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音楽の道も競争社会
第44楽章では、夏に行われた30周年記念のコンサートについて書きました。
ベルリンフィルがブランデンブルグ門の前で演奏をしたのです。
ベルリンフィルはドイツの大企業であるドイツ銀行がスポンサーなのですね。
photo by ユリシス
ベルリンフィルは、エリート集団とも言われ、小さい頃から
早期の音楽教育を受けてきた方たちが、綺麗な音色を奏でています。
第45楽章に書きましたが、ベートンベンはお父さんに殴られながら練習をしてきたそうなので、音楽の道も競争社会であり、大変なことがわかります。
ベルリンフィルの公演でも有名なものは人気であり、
来年のチケットを取るのも大変です。
チケット販売の初日の売り出しから3時間ぐらいで売り切れになってしまいました。
オーケストラを見にいくためにも、競争が必要なのですね。
人気なものは世界中どこでもそうですね。そう、競争が必要なのです!
ゆっくり、のんきにしていると、取り残されてしまいますが・・・
実は、あえて、取り残された方がいいのかもしれません・・・。
競争に勝つことを目指すよりも、ヤマ・ニヤマの実践を!!
出世のための日本の公開授業
日本の記事で、先生の出世のために子供たちの授業時間が犠牲になっているという記事を見ました。この記事によると、先生が出世をするためには、公開授業での評価が必要なようです。
その公開授業のために、国語の『ごんぎつね』の授業を20時間もかけたそうなのです。本当は10時間かければ良い内容だそうです。余分な10時間を先生の出世のために使ったことで、生徒たちの算数や図工などの授業が減ったそうなのです。
これは、多くの方が、実体験として思っているのではないでしょうか・・。
授業参観日、運動会、学芸会などが、先生の成果を発表する機会に
なってしまっているのかもしれないという思いがあります。
このイベントで先生の成果から評価、出世につながるのですね。
息子は、オーストラリアの小学校の卒業式にて、全員で歌をうたいましたが、
1回くらいしか練習をしなかったようで、グダグダだったのを記憶しています。
これでも、子供らしくいいのではないか、また、授業時間を割いてまで
練習などはしなくてもいいとも思いました。
オーストラリアでもドイツでも運動会のようなものはありませんでした。
体力測定をするちょっとした測定会があるだけです。
授業参観日などもありませんでした。
以下は、私の経験でまさか、書くチャンスが到来とは・・
もう遠い昔のことですが、ちょっと面白いので書いてみたいと思います。
名付けて、『みにくいアヒルの子すりかえ事件簿!?』です。
私が小学校5年生の時だったかと思いますが、学芸会で『みにくいアヒルの子』のオペレッタをすることになりました。
オペレッタは、歌が多い劇のようなものです。音楽の先生が主導で決めていました。
私が歌が好きなのがわかっていたのか・・、女の音楽の先生から、
「ユリシスさんに歌ってもらいたいので、音程が合う、『みにくいアヒルの子』を選んだわ!」と嬉しそうに音楽室で個人的に言われました。
(合唱や器楽部だったから・・だと思いますが・・個人的に先に言うのもどうかと思いましたが・・)
私は主役など、まったくもって、興味がない子供でしたので、どうでもいいと思いましたが、ただ歌をたくさんうたうことができるのは楽しいと思っていました。
家に帰り、母親に『みにくいアヒルの子の役だって・・』と言いました。
数日後、クラス全員に配役の発表がありました。
あれ? 主役の、みにくいアヒルの子は違う女の子の名前が書かれていました。
私は、アヒルの9番目の配役になっていました。
(原作は5羽ですが、全部で10羽にしたようですね・・)
家に帰り、母親に『9番目のアヒルの子の役だって・・』と言いました。
さあ、母親は怒りました! すぐに学校に行きましょうといい、行きました。
(私の母は、学校の教科書はつまらないとよく言っていた人で、
「良い学校とか塾とか今の時代はなんなのでしょう」・・
ともうすでに達観していたと思うので、
『ウチのユリシスちゃんを主役にしないなんて、先生!どうなっているザーマス?』
みたいなドラえもんのスネ夫のお母さんのような方からは程遠い感じでした。)
母親が、『先生は子供の気持ちをどう思っているのですか!?』とか
そのようなことを音楽の先生に言っていたと記憶しています。
さて、音楽の先生が頭を垂れながら謝り、言ったことは・・
『私の希望が通らなかった、PTAの会長とかの意見で主役はXXさんに
ということで、決められてしまった・・』
(音楽の先生も早めに私に言ってしまったばかりに、かわいそうに・・)
母親は怒っていましたが、私は子供なりに、あらら・・そういうことね・・
と理解していたと思います。
(実はアヒルの9番目は可愛いんですよ・・みんなより遅れて、のんきに登場するので・・)
私の件は、たまたま、発覚してしまっただけで、
多くの学校でこのような水面下の動きがあるものだと推測できます。
(それよりも、主役になった親御さんがPTA会長との繋がりがあったのかとか・・
たかが子供の劇の配役で、親が水面下で動いていることが笑えます・・)
私は311がきっかけで、子供を守ることを強化しましたが、
たぶん母親はこの時期あたりから日本の社会から
子供を守ることを強化していたと思われます・・。
竹下先生も映像配信、
中級コース第46回シークレットドクトリン(フトマニ図後半)の中で、
『先生がえこひいきをしている、幼稚園、小学校の教師は人格者でなければいけない、
