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アジアから奪った金銀財宝をフィリピンに隠した日本軍 ~財宝隠匿を指揮したのは、秩父宮雍仁親王と竹田宮恒徳

竹下雅敏氏からの情報です。
 冒頭の短い動画から、日本軍は、アジアから奪った金銀財宝をフィリピンに隠したことがわかります。TEAさんの一連のツイートは、現在アカウントが停止されています。これらの情報から、財宝隠匿を指揮したのは、秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)竹田宮恒徳。担当司令官は、「生長の家」の信者の田中静壱。副官の塚本素山は、戦後、略奪財宝の一部を日本に運び入れたひとりだということです。塚本素山は、創価学会顧問になったと書かれていますが、詳しいことは、こちらの動画をご覧ください。
 “続きはこちらから”の櫻井ジャーナルをご覧になると、これらの一連の流れがはっきりとわかります。「生長の家」の創始者・谷口雅春は大本教に所属していたとあります。「生長の家」の信者である田中静壱司令官が財宝の隠匿工作に関わり、副官の塚本素山が戦後、創価学会の顧問に就任しているとなると、こうした一連の陰謀に、大本教、生長の家、創価学会が繋がっていると想像されます。
 最後の2つのツイートの写真をご覧ください。生長の家総裁・谷口雅春夫妻と堀川辰吉郎が一緒に写真に写っています。また、大本教の出口王三郎と堀川辰吉郎が一緒に映っている写真もあります。さらに、「堀川辰吉郎に仕え守護する大日本皇道立教会」の写真があり、創価学会創立者・牧口常三郎の名があります。大日本皇道立教会に関しては、こちらの記事をご覧ください。
 これらの一連の写真の人物は、裏天皇・堀川辰吉郎に仕える人々だと考えて差し支えないでしょう。要するに、大本教、生長の家、世界救世教、創価学会は、裏天皇に仕える組織なのです。加えて、日本会議の中枢と統一協会も同様です。要するに、現在の安倍政権を背後で支える勢力は、天皇陛下ではなく、裏天皇に仕えているのです。
 12月7日の記事で、“財宝の略奪を命じたのは、昭和天皇ではなく裏天皇・堀川辰吉郎”だと指摘しましたが、今回の一連の情報から、これがまず間違いないことだとわかるでしょう。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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【予告編】山下将軍の消えた財宝
配信元)
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配信元)
TEA
‏@tea_2019

♦️森友学園と天皇家、創価学会

🔹#森友学園 の創業者 #森友寛(籠池諄子の父親)は #昭和天皇 の弟と懇意、田中角栄はじめ太い政界人人脈を持つ
http://bit.ly/2z9E9P2 
🔹#塚本幼稚園 の塚本は森友寛と昵懇の #塚本素山 から
🔹塚本素山とは #創価学会 初代顧問かつ #天皇財閥 の金庫番

続く↓

TEA
‏@tea_2019

続)
戦後 #塚本素山 はフィリピンに隠した略奪財宝 #山下財宝 を日本に運び入れた一人。
財宝隠匿を指揮したのは秩父宮雍仁(昭和天皇の弟)、従兄弟の竹田宮恒徳。
担当司令官は #生長の家 の信者の #田中静壱。日本降伏後に自殺。
副官の塚本素山は創価学会顧問になり #池田大作 を会長に推薦。

続↓

TEA
‏@tea_2019

続)
山下財宝は天皇家と生長の家、創価学会、世界救世教等のカルト宗教、政財界を繋げる裏金に。
#児玉誉士夫 も関与。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201607250000/ …

歴史の闇に常に跋扈する天皇家と #大本教(=生長の家、世界救世教)
http://rapt-neo.com/?p=38113
http://rapt-neo.com/?p=39464
#山下財宝 #創価学会 #世界救世教

TEA
‏@tea_2019

🔴【天皇の金塊】は【李家の隠し財宝】

上記の #山下財宝#M資金 【M】の由来は色々言われてますが、最近のTWから見当がつきますね

やはり #李家=梅花=#メイファー のMでした

#フィリピン #ルバング島 で発見された日本軍のスパイ #小野田寛郎 氏もM資金を守る為に残っていたとも聞きます

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[櫻井ジャーナル]泥沼化していた東アジア侵略を無視、真珠湾攻撃で米国と戦争を始めたことを無謀だと言う怪説

