ぴょんぴょんの「めんどくさい朝鮮半島」 ~何百年も続いた貢女(コンニョ)の悪習を終わらせた日本

 今回は、これまで「世界史の原理より(1)」と「世界史の原理より(2)」で参考にした、茂木誠・宇山卓栄著「日本人が知らない!世界史の原理」から、朝鮮半島に関する章を取り上げてみました。
 日常会話で、韓国や北朝鮮が話題が上ることがめったにないのは、へたに話すと相手の意見と食い違ったりと、センシティブで難しいテーマだからだと思います。
ページ数:「日本人が知らない!世界史の原理」
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「めんどくさい朝鮮半島」 ~何百年も続いた貢女(コンニョ)の悪習を終わらせた日本

朝鮮人と日本人の違い


今、韓国は大変だね。

ああ、昨年末の尹(ユン)大統領の戒厳令、そしてチェジュ航空の事故。

Author:자연속으로[CC BY]

どちらも早く収まって、平常に戻ってほしいね。

そうだが、いつも思うんだ。韓国という国は、海を隔ててすぐそばにあるのに、なぜか遠い感じがする。北朝鮮となると、違う星かと思うくらいに遠い。

まあね。でも、昔とちがって今は、韓流ドラマやKPOPで韓国を身近に感じる人も多いよ。

そうだな。おれのおふくろもヨン様にハマってからと言うもの、韓国のイメージが180度変わったからな。


そうだよ、時代は変わるんだよ。

とは言っても、どっかギクシャクしてる感じは、なくならないんだよな。

たしかに。韓国人と日本人て外見はそっくりなのに、物事の捉え方とか、反応の仕方が違いすぎて、まったく別の人種って気もするね。茂木先生はこう言ってる。「もともと朝鮮人と日本人とは、遺伝子的には非常に近い関係でした。古代朝鮮語は、単語レベルで古代日本語とよく似ており、ある程度はコミュニケーション可能だったと考えられます。白村江の戦いの敗北日本人(倭人)が半島から撤収し、逆に満洲方面の北方民族が半島への侵入を繰り返した結果、両国は別の道を歩み始めました。そして何より決定的だったのは、モンゴル帝国の支配を受けたかどうかだったのです。(293p)」

白村江の戦い
Author:Stillskywkpd[CC BY-SA]


なるほど。つまり、もともとは同じ人種だったが、他民族による侵略が繰り返されるうちに、すっかり違う人種に入れ替わっちまった。

それだけじゃなくて、朱子学の影響もあるね。江戸時代、日本を訪れた朝鮮の使者たちは皆、江戸や大坂の発展ぶりを見て感嘆した。と思ったら、残された書物には、日本人を軽蔑しているふうに書かれている。茂木先生は言う。「現実として日本の発展を認め、素直に驚嘆している人間が、日本人に対してはすさまじい差別意識を向けてくる。これが朝鮮民族というものを理解する上で、今日でも非常に重要なポイントなのです。(288p)」

なんで、そんなにひねくれてるんだ?

朱子学の影響だって。朱子学によると、日本人は「夷狄(いてき)」と称される野蛮人だから、「穢れた愚かな血」「獣のような人間」「犬にも等しい輩」なんだそうだよ。

ひでーなあ! 映像配信の「家族の絆〜夫婦(53)」で習った朱子学は、もっとまともだったぞ。


貢女(コンニョ)の悲劇


そう言えば、「貢女(コンニョ)」って、知ってる?

コンニョ?

