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アメリカがつくった「イスラム国(ISIS)」全8篇(その1)
米大統領選から 「ISISが米国に創設されたことを知る方法」

 以前、トランプ氏がオバマとヒラリーが「ISISの創設者」であると演説している動画を記事にしましたが、その裏付けとなる記事が翻訳されています。日本のメディアでは、暴言として報道されていましたが、"トランプは正しい"ことが分かります。
 また、2013年8月21日のシリア市民に対する化学兵器の使用について、この記事では、"サウジアラビアのバンダル王子によって「反乱軍」に提供されていたと広く信じられている。だがヒラリー・メールの最近の公表は、リビアからシリアへの兵器の移転を指示したのは彼女であって化学兵器はそれらの中に含まれていた可能性がある"としています。リビアのベンガジ領事館襲撃事件でクリストファー・スティーブンス駐リビア米大使が殺害されたのは、"シリアに輸送されている兵器の一部が民間人に向けて使用されるかもしれないことが懸念していたので着手した"とあります。ヒラリーに関係する人物が多く殺害されていますが、同大使もその一人かもしれません。
(編集長)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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ISISが米国に創設されたことを知る方法
転載元)
By Roger Stone
ロジャー・ストーン(松元保昭訳)
2016 年 8 月 20 日 インフォメーション・クリアリング・ハウス誌
 

Url of this article: http://www.informationclearinghouse.info/article45324.htm

    この記事は、米大統領選の最中、トランプ氏が8月10日の演説でヒラリー氏のメール問題にかかわり、「オバマとヒラリーは、IS「イスラム国」の共同設立者だ」と発言し世論がヒートアップしたことを受けて書かれたものである。たとえば、クリントンの email は次のように述べている:「我々は、地域の ISIL と他の過激なスンナ派グループに財政上、兵站用の秘密の支援を提供するカタールおよびサウジアラビアの政府に圧力をかけるよう我々の外交および従来の諜報資産を利用する必要がある。」これはヒラリー・クリントンから 2014 年 8 月 17 日に送信された一部である。

    https://wikileaks.org/podesta-emails/emailid/7243

    しかし日本のメディア報道では、私的メールを利用したとは言われるが、その違法で謀略的な隠密内容についてはほとんど触れられない。
    (中略)


ジュディシャル・ウォッチ(1994年に設立された米国の保守的な行政監視団体)が それを提供した。米情報公開法の要請を受けて、ジュディシャル・ウォッチは 2012年にISIS創設に着手したという米国防情報局(DIA)のコピーを直接入手することができた。DIAの報告書は次のように述べている:

「[シリアの]反政府派を支援する西側、湾岸諸国、およびトルコは...シリア政権を孤立させるために...宣言するかしないかに関わらずシリア東部にサラフィスト国を確立し[援助する]...」


    ※「サラフィスト=サラフィー主義」:サラフは一般に預言者やその教友である「先祖」を意味する語。初期イスラムの原則や精神の回復を目指すイスラム改革の思想・運動でワッハーブ派を源流とするスンナ派のイスラム主義者。その主張をイスラム過激派および欧米策動家に利用されているようだ。=訳者

ジュディシャル・ウォッチでさえ―その公式発表がリビア・ベンガジ攻撃に焦点を当てていたくらいだから―この文書の重要性を正しく評価していたようには思われない。ヒラリーのメールの最近の公表は、さらにアサドを亡き者にすることがイスラエルを助けることになる以上、アサドに嫌疑のかかるシリア国民の虐待とは無関係であることを裏付けている。

念のために言っておくと、ヒラリーは 2009 年から 2013 年のあいだ国務長官だった。2008年に就任したバラクは 2016 年に退陣する。それは彼らの在任中に起こったことだ。彼らの承認なしにそれは起こりえなかった。実に彼らこそ ISIS を創設したのだ!

