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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝13 ― 中央銀行イングランド銀行設立へ

 これまでの金融システムの崩壊を告げる足音が、いよいよ大きく響いてきた感があります。イルミナティが支配してきた世界秩序が、過去のものとなりつつあるのです。
 近代から、世界の金融システムは金(ゴールド)を通貨の価値の根拠とする金本位制としてまとめられました。しかし、その金本位制は1971年のニクソンショックで一方的な形で破棄されました。
 金本位制に取って代わったのがいわゆるオイルダラーです。世界基軸通貨であるドルの価値の根拠を、中東のオイルを中心としたエネルギー資源とするもので、オイルなどの取引はドルのみとしました。これでドルの価値を担保したのです。
 この金融システムにて、中東の石油利権の覇者デービッド・ロックフェラーが世界帝王の一人として君臨することになりました。しかしそれも今は昔で、石油取引などの決済にドル以外の通貨が現在使われており、ドルの基軸通貨としての根拠は既に失われているのです。
 現在進められている新たな金融システムはブロックチェーン技術を用いた金本位制の復権の模様です。
 さて、今回も改めて現在にまで通じてきた金融システム、それがどのように立ち上がり成立していったのかを見ていきます。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝13 ― 中央銀行イングランド銀行設立へ

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信用創造の実態 ~信用創造の開発者は?


日銀の記事によると、その後の世界を一変させる働きとなった「紙幣」の始まりは「ゴールドスミス・ノート」で、その流通は1600年代半ばとされており、このロンドンのゴールドスミスが発行した「紙幣」が、金(ゴールド)本位制の部分準備金による「信用創造」の始まりであったことを前回記しました。

部分準備金による信用創造とは何か?
ゴールドスミスの時代は、準備の金(ゴールド)に対し約10倍の紙幣を発行し貸出しました。裏返すと、これは発行される全部の紙幣の約10分の一という全体の一部分でしかない準備の金(ゴールド)で、その約10倍の紙幣の貸出がされていたのが実態だったのです。

さてところが、現在の信用創造はもっとすごいことになっており、ゴールドでもない準備金の約100倍のお金が通帳に印字されて貸し出されているのが実態です。銀行は顧客から100万円預かるとそれを準備金としてその100倍の約1億円を貸し出しているのです。これが現在の銀行の通常業務です。

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もちろん、この信用創造の業務実態は現在まで世界の一般人には秘密にされてきたのですが、日銀等によると、この近代銀行の先駆けと表現された「信用創造」は、ロンドンのゴールドスミスという個人が発見し、開始した業務とされているわけで、この見解がオーソドックスなものだと見て良いでしょう。

しかし一方、この部分準備金による信用創造の方式は、ゴールドスミス個人もしくはゴールドスミス・ゴールドシュミットネットワークの個々人が発見し実行を始めた、とは異なる見方をジョン・コールマン博士は示しています。『新版300人委員会』で以下の通り記されています。

東インド会社は、設立から25年間は、歴代ムガール皇帝やインドの商人、銀行家と良好な関係を築いた。彼らは1625年までにインド金融の秘密を手に入れ、その内容を熱烈な報告書にしたためてイギリス国王に届けている。

同著でジョン・コールマン博士は「インド金融の秘密」を「バビロン式部分準備銀行制度にもとづくインドの商業銀行制度」としています。
つまり、部分準備金制度の信用創造はバビロンが起源であり、その金融方式が採用され残っていたインドで、そのインドの銀行家などから、イギリス東インド会社が1625年までにそれを学び習得し、その報告書を英国王にも届けているとしているのです。

このジョン・コールマン博士の記述によると、部分準備金によるお金の信用創造はゴールドスミスの個人による発見ではないとなります。
紙幣である「ゴールドスミス・ノート」がロンドン中心に流通したとされるのが1600年代半ば、それに先立ち、イギリス東インド会社の本来所有者「黒い貴族」たちが1625年までに部分準備金制度の信用創造の金融方式を習得していたならば、年数的に符合はします。

バビロン式部分準備銀行制度を習得したイギリス東インド会社の「黒い貴族」がバックにあって、その指示で、ロンドンのゴールドスミスが社会実験として紙幣となる「ゴールドスミス・ノート」の発行と流通をさせた、という筋書きが浮かぶのです。この筋書きは不明ながら可能性としては確かにありそうです。

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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝12 ― 信用創造、ゴールドスミス・ノート

