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元ウクライナ外交官 オルガ・スハレフスカヤ氏の「ウクライナの政治的暴力の100年」 ~ウクライナの民族主義者が赤ん坊や妊婦にさえも残酷な仕打ちを行ったという衝撃的な内容

竹下雅敏氏からの情報です。
 元ウクライナ外交官、オルガ・スハレフスカヤ氏の「ウクライナの政治的暴力の100年」です。ものすごい内容です。
 “1914年秋にオーストリア・ハンガリーに設置されたヨーロッパで最初の強制収容所は、帝国の自国民を収容するためのものであった。…最も残酷な拷問と殺人を行ったのは、ウクライナの民族主義者たちだった。…ポーランドの「ウクライナ民族主義者の犯罪の犠牲者の記憶の会(SUOZUN)」が収集した資料には、ウクライナの民族主義者が赤ん坊や妊婦にさえも残酷な仕打ちを行ったという衝撃的な内容が含まれている。”と書かれています。
 どうすればこれほどの残虐行為ができるのか。しかし、こうした残虐行為が、ウクライナの民族主義者に今も受け継がれているという事実を知らなければ、ロシアの「特別軍事作戦」の意味を理解できないでしょう。
 「オデッサの虐殺」は、“2014年5月2日、ウクライナ南部の港湾都市オデッサで、政権支持派と親ロシア派が衝突しているさなか、労働組合ハウスで火災がおき、焼死者32人を含む46人が死亡したと言われる事件”ですが、こちらのツイート動画「1分半でわかるオデッサの悲劇」を見ると、“ネオナチ暴徒に追い立てられて建物に逃げ込む人々。建物内まで追ってきて上階に追い詰める。建物に放火し窓から逃げようとする人達を銃で撃つ。死体を喜ばしげに観察し数える暴徒”の様子が分かります。
 この「ウクライナの民族主義者」を操っているのがCIAであることは、5月12日の記事で紹介した一連のツイートから良く分かります。また、3月18日の記事の動画では、“つい最近、機密解除されたCIAの公式文書では、1946年以来、米国情報機関とウクライナの民族主義者の強い結び付きがあり…第二次世界大戦後、バンデラとウクライナのナチス指導者たちは、ヨーロッパに逃れ、CIAが彼らをかくまった”と言っていました。
 「ウクライナの民族主義者」と「イスラム国(ISIS)」に、それほどの違いはないと思いますが、“ISISの創設者はバラク・オバマとヒラリー・クリントンで、ISISに武器を与え訓練していたのがアメリカ”でした。
 アメリカは、このように世界中にテロを輸出しているテロ支援国家で、CIAの残酷さに比べれば、ウクライナの民族主義者などは、まだまだという気がします。そのCIAに好きなようにされながら、“何処までもアメリカについてゆく”というおめでたい国もあります。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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ウクライナにおける1世紀にわたる政治的暴力が、今日の残虐行為とどのように結びついているのか
転載元)
ウクライナの民族主義的残虐行為の歴史は、西側ではほとんど議論されず、知られていない重要な要因である
(中略)
足を撃たれた兵士が痛みに悲鳴を上げる。失血とショックで死んでいく者もいる。周囲には医療を施す者がいない。対戦車砲に磔にされ、金属製の「ハリネズミ」につながれ、生きたまま焼かれるロシア兵...。
 
多くの人にとって、ウクライナ軍や民族主義者の大隊に拷問され殺されたロシア軍人の生々しい映像は、本当に衝撃的だった。しかし、ウクライナの「民族の自由のための戦士たち」の「伝統」を知っている人たちは、この種のことに100年以上の歴史があるため、驚かなかったのである。
 
ヨーロッパ初の強制収容所
 
ヨーロッパで最初の強制収容所であるテレジンとターラーホフは、1914年秋にオーストリア・ハンガリーに設置されたが、戦争捕虜ではなく、帝国の自国民を収容するためのものであった。これは、当時「ヨーロッパの病人」であったウィーンが、隣国ロシアに同調する国民から東部国境地帯を守ろうとした方法である。第一次世界大戦が始まる直前、オーストリアとロシアの間に戦いが起こった。オーストリア・ハンガリー帝国最後の皇帝カレル1世は、1917年5月7日の勅令で、「逮捕されたロシア人はみな無実だが、有罪にならないように拘束された」と告白している。
 
オーストリア当局が主張するようにウクライナ人と名乗ることを望まず、「ルシン人」という名前を使い続けたガリシア出身の人々は、テレジンの守備隊要塞とシュタイヤーマークの首都グラーツ近くの谷の2カ所で逮捕、収容された。テレジンの囚人は、地元のチェコ人の支援を得て、要塞の地下室や地下牢に収容されたが、後にターラーホフと呼ばれる強制収容所は、有刺鉄線で囲まれた裸の原っぱに過ぎない。
 
