アーカイブ: 天皇・皇族

事情聴取に現れた飯塚幸三は、耳の形の違いにより、まず間違いなく、替え玉 ~池袋暴走事故は、安倍案件ではなく皇室案件か?!

竹下雅敏氏からの情報です。
 昨日の記事で、事情聴取に現れた飯塚幸三は替え玉ではないのかという説があることを紹介しました。冒頭のツイートは、耳の形の違いがよくわかります。まず間違いなく、替え玉だと言って良いと思います。
 さすがに、事情聴取にあたって、帽子とサングラス、マスクのままということはないでしょうから、これが替え玉だとすると、警察はそのことを知っているはずです。そうであれば、事情聴取自体が茶番だということになります。
 これは、飯塚幸三が替え玉を使ってまで守られるべき特別な人物であることを示します。何が特別なのかですが、次のツイートは、その核心に迫るものだと思います。池袋暴走事故が、安倍案件ではなく皇室案件だとしたら、これまでのすべての疑問が氷解します。
 なんとなく、久邇宮邦彦王の第3王子、東伏見慈洽(旧名・邦英王)氏の写真を貼ってみました。別に深い意味はないんですけどね。
 “続きはこちらから”では、なんとなく系図を作ってみました。みなさんが系図を見ながら、あれやこれやと想像してみてください。
 “東伏見慈洽氏の子供は、常陸宮正仁親王と従弟で、似ててもおかしくないよな~”とか、“お父さんの東伏見慈洽氏は、耳に特徴があるな~”とか、“東伏見慈洽氏の子供は、上皇陛下とも従弟の関係なんだ~”とかですね。
 私は、何にも言ってません(言ってるだろっ)。なんでか、ここだけIn Deepさんになってしまいました。
 なお、系図の写真の出典は、全てウィキペディアからです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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配信元)
 
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東伏見慈洽

Wikimedia_Commons[Public Domain]

身位  王 → 臣籍降下
配偶者 東伏見保子(旧姓名:亀井保子)
子女  東伏見韶淑
    東伏見慈晃
    東伏見睿淑
父親  久邇宮邦彦王
母親  邦彦王妃俔子

東伏見 慈洽(ひがしふしみ じごう、1910年5月16日 - 2014年1月1日)は、日本の僧侶。旧皇族。旧華族上皇明仁の皇叔父。
久邇宮邦彦王の第3王子、旧名邦英王(くにひでおう)。夫人は伯爵亀井茲常の次女・東伏見保子(亀井次女)。前衆議院議員・亀井久興は妻の甥。
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東伏見慈洽(ひがしふしみ・じごう)さん
引用元)

[古都税を廃止に追い込んだ京都仏教会会長]
■ぶれない宮家の誇り
皇族に生まれ、学者として教壇に立ち、京都の名…
...(以下有料部分)
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天皇陛下の叔父、東伏見慈洽氏が死去 103歳
引用元)
天皇陛下の叔父に当たる天台宗青蓮院前門主、東伏見慈洽(ひがしふしみ・じごう)氏が1日、慢性心不全のため死去した。103歳だった。自坊は京都市東山区粟田口三条坊町69の1の青蓮院。密葬は6日正午から同院。喪主は次男で同院門主の慈晃氏。

久邇宮邦彦王の三男に生まれ、香淳皇后は実姉。1931年に皇籍を離脱し、京都帝国大学(現京都大)を卒業後、45年に得度。53年~2004年、青蓮院門主を務めた。1985年、京都仏教会会長に就任。京都市と仏教界が対立したいわゆる「古都税問題」では反対運動の先頭に立った。

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側室制度がない現在において、天皇制は自然消滅するしかない ~現在の皇室は万世一系には当てはまらない