 英国では、フランシス・ドレイクがスペイン船舶から銀など財宝を奪取、更に世界一周の航海を果たし巨万の冨を獲得。また、そのドレイク海賊団に投資したエリザベス1世を始めとする投資家も一攫千金を実現。このドレイク海賊団を代表とした海賊たちが多大な財宝を獲得、またそれに投資した人々も「一発当てて」一財産を得ていきました。
 最終的には、イギリス東インド会社が成功し、世界中に植民地を拡げ、麻薬貿易や奴隷貿易などで巨利を得て、イギリス東インド会社の株主など関係者は莫大な富を蓄積していきました。
 これらの始まりとなった17世紀当時の英国では、ハイリスクではあるけれど一攫千金のチャンスは存在し、それにつき動かされる多くの人々がいた時代でした。この背景として、この時代を創出させる源泉となるものが生みだされていました。「量的に自由に融通できるお金」です。
 それまで市場における商取引の決済にされたのが金貨や銀貨の「現物貨幣」です。この決済方法では、市場での一回一回の商取引の範囲は、「現物貨幣」の存在量の内に限定されることになります。「現物貨幣」は「量的に市場を限定させるお金」でもありました。
 しかし、その限定された市場商取引の様相を一変させるものが生まれたのです。「紙幣」です。市場へのお金の供給量を自由に出来るのが「紙幣」であり、これのある意味の破壊力の凄まじさと影響力は決定的で絶大でした。「紙幣」の登場によって、市場規模は一気に飛躍的に拡大したのです。
 信用創造で生みだされるお金が、後の世界を支配する大英帝国の原動力でもあった、いや、もっといえば「紙幣」そのものが世界のあり方を一変させたとも言えるのです。
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝12 ― 信用創造、ゴールドスミス・ノート

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預かった金貨等の無断貸出 ~お金の需要が満ちていた時代


日銀のホームページの中に「紙幣(おさつ)の始まり」との題で次の記述があります。

「ヨーロッパでは、17世紀半ばに金細工師が金属の預り証ゴールドスミス・ノート、goldsmith note)を発行し、これがおかねとして流通したのが紙幣の始めだとされています。」

このゴールドスミス・ノートについて「ことバンク」では次のように指摘しています。

「「金匠手形」と訳す。 17世紀にロンドンのゴールドスミス (金匠) が発行した手形で,銀行券の先駆となった紙券。元来ゴールドスミスとは両替商も営むロンドンの金細工師であったが,次第に貨幣,貴金属の保管から貸出しも行うようになり,17世紀には預金および貸出しの両業務を営むのが一般的になった。ゴールドスミス・ノートはこの預金に対する預り証書であったが,ゴールドスミスが貸出しに際してこの紙券を発行するにいたって,現金に代って広く一般に流通するようになった。兌換銀行券の先駆であり,またゴールドスミスは近代的銀行業の先駆である。」

金細工師(金匠)のゴールドスミスは堅牢な金庫を有しており、記事にあるとおり、貴族や商人たちが貨幣や貴金属を預けていました。金貨や貴金属の保管には常に盗難のリスクがあったからです。

お金の起源と歴史。信用創造という名の詐欺的行為。


ところが、ゴールドスミスは預かり保管した貨幣や貴金属の返還が、預け主からはほぼ求められない事を経験します。そこでゴールドスミスは預け主に無断で保管していた金貨などを貸出すようになります。

当然これは不法行為でしたが、市場の需要が満ちていたのです。当時、海に出て巨万の富を得ようと企てる者など、「一攫千金の夢を見て」その資金調達のために多額の借金を求めていた者はごまんといたわけです。リスクは大きいが成功によるリターンも莫大だったからです。
ゴールドスミスはこれらの者に対して、相当の高利で預かった金貨などの貸出しで利益を得たことでしょう。

一方市場では、金貨などの「現物貨幣」だけではなく、その金貨の「預かり証」でも商取引される例が出てきていました。これはゴールドスミスが貴族や商人から金貨等を預かった際に発行した「預かり証」です。

この「預かり証」は、誰であろうともその「預かり証」をゴールドスミスのところに持ち込めば、預かり証と同額の金貨に交換できましたから、金貨と同価値でお金そのものでもあったのです。金と等価で交換できる紙券、つまり兌換紙幣の走りとなったのです。

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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝11 ― 黒い貴族による英国攻撃の意味