現在、ガリシア地方の大部分は西ウクライナにあり、最大の都市はリヴィウである。リヴィウは、オーストリア人がレンベルグ、ソビエト人とポーランド人がリヴォフと呼んでいた。 
 
1915年9月に最初の囚人が連れてこられ、最初の兵舎が建てられ始めたのは翌年初頭である。それまでは、雨と寒さの中、野外に寝かされていたのである。アメリカの下院議員ジョセフ・マコーミックによると、捕虜はしばしば殴られ拷問を受けたという。(Terrorism in Bohemia; Medill McCormick Gets Details of Austrian Cruelty. 'New York Times', December 16, 1917)
 
非人道的な状況を生き抜いた人々の回想録(約2万人の囚人が収容所を通過)によると、1915年の前半だけで3800人が処刑され、1年半で3000人が恐ろしい環境と病気で死亡したという。ターラーホフの地獄に耐えた作家、詩人、文芸評論家、歴史家のヴァシリー・ヴァルヴィクは、収容所での残虐行為を次のように表現している。「人々を威嚇し、我々に対する彼らの力を証明するために、刑務所当局はターラーホフ広場の至る所にポールを打ち込み、残忍に殴られた殉教者たちはしばしば言葉にならない苦しみの中で吊るされた。」
 
ウクライナ人はどうなんだ? 実は、ターラーホフ収容所を警備するために、ウクライナの民族主義者が特別に採用されたのです。多くの証言によると、ガリシアのロシア人知識人のほぼ全員と何千人もの農民からなる逮捕者たちも、ウクライナ人によって収容所に護送されたという。
 
実際、「ターラーホフ年鑑」に記載された記述には、カルパチアのラヴォチノイエ村のウクライナ人シホヴィキが、ロシア人が一人もいない囚人たちを銃剣で刺そうとした様子が詳細に記されており、その中には、同じガリシア人ばかりであることが示されている。
 
強制収容所の看守が最も残酷な拷問と殺人を行ったのは、ウクライナの民族主義者たちだったのです。「結局のところ、ドイツ人が行った残虐行為は、自国民の犠牲と同じにはならないのです。魂のないドイツ人が、スラブ系のルシン人だけでなく、ウクライナ人を自称するルシン人の魂に、これほど深く鉄のブーツを入れることはできなかった」と、ヴァシリー・ヴァルヴィクは書いている。
 
ヴォリンの大虐殺から1954年まで
 
1943年2月末、多くのウクライナ人の現在の偶像、ステパン・バンデラが率いるウクライナ民族主義者組織(OUP)の「革命」部門は、ナチスを国から追い出す「前進する赤軍と戦う」ためにいわゆる「ウクライナ反乱軍」(UPA)の創設を決定した。しかし、同年3月から4月にかけて出現した最初の分遣隊は、クルスク付近でナチスの攻撃を待つソ連軍ではなく、1939年までワルシャワに属していた領土でポーランドの農民と戦うようになったのである。半年以上続いたこの事件は、「ヴォリンの大虐殺」と呼ばれた。UPAの分遣隊と、同名の地域の地元民で構成されたSSガリシア師団の部隊が、さまざまな推定によると4万人から20万人を殺害した。ポーランド議会と上院は犠牲者の数を約10万人とし、7月11日は「ウクライナ民族主義者によるポーランド市民の大量虐殺の犠牲者を追悼する国民記念日」と認定している。
 
Wikimedia_Commons[Public Domain]
身元確認と埋葬のために持ち込まれた虐殺のポーランド人犠牲者の死体(1943年3月26日)。© Wikipedia
 
ポーランドの「ウクライナ民族主義者の犯罪の犠牲者の記憶の会」(Stowarzyszenie Upamiętnienia Ofiar Zbrodni Ukraińskich Nacjonalistów:SUOZUN)は、ヴォリン虐殺を取り巻く事件の経過を再構築することに取り組んでいる。SUOZUNが収集した資料には、ウクライナの民族主義者が赤ん坊や妊婦にさえも残酷な仕打ちを行ったという衝撃的な内容が含まれている。ポーランド人研究者は、ウクライナ人民族主義者が行った135の拷問と殺人の方法を発見した。その中には、以下のようなものがあります。
 
