イタリアで勝利した「五つ星運動」が教えてくれること(前編):長周新聞より

 3月5日、イタリア総選挙の結果、新政党「五つ星運動」が躍進というニュースが流れました。以前に、しんしん丸様がイタリア社会の奇跡と紹介された、あの「五つ星運動」です。大手メディアからは単に「反体制派政党」「ポピュリズム(大衆迎合主義)」と決めつけられていますが、イタリア一国のみならず、EUそして日本にもインパクトのある出来事でした。長周新聞が見事、その本質に切り込んだ選挙解説をされました。また「五つ星運動」自体についても、その背景や運動の内容を丁寧に伝える記事があり、今の日本にとって大変参考になると思われます。2回に渡って、長周新聞からご紹介します。

 まず、今回の選挙について、リーマンショック後に典型的な経済植民地となり、貧困層が3倍になるほど痛めつけられたイタリア国民が、右派左派どちらに転んでも「IMF、EU、欧州中央銀行(ECB)の内政干渉政権」になるのが二大政党制だと理解し、腐敗と汚職の政権を拒否して、国民が直接政治に参加する政治制度を求めて選んだのがこの「五つ星運動」でした。「五つ星」は、2009年から政党となり、またたく間に地方議員や市長、州知事を送り出すなど急速に勢力を拡大し、今回は総選挙での勝利に至りました。
 では、「五つ星」は新星のように現れて、いきなり成功したのでしょうか。
来日したリカルド・フラカーロ氏の講演内容は、様々な示唆と人間洞察に満ちた「五つ星」の経過が語られます。まずは、政党に到るまでの軌跡を見ますと、、。
 そも市民革命が成功する背景には、歴史的に2つの要素、エネルギーと情報の革新があると言います。今はまさに再生可能エネルギーとインターネットが新時代への革新的要素ですが、「五つ星」躍進にも、この2つは重要でした。
 またイタリアでは「情報を得て、問題意識を持ち、その解決策を自分の頭で考えることができるのに、自分たちでその解決策を実現することができない」という日本でもおなじみの政治状況に苦しみ、具体的には、本来国民の使用人である議員が、国民に仕えることなく汚職で権力を濫用し、国民に主権がないことへの不満が高まっていました。
 そんな時、人気のコメディアンが政権批判を理由にテレビ業界から追放され、独自のショーで人々を揺さぶり始めました。多くの人々を啓発していたところに、IT専門家と出会い、ショーの対象は一気に世界規模となりました。しかも一方的に発信するのではなく、市民同士がネット空間で議論や協力をし、さらにはそれらを現実の世界へ移して政治的提案を作成し、政治家たちへ働きかけました。まさに草の根からの大規模なムーヴメントを何度も起こしました。ところが、政治家もメディアも全く動かない。それを知った国民は、当初自分達が政治家になるなど考えていなかったのに、ついに政党を結成して直接働きかける手段を選びました。コアとなる二人の勇敢な創設者がいてくれたラッキーはもちろんありますが、政治的無力に諦めないイタリア国民の熱い思いが、「五つ星」を運動から政党へ育て上げました。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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イタリア総選挙 既存政党凋落のもとで五つ星運動が第1党に躍進
転載元)

首相候補のルイジ・ディマイオ(中央・31歳)と元党首のベッペ・グリッロ(左)


 イタリアで4日におこなわれた総選挙で、新政党「五つ星運動」が上下両院で最多議席を確保し、第1党に躍進した。
(中略)

だが、今回の選挙からは40%以上を得票した政党に自動的に過半数議席が与えられる「ボーナス制度」が廃止されたため、政党単独で過半数(158議席)に届かない場合は政党間の協議による連立政権を模索することになる。この選挙制度の改定は、国民的な支持を広げて躍進する五つ星運動などの新興勢力に政権を奪われることを危惧した民主党や右派連合の二大政党が推進し、昨年成立させていた。

