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配信元)
参/内閣文科合同審。共産田村の質疑ダイジェスト。フダ付き極右の杉田水脈(自民,比例)が「反日」というレッテルやデマで、学問の自由を侵害し始めている事への田村からの注意喚起。戦前の天皇機関説攻撃と対比させての論陣は必見。(2分8秒) pic.twitter.com/H1I02aa47Z
— 🏕インドア派キャンパー 📢高プロは廃案 (@I_hate_camp) 2018年5月22日
僕らがいま戦前の歴史を思い起こすとき、大学での弾圧なら滝川事件とか、法曹界での弾圧なら布施弁護士の事例とかを思い起こすんだけど、滝川事件も布施弁護士の事例も「超スーパーメジャーな事例」であって、この事例の他にも、学者や弁護士が細かい弾圧にあった事例って沢山あるんだろうな
— 菅野完事務所 (@officeSugano) 2018年5月13日
なんで学者と弁護士が先にターゲットにされるかってそりや学者も弁護士も「人間を自由にする」ってところで共通点があるからだろうな。
— 菅野完事務所 (@officeSugano) 2018年5月13日
統制にとっては最も邪魔な商売だわな。
で、「統制」ってつまり今日的な言葉で言えば「合理的な行政運営」とか「効率的な予算執行」って事ですからね。
— 菅野完事務所 (@officeSugano) 2018年5月13日
恐ろしいことに「効率的な予算執行」って言葉をかざされるとみんな「ぐぬぬ…」となってしまうわけですよ。
あたかも戦前の「畏れ多くも天皇陛下におかれては」って枕詞ごたるねぇ。
先の2月26日衆議院で、自民党杉田水脈議員は「科研費で研究を行う研究者たちが韓国の人たちと手を組んで(プロパガンダを)やっている」と述べ、日本のアジア諸国への植民被支配を研究することは反日的だと決めつけました。さらに、その研究者の個人名まで挙げて非難し、このような活動に科研費が支払われていることは問題だという質疑を行いました。
この質疑について今回、田村議員は「学問研究への介入を文科省に求めた看過できない問題」だと厳しく指摘しました。ことは杉田議員個人の不適切にとどまらない、重大な危険性を過去の例を示して訴えました。
第2次世界大戦前、昭和恐慌で失業者が溢れる中、海軍の青年将校が総理大臣を殺害した5・15事件が起きるなど軍の台頭する時期であった1935年、貴族院本会議で、元軍人議員が美濃部達吉氏の天皇機関説を「国体を破壊するもの」と攻撃しました。議会や新聞もこの弾圧に加担し、著作は発禁、美濃部氏は右翼に狙われる事態にまで追い込まれました。田村議員は、この思想弾圧がやがて政党政治を破壊し、軍部独裁の道を開き、壊滅的な戦争へと繋がったことを重く見て、今一度、日本国憲法に「学問の自由」や「基本的人権」が明記された意義を問うべき、国会議員が国会において、特定の研究や研究者を攻撃し、科研費の対象であることを問題視するなど絶対に許されないと明言しました。
この、田村議員の質疑の少し前、菅野完氏によるツイートに、同様の的を射た危惧がありました。最近騒がれている弁護士への集団懲戒請求に関してのものでしたが、過去の大学への介入「滝川事件」や法曹への弾圧「布施弁護士」を示してなお、表に出てこない「細かい弾圧は沢山あるんだろう」と鋭い指摘をされていました。確かに表に出てこない「自分には関係ないこと」「このくらいは些細なこと」の積み重ねが、ある日突然の開戦を招いたことは歴史の語るところなのでした。
1933年、京都帝国大学での思想弾圧事件。
右翼らの国会議員が京大法学部の瀧川教授を「赤化の元凶」として非難し、文部省により大学を休職処分とされた。言論弾圧の対象が共産主義的思想から自由主義的な言論へと拡大した転機だった。
[布施辰治弁護士]
1932年、社会派弁護士であった布施が「弁護士活動の逸脱」を理由に懲戒裁判所に起訴され、弁護士資格を剥奪された。その翌年には、治安維持法違反で投獄された。