2013年8月21日のシリア市民に対する化学攻撃は、シリアへの巡航ミサイル発射を正当化するのが目的だった。オバマはその準備をしていたがアメリカ国民はそうではなかった。この策謀は、ロシアが国連に提出した 50ページのファイルに暴露されたのだが、ロシアは DIA が ISIS を創設したという「プランB」に訴えたのだった。

この化学兵器は、ブッシュ家の人々に「バンダル・ブッシュ」と呼ばれているサウジアラビアのバンダル王子によって「反乱軍」に提供されていたと広く信じられている。だがヒラリー・メールの最近の公表は、リビアからシリアへの兵器の移転を指示したのは彼女であって化学兵器はそれらの中に含まれていた可能性があることを示唆している。

リビアのベンガジ領事館襲撃事件は、シリアに輸送されている兵器の一部が民間人に向けて使用されるかもしれないとクリストファー・スティーブンス駐リビア米大使が懸念していたので着手したようだ。(同大使は 2012 年 9 月 12 日リビア「暴徒」によって殺害されたといわれているが...。=訳者)オバマ政権は、シリア反乱軍への武器譲渡にベンガジ領事館の関与があったかどうかという質問を妨害した。それは「イエス!」を意味する。

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原発廃炉費用 年間数千億 お荷物原子力部門の切り離し作戦へ

 福島第一原発の廃炉費用が年間数千億円になることから、経産省が原子力部門を東電から切り離すことを提案しています。切り離された東電の原子力部門は、ほかの大手電力会社の原発部門と提携させることで収益を上げ、廃炉費用を確保することを狙っているようです。東京新聞の記事には、"資料には「信頼回復の上で原発の再稼働」と記載されており、信頼を失った東電ブランドから看板を掛け替える狙いもみえる"とあります。
 さらに"続きはここから"以降の記事によると他の電力会社も原発部門を切り離し、その受け皿として"「原電」と各電力が出資金をだし、さらに30%~50%は国が資金を出すことが想像される。つまり、原子力が名実ともに役人体制に組み込まれる…(おそらく、このポストを経産省が虎視眈々と狙っている…)"とあります。
 電力会社から原子力部門が切り離され、原発が一堂に会すことで闇が浮き彫りになり、原発即時ゼロが実現しやすくなるのかもしれません。
(編集長)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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廃炉、年間数千億の試算 東電原子力事業に分社化案(16/10/25)
配信元)

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配信元)



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ジャーナリストがスパイの目的で「RTドイツ」へ潜入 → 逆に大手メディアの方を疑い始めた

 西側で「プーチンのプロパガンダ放送局」と揶揄されるRT(ロシア・トゥデイ)に、とあるドイツ人ジャーナリストがその証拠をつかむために、RTドイツにスパイとして潜入したという記事です。
 たった2〜3日ほどで、ミイラ取りがミイラになったようで、「いったい誰が嘘をついていて、誰が本当のことを言っているのか?俺にはもう分からなくなってしまった。」と感想を述べ、大手メディアよりもRTのスタッフの方を「ずっと多く信頼している」と述べています。
本当のことが全て明らかになったとき大手メディアは、持ちこたえることができるでしょうか。情報戦争においては、RTのように事実を報道しているに過ぎないメディアが、最後には勝利するのだと思います。
(編集長)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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あるジャーナリストがスパイの目的で「RTドイツ」へ見習いとして潜入。しかし、彼は逆に大手メディアの方を疑い始めた
転載元)
Photo-2: © Evgeny Biyatov / スプートニク放送局

Photo-2: © Evgeny Biyatov / スプートニク放送局



「プーチンのプロパガンダ放送局」をスパイしてやろうと、一人のドイツ人ジャーナリストがお忍びでRT ドイツに見習いとして応募した。しかしながら、事態は計画通りには進まなかった。たった二日後には、この男は逆に大手メディアの偏向振りに関して疑問を抱き始めたのである。さらには、自分自身の世界観についても。

ドイツの若者向けの雑誌「ネオン」はジャーナリストのマーチン・シラクをベルリンにあるRTドイツに送り込んだ。彼の任務は、彼の言葉を拝借して言えば、「ロシアの真実」はいったいどのようにして報道されているのかを探ることだった。 

