竹下雅敏氏からの情報です。
注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
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コーリー・グッド 2019年4月 Edge of Wonderインタビューの要約(2/3)後半
(前略)
ベン「僕たちが行っている全ての事がドラコ/レプティリアン/AIによって記録されていて、コンピューターを開いている時はいつでも何をしていても彼らに情報が引き寄せられていたんです。」
(中略)
コーリー「AIに関しては本当に恐ろしいものです。(中略)… AIが文明に侵食し、その文明の人間に機械人形(アンドロイド)などを作らせるようになります。それから次にAIで運用される高度に技術的な宇宙船を作らせるんです。するとAIは人間はもう用済みだと言って、寝返り、人類種を根絶やしにしてしまいます。そして広大な機械文明とインフラが残されるわけです。そしてまた勢力を広げていきます。」
(中略)
ベン「あなたはソーラーフラッシュという言葉を使っていますが(中略)… 大きな波がやってきて、全てのテクノロジーが一掃されると。そして邪悪な存在もいなくなるということでした。」
(以下略)
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コーリー・グッド&マイケル・サラ&ジョーダン・セイサー「ソーラーフラッシュとポールシフトについて語る」2019年4月インタビュー(後半)
(前略)
Blake:ポールシフトに関して何か注意事項はありますか?あなたはその時どうするつもりですか?どんな予定でいますか?
(中略)
Corey:これは周期的に起きていることなんです。彼らは約1万2000年前に起きた「ヤンガードリアス」イベントはソーラーイベントであったと考えています。これはかつては隕石の衝突や彗星の破片が地球の大気に衝突したことが原因だと言われていました。(中略)… その時何が起きていたか説明すると・・・太陽風が地球の大気を吹き飛ばしていたんです。
(中略)
Blake:それではノアの大洪水も隕石の衝突ではなく、ポールシフトが原因だったということですね。
Corey:ええ。空の星々が渦巻いたとか、以前と位置が変わったといったことが記述に残っていますよね。それは星が移動したのではなくて、地球が移動したということです。
(以下略)
動画の20秒辺りをご覧になると、小さなヤツが何匹も出てきます。しかし、彼らは、原初の巨大なヤツと細い糸で“繋がっている”のです。単に繋がっているだけではなく、数学的には「単連結」であることが知られています。要するに、非常に複雑な形をしていても、円盤が変形しているに過ぎないというわけです。
“続きはこちらから”をご覧ください。これは、別班マンさんのツイートにリンクされていた記事です。「悟り」を非常に見事に表現した文章で、これほど見事なものは、そうそう見られるものではありません。
「永遠の一者」=「神」=「それ」は、“永遠に知られざるもの”であることを多くの人が認めると思いますが、実は、「それ」=「自己」なのだということを、わかりやすく説明しています。
私の家、私の服、私の財布という言い方をした場合、「私」と家、服、財布は別であることを意味します。同様に、私の体と言った場合、「私」と体は別であることを意味します。ならば、その「私は誰か?」
「私」は、自身の想念に気づくことができ、心を見つめることができます。なので、想念や心は「私」ではありません。だとすれば、「私は誰か?」
このように、私でないものを次々に否定すれば、最後に残るのが、“純粋な観照者”である「私」です。要するに、「私」とは、純粋な観照者である「自己」のことなのです。
冒頭の動画の小さな「ヤツ」が、あなたの「自己(ジヴァ・アートマン/モナド)」です。それは、他のあらゆる存在の「自己」と繋がっており、宇宙の自己(パラマ・アートマン)と相似形なのです。
現れとしての私、すなわち姿形は様々でも、「内在する自己」は「神」と自己相似形であり、「神」そのものなのです。このことを完全に体得した状態を、「悟り」と言います。
私たちは、日常生活で「私」という言葉を使う時、以上に述べた「自己」としての私ではなく、「私」の所有物と混同して使っています。「偽りの私」を次々に排除して、「真の私」=「自己」=「神」を認識することが、「悟り」なのです。
インドの聖者ラマナ・マハリシは、 「私は誰か?」と問いかけます。答えは、「私は私」です。
以上の哲学問答がすんなりとわかる人は、「悟り」を得ていると言えるでしょう。知的に理解することは、少しも難しいことではありません。しかし、知的に理解することと、それが腑に落ちていることは違います。まったく疑問の余地なく、“マクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(人間)は相似形”だと納得している状態が、「悟り」なのです。東洋の哲学では、これを実に簡潔な言葉で表現します。「汝それなり」。