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青年会議所の広報委員長だった私が振り返る21世紀初頭
〜2001年 特集記事『 道しるべを探して…』4月号を題材に(下)〜

 社会で生活する上で皆誰もが「共通して」本当にそうだね、あれは良かった、これはいけない、こうするべきだね、と「認識」できる「基盤」、世界に通用する倫理規範を思想を磨きあげ構築する必要があると当時考えていた私です。そのため多くの人々が自らの考えをぶつけ合い活発に話し合うべきだと思っていましたし、今でもそれはそのように思います。ただし反面漠然とした感覚ですが、このような思想は話し合いの先、机上における理論の延長線上に出てくるとは感じてはいませんでした。「皆がそろったところで、その頭だけでいくら考えても無理だ。」これは確信に近い感覚であったように記憶します。
 頭で考え理論を構築するのが「知性」とするならば、「豊かな感性」のほうが重要、豊かな感性がなければ何一つとしてまともなものは生まれてこない、その「感覚」の表れが掲載文の冒頭「古人が月を眺めて・・・・」の数行です。ただし「感覚」が表れたのであって、その「考え」が私にあったのではなかったと思います。何か私の中に降りてきたと表現するのが近いでしょうか、この数行はそれをただ書き留めた、という感じでした。
(seiryuu)
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pixabay[CC0]


特集記事 「道しるべをさがして・・・1」   2001年4月号掲載  下

・置き忘れたもの  
                   
古人が月を眺めて、そこに兎が餅つきをしている姿を見ることが出来た、そのみずみずしく豊かな感性、身の回りのいたるものに神聖さを感得出来た広い意味での理性、それらを現代人の私たちは持ち合わせられているのでしょうか。

 今から既に約40年前、哲学者西谷啓二博士は、人間基盤の崩壊を指摘し、その一つの要因として、科学技術への偏重の危険さを挙げられていました。現代の世界をリードしてきたのは西洋文明であることに異論をはさむ人はほぼ無いと思います。そしてその原動力となったのが科学的知と技術の進歩であったといえると思います。科学技術の進歩は私たちに物質的な豊かさ、便利で快適な生活をもたらしました。貧困の格差、大量殺人兵器、環境汚染等の副次的な産物は生み出しても、それもやがては科学の発展で解決出来、まるで魔法の杖のように、人類に無限の幸福を与えてくれるもののように思えたものでした。しかし、現在それが幻想であったことが露わになりつつあるように感じます。

 科学的な知とは、自然や人、全てのものを自らの外の対象物として、客観的に分別分析し知っていく知恵であり、あらゆるものの実体を綿密に知らしめていきます。そして科学技術はその利用方法を明らかにしていきます。しかし、人間の都合上による利用価値、利用方法は解明できても、それを離れたところの、万物、そのもの自体の存在意味を明らかにすることは、科学的思考方法では、その性質上できないものです。そして何よりも、万物を自らの都合によって利用していこうとするその主体自身そのものを、人間の存在意味や意義、そして生命の尊厳、これらに対して答えて、明らかにしていける知恵ではないのです。

 科学的知とその技術の進歩、それ自体に善悪はなく、今後もその歩みはとどまることはないでありましょう。ただし、原子爆弾製造を提唱したアインシュタイン博士が悲嘆したように、科学的な知と技術は人類にとっての幸福を願って発展したものではあるでしょうが、それはだけでは万能物ではなく、場合によれば破壊的な不幸をももたらす危険物でもあると思います。取り扱う方の人間そのものが、やはり問われており、精神的な空洞化を乗り越え、人間、その尊厳に答えられる道が今求められています。

"森に住んでいた猿の群れの中で、新天地を目指して地上に降り立っていったグループがあった。この蛮勇ともいえる行動力と非常に強い好奇心を持ったグループ、それがヒトへと進化していったと言われている。

しかし、行動力と好奇心だけで人間へと成れたのではない。長い時間の中で厳然たる自然の流れを体感し、自らの存在の痛みを感得し、おのずから、仲間の死を悼み、花を手向けざるを得ない心が働いた時、そのグループは人間と称されるべき存在へとなった。それが私たちの祖である。"