竹下雅敏氏からの情報です。
 冒頭のツイートは、現在の象徴天皇制の問題点が要約されています。確かに、側室制度がない現在において、天皇制は自然消滅するしかないのかも知れません。
 アンケートを取れば、女性天皇、女系天皇を認めるべきだという意見が大勢を占めると思います。しかし、「男系」という言葉の意味を理解しているかどうかが、大事なのではないでしょうか。
 それと、記事の中で平沼赳夫議員が「125代万世一系で、男系を守ってこられた」と言っていますが、これまで何度も時事ブログで指摘しているように、本来の天皇の血筋は、孝明天皇で途絶えています。明治天皇は、大室寅之祐にすり替わっています。しかも、張勝植氏によれば、その大室寅之祐も、後に徳川の人間が影武者になったということで、現在の皇室は徳川であると言っています。
 また、孝明天皇と睦仁親王は生き延びて、京都皇統を作ったようです。裏天皇は、初代睦仁親王、2代堀川辰吉郎 3代前田ゴロウ、4代伏見博明と言っている人がいるのですが、正しいように思います。
 こうなると大変で、現在の私たちが見ている皇室があり、張勝植氏は、本物の明治天皇(大室寅之祐)の直系が自分だと言っているし、裏天皇の血筋もあります。少なくとも現在の皇室は万世一系には当てはまりません。
 加えて、実は睦仁親王は養子で、孝明天皇の子ではありません。私の直感では、実は長生きをした孝明天皇の血を受け継ぐ子孫が存在すると考えています。こうなると、もはやぐちゃぐちゃで、一体これから日本はどうするんだ、という感じがします。極端な話、皇族を名乗る人たちには、遺伝子検査を義務づけたらどうかと思ったりもします。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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配信元)


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改元特番でNHKだけが伝えた”不都合な真実”
引用元)
(前略)
「日本の象徴天皇制は自然消滅する」
(中略)
平成17年(2005年)、小泉政権で皇室典範に関する有識者会議が発足(中略)… これまでの125代におよぶ天皇のうち、約半分が「側室」(第2夫人、第3夫人など)の子と見られているという。(中略)… 側室の制度がない現在においては「男系」の伝統の維持は難しいという声が多くの委員が認識したという。

 けっきょく、この有識者会議では男女の区別なく「直系の長子(天皇の最初の子ども)を優先する」という最終報告を出し、翌年(平成18年=2001年)、政府は「女性天皇」「女系天皇」の容認に舵を切った。 

 ところがこの動きに猛反発したのが男系の伝統を重視する人たちだったと、2006年3月に日本会議が行った「皇室の伝統を守る1万人大会」の映像が登場する。(中略)… 当時の平岩赳夫衆議院議員(日本会議国会議員懇談会会長=当時)は演説で以下のように語っている。

連帯と125代万世一系で、男系を守ってこられたご家系というのは日本のご皇室をおいて他にはありません。守らなければならない伝統や文化は断固守っていかねばならない」
(以下略)