上位国の高官に差し出す美女のことだよ。長いこと侵略者に支配された朝鮮半島は、属国扱いされて、上位の国に都合の良い「朝貢(ちょうこう)」によって、多額の金銭・物品やコンニョなどの貢ぎ物を強制されたんだよ。

地続きの国は大変だなあ。

実際、コンニョには多くの悲劇があった。娘が生まれても他人に知られないように隠したり、娘を出家させたりしました。美しい娘が生まれれば、親は娘の顔に劇薬を塗って、皮膚をただれさせました。足を引きずり、わざと障害のあるフリをさせたり、金持ちならば賄賂を出して連行を免れたりしました。ただし、娘を隠していたことが発覚すれば、村全体が残酷な刑で処罰されました。娘を持つ家も持たない家も、『貢女』をめぐって地獄を強いられたのです(202p)。」

ひでえ!

だけど、「このような中華帝国への朝鮮従属の長い歴史を断ち切ったのは日本でした(202p)」「日清戦争で清は自らの不利を悟り、日本に講和を求め、李鴻章が下関にやって来て、伊藤博文と交渉し、1895年、下関条約を締結します。(中略)...下関条約により、清が朝鮮の独立を承認します。この瞬間、日本は朝鮮を独立させたのです(204p)。」

1895年4月17日に調印された下関条約
Author:World Imaging[CC BY-SA]

おおお!!

その下関条約の第1条にはこう書いてある。〈清国は、朝鮮が完全無欠な独立自主の国であると認める。よって、独立自主を害する、朝鮮から清国への朝貢は廃すべし。(203〜204p)〉

やったー! もう、コンニョを貢がなくてもいいんだ。良かったなあ。


誤解の多い隣国への認識


朝鮮の人たちも喜んで、中国の勅使を迎えるための「迎恩門」を取り壊し、新たに「独立門」を建てた(1897年)。だけど、現代の韓国人は「独立門」を、日本からの独立を記念した門で、日本への恨みを忘れないための遺跡と勘違いしているって。「『独立門』は日本への恨みを表したものではなく、感謝を表したものなのです(205p)。」

ソウルにある独立門
Author:Rtflakfizer[CC BY-SA]

あ〜あ、そんな昔でもないのに、誤解がひどすぎる。

たぶん、韓国の学校でそう教えているんだよ。

まあ、日本の教科書も似たようなもんだが。

しかし、なんで、韓国や中国、ロシアみたいな隣国と仲良くするのは、こんなに難しいんだろう?

アメリカだな。継母が継子に言い聞かせるように、アメリカは言う。「日本ちゃん、お前は私の言うことを何でも聞くいい子だわ。いい子なら、ロシア君や、中国君、韓国君、北朝鮮君みたいな悪い子と仲良くしちゃダメよ。いつまでも、私だけの言うことを聞く、いい子でいなさいね。よしよし。」

アッハ!そんな、子どもでもわかるようなごまかしに、まんまと引っかかる日本。

日本での韓国に対する意見もバラバラだからなあ。正しい判断をするには、韓国の本当の歴史を知らないとな。でも、学校でも満足に教えてくれないし、マスコミは当てにならないし。


過酷な歴史だった李氏朝鮮


自分で調べるっきゃないね。ぼくの調べた範囲でいいなら、教えてあげるよ。

よろしく頼む。

最初から全部話すと長くなるから、「明〈1368〜1644〉」の時代から始めるね。その頃の朝鮮半島は、「コリア」の語源になる「高麗(こうらい)国〈918〜1392〉」が支配していた。ところが「高麗国」は1392年、李成桂(り せいけい、イ・ソンゲ)によって滅ぼされた。

李成桂
Wikimedia_Commons[Public Domain]

李成桂、どっかで聞いたことあるな。

安倍ぴょんのご先祖、李氏朝鮮の生みの親だよ。

安倍晋三
Wikipedia[Public Domain]

ああ、そうだった。

でもね、あまり誇れるようなご先祖じゃないんだ。たしかに李成桂は、「高麗国」で信頼された軍人だった。でも、「高麗国」がモンゴルに攻撃されている時、「モンゴル征伐に行ってきまーす」って出かけた李成桂は、こっそりUターンして、城にいた王様を殺したんだよ。

なんと、クーデターかよ!

