突然起きたチリの暴動
私にとっては、南米はとても遠い国でした。いままで、ご縁もない国でした。
いままで、南米の方とほとんど出会いもなく、実際にお話した人もいませんでした。
しかし、ベルリンの語学学校では、毎日南米の方たちのスペイン語が聞こえてきます。
チリ出身の方がいいました。
『暴動は突然起きた。大手マスコミが報道しているより、
もっとすごい状況になっている・・普通の人も巻き込まれている
私は明日ベルリンのチリ大使館へデモに行ってくる!』
私はチリについて何も知りませんでしたのでツイッターで調べると・・
今は解除されたものの、最初は外出禁止令があったようで
厳格に統制されていたようです。
日本の皆さん、お願いです。
— 山本和奈 🇭🇰🇨🇱加油! Kazuna Yamamoto (@kazuuuuuuuus) 2019年10月22日
チリでおこっている事について、日本のニュースを簡単に信じないでください。
チリの今のデモについて。今日、年代を超えて多くの人が参加した、サンチアゴ、Nuñoa 地域のPlaza Nuñoa にてマニフェストに参加して、午後はPlaza Italiaにてマニフェストに参加しました。→ pic.twitter.com/q1tFM97J8s
1. 「運賃値上げ」どうこうの問題じゃない。もう、それを超えて、独裁者政権以前から、どれだけチリ政府がチリの国民からお金を盗み続けて、富裕層だけが得する格差社会にしたか。どれだけ、数パーセントの人間がこの国の資産を握っているのっか。
— 山本和奈 🇭🇰🇨🇱加油! Kazuna Yamamoto (@kazuuuuuuuus) 2019年10月22日
世界で唯一、水が「民営化」のチリ。電気もそう。
→ pic.twitter.com/QkdfIChcyJ
年金だって、教育システムだって。そのためのでもであり、30ペソどうの事じゃないです。
— 山本和奈 🇭🇰🇨🇱加油! Kazuna Yamamoto (@kazuuuuuuuus) 2019年10月22日
2. 暴力的、は確かにそうかもしれない。だけどテレビを見てると、数万人集まった「平和」なデモの、あえて暴力な騒動を起こしている数人だけにカメラを向けるテレビ。→ pic.twitter.com/gy7eTqlIf5
実際、歌い、声を上げている国民に対して暴力的な騒動を起こしているのは?
— 山本和奈 🇭🇰🇨🇱加油! Kazuna Yamamoto (@kazuuuuuuuus) 2019年10月22日
国民のお金で、国のお金で、作ったり買ったりした催涙ガスや水ボンベで、国民に対して、無防備に投げまくる警察や軍事ではないのか?
→ pic.twitter.com/aeOTON2IE1
今日、なんども大きな軍事車が、マニフェスト会場に訪れたか。水ボンベで人々をアタックしたり、催涙ガスをなんどもなんども使ったり。本当に暴力的なのは、今まで国民から盗み続けた政府なのでは?→ pic.twitter.com/J1YGbPGH74
— 山本和奈 🇭🇰🇨🇱加油! Kazuna Yamamoto (@kazuuuuuuuus) 2019年10月22日
現在、チリ様々な地域で、人々が戦ってます。
— 山本和奈 🇭🇰🇨🇱加油! Kazuna Yamamoto (@kazuuuuuuuus) 2019年10月22日
三日目の外出禁止令。その時間に出てしまうと、逮捕、発砲もありえる事態。
今も、テレビで家につけなかった人が、ライフルをもった軍人に止められる映像が流れます。#ChileResiste #ChileAguante #ChileDespierte #チリ頑張れ #チリ加油 pic.twitter.com/fRp3KlcEhF
チリの方も言っていましたが、上記のツイッターでも書いてあるように、
チリでは、水が世界で唯一民営化しているので、水道代が非常に高いそうです。
このクラスメートは、ジャーナリストの仕事もされていたようで、