明治以降の天皇は人間であり、天照大神は人間として転生に入ったホツマの神 ~神と人間の違いは、正確にはプルシャの位置の違いであり、身体を構成する元素の振動数の違い

竹下雅敏氏からの情報です。
 天皇皇后両陛下が伊勢神宮を参拝。NHKは「皇室の祖先をまつる伊勢神宮の内宮」と報じました。BuzzFeedの記事をご覧になると、他社がこのニュースをどのように伝えたかが、まとめられています。共同通信は、「皇室の祖神とされる天照大神を祭る伊勢神宮の内宮」と報じました。
 NHKの報じ方はあまりにも異様で、「天皇は人間じゃないんだな」「アマテラスオオミカミは人間なんだ」とするツッコミが現れました。
 真相は、このどちらでもありません。先に結論を書いておくと、明治以降の天皇は人間です。また、天照大神はホツマの神で、人間ではありません。正確には、ホツマの神が人間として転生に入ったというべきかも知れません。神と人間の違いは、正確にはプルシャの位置の違いであり、身体を構成する元素の振動数の違いです。これは、訓練を積めば調べることができるようになります。
 これまで何度か触れていますが、簡単にまとめておくと、皇室の問題はいくつかの側面に分かれます。
 まず1つ目は、万世一系の本来の皇室の血筋は、孝明天皇で絶えているということです。明治天皇にすり替わった大室寅之祐は南朝の出で、南朝は天武系でイスラエルの血筋なのです。天照大神に繋がるのは天智系で、北朝が正統です。ところが、今の皇室は徳川の血筋なので、北朝でも南朝でもありません。
 2つ目は、ホツマの神の由来です。地球に初めて転生に入ったホツマの神は国常立尊で、BC 3330万2323年のことです。国常立尊は、その後、木常立尊、豊受大神として生まれ変わります。いずれも男神です。豊受大神の娘はイザナミノミコトで、イザナギ、イザナミから天照神(男神)が誕生したのは、BC 179万3187年です。天照大神はBC6万687年に神上がりました。したがって、天照大神の寿命は173万2500年です。
 およそ信じがたい数字ですが、確かにホツマツタヱの記述の通りのようです。ホツマツタヱに基づくと、国常立尊から孝明天皇に至る、およそ3300万年の系図が日本には残っていることになります。
 3つ目は、豊受大神、天照大神は第1システム天津神第二レベルの大神で、最高神は豊受大神です。問題は、2柱の神は、本来は第三レベルの神だったのですが、約3,000万年前に天界でクーデターを成功させ、第二レベルの権力を収奪しました。第2システムの天帝であるスバルタイジンは、豊受・天照政権を承認しましたが、第3システムの天帝であるテンテイオオキミは承認しませんでした。このため、第2システム、第3システムの間に断絶が生まれ、天界の秩序が乱れ、地球が荒廃する原因になりました。
 2007年以降に始まった天界の改革は、第1システム天津神第二レベルの本来の神であった大源神(オオミモトノオンカミ)に権力を戻すことから始まりました。
 この辺りの話はブログ「光の海から」の初期のヴィジョンでご覧になれます。
 以上のことは、地球上では私以外には誰も知らないことなのて、信じ難い内容だと思います。しかし、事実としてここに記しておきます。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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両陛下 退位前に伊勢神宮参拝の儀式
引用元)
三重県を訪問している天皇皇后両陛下は、今月30日の天皇陛下の退位を前に、18日、皇室の祖先をまつる伊勢神宮に参拝する儀式に臨まれました。
(中略)
17日から三重県を訪問している両陛下は、18日午前、衣食住や産業の守り神がまつられる伊勢神宮の外宮にお一人ずつ参拝されました。(中略)… 両陛下は、午後には、皇室の祖先をまつる伊勢神宮の内宮にそれぞれ参拝されました。
(以下略)
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NHKが「皇室の祖先は天照大神」と報道→「現人神宣言か」と批判の声
神話と史実を混同するような伝え方だとして、疑問の声が出ている。
引用元)
(前略)
NHKニュースは18日に「皇室の祖先の『天照大神』がまつられる伊勢神宮の内宮」と報道。その後に記事は更新され、「皇室の祖先をまつる伊勢神宮の内宮」と記されている。
(中略)
NHKは、同日夜の「ニュースウォッチ9」でも「伊勢神宮の内宮は皇室の祖先の天照大神がまつられています」とナレーションで紹介した。
(中略)
戦前、天皇は「現御神(あきつかみ)」「現人神(あらひとがみ)」として神格化され、その存在は絶対的なものであった。大日本帝国憲法では「神聖ニシテ侵スヘカラス」とされ、国家神道の中心的な役割を担った。

教育現場では建国神話は史実として教えられ、国家神道は軍国主義と結びつき、利用され、当時のマスコミもその一翼を担った。やがて「天皇」の名のもとに、日本は戦争へと至った。
(以下略)
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配信元)
 

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初代から約3,300万年に至る孝明天皇まで残っているホツマの神の系図! ~天皇の血筋が古代イスラエルに繋がっているというのは完全な誤り