 今回から改めて1600年代に引き起こされた英国家と英王室の変化変質の意味を探っていきます。
 チャールズ1世の公開処刑を代表とした1600年代の英国の変質は、「黒い貴族」による波状攻撃に晒された結果であったのです。そしてその攻撃の背後の中心にいたのがオレンジ家と見るのが当然です。
 「黒い貴族」の攻撃はその対象相手の内部に「工作員」を送り込むことから開始されます。英国の場合は、その「工作員」は英国で「清教徒」と呼ばれるカルヴァン派と見なせます。清教徒の工作から更なる攻撃が続行します。英国内の重臣など有力者への賄賂による「買収です」。
 清教徒革命ではオリヴァー・クロムウェルが、名誉革命では、後のウィンストン・チャーチル首相の先祖にあたるマールバラ公爵たちが、アムステルダムの銀行家たちに買収されました。この結果オランダのオレンジ家ウィレム3世が、英国でウィリアム3世の名前となって英国王に就任したのです。
 ただし「王家の血流」の視点から見れば、ノルマンディー公ウィリアムから始まる英王室とオレンジ家の血流は同じに見えます。英国ではウィリアム、オランダではウィレム、そしてフランスではギョーム、この名前の下に流れる血流こそが「王家の血流」つまり「マグダラのマリアの血流」となるのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝11 ― 黒い貴族による英国攻撃の意味

英国を攻撃した「黒い貴族」 ~その中心にあったのがオレンジ家


1600年代後半に三次に渡る英蘭戦争を戦った英国とオランダ。このオランダ王室のオレンジ家のウィリアム3世が名誉革命にて英国王に就き、1600年代末にイングランド銀行が設立されます。「オランダのオレンジ家が英王室を乗っ取った」。このこと自体は紛れもない事実です。

1649年に英国王チャールズ1世が処刑、それまでの英王室が転覆されることになったのが清教徒革命です。その清教徒革命の旗手であるオリーバー・クロムウェルは、マナセ・ベン・イズラエルたちオランダアムステルダムの金融家に買収されていたのが内実です。彼ら「黒い貴族」の要請によって革命と英国王処刑が決行されたのです。

さらに、それに先立ち清教徒革命の源泉となったのが、英国に入り込んだ清教徒の存在です。清教徒が英国に入り込み、特に下院議会の中に席を占め、発言力を強めたのがベースとなり、清教徒革命と名誉革命へと結びついているのです。

そして外伝8で見たように、この清教徒と分かちがたく深く結びついていたのがオレンジ家なのです。

三次に渡る英蘭戦争、それに清教徒革命と名誉革命、これら英国における1600年代中頃から後半にかけて起き上がった非常に重大な出来事、これらは全てが一連の計画に基づいた動きだと見なすべきなのです。

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現実にこの一連の動きで生じた結果は、以下の通りです。

イギリス東インド会社が改組の上に超国家的特権を獲得
②(長年追放されていた)自称ユダヤ人たちの英国への帰還
オレンジ家の英王室乗っ取り
国家に金を貸し付け通貨発行するイングランド銀行設立

一連の動きによって得られた①から④は、「黒い貴族」が世界を植民地化支配していく計画を立て、その拠点にすべく、英国並びに英王室に狙いを定めた結果だと見えます。事実、その後大英帝国の看板のもと世界を植民支配するのです。そして、その世界支配の最重要機関がイギリス東インド会社とイングランド銀行です。

これら1600年代を通しての「黒い貴族」による英国への総攻撃、この中心の一角にあったのがオレンジ家であったのはどう見ても間違いが無いのです。この総攻撃の仕上げとして亡命に追いやられたのがジェームズ2世です。

ユースタス・マリンズは『カナンの呪い』の中で、ジェームズ2世の重臣側近たちで、アムステルダムの銀行家から賄賂を受け取り寝返った面々を記しています。筆頭はマールバラ公爵ジョン・チャーチル(ウィンストン・チャーチルの先祖)。彼は「35万ポンドの賄賂をメディナ家およびマシャド家から受け取った」とのこと。

その他シュールズベリー卿、シドニー・ゴドルフィン、サンダーランド公爵、ポーツマス公女、ポルワース卿、ハンス・ペンティングなどの名が上がっています。


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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝10 ― 黒い貴族と「表」「裏」のイルミナティ

