[seiryuu氏]私たちの地域を豊かに幸せに。プラウト社会実現へ向けて。 〜10の倫理原則:ヤマ・ニヤマ(禁戒・勧戒)〜 【第4回】

竹下雅敏氏からの情報です。
 プラウトの核となるのはその世界観ですが、次に重要なのが高い倫理です。これはヤマ・ニヤマ(禁戒・勧戒)として知られる10の倫理原則です。実は、この原則は宇宙の普遍的原理で、私たちの宇宙が消滅しても、このヤマ・ニヤマという倫理原則は消滅しません。宇宙は我々の宇宙だけではありませんが、全ての宇宙でこのヤマ・ニヤマは普遍的原理となっています。
 私たちの宇宙が出現して1兆年になりますが、天界においてもこの倫理原則が廃れたために、不正が蔓延しました。特に仏教の出現によって空の思想が現れ、宇宙の真理をも否定するようになってからは、堕落は甚だしいものになりました。密教の一部では、あらゆる倫理観を否定することが解脱への近道だと錯覚する始末で、一部の行者は修行と称して甚だしい悪に陥る始末です。
 天界の改革によって、こうした認識の誤りは一掃されました。現在の天界では、ヤマ・ニヤマに基づく統治が進んでいます。これに従わないものは、天帝であっても裁かれます。非暴力とは何か、正直とは何かは、小さな子供でも知っています。誰に教えられることもなく、初めから知っているものなのです。
 ヤマ・ニヤマに反する生活を続けていると、波動は闇に落ちます。そのことで、宇宙からの光を受け取れなくなるのです。自己と宇宙に分離感が生じ、そうした苦しみから、他人の物を奪い取ろうとするようになります。
 例えて言うと、両親の愛情をたっぷりともらっている子供はとても落ち着いており、他人のものを奪おうとはしませんが、両親に相手にされない子供は、愛情の確認のために、しょっちゅう親の気を引こうとします。その極端な形が、手に追えない悪戯で、両親を困らせる事までして親の気を引こうとするのです。問題の根本が、親子の分離感にある事は明らかだと思います。
 自らの愚かな行為によって宇宙と分離した現代人は、本質的な不安から、ひたすら他人の物を奪おうとします。根本的な治療法は、波動を元に戻して、もう一度宇宙と繋がることなのです。ヤマ・ニヤマは、あらゆる生命が守るべき普遍的な原理なのです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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私たちの地域を豊かに幸せに。プラウト社会実現へ向けて。
文:seiryuuさん

2、支柱2、運動推進の両輪:高い倫理。 

 「人間社会を揺さぶる、全ての衝突、全ての不信、全ての暴力は、知性の間違った発揮という誤りの結果である。『至高の慈悲心』から切り離された知性は、高潔な道を歩まない。もし人間の心が変化しないならば、どんな問題にも永続的な解決を見出すことはできない。」(『〃』p173)

・誤ったモラル(二重基準は法になり得ない) 

 米国のダブルスタンダート、二重基準の適用、その問題は多くの識者が指摘するところです。2003年春、米国は国連査察団の報告、そして国際法をも完全に無視し、サダムフセインのイラクが「大量破壊兵器を保持している。」との虚偽事実のいいがかりにて一方的に先制攻撃し戦争を開始しました。(日本も支持!!)以来今日までイラクでは数百万人単位での人々が死傷し国土は蹂躙され続け国民はその生活権を略奪されたままです。本来であるならこの無法行為、甚大な暴力、欺瞞、略奪はあがないきれないほどの大罪です。しかし、一切咎められません。法の適用外になっているのです。彼ら世界の支配層権力者はうそぶくでしょう。「我々は特別なのだ。我々がすることそれが全て正義になるのだ。お前たちとは違う。基準が全く異なるのだ。」と。これは一般人では罪であっても支配層権力者は咎めにすらならない二重基準の典型ですが、この構図は地球上どこでも見られます。日本での卑近な例では「白紙領収書」です。一般社会常識では全く通用しないものが、与党の政治家特に閣僚には適法となってしまい、マスコミも沈黙します。日本は民主主義の法治国家との建前ですが、独裁主義の呆痴国家ではないかといいたくなります。今日、倫理の欠如道徳的な荒廃が進んでいることを多くの方が感じていますが当然です。リーダーとして範を垂れるべき支配層権力者に倫理観が全く欠如し、不法行為を合法にとねじ曲げるのを当たり前とするのですから。彼らは「慈悲」(愛)からでなく「貪欲」から知性を発揮します。倫理の欠如道徳的退廃は社会を腐敗させやがて崩壊させます。世界の現状です。現状のほとんどのモラルは「富裕者と強者の利益が投影され、」彼らの「搾取に都合の良い利益にかなう法律を作り正当化している」(『〃』p175)とサーカー氏が指摘しているとおりです。本来、法とは真理を意味し、「いつであっても、どこであっても、誰にであっても」通じ適用されてこそ法として成立するのです。法が適用されないとするものは「無法者」です。別名「ならず者」とも言いますが・・・。