今回の総選挙は、表面上対立する格好をとりながら国民を欺瞞してきた左右の既存政党と、その政治構造の根本的な変革を求める国民世論との対決となった。

 イタリアでは、リーマン・ショック後の金融危機で財政が悪化し、中道右派のベルルスコーニ政府のもとで2011年11月にIMF(国際通貨基金)の監視下に入り、二大政党の片方を担ってきた民主党政府に移行してからも、政治中枢をIMF、EU、欧州中央銀行(ECB)の通称「トロイカ」関係者が握り、国民の主権を無視した徹底した緊縮策を実行してきた。

貧困層は10年で3倍に膨れあがり、全人口の8%に及ぶ500万人が生活必需品すら買う経済力がないほどになり、IMFは昨年、「国民の29%が貧困層に転落する」との調査結果を報告している。周辺国からの移民流入に加え、イタリア人自身が移民となって欧州各地や中国、米国へと移住する事態が社会問題となっている。

(中略)


既成政党乗り越える世界の潮流

 2009年に政党として発足した五つ星運動は、これら政界を支配してきた左右の二大政党を批判し、国民の直接民主主義の行使によって政治制度を抜本的に改めることを主張してきた。
有名なコメディアンでありながらテレビで政治家の汚職を暴露したことでメディア業界から排除されたベッペ・グリッロが党首を務め、

①公的な水源確保
②持続可能な公共交通手段の確立
③環境保護
④インターネットアクセス権の保障
⑤持続可能な成長

5つのテーマを目標にし、

どんな国会議員も任期を2期10年(それ以上は出馬できない)に限定し
議員歳費を一般労働者の平均年収(現行の半額)にまで下げる
有罪判決を受けた国会議員の出馬は禁止する

など議員特権の廃止を掲げている。

さらに、独自に構築したインターネットの交流サイトや街頭での集会を通じて、誰でも新しい法案を提案することができ、それが一定の支持を集めるものであれば、国民や住民投票による採用を可能にする「直接民主」制度を憲法に盛り込むことを目指している。

 政治腐敗の追及、議員特権の廃止や政治の透明化を要求する街頭での住民集会や署名活動から始まったこの運動は、日を追うごとに大規模化した。
数十万~百万人規模の署名や請願を既存政党の議員が受け付けなかったことを契機にして、本格的に政界に代表を送る体制を整え、2010年の地方選挙を皮切りに各地に地方議員や市長、州知事を送り出した。

 結党4年後にしてはじめて国政に進出した2013年の総選挙では、中道右派・中道左派の二大政党連合を押しのけ、全体の25%にあたる900万票を獲得し、政党単独では第2党に躍り出た。

2016年には、首都ローマ市長に女性活動家のヴィルジニア・ラッジ氏(37歳)、トリノ市長に同じく女性のキアラ・アペンディーノ氏(32歳)が当選したのをはじめ、市町村レベルで2000人以上の議員を抱えるまでに急速に勢力を拡大した。

 既存メディアや政治家は、スペインのポデモスや五つ星運動をはじめとする反グローバリズム、反緊縮を掲げて躍進する大衆政党を「ポピュリズム(大衆迎合主義)」と揶揄しているが、これらの国民的運動は、国民からかけ離れて腐敗の一途をたどる既存政党と、IMFやEUなどの内政干渉による主権剥奪政治に風穴を開け、その勢いはとどまることなく金融資本による政治支配を下から揺さぶっている。
(以下略)

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本当の市民革命をおこすには ーイタリアを席巻する五つ星運動を語るー
転載元)
イタリア下院議員 リカルド・フラカーロ氏招き講演
 東京都千代田区の参議院議員会館で11月28日、イタリア「五つ星運動」のリーダーであるリカルド・フラカーロ下院議員(36歳)を招いて、「本当の市民革命を起こすには」と題する講演会がおこなわれた。

(中略)イタリアではかつて「西欧で最大左翼勢力」といわれた共産党が路線修正と野合をくり返したあげく民主党となり、与党の座について新自由主義を推し進め、総選挙で壊滅するに至った。
一方、政界を支配してきた左右の政治構造を批判し、「直接民主」を目指す五つ星運動が、これらの既存政党とはまったく別のところから急速に支持基盤を広げ、来年の総選挙での政権奪取を視野におさめる規模にまで躍進した。
(中略)