竹下雅敏氏からの情報です。
 TOCANAは、日本の天皇のルーツはイスラエルにあるという「日ユ同祖論」を紹介しています。現在の皇室は、明治以降にすり替えられているので、確かにこのように考えられなくもありません。しかし、何度も時事ブログ上でコメントしてきたように、孝明天皇までの歴代天皇は、一部に例外はありますが、天照大神の血筋を保っていたのです。なので、天皇の血筋が古代イスラエルに繋がっているというのは、完全な誤りです。
 昨日の記事で紹介したホツマツタヱの年表をご覧になるとわかりますが、大濡煮(ウヒヂニ)尊、少濡煮(スヒヂニ)尊による婚礼の制定は、紀元前3,000,717年の出来事です。天照大神の誕生は、紀元前1,793,187年です。
 驚くべきことに、この数字は一の位までぴったりこの通りです。大濡煮尊、少濡煮尊は4代目であり、初代は国常立尊(クニトコタチノミコト)、2代目はトホカミヱヒタメの国狭槌尊(クニサツチノミコト)、3代目は豊国主尊(トヨクンヌノミコト)です。鈴木歴の開始から大濡煮尊の代まで3,000万年が経過していることから、国常立尊がホツマの神として初めて地球に誕生したのは、紀元前33,000,717年ということになります。
 要するに、初代から約3,300万年に至る孝明天皇までのホツマの神の系図が残っているわけです。
 人々が信じられないのは、ホツマツタヱが事実だとすれば、神武天皇より前の歴代の天皇が驚異的な長寿だったことです。しかし、ベンジャミン・クレーム氏は、先代のマヌであるヴァイヴァスヴァタ・マヌは約10万歳だが、未だに肉体を保っていると言っていました。レッド・ドラゴン大使の話だったかと記憶していますが、中国の長老の中には何万歳にもなる人物がいるようです。地底の世界では、確かコーリー・グッド氏の情報だったと思いますが、彼らは永遠の寿命を手にしているということだったと思います。なので、例えば100万歳という寿命やそれを越える寿命も、一概に否定はできないと思います。
 また、2015年9月9日の記事で紹介しましたが、岩手・宮城で震度6強の地震があり、がけ崩れが起こりました。それを中継していたヘリコプターからの映像には、巨人の骨が映っていたのです。私の直観では、天照大神の身長は4m71cmだったと考えているので、巨人の骨が出てくるのは不自然ではありません。
 私は、ホツマツタヱに書かれている物語はすべて真実だと考えています。先ほど紹介したブログの年表の年代を調べましたが、細かな計算間違いを別にすると、その年代はいずれも私の直観とぴったり一致します。
 日ユ同祖論では、天皇は古代イスラエル人の末裔ということになり、さらに遡ってもシュメール文明までです。わずか6,000年程度のタイムスケールです。しかし、ホツマツタヱでは約3,300万年なのです。私から見れば、天皇家がシュメールに起源を持つという説は、天皇家の歴史をひどく矮小化するものに他なりません。
 シュメールの神々は、神の名を偽った古代地球離脱文明の存在であるか、闇の館(ブラックロッジ)の大主であるかのどちらかです。彼らは神ではありません。
 日ユ同祖論の信奉者は、神武天皇が渡来してきたイスラエル人とします。しかし、ホツマツタヱを読めば、これが明らかに誤りであることがすぐにわかります。
 紀元前660年の神武天皇即位から孝明天皇までの歴代天皇は、基本的にホツマの神々が転生に入ったものですが、天武天皇(40代天皇)から称徳天皇(48代天皇)までの天武系の天皇はイスラエルの血筋です。
 2015年11月8日の記事で説明しましたが、天武天皇は高句麗からやってきたイスラエル・ユダヤの血筋で、クーデターによって天皇家を乗っ取ったわけです。なので、古事記・日本書紀によって日本の歴史を改竄する必要があったわけです。日ユ同祖論を奉ずる人たちが、天武天皇を特別視するのは、このような理由があります。
 明治天皇はすり替えられ、南朝の大室寅之祐が明治天皇になったと言われていますが、これはイスラエルの血筋です。歴史的にみて、ユダヤ人というのは系図を書き換えて王家を乗っ取るのを非常に得意としているように見えます。八咫烏は、本来は天皇を守護する古代イスラエル人の末裔のはずなのですが、いつの間にか、天皇そのものをイスラエル人にすり替えようとしていたかに見えます。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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杉原千畝もびっくり、ユダヤ人と天皇家の“ヤバすぎる秘密”とは!? 日本のルーツはイスラエル「日ユ同祖論」は皇族も研究していた!
引用元)
(前略)
ユダヤ人と日本人の間には(中略)… 我々が思っているよりずっと古く、非常に深いものである可能性が指摘されている。日本の天皇家と古代イスラエルにつながりがあるという、いわゆる「日ユ同祖論」である。
(中略)
昭和天皇の末の弟君で天皇陛下の叔父にあたる三笠宮崇仁(たかひと)親王殿下は、古代オリエント史の学者としても知られるが、当初から研究のメインテーマが「古代イスラエル」そして「聖書」だったことは、あまり知られていない。
(中略)  
実は、明治天皇の孫」を自称する人物が語っている内容が、天皇家と古代イスラエルとの関係を示唆しているのだ。(中略)… その人物とは小林隆利氏といい、大正14年に名古屋で生まれているが、母親は「仁(しのぶ)内親王」という女性で、その父が明治天皇だという。もちろん、公的にそのような名の内親王は存在しないのだが、実際に明治天皇に何人の側室がいたかは極秘とされており、公表されていない内親王が存在した可能性は否定できないだろう。
(中略)
小林氏の母は明治天皇から次のように聞かされたという。
「仁、私は天皇の権限で日本という国を調べた結果、日本は、神道である。しかし神道は、本来はユダヤ教である。そしてキリスト教はユダヤ教を完成させるものだ」
(中略)
三笠宮殿下が1954年に提唱され、初代会長を務められた「日本オリエント学会」という学術団体がある。そして後に会長となった人物には、「騎馬民族日本征服説」で知られる江上波夫氏(故人)がいる。(中略)… 騎馬民族日本征服説によれば、万世一系とされる天皇家のルーツが実は日本にはなく、東北アジアの騎馬民族が4世紀に日本を征服して天皇となったというのだ。