 「黒い貴族」は、ユースタス・マリンズの指摘にあるよう「カナン族」がその源流となりそうです。しかしそこに「王家の血流」が合流、即ち、本来は別になる二つの系統が合流しているように見えることを前回記しました。
 大変大雑把には「黒い貴族」=「イルミナティ」とも表記できそうですが、イルミナティも二つの系統、基本的に敵対する二つの別組織に分かれます。
 イルミナティが一般に言語として認識されるようになったのはここ5年ぐらいで、地上世界を裏から支配操作する悪魔崇拝の寡頭権力の秘密結社と認識されているでしょう。この認識で間違いはないです。
 しかし一般に認識されていないことがあります。それはイルミナティが一つではなく「表」と「裏」の二つの組織に分かれることです。これは竹下さんの「映像配信」や時事ブログ記事で度々説明され、このシリーズでも「ハルマゲドン編」で言及しています。
 霊的世界に関わる事なので厄介なのですが、このことを認識していないと、地上世界での重要な出来事の位置づけや整理理解ができません。それで今回は、話しの進展上は小休止的な回になりますが、ユダヤ問題の追求理解にどうしても必要になるので、表裏に分かれるイルミナティ組織を改めて簡易整理します。その上でマグダラのマリアとの関わりを見ていきます。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝10 ― 黒い貴族と「表」「裏」のイルミナティ

「表」と「裏」二つのイルミナティ ~闇の世界を統括する役職がルシファー


編集者註:用語「ルシファー」については、所属するグループや位階で様々に意味が変化する名前(役職名)であるため、それぞれを参照のこと。
✅ ハイアラーキーに所属している者から見たサナット・クマーラの場合。
✅ 悪魔崇拝者から見た洗礼者ヨハネカインエノクの場合。
✅ ブラック・ロッジの支配者に与えられた闇の大王の役職名としてマルドゥク、カナン(当記事)の場合。


この地上世界は仏教的には物質世界の「欲界」で、欲界は幾層にも分かれます。地上世界は「せんぶ州」と呼ばれます。「せんぶ州」の下の世界が全て地獄界で、闇の世界になります。逆に「せんぶ州」の上の世界がいわば天界で、光の世界とも分類できます。

まず地獄世界の存在、つまり地獄の悪霊とか悪魔と表される地獄の住人についてです。彼らは霊的進化による強い霊パワーを有する集団で、地上世界を支配しようとします。この集団組織をブラック・ロッジといいます。

これに対して、光の世界の住人も霊的進化しており、組織として地上世界を操作してきました。この組織をホワイト・ロッジといいます。
ブラック・ロッジとホワイト・ロッジは対の関係にあり、超古代から戦いを繰り広げてきました。

2000年当時、ブラック・ロッジとホワイト・ロッジのそれぞれの首領、いわば総理大臣に当たるのは、ブラック・ロッジが個人名カナン(役職名はルシファーホワイト・ロッジがマイトレーヤ(キリストの役職)です。地上世界にあって、カナンの血統の一族を中心として、カナンをルシファーと崇拝する一団が「カナン族です。

従って、「黒い貴族」の源流「カナン族」は地獄界ブラック・ロッジの存在で、彼らは「表のイルミナティ」に所属するのです。一般で普通に「イルミナティ」と認識されるのがこの「表のイルミナティ」です。彼らは確かに闇の住人であり、悪魔崇拝の秘密結社です。

しかし、これと全く別のイルミナティがあります。なんと天界ホワイト・ロッジの中に巨大に巣くう悪魔崇拝「闇組織」がありました。この闇組織に所属する地上組織が「裏のイルミナティ」なのです。「裏のイルミナティ」は天界の存在ながら「表のイルミナティ」と同様に闇の住人であり、悪魔崇拝の秘密結社です。

おまけにイルミナティの「裏」と「表」のどちらの地上組織もカバラを信奉実践していました。表面上二つのイルミナティ組織の区別はつけられません。より正確には「表のイルミナティ」組織に偽装し、その裏側に潜み、自らの存在を認識させないようにステルス化していたのが「裏のイルミナティ」です。

表と裏のそれぞれのイルミナティ組織、何が違うのか? 存在階層が「表のイルミナティ」は地獄で、「裏のイルミナティ」は天界の違いです。そして何よりも組織を統括し導く霊存在のルシファーが違います。「表」は既述の通りカナンがルシファーです。「闇組織」のルシファーはエノクです。旧約聖書で「神にとられた」とされるエノクが「裏のイルミナティ」のルシファーとなるのです。

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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝9 ― 黒い貴族の二つの系統