王位についた李成桂は、「高麗国」が上国と崇める「明」から、「朝鮮」という王朝名をもらった(199p)。これまでも「朝鮮」という国があったので、李成桂の「朝鮮」、つまり「李氏朝鮮」と呼ばれるようになった。

そっか。今までなんで「李氏朝鮮」? と思ってたのが、やっとわかった。

日本では、「朝鮮」という呼び名はあまり好まれないけど、朝鮮の人にとっては、誇りある名称だそうだ。「モンゴルから独立した李成桂は、明の皇帝から提示された『朝鮮』の国号復活を喜び、『朝陽の鮮やかなるところ』、つまり『東方の地域』という意味で解釈しました(197p)。」

鮮やかな朝日が上る場所、という意味だったのかあ。

ところが、朝鮮の北の狩猟民族、女真族(じょしんぞく)が勢力を増すと、隣国の李氏朝鮮にちょっかいを出し始めた。

「女真國」の人物
Wikimedia_Commons[Public Domain]

女真族?

女真族は後々、満州人と呼ばれる民族だよ。1635年に「女真国」の2代皇帝ホンタイジは「女真族」→「満洲族」、国名を「女真国」→「後金」→「清」に改めた(217p)。

ここは試験に出そうだなあ。

そして1636年、「清」の皇帝に即位したホンタイジは、即位式に朝鮮の参列を求めた。ところが、「朝鮮国は夷狄には頭を下げない」とつっぱねた。

ホンタイジ
Wikipedia[Public Domain]

夷狄、いてき? 野蛮人のことだっけ。

そう。文明的な「明」に従属する朝鮮からしたら、なんで「清」みたいな野蛮人の命令を聞かねばならないって感じ? すると翌年、ホンタイジは朝鮮の漢陽(ソウル)を攻略して、朝鮮王に、3回ひざまずいて9回頭を床につける「三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)」を強要した(295p)。

なんとまあ、屈辱的な。

それだけじゃない。50万人の朝鮮人捕虜を「清」に連行し、強制労働させた。

50万人も! 保護国の「明」は何をしてたんだ?

その頃の「明」は末期で、そんな力はなくて、結局「清」に滅ぼされてしまった(1644年)。「清」はその後、朝鮮を生かさず殺さず、飼いならし、搾取し続けた。以後、日清戦争で「清」が敗れるまでの260年間、朝鮮王は「清」の皇帝の臣下とされ、服従を誓わされた(295p)。

李氏朝鮮、過酷な歴史だったんだなあ。

こういう虐げられてきた歴史が、今の朝鮮半島の人たちに影響している、と宇山先生は言う。「こうして、朝鮮人はどれだけ懸命に働いても、全て奪われるという搾取構造の中に貶められますが、それが当然、彼らの精神を長年にわたり、蝕んでいったことは想像に難くありません(296p)。」

なるほどなあ。朝鮮半島の人々の激しい感情は、唐辛子の食べすぎじゃなくて、歴史のせいだったんだ。


1875年、日本はアメリカ、イギリス、フランスが失敗した朝鮮開国に成功した。

なんで、日本だけうまくやれたんだ?

「清」がYESと言わなければ、朝鮮の開国は無理だった。だけど、朝鮮の上司「清」が態度を変えたんだ。ちょうど、「清」が朝鮮を属国と認めると不利になるタイミングでね。

たまたま、運が良かったのか。

その時の「日朝修好条規」第1条には、「朝鮮国は自主の邦にして、日本国と平等の権利を保有せり」、つまり「朝鮮は独立国家で、日本とは対等」と書いてある。なのに日本の教科書には、「日本が武力で強制し、日本の領事裁判権を認めた不平等条約だった」「日本による植民地化がはじまった」と書かれているんだ(203p)。

