アサド大統領の即時避難を手配したロシア政府、シリア政府軍の撤退命令はロシアの要請によるもの? 〜 シリア政府軍の兵士を裏切ったのは、アサド大統領ではなくロシアか!?

竹下雅敏氏からの情報です。
 ロシアに亡命したシリアのアサド前大統領の声明が、12月16日にシリア大統領府のテレグラムの公式アカウントから、アラビア語と英語で発表されました。
 「アラビアおよび国際的な報道機関を通じてこの声明を発表しようとする試みが何度か失敗した後、唯一の実行可能な選択肢は、前大統領職のソーシャルメディアアカウントで声明を発表することでした。」ということです。
 “続きはこちらから”の記事に声明の全文が出ていたので、機械翻訳にかけたものを貼り付けました。毎日新聞の『「最後まで国守る信念あった」 シリア・アサド前大統領の声明全文』に見事な翻訳があるので、機械翻訳と比べてみてください。
 西側のジャーナリズムの劣化が激しいのは言うまでもないことですが、翻訳は機械よりも優れているみたいです。褒められるところがあってよかったです。
 アサド前大統領は声明の中で、“12月8日の朝にフメイミム空軍基地に到着すると、シリア政府軍がすべての前線から完全に撤退し、最後の部隊の陣地も陥落したことが分かった。戦況が悪化する中、ロシア軍の基地そのものも無人機(ドローン)による激しい攻撃を受けていた。基地を離れる現実的な手段がない中、ロシア政府は基地の司令部にロシアへの即時避難を手配するように要請した。これは、政府軍の最後の部隊が崩壊し、その結果、残りすべての国家機関がまひし、ダマスカスが陥落した後のことだった。”と言っています。
 12月8日の早朝までダマスカスにとどまり任務を遂行していたアサド大統領が、同日の朝にラタキアのフメイミム空軍基地に移動したということは、地下にトンネルでもあるのでしょうか?
 また、ロシア政府がアサド大統領の即時避難を手配していることから、シリア政府軍の撤退命令はロシアの要請によるものかも知れません。シリア政府軍の兵士は「我々はホムスから撤退するよう命令された。我々は裏切られたのだ」と言っていました。
 アサド大統領は「戦争の暗黒の日々が続いても逃げ出さず、自身の家族とともに国民に寄り添い、砲撃やテロリストによる首都への侵攻の脅威にもかかわらず、14年間、テロに立ち向かってきた。」と言っていますが、これはまさにこの通りです。そのアサド大統領が、「どうして国民を見捨てたり、自分の軍や国家を裏切ったりするというのか。」と問うています。
 12月14日の記事で及川幸久氏は、“HTS(ハヤット・タハリール・アル・シャーム)が11月27日から反撃を始めたわけですよね。普通だったらシリア軍と戦い、そのバックにはロシア軍がいると。強大な勢力と戦わなきゃいけなかったわけですけど、実際にはそうじゃなかった。もうその前からロシア軍とは話し合っているんですね。”と解説していることを紹介しました。
 こうしたことを考慮すると、シリア政府軍の兵士を裏切ったのは、アサド大統領ではなくロシアだということになるでしょう。もちろん高度な政治判断の上で、ということになるでしょうが、残念ながらロシアの意図は今のところ良く分かりません。 
(竹下雅敏)
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【シリア・アサド前大統領】「辞任を考えたことはない」 政権崩壊後初めて声明を発表
配信元)
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配信元)


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バシャール・アル・アサド大統領によるシリア出国に至った経緯に関する声明
転載元)

2024年12月7日土曜日の夜、シリア全土に広がったテロが最終的にダマスカスに到達したため、大統領の安否と所在について疑問が生じた。この事件では、国際テロをシリアの解放革命として再構築することを目的とした、真実からかけ離れた誤った情報や物語が氾濫した。

国家の歴史におけるこのような重大な局面では、真実が優先されなければなりません。このようなゆがみに取り組むことが不可欠です。残念ながら、当時、治安上の理由から一切の通信が遮断されていたことなど、さまざまな状況により、この声明の発表が遅れてしまいました。この声明は、展開された出来事の詳細な説明に代わるものではありません。機会があれば、その詳細を説明したいと思います。

まず、一部で主張されているように、私のシリアからの退去は計画されたものではなく、戦闘の最終段階に起こったものでもありません。それどころか、私は2024年12月8日日曜日の早朝まで、ダマスカスに留まり、職務を遂行していました。テロリスト部隊がダマスカスに侵入したため、私はロシアの同盟国と連携し、戦闘作戦を監督するためにラタキアに移動しました。その朝、フメイミム空軍基地に到着したところ、我々の軍がすべての戦線から完全に撤退し、最後の軍事拠点が陥落したことが明らかになりました。現地の状況が悪化の一途をたどる中、ロシア軍基地自体がドローン攻撃による激しい攻撃を受けるようになりました。基地から脱出する現実的な手段がなかったため、モスクワは12月8日日曜日の夕方、基地司令部にロシアへの即時避難を手配するよう要請しました。これは、ダマスカス陥落の翌日に行われた。最後の軍事拠点が崩壊し、残っていた国家機関がすべて麻痺した後のことだった。

これらの出来事の間、私は一度たりとも退陣や亡命を考えたことはなく、また、そのような提案が個人や団体からなされたこともありませんでした。唯一の行動は、テロの猛攻に対して戦い続けることでした。

私は、戦争の初日から、自らの利益のために国家の救済を取引したり、数々の申し出や誘惑と引き換えに自国民を危険にさらすことを拒否した人物が、最前線で軍の将校や兵士たちとともに立ち、テロリストからわずか数メートルの距離で戦った人物と同じ人物であることを改めて表明します。戦争の最も暗い時代に、家族のもとを離れることなく、同胞とともに留まり、爆撃や首都へのテロリスト侵入の繰り返される脅威に立ち向かい続けた人物です。さらに、パレスチナとレバノンでの抵抗を放棄したことも、味方してくれた同盟者を裏切ったこともない人物が、同胞を見捨てたり、所属する軍や国家を裏切ったりするはずがありません。

私は、個人的な利益のために地位を求めたことは一度もなく、常にシリア国民の信念に支えられた国家事業の守護者であると自負してきました。私は、国家を守り、その制度を擁護し、最後の瞬間まで自らの選択を貫くという彼らの意志と能力を揺るぎない信念を持って信じてきました。

国家がテロリストの手に落ち、意義ある貢献を行う能力を失った場合、どのような立場も目的を失い、その地位は無意味になります。しかし、これはシリアとシリア国民に対する私の深い帰属意識を損なうものではありません。この絆は、どのような立場や状況によっても揺らぐことはありません。それは、シリアが再び自由と独立を取り戻すという希望に満ちた帰属意識です。

バッシャール・アル=アサド

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