「俺はスパイだ」と、シラクは認める。

彼が記した記事によると、彼がひどく興味を感じていたのは次の点であった。RTにおける毎日の仕事において、ドイツの大手メディアがRTを描写する際に頻繁に使う言葉、「プーチンのプロパガンダ放送局」とか「クレムリンのハイブリッド兵器」といった表現に代表されるような仕事振りを自分の目で確認することだった。

その任務を果たすために、シラクは見習いとして応募し、数週間にわたって「プーチンの兵卒」として皆と一緒に仕事をした。「あそこにはいったい何があると想像していたと思う?部屋の真ん中にはファックスが置いてあって、クレムリンからの指令をまさに一分ごとに受け取っていると思っていたんだ」と、彼は皮肉っぽく自問自答するかのように言った。

ところが、現実はえらく平凡な光景であった。この自称「スパイ」氏は友好的に付き合ってくれる同僚やコーヒー・サーバー周りでの雑談、あるいは、ドイツ語を完璧に操る編集長のことなどを話してくれた。この友好的な環境においては、シラクの偽装は予想外に脆いものであることが分かった。 

「あんたはひょっとしたらビルト紙からここへ送り込まれて来たスパイじゃないの、と思う事があるんだけど・・・」と、シラクが余りにも多くの質問をするので、RT ドイツの従業員のひとりが冗談交じりに言った。

自分の偽装振りを心配して、「スパイ」氏は教科書通りの動きをすることにした。しかし、予期しないことが起こった。

「今や自分自身がこれは真実だと見なすことについては俺自身が抵抗を感じ始めている」と、シラクは言う。「いったい誰が嘘をついていて、誰が本当のことを言っているのか?俺にはもう分からなくなってしまった。」 

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[山本太郎議員]内閣委 五輪開催で野宿生活者追い出しは人権侵害!「余りにも軽く見てないですか?」

 東京五輪が決まってから、ホームレスが公共の場から強制排除されていますが、山太郎議員の「社会的弱者に対して寄り添う気持ちがあるのか」という質問に対して、丸川珠代・オリンピック担当大臣は、まともに答えられないばかりでなく、「半笑い」で聞いていたようです。動画を見ても、「半笑い」の様子にカメラが向けられていないのが残念です。
 野宿生活者は、都が用意した収容施設ではなく、自分たちの尊厳を保つことが出来る公園を求めているのですが、都は人目につかない収容施設以外の選択肢を認めないようです。そこで、山本議員がオリンピック担当大臣に、都と野宿生活者の間に入って話を聞くように散々お願いしているのですが、そのフリすら出来ないようです。
 「土人」発言に対して「間違いと言う立場にない」と述べた鶴保沖縄相同様、オリンピック担当大臣の存在意義が問われます。
(編集長)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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配信元)


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2016.10.20 内閣委 五輪開催で野宿生活者追い出しは人権侵害!「余りにも軽く見てないですか?」

○山本太郎君 生活の党と山本太郎となかまたち改め、自由党の山本太郎です。社民党との会派、希望の会を代表いたしまして質問いたします。

(中略)…オリンピックの根本原則が書かれたもの、これオリンピック憲章ですよね。(中略)…言わばオリンピックの憲法とも言えると思うんです。そのオリンピック憲章をより具体的に目標そして目的を定めたものがオリンピックムーブメンツアジェンダ21。二〇二〇年東京オリンピック開催国のオリンピック担当大臣として、このアジェンダ21を尊重する、遵守するというお気持ちは、大臣、あられますか。

○国務大臣(丸川珠代君) 
(中略) 

東京オリンピック大会の開催に関する契約をIOCと結んでいるのは東京都であり、契約の当事者ではない国には行動規範が適用されるわけではありません。(中略)…
(中略) 

○山本太郎君 済みません、質問に対する答えになっていないと思うんですよ。社会的弱者に対して、そこに寄り添う気持ちがあるかということをお聞きしているということですよね。それについてどうのこうの言われても、全然質問と答えがかみ合っていない、そういう話なんですよ。