 その江上氏だが、東大時代には景教(中国のキリスト教、ネストリウス派)の研究で世界的権威である佐伯好郎(よしろう)氏に師事していた。佐伯氏の学説によると、景教は古代日本にも伝わっていたといい、それをもたらしたのが景教徒であった古代豪族の秦氏だという。
(中略)
 景教渡来説をもっとも精力的に展開している人物としては、ケン・ジョセフ氏(ジュニア、シニアの父子)が挙げられるが(中略)… 江上氏は、「ケンの考えは、私の考えとは若干の違いがありますけれど、否定はできません。また、もう一つケンに伝えてください。二世紀に日本に入ってきた基督教は景教じゃなくて、原始基督教が直接入って来たものです」と答えたという。
(以下略)

百田直樹氏の新著「日本国記」が話題! ─日本の皇統が万世一系であることは、天照大神の血を受け継いでいる孝明天皇までは正しい

竹下雅敏氏からの情報です。
 百田直樹氏の新著「日本国記」が発売され、話題になっているようです。下の記事は、そうした話題の中の1つです。どうやら、百田氏は、「男系」の意味をカンチガイしているらしい。これに対して菅野完氏がツッコミを入れています。Buzzap!でもこの話題を取り上げているので、参照してください。
 日本の皇統は万世一系ということになっているので、天皇の父親を順次遡って行くと神武天皇に辿りつく。さらには、天照大神まで辿りつくということです。
 実は、このことは孝明天皇までは正しいのです。ホツマツタヱを読むとわかりますが、神武天皇はもちろん、天照大神も実在の人物でした。孝明天皇が天照大神の血を受け継いでいることは、私の直感によって確認しており、中西征子さんの通信文でも確認できます。
 私自身がホツマの神であり、天照大神や豊受大神のことはよく知っています。2柱とも男神です。天照大神は、フェラーリのデザインで高名な日本人デザイナーにとてもよく似た風貌でした。
 そうした日本の歴史の中で、天武天皇から聖武天皇、称徳天皇に到る天武系の天皇は、イスラエルの血筋で、本来なら天皇になれるはずがない血筋なのです。
 それともう一つ、明治以降の現代につながる皇室も、本来の天皇の血筋ではありません。要するに、イスラエルの血筋に乗っ取られた形になっています。
 私は、天皇の血筋などどうでも良いと思っているのですが、皇室に秘密が多すぎるのが問題だと思っています。2007年以降に行われた天界の改革で、天照大神も豊受大神も滅ぼされて、今では存在しません。
 天皇の血筋を、シュメールやイスラエルに求める人たちが結構居るのですが、彼らはホツマツタヱをまったく読みません。ホツマツタヱを読めば、天皇が純粋な日本人であったことがわかると思います。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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【悲報】『日本国紀』、「男系」の意味すら間違える【ビックリ】
引用元)
(前略)
日本には過去八人(十代)の女性天皇がいたが、全員が男系である。つまり父親が天皇である。

 百田尚樹『日本国紀』幻冬舎, 2018, p.33

……。驚くべきことに百田尚樹氏は、「男系」の意味を「父親が天皇」であると誤解しています。「男系」の正しい意味とは「父親⇒父親(祖父)⇒父親(曽祖父)…」と遡って行くと必ず天皇に行き当たるということで、「父親が天皇」という意味ではありません。
(中略)
追記1)本件のより詳細な考察については「『日本国紀』「男系誤謬説」への誤解を糺す」を併せて参照ください。
(以下略)
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配信元)