・置き忘れたもの



この「道しるべを探して・・・」のテーマは「現代において私たちが真に人間らしく生きられる道を問う」です。しかしその人間、人間らしさ「なにをもって人間と称するか?」はいろいろな考えもあるでしょうし、定義づけすることは無理だと今も改めて思います。そして当時も当然その答えは持たないまま探っていました。ただ、これは人間の定義付けなしで語るので多分に感覚的なものですが、1月号に「非人間化の営み」と記したように人間らしさとは逆の強い流れを感じていました。記載文章の中にはこのため私たちは置き忘れた大事なものを取り戻すべきではないですか?と3つのものをあげています。

2つは
冒頭部分に記しています。「みずみずしく豊かな感性」と「身の回りのいたるものに神聖さを感得出来た広い意味での理性」です。二つを合わせて一口で言えば「豊かで微細な感受性」ともいえるかもしれません。

これに対し近代からといえるかもしれませんが、現代社会にて非常に重視されたのが「知性」。特に「科学的知」でしょう。この性質は自己と自然物を分離して見ます。自己と切り離した自然物を「どのように所有し、利用できるか」を問い知ります。しかし片方の切り離した自己その本質は問われないのです。

そのような知性をひたすら発達させて己の都合で万物を利用する、この営みが人間らしさですか?何かを思い心を痛める、自身を振り返り痛みを覚える、痛みを置き忘れていませんか?と問うているのが記載記事の内容です。そうです。置き忘れた大事なものの3つめは「痛む心」「自身に対する痛み」です。記載文書の最後の部分は「痛む」を「悼む」に掛けています。当時、これが人間と他の動物を分ける大きな要素、鍵になるのでは?との思いから「"森に住んでいた猿の群れの中で、・・・」を記したのを覚えています。

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青年会議所の広報委員長だった私が振り返る21世紀初頭
〜2001年 特集記事『 道しるべを探して…』4月号を題材に(中)〜

 「総理、なぜ人間は嘘をついてはいけないのですか?」、「財務大臣、なぜ人間は他者もしくは公共の財産を盗んではいけないのですか?」、「法務大臣、なぜ人間は他者の権利を奪ってはいけないのですか?」、「防衛大臣、なぜ人間は人間を殺してはいけないのですか?」・・・国会が全国中継の時、野党議員は政権閣僚にこれらを問うてみる必要はあると思います。ごくごく基本的問いなので事前通告など必要の無い質問です。どう答弁するか、国民は知っておくべきです。彼らは国民の代表であるはずだからです。彼らの道徳観が国民の道徳観になってしまうのですから。彼らは「道徳教育が非常に大事だ」と力説しているのです。実際に道徳を教科化し生徒を評価することにしました。道徳の教科書を作らせ国がつまり彼らが検定することにしました。彼らが善悪を決定して生徒の道徳性を評価するのです。道徳善悪の決定、一体どこにその基準を求めるのでしょうか?極めつけの質問があります。「文科大臣、なぜ援交はいけないのでしょうか?」。どう答えるでしょうか?文科大臣でなくてもいいです。誰でもいいですからまともに少なくとも自分の見解を述べられる与党議員が一体何人いるでしょうか?でも期待は余りできないかもしれないです。野党議員で何人の議員が上記のような質問ができるかが疑問だからです。質問するには質問する側にもそれだけの見識がなければできないからです。
 中身の薄さはともかくとして、記載の特集記事として記している内容はほぼこの通りだと思います。そして間違いなくここで触れた問題は現在に通じています。この頃より今のほうが倫理そして倫理見識の崩壊が顕著に見えるからです。「何を持って人間と称し、人間としてどうあるべきなのか?」この問いは根本的であるがゆえにある意味いつの時代でも新たな問いになるのかもしれません。皆様はどう応えられますでしょうか?
(seiryuu)
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特集記事 「道しるべをさがして・・・1」   2001年4月号掲載  中
・現象の背後の問題 

それではなぜ、私たちは、物質的に豊かで便利な生活を送りながらも、精神的な空白感、飢餓感を抱え、未来に対して、いきいきとした夢や希望を持ちづらい状況に陥ってしまったのでしょうか。

今年1月10日の神戸新聞では、弁護士中坊公平氏のインタビューを通して「なぜ人を殺してはいけないのか」「なぜ悪いことをしてはいけないのか」を問い、「倫理21」等、倫理をめぐる書籍や雑誌の特集が相次いでいる事実、そして倫理観の揺らぎの根底には、人間関係がより希薄な方向へと向かう時代の流れがあるのではないかとの指摘をする記事の掲載がありました。