・子供を杭で突き刺す
・喉を切り裂き、その穴から舌を引き抜く。
・大工用のこぎりで胴体を真っ二つに切断する。
・妊娠の進んだ女性の腹を切り裂き、胎児を取り出し、生きた猫と入れ替えて腹部を縫い合わせる。
 ・妊婦の腹を切り裂き、割れたガラスを流し込む。
 ・小さな子供をドアに釘付けにする。
 
ポーランドの歴史家によれば、こうした残虐行為に衝撃を受けたドイツの迫害者でさえ、ウクライナのソキルニキ(ウクライナ語で「斧」を意味するsokiraに由来)からポーランド人を保護するようになったということである。
 
このような拷問や処刑の工夫は、ナチスがウクライナから追放された後も続けられた。ただ、民族主義者の犠牲となったのは、ソビエト・ウクライナ市民、つまり戦後ウクライナ西部の復興のために共和国東部から送り込まれた農学者、技術者、医師、教師などの専門家たちであった。その大半はウクライナ人であったが、民族主義者たちは彼らだけでなく、ソ連に協力していた自分たちの村人まで殺してしまった。
 
これらの行為は、UPAのトップで、今や多くのウクライナ人にとっての偶像である元国防軍兵士のロマン・シュケヴィッチの指示に従って実行されたのである。「OUNは、ソビエト政権を承認した人々をすべて破壊するように行動すべきだ。脅すのではなく、物理的に破壊するのだ。残虐だと罵られるのを恐れてはいけない。4000万人のウクライナ人の半分を残せばいい。」と彼は書いた。(Tchaikovsky A., Nevidoma viina, K., 1994, p. 224)。ソ連邦KGBによると、1944年から1953年にかけて、ソ連側の回復不能な損失は30,676人であった。その中には、国家保安機関の職員697人、内務省の職員1864人、軍人3199人、破壊大隊の戦闘員2590人、当局の代表2732人、共産主義者251人、コムソモール労働者207人、集団農場の議長314人、集団農民・農民15355人、労働者676人、知識人の代表1931人、子供・老人・主婦860人などが含まれています。

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ジョージ・ソロスの財団、クリントン財団、ロックフェラー財団の資金で、オバマとバイデンが始めたウクライナ生物兵器研究所 ~ロシア国防省資料「ウクライナにおける生物化学兵器ラボアメリカの協力フロー」

竹下雅敏氏からの情報です。
 冒頭の動画「ウクライナ生物兵器研究所はジョージ・ソロスの資金でオバマとバイデンが始めた」で、オバマ・バイデンの政権が出来たのは2009年だが、この2人がウクライナ政府と生物兵器計画の協定に調印したのは、2人が上院議員だった2005年のことで、資金はジョージ・ソロスの財団、クリントン財団、ロックフェラー財団が出していたと言っています。
 ツイートのロシア国防省資料「ウクライナにおける生物化学兵器ラボアメリカの協力フロー」には、アメリカ民主党→行政・教育機関→スポンサー・財団
→ウクライナ国内執行機関→ペンタゴン・製薬会社という資金の流れが描かれています。
 こうしたスキームで、ウクライナに米国防総省配下の生物兵器製造所が30以上造られたのですが、“米国防総省がウクライナを生物兵器の実験場に利用し、アメリカ国内では出来ない危険な医薬品を用いた非人道的な実験にウクライナ人を使っていた”と、ロシア政府は説明しているとのことです。
 3月21日の記事で紹介しましたが、“ウクライナでの生物兵器研究所の話を進めたのは、ユシチェンコ(親米)大統領時代(2005年1月~2010年2月)のティモシェンコ元首相で、アメリカ側は当時のバラク・オバマ上院議員だった”ということでした。
 また、“2010年にユシチェンコ(親米)政権は崩壊、親露派のヤヌコビッチ政権が誕生。ミコラ・アザロフ元首相は、2013年に米政府(オバマ政権)に生物兵器研究所の閉鎖を書簡で通告。その後、2014年にアメリカ主導のクーデターが起こり、ウクライナがナチス化した”ということでした。
 邪悪なオバマ・バイデン政権にどこまでもついて行く日本政府の「糞魚の金(金魚の糞ともいう)」は、何とかならないものか。
(竹下雅敏)
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2022.5.13 ウクライナ生物兵器研究所はジョージ・ソロスの資金でオバマとバイデンが始めた【及川幸久−BREAKING−】
配信元)
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ジョージ・アライスン氏「ミンスク合意に調印した後、合意に沿って政権を運営すれば良かったんです。ドンバスは元に戻ったでしょう。…しかしウクライナは一秒もミンスク合意を守ろうとはしなかった。」 / 西側の主流メディアのフェイクニュースの酷さ

