竹下雅敏氏からの情報です。
注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
――――――――――――――――――――――――
JAL123便墜落事故-真相を追う-2015年の慰霊(4)
記事配信元)
(新) 日本の黒い霧 15/6/12
本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
記事の提供元にてご覧ください。
記事の提供元にてご覧ください。
――――――――――――――――――――――――
堀川辰吉郎
転載元より抜粋)
堀川 辰吉郎(1891年9月3日 - 1966年12月19日)は「昭和天一坊」と呼ばれた詐欺師。世界救世教元最高顧問。善隣会最高顧問で、出口王仁三郎の黒幕とも呼ばれた。
京都堀川(旧皇居の所在地)の生まれと自称。戸籍上は1891年生まれとされるが、当人は1884年生まれと自称しており、1879年8月31日に大正天皇と1分違いで生まれたとの設定も作られている。生後まもなく福岡の堀川家に預けられ、頭山満や井上馨の庇護を受けて育ったと伝える資料もある。
折あたかも、頭山を頼って日本に亡命していた孫文が帰国の途につこうとしていた際であった。13歳のある日、頭山の依頼で孫文に托されて中国に渡ることとなったという。以後、1912年まで孫文と生死を共にして辛亥革命の成功に尽力した。このとき孫文が周囲に対して堀川を「日本の若宮」と紹介し、「日本が我らに若宮を托したことは、わが革命軍に対する日本の賛意の証」と主張して政治宣伝に利用したことが、堀川をして明治天皇の落胤とする風説の根拠の一つとなっている。
その後、奉天の世界紅卍字会の会長に推され、帰国後、1935年、大日本国粋会第3代総裁に就任。反軍閥運動のため東條内閣と対立し、ふたたび中国に渡った。敗戦と共に帰国。国粋会総裁という経歴が災いして戦犯容疑でGHQに逮捕されたが無罪放免となった、と中丸薫は伝えている。
中丸薫によると、戦後の堀川は世界連邦運動を推進し、1951年のサンフランシスコ講和条約会議に際しては舞台裏の根回しに奔走したという。世界各国に48人の妻と88人の子、143人の孫を持つと自称していた。正妻は九州の炭鉱王貝島太助の娘。四女は、新日本製鉄会長永野重雄の長男永野辰雄(大同鋼板社長)と結婚。堀川自身は「明治天皇の落胤」と名乗らぬまま巧みな演出やほのめかしを通じて人にそう思わせる術に長けていた。堀川の娘と名乗る国際政治研究家・ジャーナリストの中丸薫は「明治天皇の孫」と僭称している。
出自に関して
後に堀川の娘と名乗る中丸薫によって、堀川が明治天皇と女官の「千草任子」の間に出来た隠し子という設定が雑誌に発表された。堀川が明治天皇の落胤であるという話は、確認できる限りでは、堀川の娘と名乗る中丸薫の著書『対米外交・対中外交』(サイマル出版会、1971年)が初出である。山川暁夫は、この主張を真に受けて、堀川のことを明治天皇の落とし子、孫文の片腕、紅卍会の幹部、M資金の管理者の一人と呼んでいる。
皇室ジャーナリストの河原敏明は、「中丸薫さんの出生そのものが判然としないし、また堀川氏がご落凰というのも噂にすぎない。もちろん宮内庁では相手にしていない。こうなると、中丸さんが明治天皇の孫だという確率はゼロにも等しいわけである」と述べている。
世界救世教の乗っ取り
堀川は、既に1924年頃、蒙古入り当時の出口王仁三郎から20万円を取り上げたと伝えられている。この出口王仁三郎による大本教の元信者が世界救世教(メシヤ教)の教祖岡田茂吉である。戦後の「おひかり様」ブームには大陸浪人らが群がっていたが、堀川は、教団の最高顧問として大きな発言権を持つに至り、それと同時に同教団の教義は米国風の国際色を露骨に強めた。
1955年2月10日に岡田茂吉が死亡すると、同教団の30億円から50億円といわれる財産をめぐって争いが始まる。堀川もまた同教団の実権の掌握を狙い、静岡地裁に訴訟を起こした。しかし最終的にこれは訴えの取下げになった。
隠退蔵物資奪還事業への介入未遂
1949年、隠退蔵物資の77億円相当の金銀塊が東京湾から引き揚げられ、米軍に接収されたことがある。これに対し、政治団体「新日本党」総裁を名乗る水谷明が金銀塊の奪還を計画した。この水谷は、奪還に成功した暁には、金銀塊すべてを東久邇稔彦に献上するつもりだったが、1960年には運動資金が枯渇して事業からの撤退を余儀なくされたという。1962年には、水谷は「ありもしない金銀塊事件を捏造し、30人近くから大金を騙し取った詐欺師」として逮捕起訴され、のち実刑判決を受けた。
京都堀川(旧皇居の所在地)の生まれと自称。戸籍上は1891年生まれとされるが、当人は1884年生まれと自称しており、1879年8月31日に大正天皇と1分違いで生まれたとの設定も作られている。生後まもなく福岡の堀川家に預けられ、頭山満や井上馨の庇護を受けて育ったと伝える資料もある。
