

竹下雅敏氏からの情報です。
 Bappa Shota氏のアフガニスタン編の最後は、ペシャワール会の中村哲氏の偉業を紹介するものでした。
 “1984年、国際医療NGOの医師として中村さんは、パキスタンの都市ペシャワールに派遣されたが、そこで出会った人々は故郷に帰っても医師も診療所もない、戦乱の続く隣国アフガニスタンから逃れた難民たちだった(2分57秒)。…1991年、アフガニスタンに診療所を開設し、医療活動を始めた…貧困が原因で栄養失調の子どもたちが一日に何百人の患者が訪れる小さな診療所だったそうで、現在は中村さんと共に診療所を立ち上げた方が、貧しい人を見捨てないという志のもと、無料で治療を行っているみたいです(3分28秒)。…国民の90%以上が貧困。海外からの経済制裁や医療システムの崩壊などの様々な理由がある中、特に国民を苦しめてきたのが長年続いている干ばつによる水不足。枯れた農地に作物が育たず、農業国のアフガニスタンでは、過去国民の3分の1の1100万人が食料不足に陥り、600万人以上が飢餓に直面していた(9分57秒)。…この状況を打開すべく、中村さんは白衣を脱ぎ、大規模な用水路の建設を決意する(10分50秒)。…中村さんが目をつけたのが、干ばつの中でも枯れることがなかったアフガニスタン有数の大河クナール川。中村さんが考えた計画は、クナール川を出発点に用水路を作り、乾燥地帯に水を送って最終目的地ガンベリ砂漠を目指すというもの。完成すれば乾き切った農地に緑を蘇らせることができる計画であったが、土木技術に全く無知だった医師の中村さんは、ゼロから河川工学を学び水路の計画を練り上げた(11分18秒)。…2003年、用水路の建設がスタート。日本からのボランティアが建設に参加、建設費用はすべて日本のNGO団体からの寄付金で賄われ、働いた人々には日当が支給された。干ばつのために農業ができない人々にとって家族を養うための唯一の支えとなったみたいです。2010年、7年の月日を経て全長25.5kmに及ぶ水路は終着点のガンベリ砂漠に到着し、用水路が完成した(11分56秒)”と説明しています。
 「個人的には、この人こそが真のノーベル平和賞にふさわしい」というのは、多くの日本人が同意すると思います 
(竹下雅敏)
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世界最貧国で飢餓者600万人を救った日本人を訪れてみた
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