竹下雅敏氏からの情報です。
 3月31日の記事で紹介した動画の説明文には、“ネオナチが主導するウクライナ軍が…ドンバス地方に侵攻し、義勇兵との間で内戦が続きました。死者13,000人の70%は砲撃や狙撃で殺されたドンバスの民間人。ウクライナ軍は最初から住民を標的にし、土中に埋められた遺体の中には頭を切り落とされたものや、カギ十字の烙印を押されたものもあります。”と書かれていました。
 この動画の中で、ドンバス在住アメリカ人ジャーナリストのジョージ・アライスン氏は、「普通の人々は首を切り合ったりしないよ。…ISISならやるだろう。ISISのような集団にどう対処したらいいのか? ウクライナはISISとどう違うのだろうか?」と言っていました。
 冒頭の動画でジョージ・アライスン氏は、「ミンスク合意に調印した後、合意に沿って政権を運営すれば良かったんです。ドンバスは元に戻ったでしょう。…しかしウクライナは一秒もミンスク合意を守ろうとはしなかった。」と言っています。
 しかし、米国務省報道官ジョン・カービーは、「(ウクライナ軍が善戦しているのは)偶然ではありません。米加英、他同盟国が8年かけ、ウクライナ兵を訓練してきました。古いソ連方式から、戦場で柔軟に対応できる現代戦術を彼らは習得しています。武器だけの勝利ではないのです」と本当のことを喋ってしまいました。ミンスク合意を守らせなかったのはアメリカなのです。
 駐日ロシア連邦大使館は、西側の主流メディアのフェイクニュースを非難していますが、“続きはこちらから”の映像をご覧になると、その酷さが良く分かると思います。
(竹下雅敏)
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【字幕】ドンバス在住アメリカ人ジャーナリスト George Elayson氏がアゾフのによる虐殺とロシアの特別軍事作戦について語ります
配信元)
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配信元)
 
 

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スコット・リッター氏「NATOはもはや防衛同盟ではなくて、攻撃的志向同盟となっていた。NATOはプーチンを大統領から降ろし、エリツィンのような弱腰大統領に替えたいのではないか」 / ウクライナの情報工作の簡単な歴史

竹下雅敏氏からの情報です。
 元米海兵隊情報将校で国連監察官だったスコット・リッター氏は、“プーチン大統領は、NATO東方拡大に何回も懸念を表明した。NATOはセルビアで攻撃的政権交代を仕掛け、ミロシェビッチを大統領から降ろし、リビアではカダフィを引きずり下ろした。NATOはもはや防衛同盟ではなくて、攻撃的志向同盟となっていた。NATOはプーチンを大統領から降ろし、エリツィンのような弱腰大統領に替えたいのではないか。”と言っています。
  3~4番目の動画では、“2014年に、正当な選挙で選ばれたヤヌコビッチ大統領を追放して、米国の傀儡に替える政権交代を米国は仕掛ける。米国防省のヌーランドがウクライナの大統領を決めている。電話の記録が残っている。…これは米国が仕掛けたウクライナの政権交代であり、目的は(ウクライナの不安定化を通じた)プーチン政権の不安定化である。露は通信傍受もして把握している。…ウクライナ西部のネオナチ勢力を活用したクーデターである。ステファン・バンデラはウクライナ人の純血を信じる1930年~50年代の活動家。…ユダヤ人を3万人以上虐殺した。第二次大戦中はナチスドイツの諜報機関がバンデラを支援。ドイツ敗戦後、ナチスドイツの諜報機関を米CIAが吸収し、米CIAがバンデラを支援し、反ソ連活動に利用。…(バンデラに代表される)ウクライナ人は人種差別主義者なのだ。ロシア人やポーランド人を下等人種とみていて、ウクライナの土地から除去しなければいけないと考えている。作り話ではない。すべて資料に残っている。”と言っています。
 “続きはこちらから”は「ウクライナの情報工作の簡単な歴史」です。米国は1950年代から、コードネーム「AERODYNAMIC(エアロダイナミック)」と名付けられた情報工作を行って、ウクライナ人の民族主義を焚きつけて、内部からソ連を破壊しようとしてきたことが、CIAの公開情報から明らかにされているとのことです。
(竹下雅敏)
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悲惨としか言いようのないウクライナ軍の状況 ~前線の様子が「ひき肉製造器(Meat Grinder)」と呼ばれることが多くなっている