「なぜ人を殺してはいけないのか」というような問いは、根源的な問いではありますが、当たり前といえば当たり前のことです。それを、今、正面きって論じなくてはならないところに、私たちが生活する現代社会への根源的な問題、もしくは課題というべきものが、提出されているように思います。それは私たちの社会が、人間という根源、何を持って人間と称し、人間としてどうあるべきなのかという誰も皆が共通できる認識、その基盤の崩壊が深刻な段階まで進行してしまっているのではないかということです。人間にとって人間そのものが問題になっているということです。昔の日本、共同体がしっかりした社会においては、何を持って人間と称し、人間としてどうあるべきなのかの認識、この基盤は、一人一人が理屈抜きに体感体得できたものでありましょう。

しかし、グローバル化、情報化が進む現代においては、この共通認識基盤を見出し構築していく作業は決して容易なものではなくなっています。情報が即時に世界を駆け巡る現代社会では、その認識基盤が限定された共同体だけではなく、どの国や民族、異なった立場の人に対しても、矛盾無く通用し納得できるものである必要があるからです。しかし同時に、今その共通認識基盤構築の必然性をも強く感じます。なぜならば、現在私たちが抱えている問題、「物質的に豊かで便利な生活を送りながらも、精神的な空白感、飢餓感を抱え、未来に対して、いきいきとした夢や希望を持ちづらい状況に陥ってしまっている状況」・・・、その原因をたどり突き詰めていけば、この人間基盤崩壊の問題に突き当たると考えられるからです。


2001年春、当時の状況、世相



4月に小泉政権がスタートします。既にこの年1月ブッシュJRの政権がスタートし、新自由主義を展開。小泉総理が旗手となり竹中平蔵氏がその任を担ったのが「構造改革(編注:seiryuu氏の力作にリンクしています)」。これは新自由主義の経済政策。この時のフレーズ「聖域無き規制緩和」が、公共物を私物化するのに邪魔な規制等に難癖をつけて廃止させます。「所有したものは人間を含め空気、水等万物どのようなものも、その所有者が好きなようにしてもよい」。この「聖㊙︎ 根本教義(編注:seiryuu氏の力作にリンクしています)」をあからさまに実行する体制が日米ほぼ同時にスタートしたのです。また、この小泉政権を大躍進させたプロデューサーが広告界のガリバー電通。マスメディアは広告料に依存しています。電子式選挙を一手に担っている(株)ムサシとの繋がりも指摘されています。電通による政権、メディア、選挙、つまり日本の操作。これが肥大化しながら現在に繋がっています。

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青年会議所の広報委員長だった私が振り返る21世紀初頭
〜2001年 特集記事『 道しるべを探して…』4月号を題材に(上)〜

seiryuu氏の執筆記事第2弾です。
 「道しるべを探して・・・」の4月号を題材にして振り返っていきたいと思います。記事の長さや読みやすさを勘案して4月号を上中下の三回に分けて見ていきます。
 ごめんなさい、読者の皆様に最初にお断りしておきます。4月号は倫理全般を取り上げた回です。冒頭の「倫理は人間が集って、生活を営んでいく上での基盤であり、これがなければ、社会生活は成り立たないものです。」これはこれで本当にその通りだと思います。
 しかし今見れば三回の中の2回分上と中、この部分は実体験が薄い者(当時の私)が記しているので仕方の無いところではありますが、文章が拙いというか中身が薄いのです。別段、間違っていることを記しているわけではありません。ただし「倫理が崩れて大変」と新聞や雑誌、誰かが皆言っているようなことをなぞっているのに近い内容です。(勿論、倫理の崩壊は当時より今のほうがひどくこれはこれで大問題なのは間違いないのですが。)
 そしてすごく読みにくい(臭い?)ところがあります。今回掲載文書の最後のところ□で囲った文です。全体を大幅カットしようかとも考えたのですが、あえて掲載させて頂きました。ここから見えてくるものがあるからです。現代社会というより私の抱えている問題です。
(seiryuu)
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青年会議所の広報委員長だった私が振り返る21世紀初頭 〜2001年 特集記事『 道しるべを探して…』4月号を題材に (上)〜