だから、教科書は当てにならない。

そして、朝鮮の2回目の独立は日清戦争後、1895年の下関条約によるものだった。

さっき話した、コンニョが廃止された、めでたい条約だな。

こうして、李氏朝鮮は「清」の属国から脱却して独立し、李氏朝鮮は国名を「朝鮮」から「大韓帝国」に改めた。

「大韓民国」とまぎらわしいな。


日本による朝鮮支配


さて、ロシアを弱体化させたいイギリスは、日本に出資して、ロシアに対する戦争をけしかけた。これが日露戦争だよ。イギリスの思惑通りに勝利した日本は、「大韓帝国」から外交や軍事などの主権を奪って、保護国化を進めた。これに対して、「大韓帝国」の人々は激しく抵抗した。

Wikipedia[Public Domain]

当たり前だろ。せっかく「清」の支配が終わって、「コンニョ」を差し出さなくてもよくなったのに、また新たな支配者が現れるとは。うれしいはずないわ。

朝鮮を支配下に置くために、日本は根回しもやった。アメリカとは、フィリピン支配を認める代わりに(1905年)、ロシアとは、外モンゴル支配を認める代わりに(1907年)、イギリスとは、インド支配を認める代わりに、日本の朝鮮支配を認めさせた。世界史の窓

その時代の日本の外交力は、大したもんだ。

ジョルジュ・ビゴーの風刺画「魚釣り遊び」: 魚(朝鮮)を釣り上げようとする日本と中国()、横どりをたくらむロシア。(Wiki
Wikimedia_Commons[Public Domain]

だが、日本は朝鮮を支配するより、独立を助けてやれば良かったのに。

でもね、日本にとっても死活問題だったんだよ。自力で独立したことがないヨワヨワの朝鮮が、イギリスやアメリカやロシアに支配されたら、日本はどうなる?

海を挟んですぐそこに、イギリス、アメリカ、ロシアがいるのはイヤだな。

でしょ? そして1910年、「韓国併合に関する条約」が公布されたけど、ここの「韓国」は今の韓国じゃなくて、北朝鮮も含めた「大韓帝国」の意味だからね。

あー、めんどくせ〜。

でもね、「韓国併合」の解釈が一番、噛み合わないポイントじゃないかな? ある人は、何もなかった韓国に莫大な資金をつぎ込んで、学校やインフラを建設して、韓国人も日本人と平等に教育した日本が、感謝されるどころか反発されるのは失敬だと思い、ある人は、日本人は韓国人を平等に扱わなかったから、「3・1運動」のような独立運動が起きたと言う。

どっちが本当だ?

「韓国併合」とは、「1910年、韓国併合に関する条約によって日本が併合し領土化した。その後、朝鮮総督府を通じて1945年までの35年間、植民地として統治した」ことなんだけど。(世界史の窓

韓国は日本の「植民地」だったのか?

そこなんだよ。「植民地」という呼び方も論争のタネになってるんだ。YouTube「朝鮮半島の歴史と反日感情の理由」のコメントを見ても、「植民地支配じゃない、条約を結んで併合したんだから」「日本は教育改革をして、インフラを作ったり、整えた、守った、そういう良いことをしたじゃないか」。一方、「条約を結ばされたんじゃないですか?併合しなかったらどうなるか、わかってるだろな。という圧力をかけられたから併合した。それは植民地支配だ」という具合。

めんどくせえなあ。つうか、「韓国併合」じゃなくて、「日韓併合」じゃなかった?

「日韓併合」だと、まるで日本が韓国の主権を奪ったみたいだから。って言うか、実際はそうだったんだけどね。「日本と韓国が対等に合併した」と思わせるために、教科書は「韓国併合」となってるそうだよ。世界史の窓

ああ、いちいちめんどくせえ!