行きますね。東京都でオリンピック開催が決定した次の月、二〇一三年十月から都立明治公園で東京都そしてJSCによる野宿生活者の追い出しが始まったんですよ。国立競技場周辺にある都立明治公園、これ古くから野宿生活者、がテントとか小屋とかを建てて命をつないできた場所です、古くから。オリンピック開催決定後の追い出しの後も、これ東京都主導で野宿生活者は二度ほど公園内を移転させられて、また二〇一六年は一月二十七日、明治公園の大部分がJSCに無償貸与された後、JSCによる法的根拠のない追い出しというのが行われたんですよね。その先にも、また四月十六日、JSCによる土地明渡し仮処分が執行、野宿生活者四名が強制排除。

野宿生活者らは、これ明治公園の一部で近隣にあるこもれびテラスというところにテントを設営されているんですけれども、でも、これいつまでそこにいれるか分からないという不安な日々が続いていると。しかも、ここも東京都によって九月三十日、廃園にしますという話になった。理由は何でって、来年の夏着工予定の高さ六十メートル、地上十四階の超高層ビル、日体協・JOC新会館がこのこもれびテラス、この建物の敷地として利用するからだという話なんですよ。

(中略)…アジェンダ21、社会で最も恵まれないメンバーに特に注意を払わなければならないということに対して、こういう追い出しがあったりとか、半笑いで見ていただいていますけれども、大臣、こういうことってあり得ないと思うんです。

海外ってどうしているんですかということだと思うんですよ、こういうオリンピックに対して。(中略)…
シドニー・オリンピックをきっかけに、オーストラリアでは、ホームレスには路上の権利、つまり公共空間である路上に滞在する権利があるということを定められたと。公共空間にいる権利議定書を複数の州が締結された。イギリスで開かれたロンドン五輪、仕事に就いておられない方々対象に七万人を五輪大会関連事業の競技場建設、運営スタッフにする計画を掲げ、実際には六万八千九百人を雇用したと。職業訓練、就業、収入を得る機会につながったなど、これオリンピック開催国として、このアジェンダ21にも言われているとおりの社会的に弱い立場におられるという方々に対して寄り添うという気持ちを確実に前に進めているんですよね。

で、一方、この国はどうなんだって。日本は、JSCによる野宿生活者の追い出し、これアジェンダ21にある社会で最も恵まれないメンバーに特に注意を払わなければならないという部分に対して反していないですか。どう思われます。また関係ないこと言わないでくださいね。この件についてどう思われます。

○国務大臣(丸川珠代君) 明治公園に起居していた野宿者の方々には、公園の管理者であった東京都において、関係法令に基づき、公園からの退去と併せて、ホームレスの自立の支援に関する特別措置法に基づき、福祉施設等を活用して自立を促してきていたと承知をしております。

JSCにおいては、新国立競技場の整備に当たって、明治公園の跡地を工事用地として使用することから、整備事業について説明し、工事開始前までに立ち退いていただきたいと約二年半にわたって繰り返しお願いをしてきたと伺っております。しかしながら、立ち退いていただけなかったことから、JSCにおいては、二〇二〇年東京大会に確実に間に合うよう新国立競技場を完成させるため、本年四月、法律に基づき適切に対応を行ったものと承知をしております。

○山本太郎君 それが行政側の言い分だったということですね。東京都は話合いを持とうとしないと、皆さんそうおっしゃっています、現場の方々。JSCとは何度か団体交渉したって。でも、新国立競技場の新たな公募以降はまともに話合いには応じてこなかったって。話があったとしても、いつも追い出しありきだって(中略)…、基本的には施設収容前提なんですよ。遠くの方に連れていくという話なんですよね。そういう話以外は出てこないと。野宿者の生活を考えるような対応ではなかった。野宿生活者は東京都に対して、生活の場にほかの公園などへの移転を求めているんですよ。けど、(中略)…福祉利用してください、代替地は用意しません、こういう態度だという話なんですよ。