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特集記事 「道しるべをさがして・・・1」   2001年4月号掲載  上

倫理は人間が集って、生活を営んでいく上での基盤であり、これがなければ、社会生活は成り立たないものです。ところが昨今、新聞や雑誌だけではなく、テレビにおいても、現代文明と遺伝子に関わる最先端医学等の特集番組を通じて、倫理や、人間存在そのものを根本的に問い直す試みが、多くなされていることに、お気づきではないでしょうか。これらのことは何を意味するのでしょうか。

・現代の姿

現在、先進国と称される私たち日本の社会状況は、自由主義のもと、物質的に豊かで便利な生活を謳歌しているといえると思います。しかし、本当に私たちが、安心して、いきいきと充足した生活を送っているのかと問えば、どうでしょうか。

私たちをとりまく状況は、自然環境面では温暖化現象、ダイオキシン、環境ホルモン等の問題。社会環境では、未成年者の凶悪犯罪、麻薬等の薬物の氾濫、年間数万人の自殺者の輩出、政治腐敗、そして天文学的な国家の負債といった問題等々、数え切れないほどの病理的な現象をあらわしていることも否めない事実であり、これらの病理的な現象を生み出してきたのは、私たちの生活スタイルにあることも忘れてはならないことだと思います。

そして何よりも大きな問題は、社会の閉塞状況という言葉でよく表現されていますが、私たちが来るべき未来に対して、いきいきとした夢や希望を持ちづらい状況にあるのではないかということです。私たちにとって、夢や希望とは、充実した生を営んでいく原動力となるものであるといえます。

ところが、未成年者の凶悪犯罪、麻薬等の薬物の氾濫、年間数万人の自殺者の輩出といった問題は、私たちの社会が未来に対して、夢や希望を持ちずらい状況にあることを、端的に表現している現象だと思います。未成年者の凶悪犯罪等、これらは、いわば現実否定や現実逃避の行為です。

現在から未来へかけて、明るく豊かな展望が開けていれば、物質や経済的なものが、現在たとえ苦しい状況下にあったとしても、こういった現象は起こりにくいものだからです。精神的な空白感、もしくは飢餓感と表現すべきものをここに感じます。

この部分に関することですが、知人が面白いことを言っていました。「私たち現代人はまるで幽霊みたいになっているね。と。ご存知の通り日本の幽霊には足が描かれていません。このことは「不足」即ち「足ることを知らず、感謝できず、心身の置き場がない状態」を表現しているそうです。物質的に豊かで便利な生活を送りながらも、精神的な空白感、飢餓感を抱えながら過ごしている、現代社会の状況を巧みに表現した言葉であると感じました。


物質世界と精神世界



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振り返るとこの時代までマスメディアでよく踊っていた言葉が「こころの時代」です。「物質的には豊かになり便利になった。しかし、精神的には・・・」というフレーズが頻繁に使われていたのです。「こころの時代」をテーマとしたテレビ番組が多くありました。「物質的には豊かになったのだから、後は精神が豊かになるように。そのためには何が大事でしょうか。」といった内容で、物質世界と精神世界を分けて精神世界の大切さ優位性を訴える番組構成が主だったよう記憶します。そして当時私自身これにうなずいていたものでした。

・・・ところが、この頃は「こころの時代」、「物質的には豊かになり便利になった。しかし、精神的には・・・」というようなフレーズはさっぱり耳にしなくなりました。なぜって?「物質的にも貧しくなった(させられた)」からです。日本ではこの頃から構造改革が本格的にスタートしたのです。

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青年会議所の広報委員長だった私が振り返る21世紀初頭
〜2001年 特集記事『 道しるべを探して…』を題材に〜

 これまで信用創造やプラウトについて寄稿していただいているseiryuu氏に上記のようなタイトルで執筆していただきました。
 21世紀初頭から既に人間や社会のあり方に危機感を感じ警鐘を鳴らしていたseiryuu氏に、当時の世相や自身の心境に現在の視点から考察を加え、思うところを綴っていただきました。
 こうした短いスパンでの時代考察は、その時代を知らない世代や流されてきた人達にとって「今」を正確に理解するのに役立つのではないでしょうか。
(編集長)
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 約16年前、2001年1月号から12月号まで、一年を通して違う場で執筆し連載した記事を改めてこの時事ブログの場で題材として掲載もしくは紹介の形で揚げて頂き時事ブログでの記事を展開させて頂きます。

