ままぴよ日記 34

 我が家では、子どもが小さい頃から食事をしながら色々な話をしていました。主に夫婦で話すのですが、子どもが大きくなるにつれて自分たちの意見を言うようになりました。
 今は4人の子どものうち3人がアメリカ、オーストラリア、フィンランドで暮らしているので以前のように顔を合わせて同じ話題について話す事ができなくなったのが残念です。
 でも、インターネットという便利なツールができましたので、家族全員が同時に通信できるシグナルという比較的セキュリティの強いメッセンジャーソフトウェアを利用しておしゃべりしています。
 最近の話題は教育。世界中からの書き込みが面白くて、今回は皆に許可をもらってそのまま掲載します。ただし、これらは全て個人的見解ですので多少誤解がある事をお許しください。ちなみに私が子育ての記事を書いている事は知っていても無頓着で、誰も読んでいないと思います。
(かんなまま)
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世界中の家族とおしゃべり ~教育について~


(出演者:はアメリカの娘。はオーストラリアの娘。はフィンランドの息子。は日本のお嫁ちゃん。です)

Wikipedia[Public Domain]

危機感を感じる日本の教育


「ところで、今の日本は外から見たらどのようにみられているのかな?こちらは保守回帰の考えが広がってきているよ。万世一系の天皇を頂く日本は世界に類を見ない国家で、この民族性は決して壊してはならないみたいな選民思想的な人達が増えてきているような気がする。ジャパニーズスタンダードでグローバルスタンダードと益々乖離しているようで、正直将来が不安になる」


   「こちらに来て思うのは、日本はFar east扱いだよ。日本の事はほとんどニュースにならない。韓国との諍いも日本のニュースではトランプ大統領が口添えしたような話が出ているけど、こちらでは全くニュースに出ないよ。国際社会を視野に入れて全体からの立ち位置を把握して発言しないと相手の理解度もわからないし、日本がせっかく持っているいいものも理解されないと思う。

選民思想は世界中どこにでもあると思う。知らない事、知らない人を恐れて理解する努力をしない井の中の蛙が多いとそうなってしまうよ。知らないものを恐れるのは本能的なものだと思うし、やはり教育はとても大切だと思う」


「確かにね。多様性を認めず排他的な国家は衰退していくか、または戦前のような危険な道を進むかもね」


   日本は特に単一民族国家だから普通に暮らしていて他の文化の人と接することがほとんどないものね。海外旅行に行っても日本人で固まっているし、生きている英語がわからないからネットでも日本以外の文化の人と関わらないからねえ」



「広く意見を聞いたり、過去の歴史をきちんと知ることも、物事を大局的に考えたり、足元を確認し続ける努力も大切よね。同じ考えの人と固まるのは楽だけどね。

私もそのあたりのことが知りたくて、小学校のPTO組織(学校独自で組織した先生と親の組織。主に子ども達のために活動したり、教員や職員をサポート、学校環境の改善、行事などを企画する)の中のinclusive and diversity groupという、多様性を認めて誰も排除しない学校にするためにはどうしたらいいかを考えるグループの会議に参加してみたけど、多分、来月も行く。

私、こちらに来て本当に日本の教育に危機感を感じる。すでに用意された答えに向けて頑張らせるのはほどほどにして、知らないものにぶつかる事や挑戦し続ける事の価値を認める方針にしないといけないと思う。そして、生涯教育を前提に教育していかないと、主体性のない大人を増やしてしまうよ」


   「本当にそうだね。教育とは個人が将来社会に出た時に自立して生きて行けるスキルを学ぶことが本来の目的のはずで、知識はその手段のはずだよね」


与えられた知識を詰め込む日本の大学と自ら問題に対処する実践法を学ぶフィンランドやオーストラリアの大学


「私は逆にそういう意味でのinclusive practices という、誰も排除しないで共に関係性を築く、そのための環境を整える、答えは1つではなくその過程を大切にする、等の実践法を自分で勉強しているよ。私は大学生に教える側だからね。大事なことだし面白いよ。そして、自分で道を切り開いたり、答えがない問題を解決したりするスキルは大事よね。私の大学でもそれを重視している。日本の大学はどうなの?」