 既述したように、ユースタス・マリンズは「黒い貴族」のルーツをカナン族だとします。
 カナンとはノアに3人の息子があったうちのハムの息子になります。ハムは黒人種と分類されており、その血統のカナン族の肌が黒いのは当然となるでしょう。しかしカナン族は肌の色もありますが波動的にも黒いのです。カナン族は古代から悪魔崇拝を続けてきたファミリー群だからです。そして確かにこのカナン族こそが「黒い貴族」の源流に当たる一つの系統になるでしょう。
 しかし「黒い貴族」にはこれに加えてもう一つ別の系統があるように見えるのです。前回見たように、ジョン・コールマン博士は「黒い貴族」として欧州王家の面々をリストアップしています。このリストはいわば結果として「黒い貴族」となった「王家の血流」ですが、この欧州王族の系統の源流は、本来的にカナン族とは別の系統になるはずなのです。
 なぜか? まず血統が異なるのです。つまり「黒い貴族」として一括りになってはいますが、「黒い貴族」には「カナン族」と「王家の血流」という本来は別々の二つの系統が流れ込んでいると見えるのです。
 具体的にどういうことかといえば、オレンジ家のウィリアム3世が英国に上陸した際に、多くの「アムステルダムの金融ユダヤ人」を引き連れてやってきたことが指摘されています。この指摘を例にすると、オレンジ家のウイリアム3世は言うまでも無く「王家の血流」の系統になります。それに対して「アムステルダムの金融ユダヤ人」は「カナン族」の系統になると思えるのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝9 ― 黒い貴族の二つの系統

カナン族 ~地中海を支配する悪魔崇拝の一族


「黒い貴族」には「カナン族」「王家の血流」という2つの系統があるように見えます。この2つの系統について、先に「カナン族」の系統についての大雑把な見解を示します。

「カナンの地」と呼ばれた一帯があります。カナン族の本拠であり現在の中東パレスチナの一帯です。「カナン族」、彼らは紀元前の遙か昔にフェニキア人とも呼ばれ、地中海とその沿岸全域をも勢力圏にしていきます。

フェニキア人の交易路
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カナン族はたぐいまれな商売の才があり優れた造船技術を持っており、古代に「海の民」と接触した後に、共になって勢力を拡充して海上貿易で繁栄するのです。そしてその主な貿易の中の一つには「奴隷貿易」がありました。

ハムの血統肌の色が黒く、古代から悪魔崇拝にいそしんでいたカナン族は、これら海上貿易で巨利を得て地中海の支配権を獲得していきます。彼らは植民都市カルタゴを建設したことでも有名であり、海上帝国を築いたのでした。このように繁栄を誇った彼らでした。

3回にわたるポエニ戦争(Punic War)中のローマとカルタゴの領土変遷
※画像中、左下のマイナス表記の数字は年号
編集者註:第1回(BC264〜BC241) 第2回(BC218〜BC201)
第3回(BC149〜BC146カルタゴ滅亡

しかし、やがてローマ軍によって築いた海上帝国が滅ぼされます。最終的にポエニ戦争でカルタゴが滅亡させられたのが紀元前146年です。ただし、海上帝国は滅ぼされましたが、カナン族自体は滅亡したわけではありません。

カナン族は「ユダヤ人」だと自らを騙りながらローマ(後のローマ帝国)の中に入り込み、貴族たちを籠絡しつつ、特権ユダヤ人、宮廷ユダヤ人として力を蓄えていきます。ローマ帝国内部奥深くに入り込み腐敗堕落させるのです。
やがてローマ帝国が滅亡に追いやられたその大きな一因が、彼らカナン族だと見てもいいように思えます。

その彼らは、ローマ帝国が滅ぶ頃には、ヴェネチアを本拠地とするようになっていました。

ヴェネツィア共和国の領土の変遷

「紀元466年、ベネチア(フェニキア)の町が建設された。その地形の特異性、さらにはカナン人が躍起となって金と権力を追求したことで、町はほどなく商業世界の中枢となった。」と『カナンの呪い』でユースタス・マリンズが指摘するように、彼らはヴェネチアを本拠地にして、その後再び地中海貿易を独占していき、11世紀には実質的に地中海を支配する「ヴェネチアの黒い貴族」として欧州全域で知られるようになっていたわけです。

「黒い貴族」の源流にあたるであろう「カナン族」については、大体こういうことだっただろうと推測できます。付け加えると悪魔崇拝の「カナン族」はブラック・ロッジ、つまり地獄のそして「表のイルミナティ」側となります。

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