(中略) 

追い出して終わりというような態度というのは、これアジェンダ21というものにも反していないんですかね。

(中略) 

○国務大臣(丸川珠代君) (中略) 

東京都に確認をいたしましたところ、東京都においては、このホームレス生活というんでしょうか、路上生活者の皆様方への事業として、東京都と区の共同事業で自立支援システムを構築して路上生活者対策施設設置を行っておられると伺っております。東京都内を五つのブロックに分けまして、それぞれに寮を設けて、そこにお入りをいただく、あるいは借り上げのアパートを確保してお入りをいただいて、そこで就労自立支援や自立準備、また自己負担、済みません、自立準備を行っていただくというような事業をされているということでありまして、この五つのブロックそれぞれに寮があるわけですが、それぞれ全て一人部屋で三食付いているということでございます。

こちらの施設にお入りいただけないかということでずっと御相談をしていたそうでありまして、当初この四名の皆様方、前向きで、自立したいということをおっしゃっていて、施設への入居も検討されていたやに伺っております。再確認したところ、東京都は、四名の方に関しては、本人の意思表示があればいつでも入居の手続を始める用意があるというふうに伺っております。

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金塊の歴史年表4:本物のM1(口座管財人)を排除し、偽M1にすげ替えたCIA

翻訳チームからの情報です。
 今回は、非同盟運動(NAM)の立役者の方々の悲しき末路について。オバマの実の父&母&継父、全員そろってがっつり関わってて、まー黒い黒い。彼はCIAのサラブレットですな。ちなみにオランダ王室もちょっろっと登場します。なぜでしょう?過去記事「[竹下雅敏氏]裏のイルミナティの位階の代表人物と関連の説明です」に答えが潜んでいるのではと個人的に解釈しております。
 実は訳者の私、中学校時代をインドネシアのスラバヤ(二番目に大きい都市)で過ごしまして、「日本人は華僑と間違えられ易いから有事の際には気をつけなさい、中国人はスハルトのクーデターの時に沢山殺されて、あの大きな川(多分スラバヤの「マス川」)が彼らの血で赤く染まったんだよ」という話を当時よく耳にしました。別にスカルノ支持云々じゃなくて、「華僑=お金持ち」「現地の人=使用人階級」という図式が東南アジアでは形成されることが多く、どさくさ紛れに次々襲撃されたとのことでした。子供相手に誇張していたのかと思いきや…今回の記事を読むと全然そーでもなさそー過ぎてコワイっす。
 また、欧米が勝手に選んだ「偽M1(口座管財人)」が誰だったのかもやっとこさっとこ判明します!以前の金塊史では偽者が誰か明らかにされていなかったのですが、真相を知ると、「だからこそ彼はあそこまで栄華を極められて、調子に乗っちゃって、最後は西側に潰されたのか~」とナットク出来ました(詳しい経緯は金塊史シリーズ第二回目にて)。
 そして記事最後、正当な所有者が口座を動かせない点については、投獄の危険もさることながら、シリーズ第一回目などでもご説明しました通り、正確には皆さん殺されてます。偽M1なんかは、その前に拷問も実施してて…あれ?そこら辺詳しかった二回目の元記事の1つ新しい明日さんも消されてる…嗚呼”はっぴぃ・はろうぃん”ですがなっヽ(ll゜д゜)ノ
(Yutika)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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金塊の歴史年表
転載元より抜粋翻訳)

6.00 CIAが、とある政権と口座管財人M1を転覆させる



アメリカ政府とCIAの援助、さらにオーストラリアとイギリス当局の密接な支援もあり、1965年10月1日スハルト将軍下のインドネシアで軍事クーデターがセッティングされた(記事:「CIAによる他国政府転覆の仕方」)。結果として、大半の推計によると、スカルノの支持者や労働者や農民、学生、政治活動家や華僑の人々が最大100万人は虐殺され、何万人もの無抵抗の人々が投獄されたり強制収容所送りになったという。