ドイツ語の授業中での議論などでも、
植民地主義、帝国主義、資本主義という言葉をよく使われます。
どんな小さな意見にも耳を傾けていたチャベス大統領
また、今年3月に掲載された竹下先生の、ベネズエラについての記事に掲載されていた動画がとても印象的でして、
チャベス大統領が最後の動画で言った、
『一部の人のウソに騙されないこと!』は、現在でも、もちろん日本でも
同じ構図ではないでしょうか・・。
一番最初の動画では、911から2ヶ月後のチャベス大統領の話で
帝国がアフガニスタンで子供達を惨殺した写真を見せています。
どんな小さな意見でもチャベス大統領は必ず目を通すという本物の
民主主義を実行されていたのですね。
私は、顔を見ただけで、チャベス派の方が良い顔をしていて、
富裕層の反チャベス派の方が悪い顔をしているのがすぐにわかりました。
富裕層なのに、大統領室の金庫からお金を盗み、マイクまでもっていったとは・・
どこまで意地汚い、欲深いのでしょうか・・。
日本人も、『ニッポン、チャチャチャ!』など、スポーツ観戦の勝負ごときで、
真実から目を離されて、ガス抜きをさせられている場合ではないですね。
世界中どこでも、日本でも同じ構図ですから・・。
クラスメートのベネズエラの女性の方にお話を聞いてみました。その方によると、
『ベネズエラはアマゾン川の支流に沿って、石油が豊富である。
中東とは比べものにならないほどである。コロンビアとベネズエラの国境あたりにも
たくさんある。それに、ベネズエラの石油の値段は安く、タダ同然のようなものである。なので、コロンビアの人が買いに来て、ドラム缶などに入れて、コロンビアに運んでいく。』
私は『チャベス大統領は良い人だったのでしょ?』と聞いてみましたが、
彼女が答えたことは、
『複雑なので、なんともいえない・・』ということでした。
家族の状況などによって、どこまで真実を知っているのか・・によると思いました。
そして、真実にアクセスできることも難しいことだな・・と思いました。
ベネズエラの動画からも思ったことは、国のトップが善い政治家ならば、
国民、子供までも政治に関心を持つだろうということです。なぜなら、生活に
密着しているからです。
貧しい人をなくす、不幸な方をいなくすることが政治なのに、
貧富の格差を広げてどうするつもりなのでしょうか・・。
私は子供の頃から、日本の政治には興味が持てなかったな・・。
やっと、最近、日本にも善い流れがありそうな・・。
ベネズエラの気温は平均37度くらいだそうで、
オーストラリアのケアンズの暑い時と同じだ・・と思い、
私はもう35度以上は住むことができないと思いましたが、
(しかし、日本も最近、亜熱帯地方並みの35度以上はよくありますね・・)
ベネズエラの美味しい食事は、とうもろこしの粉でできたパン(アレパ)に、野菜などを挟んで食べるというとても美味しいものがあると聞きました。
とうもろこしが遺伝子組み換えでないといいのだけれど・・。
貧しくさせられた南米の国々
アルゼンチンは1880年代あたりは華やかに発展した時代でした。
『母をたずねて三千里』の物語は、お母さんがイタリアからブエノスアイイレスへ
出稼ぎに行ってしまうというお話ですがきっとこの時代のお話なのかもしれません。
アルゼンチンも2001年の経済危機を境に困窮していきました。
アルゼンチン出身の方は、実際に
『アルゼンチンは貧しい国だから・・』という発言を時々されます。
なぜ、貧しくなったのか? 貧しくさせられたのですよね・・
チリの方も、アルゼンチンの方も、マテ茶を持って来て飲んでいます。
マテ茶は、南米で人気のお茶で、飲む野菜とも言われていて、
野菜の栽培が難しい南米の土地にとって、嬉しい飲み物だそうです。
ペルーの方は、ペルーではゴールドが沢山取れると言っていました。
ペルーには、レインボーマウンテンという色とりどりの山があります。
ウユニ塩湖は、ペルーかと思ったら、ボリビアでした!