リカルド・フラカーロ氏


リカルド・フラカーロ氏


 「どのように市民革命を起こせばよいか」というテーマだが、市民革命の成功例とはどういうものだろうか? 
歴史的に見て、最近の市民革命の成功例としては、17世紀、18世紀にフランスとアメリカで起きたことがあげられる。そこでは君主制が廃止され、憲法に則って民主主義が制定された。
このプロセスはどのようにして起きたか? 
それは、2つの要因があった。とくに蒸気機関というエネルギー革命があり、情報面でも新聞が発行されるようになった。エネルギーと情報の革命だ。その結果、新しい中産階級が生まれた。これはいわば富裕層だったが、彼らは意識を改革していた。それまでは君主の手にゆだねられていた権力をみずからの手に握りたいと考えた。それによって代議制民主主義が誕生した。いま現在、もうそれは不十分になってきている。

 さらに考えると、私たちの前には2つのエポック(新時代)的変化がある。再生可能エネルギーが広がり、新しい情報改革としてインターネットがある。インターネットによって、イタリア市民は世界中で起きている事件をすぐに把握することができる。私たちには再び市民革命ができる条件が広がっている。

 多くのイタリア人は不満を抱えている。情報を得て、問題意識を持ち、その解決策を自分の頭で考えることができるのに、自分たちでその解決策を実現することができない。なぜなら他者が市民にかわってそれをおこなっているからだ。私たちの権力は私たちの手にあるのではなく、他者の手にある。まったく主権はない。そして、国会はまったく好き勝手に行動している。イタリアでは、国会が決めることに対して、私たち市民は何の手立てもない。よってイタリアでは民主主義は低迷している。

 私が2013年に国会議員になったとき、同じく議員に選ばれた仲間たちと一緒に理解したのは、私たちの手にあまりにも大きな権力がゆだねられたという実感だ。
私たち国会議員は市民たちの生死にかかわることさえ決定することができるのだ。
(中略) 議員というのは、本来、市民に雇用された労働者なのだ。市民は労働し、税金を払い、いろいろな活動をしているため、自分たちが政治にかかわらないがゆえに自分たちの声を届けるために議員を選ぶ。だから議員というのは市民に雇われた存在だ。想像してみてほしい。雇われている人たちが好き勝手に自分たちの給料を決め、労働時間、年金の額まで決める。この企業は数日の間に倒産するだろう。また、いろいろな研究をした結果、市民が参加し、市民が国会議員をコントロールする必要性が浮かび上がってきた。

(中略) 公的機関が民主的であるほど市民の幸福度が増す。その民主主義が稼働しているかどうかのパラメーターとしてあげたのが、法律を廃止するため、また発議させるための国民投票の可能性だ。そのような方法を通じて、ただ単に代議制で他者に決定をゆだねるだけでなく、自分たちの声を国政に届けることができるようになる。これが五つ星運動の目標だ。その目標実現のために五つ星運動は生まれた。公的機関に入り、権力を市民の手に戻すのだ。

 イタリアの憲法第1条には、「主権在民」とある。だが、イタリア人に「あなたは自分を主権者だと思うか?」と問えば、みな「そうは思わない」と答えるだろう。私の母国イタリアでは、主権は市民の手にではなく、政党の手にある。民主主義の国ではなく、政党権力の下に生きている。この政党権力制を国民主権制に戻すときが来た。私が賛同している五つ星運動はそれを目的として活動している。

 五つ星運動は、カザレッジョとベッペ・グリッロの2人が創設した。この運動をはじめてから4年間で、0票から900万票を得るに至った。つまり、有権者全体の25%のコンセンサス(合意)を得たことになる。五つ星運動は数百万、数千万人のイタリア人に希望を与えようとしている。

ベッペ・グリッロと支持者たち



ベッペ・グリッロと支持者たち


 実はこの運動の起源は古く、1986年にさかのぼる。当時、イタリアの国会を牛耳っていた政党が自分にゆだねられた権力を悪用する事件が起きた。
(中略) 票のコントロールだ。票を悪意的に操作する。彼らは社会のあらゆるレベルで、自分たちの権力を強化するために介入した。テレビや新聞、雑誌、企業、銀行、病院や保険制度……政治はあらゆる層に入り込んできて、例えば、仕事が欲しければ「○○党の○○さんに頼めば仕事が得られる」という状況さえ生まれた。このようにして大規模な汚職が広がった。すべては自分の議席を守るためだった。