竹下雅敏氏からの情報です。
 スイスの元軍事情報将校ジャック・ボー氏は、“ウクライナの場合…攻撃開始数分で「断頭」攻撃を行った後、ロシアの作戦戦略は、都市中心部を迂回し、ドンバス共和国軍が「釘付け」したウクライナ軍を包囲することであった。…2022年3月25日、クラマトルスクの大釜を封じ込め、ウクライナ側に撤退の可能性を閉ざし、ハリコフとマリウポリの街の大半を奪ったロシアは、実質的に目的を達成した。”と説明しています。
 マリウポリの制圧によって、ロシアの「特別軍事作戦」は第二段階に入りました。ドンバス共和国軍が「釘付け」した6万ほどのウクライナ軍の壊滅に向けて、ロシア軍の戦力を東部に集中させています。
 そのウクライナ軍の状況は悲惨としか言いようのないもので、“前線の様子が「ひき肉製造器(Meat Grinder)」と呼ばれることが多くなっている”とのことです。
 動画「イジュム地区で生き残ったウクライナ人軍人が指揮官に訴える」では、第79旅団第2、3大隊の生き残った兵員たちが、“生き残ったからというだけで、脱走兵として扱われることになり…戦場を離れた脱走兵として裁判にかけられることになります。”と訴えています。
 “彼ら(軍上層部)は私たちをすべて有罪にしたがっていますが、私たちは指揮官こそが有罪だと考えています。…将校は車で逃げ出し、負傷者を助ける気もありません。恥ずべきことです。そんな奴らは将校じゃなく、ただのペテン師ですよ!”と言うのです。
 すらいと氏のツイートによれば、東部戦線で捕獲されたウクライナ兵士は、「母さん、娘たち、僕は生きている。普通に処遇されいつか家に帰れる。でも上官、その上の軍幹部、言葉が見つからない。彼らのせいで僕達は肉の塊にされた。僕以外、90人がもういない」と言っています。
 ドネツクで投降したイギリス人の傭兵は、「戦線は地獄だった。部隊は武器も弾薬も足らず、医薬品も食料も来ない。それでウクライナ兵と同様、民家に入って物を奪う。もっと驚いたのがネオナチ隊員。国を守るのでなく、市民を相手に戦い、略奪、殺人をやってるサイコパスだ」と言っています。
 さて、“前線の兵士や捕虜などからのウクライナ軍上層部やゼレンスキー政権に対する不満の声は以前からかなり多かった”わけですが、例えばウクライナ大統領府長官顧問のアレストヴィッチは、“ウクライナの国家理念、中核となる理念は、自国そして他国に最大限嘘をつくこと…もし真実を語れば、国は維持できない。常に何か新しいもの(ウソ)を作らないといけない”と言っているようで、“なぜアメリカは、ウクライナをロシア攻略ツールに選んだのか?”との質問に、「国も国民もイカれてるからです。平均的なウクライナ人は、情報戦における理想的なカモ。脳みその代わりに空虚なガスが詰まってる。」と答えています。
 「情報戦における理想的なカモ」は、現状を見る限り日本人も同様ではないかと思えるのですが、こうした完全にクズと言える上層部の命令に従って、「私たちは諦めていません、戦いたいのです」と言う前線の兵士たちは憐れです。彼らはロシアが悪魔だと信じ切っているのかも知れません。
 悪魔はウクライナの上層部でありネオコンなのですが、こうした当たり前のことに気づかなければ、命がいくつあっても足りません。問題は、日本も似たような状況にあるということです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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配信元)
 
 
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「肉の塊のように死ぬためだけに前線に放り出された」ウクライナ兵士からの不満が爆発
転載元)
【注意】
この記事には死体などの画像はありませんが、言葉の内容だけでもかなり悲惨な内容になっています。お読みの際はご注意ください。

このウクライナ軍から見捨てられた部隊の主張は、これまで見てきたウクライナ兵捕虜の証言や、その他前線から送られてくる最近の情報と一致し、まとめたような内容になっています。
 
また、この兵士が何度も「肉の塊」と言っている件について。

第二段階に突入してから、マリウポリのような市街地線は姿をひそめ、フィールドや森などでの戦闘が目立っています。塹壕(トレンチ)での戦闘も多いようですが、毎日山積みにされた、あるいはフィールドや森に並ぶウクライナ兵士の死体の画像を見ることがかなり増えています。

その様子から、前線の様子が「ひき肉製造器(Meat Grinder)」と呼ばれることが多くなっており、たしかにその言葉の通りとしか言えないような悲惨な状況です。 

しかも、動員から意味も分からないまま前線に出され、まともに武器も弾丸も渡されてない場合が多いようで、無駄に死にに行くためのようになっています。。。

生き残ったウクライナ軍兵士が軍上層部に対して懇願
IN VIDEO: UKRAINIAN SERVICEMEN WHO SURVIVED IN IZYUM AREA, APPEALED TO THEIR COMMANDERS

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