   「日本の大学も変わってきたみたいだけど、大学と学部により違いがある。例えば東大であっても知識だけあって自己解決応力の低い者は落ちこぼれていく者が多いと聞いたよ。

医学部も同じ。総合的な人間力がないとダメだよ。来年からセンター試験のやり方が変わり記述式の問題が増える。英語も民間のTOEFLの結果が採用されるようになったけど、まだ問題は山ほどある」


「日本のニュースは本当にないね。ヨーロッパでもめったに聞かないよ。大学の教育もだいぶ違うね。日本の大学にいたころは教授に出された課題をこなして単位を貰うって感じで、あんまり自分で考えなくていい勉強だった。

講義で出た事とか教授が言ったことを覚えて知識を増やすという方法だった。ウォーターフォール型って言えるかな?上から降ってくるのをこなすって方法。知識量は増えるかもしれないけど応用は効かない。

フィンランドの大学では本当に学生の自主性に任せた教育だね。生徒が自分から勉強をしなかったら本当に何も学べない。授業では概要を習って、考え方を学ぶ感じ。グループディスカッションも多かったね。課題はある程度の制限はあるけど学生が何をしたいかを教師にプレゼンして、教師が授業内容に沿っていると判断したら生徒自身がそのプロジェクトを進めて、途中で教師がチェックするというやり方。最後はレポートやプレゼンで経過と結果を発表する。

自分は専門分野を実践的な方法で学ぶ大学だったけど、総合大学は日本の大学のような講義もあるけど、ディスカッションなどで自分の考えを出し合って進めるのが基本だよ。

そして、選民思想になりつつあるのはヨーロッパでも同じ。差別問題は今でもあるし、目にする。特に今は移民問題でピリピリしている


   「うん。アメリカもそういう教育法だけど、デンマークやフィンランドなどの北欧に見習う傾向があるよ。知識はすぐに抜けるし、必要な知識はその都度入れたらいいだけだから、ディスカッションのマナーや、チームワークを汲むスキルやcritical thinking と言って物事を客観的に分析、思考することを学ぶ方がずっと有用だと思う。あと、学ぶ意欲を削がない前向きな評価。


「ほー!やっぱり日本とは違うね。特にFは両方経験しているから違いがはっきり見えて面白いね。私の大学も学生が卒業までに取得しなければいけない8本の柱があって、専門分野の知識はその中の1本だよ。

他はチームワーク、コミュニケーション力、critical thinking(物事を客観的に分析、思考する力)、problem solving(自分で問題解決する力)、self management(自己管理力)、digital literacy(オンラインの情報の質を見極めて使う能力)、global citizenship(ほかの文化や違う生まれ育ちをしてきた人を理解して配慮できる力)の8本だよ。

授業と課題の中にこれが入っていなくてはいけない。今、私は1年生の必須科目を1から作っているところだけど、この柱のどれから教えるかを考えているところ」


   「さすが多民族国家だね。日本の学校では教えないなあ」


変なルールに縛られている日本の教育には・・・生卵をぶつけてやれー!


「どれも大事なことだね。教える方も決まったことをしゃべるだけじゃいけないだろうし大変だね。みんなに知識や正しい答えみたいな同じゴールを求めるのは、うちの子どもみたいな言葉がわからない外国人には完全に不利だから、そういうことを求めないスタンスの学校に行ける事は本当に有難いよ。追いつこうとしてクラスの誰よりも努力しているからね。それをいつまでも認められないなら居場所がない。diversity and inclusionは基本だね」


   日本の教育はまだまだ知識偏重型で現場は文科省からの上位下達のコロコロ変わる教育指針に振り回されている。例えば、小学校で始まった英語がいい例。目線が子ども達に向いていないことがよくわかる。くだらん校則にがんじがらめに縛られて、自分の独自性が発揮できない仕組みになっている。これだから学校が面白くないのは明らかだね。最近新聞で、筆算の線を定規を使って書かなかったから、丸がもらえなくて書き直しをさせられたというのが話題になったよ」