 当時、私はあの青年会議所メンバーでした。掲載予定の特集記事は地元の青年会議所で広報委員長だった私の役割として作成したものです。



 地元青年会議所の運動テーマは毎年変化するのですが、この年掲げられたテーマが記事の中にある「永続可能な地球(ほしづくり)」。そしてスローガンが「夢」だったはずです。

 「夢」を前面に出さなければならない執筆は困ったなと思いつつ、地元青年会議所メンバーと折り合いをつけながら当時の私としては本当に懸命になって拙いながらも自分のうちにある思い考えをまとめた記事です。年間五回新聞折り込みで市内の全戸に配布した広報誌と地元青年会議所ホームページ上で載せていました。

 当時の状況と現在の状況は異なっていて記事は無論過去のものです。しかし内容を見直すと、物質現象面でいえば当時発生した流れが現在に流入して肥大して現象化していることがあるのも見て取れます。

 また全般に、この記事では現象そのものよりその水面下に内在している問題を取り上げていて、この水面下の問題は現在起きている事象にも繋がって共有されていることが多いのも見て取れます。

 その意味で、過去に執筆した特集記事を題材として解説を加えて自身のことを含めて当時を振り返りつつ現在へ至っている流れを見てみるというのは、「今」を理解し立体的な形で知る参考の一つにはなるのではないか?と考え記事作成を展開させて頂く次第です。

 お付き合い下さればありがたく存じます。よろしくお願いいたします。

特 集 予 告 2001年1月号掲載
道しるべを探して・・・
 

 喜劇王と称されたチャップリンは、映画「モダン=タイムス」で、機械を使う人間がやがて機械に操作され、ついには人間自身が機械化されていく悲喜劇を演じています。そこには産業革命から第一次、第二次世界大戦へと突き進んで行く近代の時間の流れに対する強烈な風刺が込められており、物質的な豊かさを求め、その引き換えに人間性を喪失させていく時代の営みに対する深い懐疑が表現されているよう感じます。

 人間性喪失、つまり非人間化の営みとは、人間が人間に対してその内面からの働き、夢や希望、喜び怒り、悲しみ、悩みといった、人間一人一人が様々なものを抱えて生きていく、その全体に対する想像や洞察を放棄して、人間を単純に労働力や戦力といった数値数量に置き換えて見なしていくことに終始する営みであると、いってもいいように思えます。

 さて、現代・・・・。止まることのない科学技術の進歩は、神の領域といわれた遺伝子の世界をも解明し、技術的にはクローン人間の製造も可能だといわれています。また一面、人類の存続をも危ぶまれる環境の悪化、非人間化の進行を示すかのような凄惨な事件の数々・・・・。私たちは一体どこに向かおうとしているのでしょうか。現代を生きる私たち一人一人が、本当に人間らしく生きるとはどうであるのかが問われているように感じられてなりません。

 21世紀の初頭に当たる本年、私たち社団法人○○青年会議所は「永続可能な地球(ほしづくり)」をテーマとして運動を展開していきます。その一環としてこの特集では、現代において私たちが真に人間らしく生きられる道を問うていきたいと思います。

 もとより用意され完成された答えがあるわけもなく、その道しるべを求めての当て所のない旅に終始するかも知れませんが、どうか、1年間よろしくお願いいたします。

 読者の皆様の一言が道しるべ発見の大きな鍵となることを期待しまして、特集予告とさせていただきます。


2000年晩秋から2001年早春、当時の状況、世相。



この原稿の初稿は2000年10月末ぐらいにあげたと思います。
新世紀を迎えるこの頃当時盛んに喧伝された言葉はIT革命。そして既にグローバルスタンダード(世界基準)なる言葉がマスメディアから各界でもてはやされていました。

日本では急死した小渕総理から森内閣(森喜朗をもじって蜃気楼内閣とも呼ばれていた。)となっていました。
バブルは既にはじけていましたが物質的にはまだ比較的日本は豊かでした。しかし、バブル後スキャンダルでさんざん叩かれた大蔵省は存続の危機に陥りついに2001年1月に解体されます。これにて日本型資本主義、そして過去の日本の経済政策は古く誤ったものとされます。ここから本格的に日本での構造改革がスタートしていきます。改革の旗手は2001年4月発足した小泉純一郎総理です。