竹下雅敏氏からの情報です。
 日本が東アジアを軍事侵略した経緯が、簡潔にまとめられています。文中で南京大虐殺について、“目撃した人々が少なくなると、この虐殺を否定しようと必死な人たちも出てきたようだが、世界では通用しない”とあります。奇しくも本日のイランラジオで、“中国で、「南京大虐殺公文書抜粋」が公開”という記事が出ていました。
 これまで日本が太平洋戦争に突入して行った経緯がよくわからなかったのですが、ようやくその道筋がおぼろげに見えてきました。この記事の最後にある“指揮していたのは…昭和天皇の叔父、朝香宮鳩彦”ですが、彼は堀川辰吉郎に仕えていた人物です。どうやら満州国は2代目裏天皇・堀川辰吉郎の命によって作られた国家のようです。こうした事実を考慮すると、太平洋戦争における最大のA級戦犯は堀川辰吉郎であると断言してよいのではないかと思います。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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泥沼化していた東アジア侵略を無視、真珠湾攻撃で米国と戦争を始めたことを無謀だと言う怪説
転載元)
 1941年12月7日午前7時48分(現地時間)にハワイの真珠湾に対する奇襲攻撃を日本軍は開始した。いわゆる偽旗作戦とは違って実際に日本軍が攻撃したのであり、例えばベトナム戦争へ本格的に介入する口実になったトンキン湾事件とは本質的に違う。野村吉三郎駐米大使らがアメリカのコーデル・ハル国務長官に最後通牒を伝えたのは攻撃開始から1時間後のこと。この攻撃で日本はアメリカと戦争を始めたわけだ。

 当時の生産力、科学技術力を比較するだけでも日本がアメリカに正規戦で勝てる可能性はきわめて小さく、無謀な行為だったと日本ではマスコミに登場する「専門家」も口にする。日本はアメリカと戦争するべきでなかったというわけだ。

 この主張を否定するわけではないが、その時点で日本が東アジアを軍事侵略していたことに触れない「専門家」が多い。アメリカと戦争したことは間違いだが、1872年の琉球藩設置に始まる東アジア侵略を肯定している、少なくとも否定していない。侵略戦争が泥沼化、真珠湾攻撃につながったことから目を背けている。

 この辺の流れを振り返ると、1871年7月に廃藩置県、同年10月に宮古島の漁民が難破して台湾に漂着、何人かが殺され、72年に琉球王国を併合して琉球藩を設置したことに行き着く。明治政府の何者かが漁民殺害を口実に台湾を侵略することを思いつき、宮古島を日本領だと主張するために琉球藩をでっち上げたということだろう。

 台湾に軍隊を送り込んだのは1874年、その翌年には李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ軍艦を派遣して挑発、紛争化に成功、「日朝修好条規」を結ばせて清(中国)の宗主権を否定させた。1894に朝鮮半島で甲午農民戦争(東学党の乱)が起こると、「邦人保護」を名目にして軍を派遣した。その一方で朝鮮政府の依頼で清も出兵、日清戦争が勃発している。

 1840年から42年にかけてイギリスと戦争、敗北して「半植民地化」していた清との戦争に日本は勝つ。言うまでもなく、清とイギリスとの戦争は貿易で敗れたイギリスが清に麻薬のアヘンを売りつけようとして引き起こされた。資本主義は経済的に優位な仕組みではないということでもある。

 1895年4月に「下関条約」が結ばれて日本は中国大陸での利権を獲得しているが、その半年後に三浦梧楼公使たちは朝鮮王朝の中で「親露派」と見られていた閔妃を暗殺している。そして1910年、日本は韓国を併合した。この年、幸徳秋水を含む社会主義者や無政府主義者が逮捕された。そのうち24名に死刑判決が出され、12名が処刑されている。いわゆる「大逆事件」だが、冤罪だった可能性がきわめて高い。

 事件の翌年、1911年に警視庁は特別高等課を設置、1923年の関東大震災を経て25年5月に普通選挙法を公布されるが、6月には治安維持法が成立、思想統制の仕組みが出来上がる。震災の復興資金の調達を頼った先のJPモルガンはウォール街の巨大金融機関で、それ以降、日本はその強い影響下に入る。

 その後、1927年に第1次山東出兵、翌年に第2次山東出兵、張作霖爆殺、31年には満鉄の線路が爆破された。関東軍参謀の石原莞爾中佐(当時)と板垣征四郎大佐(当時)が立案、今田新太郎大尉が用意した爆弾を河本末守中尉を中心とするグループが仕掛けたと言われている。これを切っ掛けにして「満州事変」が始まり、その翌年に日本の傀儡国家「満州国」の建国が宣言された。

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