子供はよく見ている、くず教師が子供の将来をめちゃくちゃにする、利権に敏感に反応している、社会的地位のために権力に寄り添っている』
と語られています。
受験でも就職でも、縁故、コネが必要になってしまう世知辛い世の中になっています。
ドイツでもベルリンはわりと自由な気がしますが、もちろん、ドイツは欧州ですので、
上層部では、階級社会、縁故社会が幅を利かせていると思われます。
競争に勝ち、上に行ったとしても、外面的に良く見えるだけで、
中身の実際のところは、ストレスフルで大変なものです。
競争で負けたとしても、本当のところは、関係ないのだけれど、
それなりに卑下をしてしまうという構図になってしまっています。
多くの方が上だの下だのという思いの中で、心穏やかでない毎日を過ごしています。
猫は呼んでも行きたくないときはいかないし、フラットな世界であるようなので、
猫のような上下関係のない世界がいいですね。
世界中に蔓延する競争社会、格差社会
現在は、アジアの国、特に中国、韓国、シンガポールでは、受験競争も厳しく、
競争社会に突入してしまっています。
韓国の方は、実際に、韓国は競争がものすごく激しい!と言っていました。
また、この受験競争は、日本を真似たものだとも言っていました。
大企業に入社するためには、英語ができないと入社できない。そのために
幼児からの英語教育も盛んだそうです。
大企業に入社する前に徴兵制と英語習得ができていないといけないのですね。
学生で留学をしている方も非常に多いのも納得してしまいます。
(韓国の徴兵制は、2年間だった入隊期間が現在は18か月になっているそうで、
その間、一切自由な時間はないと聞きました。
1年通して、道路の掃除ばかりしていたそうです。秋は枯葉の掃除、冬は雪かきだったそうです。また、武器を扱ったとも聞きました。)
イスラエルも競争社会だと聞きましたし、イギリス系の国々は、
競争を超えて、もうすでに格差社会になっています。
日本も格差社会になっているかもしれません。
庶民系のドイツ語の先生に聞いてみたのです。
『日本は競争社会だけれど、ドイツ人は、そんなに
競争意識はないような気がするのだけれど、どう思いますか?』
先生曰く、『競争はそんなにないよ。競争をしようとは思わないよ・・』
さらに私は聞きました。
『ドイツの中でもベルリンはlocker (自由で気楽な感じ)でしょ?』
先生の顔がほころんで言いました。
『ベルリンは、locker (自由で気楽な感じ)だよ。過ごしやすいね。』
こんな感じでベルリンでは競争というより、自由な雰囲気を感じます。
ドイツの昔からのモノづくりの精神は、ひたすらモノに集中するらしく、
顧客のことはあまり考えないそうなのです。アメリカやイギリスの方が
顧客マーケットをよく考えていると記事に書いてありました。
ドイツのモノづくりの精神は、日本の昔の頑固な親方、
こだわりのあるお寿司屋の大将と同じかもしれませんね。
モノの方にこだわりますね。
日本もいつからか、お客様は神様です・・となってしまい、つまりは、
顧客ありきのマーケティング競争になってしまいました。
今ではこんなお店も少なくなったのかなと思いますが、
昔、ドイツのケルンあたりのお店では、、本当に買うならいいけれど、
ひやかし程度で見るだけなら出て行け!という雰囲気もありました。
母親もドイツは気軽にお店を見ることもできないわね・・・と当時は
言っていましたね・・。
反対に中国人のお店に入ろうものなら、ものすごい勢いで勧誘されて、
お茶菓子も出てきて、もっと食べるかとか言われたりして、
さらに商品もすべてみせてくれて、アピール力もすごくて、
お客さんは、最後には疲れてどうでもよくなり、買ってしまう・・のです。
値段交渉の駆け引きは面倒だと思ってしまいますが、チャイニーズ系の方は、
商売の駆け引きこそが楽しみであるようで・・。
(たった1枚の名刺からお金を生み出すといわれる中国人・・・)
競争をして勝ちたい、誰かに認められたい・・
SNSにおいても、いいね!でこれを煽っています。
多くの方が、なぜか、いいね!がほしいのです。
反対に、負ける、のがす、認められないは、
評価されない、ダメだ・・のレッテルを貼られてしまうのです。
このオセロの白黒のようなたった2つの選択、
勝つか負けるか・・良いか悪いか・・だけを
考えがちですが、この2つの中間にも多くの価値観があります。
勝負や優劣で決めることができないことも多い・・
勝っているように見える人が、実は悲惨で大変な思いをしていたり・・
負けているように見える人が、実は自信があり豊かであったり・・
何が勝ちなのか、優れているのか・・など、本当はわからないものです。
ベルリンは30年前、東西が統一しました。
平和を達成したように見えますが、本音のところでは、東出身の方の格差からの苦悩などもいまだにあるようです・・。
ドイツの方もヤマ・ニヤマの実践を!!
“ベルリンの壁崩壊30周年 平和の革命”(“ 30 Jahre Friedliche Revolution – Mauerfall ”)
ということでベルリンの数カ所にて様々なイベントが開催されました。
現在の語学学校の先生は、他の国で平和の革命ある? ないでしょう?
30周年記念にベルリンにいることはラッキーなことだ・・
と言っていました。
しかし、これは、西ドイツ出身の方の見方かもしれません。
第48楽章で書きました東ベルリン出身の先生は、
ドイツ統一をしたことで、自由になったけれど、
負けたような気がした・・すべての価値観が変わった・・
と言っていましたが・・。
第49楽章は、競争をして勝ったとしても・・です。