この構造改革推進の流れは、「岩盤規制を取り払う」との美辞を謳いながら実質は国家財産を私物化する「国家戦略特区」を設置する現在の安倍政権の行状に繋がっています。加計学園問題の源流ともいえます。

一方、この時期の米国、ブッシュJRとゴアの米国史上まれに見る大接戦の大統領選が行われ、ブッシュJRが当選します。
これにてネオコンが台頭し、やがて「ニューワールドオーダー」の野望をあからさまにした行為を次々と実行に移していきますが、この大統領選挙終了まもなくから問題として声が上がったのが電子式投票機システムによる不正選挙疑惑でした。

これは実際に裁判にて争われ途中での判決では不正選挙が認めらますが最終的には最高裁の判決にてブッシュの勝利となります。しかし最高裁判事に様々な脅迫などがあったことが後に明かされています。ネット社会ではこの米国の電子式投票機システムが日本でも採択されてしまう懸念が当時すぐに示されていました。しかし残念ながらやがてこの懸念は日本でも現実のものとなり現在に至っています。

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森友学園問題に関連した時系列表 ポイントは2015年9月3日から5日の安倍首相の動き

竹下雅敏氏からの情報です。
 打ち出の小槌物語プラウトの解説記事をシャンティ・フーラに寄稿していただいたseiryuu氏が、森友学園問題に関連した時系列表を作ったとのことで、掲載の許可を頂きました。これを見ると、やはり2015年9月3日から5日の安倍首相の動きがポイントになるのが分かります。安倍首相が国会での野党の質問にまともに答えない以上、当時の迫田理財局長と冬柴大氏に話を聞く必要があると思います。りそな銀行は、通常なら絶対にありえない融資を森友学園にした以上、何らかの説明が必要でしょう。
 籠池氏の爆弾発言である安倍晋三からの100万円の寄付は、少なくとも7つあると言う爆弾の1つだと思います。証人喚問で後いくつ爆弾を炸裂させるのか楽しみです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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森友学園問題に関連した時系列表
作成:seiryuu氏

日本国の行方を左右する今週。この6年間のポイントになる事実。そして今後。意図し進んできた計画。

命題
 ・「美しい日本を取り戻す!」:美しい日本とは?
 ・森友学園問題:開校寸前だった「瑞穂の国記念小学院?」の真の創設者は?

2011年(平成23年)

日時

起きたこと

注釈

3 月11

東日本大震災

巨大津波。原発事故、当日メルトダウン。稼働中の1号炉建屋水素爆発、3 号炉(MOX燃料)建屋核爆発、稼働していなかったはずの4 号炉建屋が謎の連続爆発。放射性物質の大量放出。

同日

千葉市原のコスモ石油の爆発

一週間以上の燃焼。キノコ雲。千葉の市原の爆発も劣化ウラン保管倉庫の屋根まで焼け落ちた。放射線線量急上昇。 

2012年(平成24年)

2 月26

「日本教育再生機構大阪」が シンポジウム を開催

理事長の 八木秀次 (日本会議所属)が進行役となり、元内閣総理大臣 (当時) 安倍晋三
大阪府知事 松井一郎 が対談した。安倍氏と松井氏は、これを機に会合を重ねていった。一時、安倍氏維新に入党の機運も。

4月1日

松井一郎知事、教育施設認可基準緩和

府の基準では、幼稚園しか設置していない学校法人が小学校の開設に借入金を充てることは不可。ところが、府は学園からの要望を受け、幼稚園しか設置していない法人に借入金があっても設置を認めるよう基準を緩和。申請したのは森友学園だけ。  

6月9日

「『救国』全国国民総決起集会」

「頑張れ日本!」主催

日本保守大同の一大潮流を形成すべく、1000人を超える真正保守の諸党派、団体が千代田区の砂防会館に結集。安倍晋三(創生「日本」会長)、平沼赳夫(たちあがれ日本代表)、山田宏(日本創新党党首)をはじめ、国会議員、文化人が熱い演説を繰り広げた。
注:現憲法否定発言の連続

12 月26

第二次安倍内閣

発足。

2013年(平成25年)

12 月6

特定秘密保護法、強行採決

同年 12月13日 に公布され、 2014年 12月10日 に施行。エドワード・スノーデンによると、同法は「実はアメリカがデザインしたものです」

2014年(平成26年)

4月1日

防衛装備移転三原則

基本的に 武器 兵器 )の 輸出 や国際共同開発を認めない武器輸出3原則撤廃。武器の輸出入を基本的に認める。

10月31日

森友学園より許可申請。

申請時の学園名は?