韓国併合は押しつけで、ウェルカムじゃなかったという韓国。「韓国併合」は正当で、朝鮮人は日本人と平等に扱われたという日本。

この見解の相違が、今でも尾を引いているんだな。

「韓国併合条約」を見れば、韓国の人たちの思いもわかるよ。第1条「韓国皇帝陛下は、韓国全部に関する一切の統治権を完全且つ永久に日本国皇帝陛下に譲渡する」 第2条「日本国皇帝陛下は、前条に掲げたる譲渡を受諾し、且全然韓国を日本帝国に併合することを承諾す」。(世界史の窓

「韓国全部に関する一切の統治権を完全且つ永久に譲渡する」なんて聞いたら、ふつうに反発するだろ?それに、日本国皇帝陛下ってだれ? 天皇じゃないのか? もしか、裏天皇?

韓国が「天皇」という呼称をイヤがったかも。「つまり、韓国皇帝が日本天皇に譲渡したとして、韓国併合を実現した。(中略)...韓国側は『韓国』の国号と、皇帝に王称を与えることに固執したが、日本政府は前項は認めず、名称を『朝鮮』とし、退位する皇帝純宗には『王殿下』の称号を与えた。」(世界史の窓

李成桂の作った、李氏朝鮮の皇帝純宗は退位させられたのか。これ、李氏朝鮮王朝からすると、屈辱以外のなにものでもないぞ。

李氏朝鮮の末裔が日本人に復讐したとしても、ふしぎじゃないよね。


李氏の出自は?


ああ、これでわかった。李成桂の血筋である創価学会、大本教、統一教会、岸信介、安倍ぴょんらは、その時の恨みを晴らしているんだ。

どうだろうね? でも、ここら辺の家系図は、「時事ブログ」や、「ユダヤ問題のポイント」にいっぱいあるし、最近の「24/12/23 フルフォード情報英語版」にもあったよね。「安倍晋三と日本の皇室、そして北朝鮮の金正恩は、親戚関係で全員、李氏朝鮮の皇族だとして、その詳細な家系図を載せています。また、拉致被害者である横田めぐみさん(金正恩の母であると噂される)と北朝鮮外務省チェ・ソンヒ(現外務大臣)の画像を載せており、同一人物であることを匂わせています。ちなみに2人とも1964年生まれです。」

横田めぐみ
Author:警察庁[CC BY]

崔善姫(チェ・ソンヒ)
Wikimedia_Commons[Public Domain]

横田めぐみさんは北朝鮮の外務大臣になってるとか、ニュースにしたら大騒ぎだぞ。

ところで、李氏と言う名字は、朝鮮ではありふれた名字だけど、李成桂は、朝鮮半島の朝鮮族じゃないらしいよ。「モンゴル人であれ、あるいは、女真人であれ、朝鮮族出身ではなく、李朝は、異民族王朝であったようです。」(時事随想抄

朝鮮族じゃない? 女真族(満州人)でもない? モンゴル人? 異民族王朝?

だから、身元不詳の民族ってことだよ。

となると、まさか、「イスラエルの失われた10支族」のユダヤ人

もお、今ごろ、何言ってんの! 竹下先生はとっくの昔におっしゃってたよ。「そう考えると安倍政権のやっていることが、とてもよくわかります。イスラエル、ユダヤの末裔である彼らが、世界支配という野望を実現しようとして、これほど民意を無視することに対して、大変な不快感を感じます。」(時事ブログ

うおー! これ、2015年の記事か? なんと、今頃ガッテンしちまったわ。

今の、韓国と北朝鮮は、いかにも仲が悪いように見せかけて、実は笹川良一の弟、畑中理(おさむ)が建国した北朝鮮。そして、彼らと血のつながりのある李氏朝鮮王朝の末裔は、太平洋戦争でアメリカに日本を支配する権力を与えられた。

韓国も北朝鮮も双子みたいなもんか。だが、日本、朝鮮半島、満州をひとつに束ねる希望のプリンス、安倍ぴょんは殺された。いったい、何が起きているんだ?

さあね。内輪もめかな?

謎だらけ・・。


Writer

ぴょんぴょんDr.

ぴょんぴょん

1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
(クリニックは2014年11月末に閉院)
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)


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