普遍的原理(倫理原則):「ジャーマ」(和名「禁戒」)、「ニヤーマ」(和名「勧戒」) 

 上記のように現状モラルの問題点を指摘しながら「プラウト社会を建設するには、モラルを欠かすことができない」(『〃』p175)としたサーカー氏が、倫理規範としたのが古代インドで成立した普遍的原理である「ジャーマ」(和名「禁戒」)、「ニヤーマ」(和名「勧戒」)の10の倫理原則です。普遍的原理とは本当の法(ダルマ、真理)ということです。従って「いつであっても、どこであっても、誰にであっても」通じ適用されます。二重規範など成立しないものです。きわめて重要なもので「ジャーマ」(和名「禁戒」)が5つ、「ニヤーマ」(和名「勧戒」)が5つ、以下の計10の倫理原則になります。(『〃』p177~p184)

*「ジャーマ」【禁戒】“破るのが禁じられる、いましめ” 

1、「アヒンサー」非暴力:身体、言葉、想念いずれの行為においても傷つけない。自らを含め全に対し無害であるよう努めること。暴力を振るわず振るわせないようにすることも含む。
2、「サティヤ」  正直 :嘘、偽りのないこと。誰に対しても、自分自身に対しても偽らず正直であること。騙さないと同時に騙されないよう努めることも含む。
3、「アステーヤ」 不盗 :与えられていないものをとらないこと。他者の財産や権利等を奪わない、盗まないこと。
4、「ブラフマチュリア」
禁欲 
:自然、生理に従った無理の無い生活、敬愛を持って全てに接すること。
5、「アパリグラハ」不貪 :貪らない、余計なものを持たないこと。シンプルに生活すること。 

*「ニヤーマ」【勧戒】“心にいましめて、積極的に行なうべきこと” 

1、「シャオチャ」清浄  :心を清め、身体と環境の清浄さを維持すること。
2、「サントシャ」知足  :足る、を知ること。感謝の姿勢。
3、「タパ」   苦行  :奉仕と犠牲を提供する。本質的にはいかなる環境におかれても、心を乱さず平安を保つこと。
4、「スヴァディヤーヤ」読誦 :狭義では聖典を学ぶ。心を豊かに、理性を高めてくれる本等を視聴すること。まがい物でなく本物と接すること。
5、「イーシュヴァラ・プラニダーナ」最高神への信仰 :「宇宙意識」真理の導きに従う。裡にあるインスピレーションや良心の声に従う。

普遍的原理の具現化がプラウトの本質 

 現状のモラルいわばちゃちな「仮の道徳」では支柱にはならず倫理は普遍的原理に基づかなければいけない、その普遍的原理が和名の禁戒と勧戒の計10の法(徳目ともいう)。この高い倫理がプラウトの支柱であり、運動推進の両輪の一つであると記しました。しかしより本質的に分析するならばプラウトを推進するのに禁戒と勧戒を支柱とし運動の主軸するのは事実ですが、「普遍的な法、禁戒と勧戒の経済、つまり物質的な具現化、日常の実践こそがプラウトである。」と表現するのがより正確とさえいえそうです。経済活動は物質的活動です。プラウトは経済活動ではありますがそれは単なる物質的活動ではなく高い哲学、高い精神性をその物質的活動の中に込めた経済システムです。これがプラウトの独自性特質だからです。(この点は後述。) 

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