折あたかも、頭山を頼って日本に亡命していた孫文が帰国の途につこうとしていた際であった。13歳のある日、頭山の依頼で孫文に托されて中国に渡ることとなったという。以後、1912年まで孫文と生死を共にして辛亥革命の成功に尽力した。このとき孫文が周囲に対して堀川を「日本の若宮」と紹介し、「日本が我らに若宮を托したことは、わが革命軍に対する日本の賛意の証」と主張して政治宣伝に利用したことが、堀川をして明治天皇の落胤とする風説の根拠の一つとなっている。
その後、奉天の世界紅卍字会の会長に推され、帰国後、1935年、大日本国粋会第3代総裁に就任。反軍閥運動のため東條内閣と対立し、ふたたび中国に渡った。敗戦と共に帰国。国粋会総裁という経歴が災いして戦犯容疑でGHQに逮捕されたが無罪放免となった、と中丸薫は伝えている。
中丸薫によると、戦後の堀川は世界連邦運動を推進し、1951年のサンフランシスコ講和条約会議に際しては舞台裏の根回しに奔走したという。世界各国に48人の妻と88人の子、143人の孫を持つと自称していた。正妻は九州の炭鉱王貝島太助の娘。四女は、新日本製鉄会長永野重雄の長男永野辰雄(大同鋼板社長)と結婚。堀川自身は「明治天皇の落胤」と名乗らぬまま巧みな演出やほのめかしを通じて人にそう思わせる術に長けていた。堀川の娘と名乗る国際政治研究家・ジャーナリストの中丸薫は「明治天皇の孫」と僭称している。
出自に関して
後に堀川の娘と名乗る中丸薫によって、堀川が明治天皇と女官の「千草任子」の間に出来た隠し子という設定が雑誌に発表された。堀川が明治天皇の落胤であるという話は、確認できる限りでは、堀川の娘と名乗る中丸薫の著書『対米外交・対中外交』(サイマル出版会、1971年)が初出である。山川暁夫は、この主張を真に受けて、堀川のことを明治天皇の落とし子、孫文の片腕、紅卍会の幹部、M資金の管理者の一人と呼んでいる。
皇室ジャーナリストの河原敏明は、「中丸薫さんの出生そのものが判然としないし、また堀川氏がご落凰というのも噂にすぎない。もちろん宮内庁では相手にしていない。こうなると、中丸さんが明治天皇の孫だという確率はゼロにも等しいわけである」と述べている。
世界救世教の乗っ取り
堀川は、既に1924年頃、蒙古入り当時の出口王仁三郎から20万円を取り上げたと伝えられている。この出口王仁三郎による大本教の元信者が世界救世教(メシヤ教)の教祖岡田茂吉である。戦後の「おひかり様」ブームには大陸浪人らが群がっていたが、堀川は、教団の最高顧問として大きな発言権を持つに至り、それと同時に同教団の教義は米国風の国際色を露骨に強めた。
1955年2月10日に岡田茂吉が死亡すると、同教団の30億円から50億円といわれる財産をめぐって争いが始まる。堀川もまた同教団の実権の掌握を狙い、静岡地裁に訴訟を起こした。しかし最終的にこれは訴えの取下げになった。
隠退蔵物資奪還事業への介入未遂
1949年、隠退蔵物資の77億円相当の金銀塊が東京湾から引き揚げられ、米軍に接収されたことがある。これに対し、政治団体「新日本党」総裁を名乗る水谷明が金銀塊の奪還を計画した。この水谷は、奪還に成功した暁には、金銀塊すべてを東久邇稔彦に献上するつもりだったが、1960年には運動資金が枯渇して事業からの撤退を余儀なくされたという。1962年には、水谷は「ありもしない金銀塊事件を捏造し、30人近くから大金を騙し取った詐欺師」として逮捕起訴され、のち実刑判決を受けた。
これまで八咫烏の記事をご覧になった方は、これは3代裏天皇・前田ゴロウ(オクラディッシュ・ハーマン)が、この年に新しく裏天皇の位についたのだと推測出来ます。
以前の時事ブログの記事のコメントで、初代裏天皇は大室寅之祐ではなく本物の睦仁親王であり、2代目は堀川辰吉郎、3代目が前田ゴロウだと指摘しました。
“続きはこちらから”以降の記事をご覧ください。堀川辰吉郎は、昭和41年(1966年)に死亡しています。この後を前田ゴロウが継いだわけです。先の記事の11月23日という日付は、おそらく前田ゴロウの誕生日だと推察出来ます。
このように様々な事実が、日本に八咫烏を中核とする裏天皇組織が存在することを示しています。堀川辰吉郎の略歴を見れば、彼の娘を名乗る中丸薫氏は、自らを「明治天皇の孫」としていますが、これは正しい表現です。明治天皇にすり替わった大室寅之祐ではなく、本物の睦仁親王の孫なのです。
すでに前田ゴロウは亡くなっており、現在は前田ゴロウのクローンが存在しているに過ぎません。本来なら4代目裏天皇として中丸薫氏が即位しているはずなのです。
彼女の経歴を見てください。世界中の要人にインタビューをしています。ロスチャイルド家当主、デーヴィッド・ロックフェラー、キッシンジャーなど、名だたる要人と一緒に写っている写真を目にすることが出来ます。特殊な血筋の者以外には、このような事は出来るはずがありません。
堀川辰吉郎や中丸薫氏をペテン師だと考える人も多いのですが、私の直観では、正当な天皇の血筋を受け継いでいるのは中丸薫氏の方であって、現代の皇室ではありません。
こうした事が公になると、日本は大混乱になると考えています。