左がスハルト将軍

左がスハルト将軍


当時スカルノは徐々に自宅軟禁状態に追い込まれ、(大統領宮殿のある)ボゴール市からジャカルタ市への移動だけが許されていた。スハルト将軍はスカルノ大統領を支持していた他の将軍たちへ接近していき、彼らが拒絶できないような申し出をしてみせた。

スカルノの娘、メガワティ・スカルノプトゥリがインドネシアのTVで語ったところによると、謀反革命が起こった際には父親の支援者たちが父の側に付くと思い込んでいたが、将軍たちは父親に対してもその家族に対しても何ら手を差し伸べなかったのだそうだ。スハルトのこの一手は、スカルノの自宅軟禁への反対論を完全に封じ込んだ。

スハルトとニクソン

スハルトとニクソン


1967年1月には、軍隊におけるスカルノへの主立った支持は全て取り払われた。1968年3月27日、スハルト将軍がインドネシアの大統領となる。彼は人民によって選ばれた訣ではない。彼が自ら選んでおいた議会によって選出され、任期5年の大統領の第一期目を務めることとなったのだ。

諜報機関(CIA)によって画策されたこの1965年のクーデターは、共に手を携え連邦準備銀行ならびにCIAを壊滅させるという、ケネディとスカルノの合意のせいだった。これは紛れもない報復行為だ。彼らはそれを謀反的革命だと言ってのけ、共産主義国を非難したが、実のところは西側が引き起こした革命であり、こんなことは“超大国"とやらのお言葉に従わなければ、世界のどこでだってしょっちゅう起こっている。

【上:BBRDW投資会社/ハワイ銀行/チェース・マンハッタン、左上:ハワイ行動科学大学、MKウルトラ、左下:スハルト/クレーン・グループ、右下:米国国際開発庁/平和部隊/フォード財団、右上:イースト・ウェスト・センター、ハワイ大学、中央:CIA】

【上:BBRDW投資会社/ハワイ銀行/チェース・マンハッタン、左上:ハワイ行動科学大学、MKウルトラ、左下:スハルト/クレーン・グループ、右下:米国国際開発庁/平和部隊/フォード財団、右上:イースト・ウェスト・センター、ハワイ大学、中央:CIA】


1965年後半から1966年前半にかけ、軍隊とイスラム集団が一丸となって日々最低でも1500人のスカルノ支持者を銃殺か斬殺か撲殺して行き、さらに時にはその首を棒に突き刺してはパレードしていた様子を、アメリカやオーストラリアの高官はそれぞれ自分たちの政府に肯定的に報告(プロパガンダ)していたことが文書に記されている。

この大量殺戮に対する欧米の大使館の熱狂ぶりは、戦略的および政治的な利害を深く反映したものだった。

クーデター以前の10年間、世界の主要国々はスカルノ大統領率いる不安定かつ国粋主義のインドネシア政権と日増しに軋轢を生じるようになっていた。1957年後半やさらに1964~65年になると、スカルノは労働者や農民の大衆運動をかろうじて抑え込むのがやっとだった。このようなストライキや立て篭もりは、まずはオランダの、そしてやがてアメリカやイギリスの諸銀行・企業・プランテーションを脅かしていった。
スカルノは自宅軟禁下の1970年6月に亡くなっている。

オランダ公式訪問中の1970年9月3日、インドネシア大統領スハルトとシティ・ハルティナ大統領夫人をスーストダイク宮殿で歓待するベルンハルト公とユリアナ女王

オランダ公式訪問中の1970年9月3日、インドネシア大統領スハルトとシティ・ハルティナ大統領夫人をスーストダイク宮殿で歓待するベルンハルト公とユリアナ女王


西側諸国と米国株式会社の復讐は思惑通りの、悪意に満ちたもので、全国土を席捲し、その爪痕は未だにインドネシアに残されている。今日もアメリカの巨大企業がインドネシアの天然資源を掠奪しているのだ。

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