「それ!うちの娘も定規で引かされていたよ」


   「計算式を定規で引く?どういう意味?」


分数の横線も、筆算の横線も全て定規を使って書かないと全てやり直しをされられるの。息子はやり直しのスパイラルから抜けられなくなって登校拒否したのを思い出すわ。そんなルールは生卵ぶつけてやれー!やったわけではありませんが・・・ちょっと目を離したすきに誰かさんがこんなことをしていました」



   「子どもらしい!好奇心のかたまり!」


「ウケる~!」


   「こりゃあ、おもしろい~!おしおきに今日と明日のご飯は全部た・ま・ご!

定規で線を引かないと〇を貰えなくてやり直し?意味がわからん!わざわざ定規を持ち出すのも時間の無駄。そんな小さなことを気にしていたら計算を学ぶ意欲がなくなる」


「おはよう!卵を割って面白かったね!
この前、私も友達と話していたけど日本の学校で育てることに疑問や不安を感じる。子ども達は平日の多くの時間を学校で過ごしている現状、学校のやり方を悩みつつも頑張らなきゃいけないのよね。

今日、読み聞かせのボランティアで学校に行ったら息子の周りにたくさんの友達が集まっていて楽しそうにしていたからホッとしたよ。どういう状況でも本人が自分の感覚を失わないで過ごしていけるのが一番。今、私にできる事は本人がやりたいと思うことをサポートしていくことだね。

でも、学校でやっているのは右にならえ、の授業形態。授業が始まったらすぐに目当てを3回みんなで斉唱して、最後には導かれた今日のまとめを3回斉唱で終わり。

低学年の時は自由にさせてくれる先生だったから一生懸命発表していたけど、先生が変わって発表するのをやめたみたい。それは答えが1つだから自分の答えが正しいかどうか不安になるからだって。何を学び、何を感じるかは本人の自由なのに。先生が違うだけで子どもの授業の姿勢も変わる。」


   「ほんと。小学校までは自ら問うて学ぶ楽しさをしっかり身に着ける時期だよ


「娘の先生が取り入れている考え方でgrowth mindsetというのがあって、そのワークブックを毎日学校でやっているよ。フレキシブルに脳が成長していることを喜んだり、困難をチャンスと捉える考え方や、失敗から学ぶこと、自分を客観視する練習をしているよ。

その考え方では自分は賢いという事をfixed mindって呼んで脱却すべき対象にしている。その考えのベースにある研究では生徒を2グループに分けて課題を与えて、片方には「あなたは賢くて正しいね」と褒めて、もう片方には「あなたの頑張りが素敵」って褒めたら、次の課題に臨むときに頑張りを褒められたグループの方がさらに難しい課題に挑む子が多かったけど、賢いって褒められた子は賢いという評価を失いたくなくて同じレベルの課題に固執する子が多かったらしいよ。結果ではなく過程を重要視することや、困難をいかにポジティブに捉えるかを学んでいるよ。だから褒め方も大切だね」


   「それって、学校じゃなくてもできる!」


「ところで今日はRead to dogsの日で、図書館のボランティア犬を相手に英語の絵本で音読練習してきたよ。犬が相手ならお姉ちゃんも幼い本を堂々と読めるからいいよ。」



   「それって素敵!」


補足:インクルーシブ教育とは子どもたち一人一人が多様であることを前提に誰もが自分に合った配慮を受けながら学べることを理念とした教育です。世界が言葉、文化、宗教、障がいの違いを越えて全ての子どもにインクルーシブ教育を!と向かっている中で、日本はインクルーシブ教育を「特別支援教育」として取り入れたので「すべての子どもの権利」「多様性を認めた共生社会の実現」に向けての具体的な施策が学校教育現場で取り入れられていないのが現状です。


Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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