市民無視する既成政党


 1980年、ベッペ・グリッロはテレビで有名なコメディアンだった。
1986年に、彼はテレビで社会党(当時の政権与党)に対して手厳しい酷評をした。(中略)彼はそれを発言したがためにテレビ業界から追放された。仕事を失い、危機に陥った。

だが、危機は同時に新しい道が開けるということでもある。彼は、新しい職業を自分の手で見つけ出した。テレビに出ることができないので、劇場やスタジアムでショーを開き、それを通じて新しいアイディアや考察を伝えるようになった。1990年代でありながら、彼らはサスティナブル(持続可能)な農業など、その成功例についても語り、それは世界中に広がった。劇場やスタジアムが大勢の人で埋まるようになった。観客は彼の話を聞いて笑いながら、考えるようになった。

 2005年には、ジャンロベルト・カザレッジョというIT専門家と出会った。
彼はベッペ・グリッロに「ブログを開こう」と提案した。新しい考えや構想をインターネットで社会全体に伝えるためだ。
1月にブログを開設し、同年12月になると経済新聞によって「最もすばらしいブログ」と称賛されるようになった。(中略)数百万人のイタリア人が彼らのブログを読んでいた。情報を得た市民は、新たな可能性を知り、その可能性の実現のために私たちはどうすればよいか考え始めた。

 ベッペ・グリッロは、人人に「Meet up」というネット上のプラットフォーム(論議の土台となるサイト)をそれぞれ自分の地域で開設することを助言した。
このプラットフォームを通じて、市民はいろんな意見を交換し、興味ある情報を共有することができた。だから、多くの人たちがイタリア各地でこの「Meet up」を立ち上げた。(中略)「Meet up」がなければ一生出会うことのなかったであろう人人が集うようになった。出会うことにより、自分の生きる町や村などの問題点とその解決策を話し合うようになり、そのための提案を作成し、政治家のところへ持っていった。だが、残念ながら政治家たちは扉を閉ざした。

 最初のうちは、私たちは自分たちが政治家に立候補しようなどという考えはなく、よい提案をして社会をよくしようとだけ思っていた。だが、私たちが見たのは、政治家たちは自分の議席を守るためだけに集中し、市民の生活を改善することには見向きもしない現実だった。私たちを代表している政治家を変えなければならないと理解した。なぜなら、実際には彼らは私たちを代表などしていなかったからだ。

 2007年、はじめて「VDAY(ブイ・デイ)」というデモを実現した。Vとは、イタリア語で強い侮蔑言葉である「ヴァッファンクーロ(クソ野郎)」の頭文字で、それは政治家に向けられたものだ。広場で大勢の人たちが集まるイベントを開き、それは全面的にオンラインで企画された。その日だけで35万人の署名を得て、政治家たちを変えようという提案をした。

議員は2期だけ務めたら、家に帰る(引退する)」こと、さらに、汚職のような罪で有罪判決を受けたものは議席にとどまることができないように要求した。
3つ目には、市民が自分自身の手で自分たちを代表する議員を選ぶ権利を要求した。

なぜなら、選挙法によればそれができず、いまでもできないからだ。現状では、議員の候補者リストはすべて政党が決めている。党首から選ばれて議員になったものは党首には従うが、市民の意見には従わない。私たちが要求したこのような提案も、すぐに引き出しに収められ、議会で議論されたことはない。

この提案は100万人以上の署名を得たにもかかわらず、マスメディアも新聞もこれを無視した。

 それに負けず、翌年、オンラインで広場でのイベントを企画した。そこでは報道の自由を提案した。自由報道なしに真の民主主義はないからだ。そこでは130万人の署名を得た。

にもかかわらず、この提案も全面的に無視された。なにをしても全面的に無視されたことにより、私たちは党を結成し、国政に関与することを決めた。

政治腐敗に抗議し、変革を求める市民のデモ



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