12月18日

最初の大阪府私立学校審議会開催

認可議論。疑問、反対意見多数。財務基盤の問題、生徒が集まるのか?思想的に問題。継続審議。認可困難

2015 (平成27 年)

1月27日

大阪府私立学校審議会開催(臨時会)

不安の声にも、大阪府の事務方が、まるで森友学園の代理人みたいな答弁。認可適当の結論。(決裁責任者松井知事)

夏~

安保法案の提出

専門家は憲法違反との意見が9割。市民反対大規模集会とデモ続出。

9 月3

安倍首相、財務省の岡本薫明官房長、迫田英典理財局長と会談。

迫田英典理財局長は安倍氏の同郷。理財局長就任は安倍氏の抜擢人事とされている。その後栄進し現在国税庁長官。国有地の森友学園売却、 8 億円値引きの決裁責任者。

9 4

10 時~ 12

近畿財務局での会合。

近畿財務局9階会議室にて森友学園の小学校建設工事を請け負った設計会社所長、建設会社所長が近畿財務局の池田統括管理官、大阪航空局調査係と会合。埋設物の処理内容や費用についてつめた議論をし、業者側が高額な処理費用を提示するなどしていた。

同日

11 58

安倍氏、全日空21便で伊丹空港着。

同日

12 39

安倍氏、大阪中央区の読売テレビ着

近畿財務局からは大阪城を挟んで車で10分程度の距離

テレビ番組出演。

同日

16 時頃~

冬柴大氏が経営する海鮮料理店「かき鉄」で会食

冬柴大氏は公明党故冬柴鐵三氏の次男。元りそな銀行高槻支店次長。その後、りそな銀行は森友学園に校舎の建築費21億円を融資。

同日

安倍晋三記念小学院への補助金交付が決定。

国土交通省「平成27年度サステナブル建築物等先導事業(木造先導型)の採択プロジェクトの決定について」にて、森友学園の安倍晋三記念小学院の校舎及び体育館が選出され6200万円の補助金交付が決定。

9 月5

安倍昭恵夫人講演

塚本幼稚園にて安倍晋三記念小学院名誉校長就任の挨拶。女性司会者、安倍昭恵夫人の横で「安倍晋三記念小学院よろしくお願いいたします。」

籠池理事長この時に100万円寄付受けたとの発言。(国会証人喚問へ)

9 月17

安保法案強行採決

参院安保特別委での強行採決、委員長が何を言ったか「聴取不能」なのに、与党が可決したと議事録に追加。つまり虚偽採決

2016 年(平成28 年)

豊中市議木村真氏の疑義

国有地が学校の工事現場に。「柵に児童募集のポスター、そこに靖国神社の鳥居らしき写真と一緒に教育勅語が載っていました。」木村氏談

9月

豊中市議木村真氏情報公開請求

売却額を情報公開請求。近畿財務局は売却額などを非公表とする。翌年2月財務局の決定の取り消しを求めて大阪地裁に提訴。記者会見。

12月1日

通信傍受法改定

捜査で電話やメールを傍受できる通信傍受の対象犯罪に、組織性が疑われる詐欺や窃盗など九類型を追加する改正通信傍受法が一日、施行された


これから

2017年(平成29年)

3月21日

テロ等準備罪閣議決定

事実上「平成の治安法」政府批判の集会やデモは共謀罪と見なされ処罰の対象となる可能性大。

3月23日

国会証人喚問

国家権力そのものの安倍氏と一私人の籠池氏との対決。偽証罪は?

緊急事態条項附設

緊急事態(政府の恣意判断による)での基本的人権の制限。憲法改定へ。

2018年(平成30年)

憲法改定。

自民党草案憲法、基本的人権、平和主義等の否定。自衛隊は国防軍に。

2020年(平成32年)

新日本○○○宣言

東京オリンピック開会式。安倍氏初代日本○○就任スピーチ



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