帝国主義時代、植民地主義時代に、帝国な国々たちは、
インカ帝国を滅ぼして、大量のゴールド、シルバー、その他を
奪い取って行ったのですね。
ベルリンの壁崩壊後の価値観の変化
さて、次は、冷戦時代、ベルリンの壁の東側、東ベルリンで育った
先生のお話です。先生は、ベルリンの壁の目の前あたりの家で育ったそうです。
ベルリンのミッテ地区になります。11歳のときに、ベルリンの壁が崩壊したのです。
小学校の高学年、昨日まで習っていたことと、ベルリンの壁が崩壊した、
1989年11月9日からは、小学校で習うことが変化したそうです。
社会主義から資本主義の価値観に変化したのです。
私は、とても興味がありましたので、
『ベルリンの壁が崩壊した当時はどのような気持ちでしたか?』
と率直な考えを知りたかったので、聞いてみました。
すると、少し胸を詰まらせたような感じで、少し目が潤んだような気がしました。
ですので、その後これより、突っ込んだ質問はどうしてもできませんでした。
先生が答えたことは、
『すべてが変わった。自由になったのかもしれないけれど、
学校の教育も、東の時代の方がしっかりしていたと思うし、
東の時代は、商品は多くはないけれど、不足していなくて、それで十分だった。
西の価値観になると、商品が多すぎるようになった。
東では仕事もあぶれる人がいなかったのに、西の世界では、
自由とはいえ、差があるので、できる人とできない人の格差ができてしまった。
東は年金もしっかりもらえる制度だったのに、西になると不安要素が多くなった。
いままで東で年金を蓄えていた人は、すべてなくなった。』
こんなことを答えられていて、とても興味深い意見だと思いました。
私は東ベルリン出身の先生の言葉のニュアンスから、東ベルリンの時代の方が
本当のことをいえば、豊かで良い時代であった・・というニュアンスを感じました。
豊かというのは、モノではなくて、
質素で静かな充実した時代であった・・ということです。
私のこの先生に対する感想は、
確かに、西出身の方より、少し影がある印象もありますが、
可愛らしい感じで、小さな生活を楽しむ静かな雰囲気が感じられます。
また、ベルリンの壁が崩壊して、一番最初に西ベルリンで行ったところが
アメリカのファーストフードだったそうです。11歳の子供だったら、ありえますね。
東の政策に沿っていた公務員や東ベルリンには、
当時シュタージ(秘密諜報機関) がありましたので、そのような仕事の大半は、仕事を失ったわけです。
東ドイツのシュタージ(秘密諜報機関)で働く主人公と翻弄される芸術家たちを
描いた、フィクション映画『善き人のためのソナタ』(”Das Leben der Anderen”)
を授業で鑑ました。
こちらの映画の最後、でシュタージに勤務していた主人公が東西統一後に
仕事を失い、広告配布の仕事をしているシーンが印象的でした。
ベルリンの壁崩壊後には、広告配布の仕事しかなかったけれど、
その前には、シュタージでの仕事さえも監視されていて、左遷されてしまったけれど、
自分の善に従い、若き芸術家を助けたという自分の心の中での満足感が
あるのでは・・と思いました。
東ドイツ時代は、実際には、女性を利用して・・などは
なかったと先生はおっしゃっていました。これはフィクションであると・・。
映画の邦題は、『善き人のためのソナタ』となっていて、これは、ピアノを
弾くシーンがあり、弾いている曲名に近いものでもあります。
しかし、ドイツ語のタイトルは、直訳すると、“他人の生活”
シュタージの仕事そのものを表現しています。
この曲を本気で聴いた者は、
— Kokky-K@1分映画批評 (@12paku) December 17, 2017
悪人になれない#善き人のためのソナタ#映画コピー pic.twitter.com/cFhk2Ou3Kd
こちらの先生は、なかなか面白くて、
チリの方は、植民地主義、帝国主義に反対しているのに、
授業中にコーラを飲んでいるので、先生は、
『なぜ、帝国主義のコーラを飲むの? ドールバナナの
ジュースも飲んでいるのか?』と軽くジャブを飛ばしていました。
そのあとで、『ごめんね・・』と謝っていましたが・・
先生はさらにこんなことを言われていました。
『いつも西出身の人が一番で、東出身の人は二番手になる。』
私は心で思いました。ヤマ・ニヤマが大切なので、
一番も二番など関係ないのに・・と。
我が家の息子はサッカーファンですが、息子曰く、
『ブンデスリーガ(ドイツのサッカー)でも毎回優勝するチームは
魅力がない。お金を出して良い選手を集めるチームには興味がない。
選手のバランスが取れていて、試合を楽しませてくれるチームがよい。』
記事を追加で書いていたら、なんとまあ!
ちょうどよく、エドガーケーシーのリーディングの
メルマガが送られてきました!
覚えておきなさい。善のみが生き続けるということを。
Know, - good alone lives on.
(2051-5)
ベルリンのパンダの赤ちゃん、大きくなったかな・・
Last week, the #babypandasberlin opened their eyes for the first time. Now they can see the world around them, they are getting more and more active. So it’s the perfect time to move them into a much roomier “panda playpen”.🐼🐼 #ZooBerlin pic.twitter.com/vHuQjfYZGF
— Zoo Tierpark Berlin (@zooberlin) October 25, 2019
チリ出身の方がいて、現在のチリの革命のような状況に
非常に心を痛めていました。
また、ベネズエラ出身の方から、ベネズエラのことについて
聞くこともできました。
ペルー、アルゼンチンのことも少し聞くことができました。
そして、東西冷戦の中、東ベルリン側のベルリンの壁の前で育ったという
先生がベルリンの壁が崩壊した当時のお話をしてくれました。
第48楽章は、チリ、ベネズエラ、南米と東ベルリンのお話です。