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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第14話 ― 大和行幸から見えるもの
複雑な秦氏と藤原氏の関係 〜裏の南朝勢力に春日系の神々
前回見たように、日本側は1858年の日英条約で外国勢力から次の2つの要件を突きつけられていたはずです。
①日本全土を天皇の領土にすること。
②日本天皇は英国女王のしもべとなること。
英国女王を代表とした外国勢力は悪魔崇拝海賊団の300人委員会で、その大ボスにはロスチャイルドがいました。
日本側は①②の要件を満たす天皇の擁立を迫られていたのですが、当時の北朝天皇である孝明天皇にとっては①②の要件は飲めるものではありません。しかし、日本の南朝勢力はこの①②の要件を軸に革命を起こすべく動いていたでしょう。
明治維新は既に見たように南朝革命でもあり、これはロスチャイルド家が中心に進めていた世界革命(ヴァイシャ革命)の一つでもあったと見ています。そして世界革命はハルマゲドン計画の一環でもあり、日本の南朝勢力はこのハルマゲドン計画に呼応して、北朝の守護勢力に対する攻勢を強めていたのです。
この南朝勢力とは「攘夷」や「天誅」を叫び京都を席巻していた長州勢や、それと気脈を通じる三条実美たち急進攘夷派の公卿を含みますが、そのバックにあって倒幕運動を展開していた中核組織が天忠党です。
天忠党は秘密結社八咫烏の政治組織で、八咫烏は秦氏が組織しています。従って南朝勢力の中心にあったのは秦氏であり、そのバックにはミトラやマイトレーヤのホワイト・ロッジが、更にそれを守護するのが応神天皇を代表とした八幡系の神々です。これはすぐに読み取れます。
しかし、ハルマゲドン計画に呼応した日本の南朝勢力とは秦氏とその背後の霊存在だけだったのか?といえば明らかに違います。藤原一門とそのバックの霊存在が影に隠れた裏側にいたはずです。
藤原一門はまさにその名の通り蔦をどこまでも伸ばすがごとく、どこにでもその触手を伸ばしていて、その一門の全てではないでしょうが、一部は南朝勢力となっていたはずです。超名門で歴史が古い藤原氏は巨大で全体が捉えにくいのです。
藤原氏は、ホツマの神ではタケミカヅチ尊や中臣氏の祖神アマノコヤネ尊が守護していたのは分かります。しかしハイアラーキーでは、ホワイト・ロッジの闇組織に所属していたのか?、ブラック・ロッジと通じていたのか?判然とせず、秦氏のバックのホワイト・ロッジのようには、どの秘密結社に所属していたかがよく分からないのです。もしかするとどことも通じていた?とも思えます。
そして天忠党は秦氏が組織した八咫烏の政治組織ですが、ここのど真ん中にも藤原氏自体は入り込んでいます。公家はほぼ藤原氏なので当然ですが、貴嶺会が示す天忠党の総督の中山家の家系図はアマノコヤネ尊を祖神としています。
更に貴嶺会の「天國の霊鉾」についての記事内容や、「天國の霊鉾」の祭を春日大社で執り行っているいくつもの写真を見れば、天忠党総督の中山家は春日系の神々がバックボーンにあると見るのが自然なのです。
秦氏と藤原氏、そしてそれを守護する八幡系の神々と春日系の神々は対立関係にありました。しかし、裏の南朝勢力には藤原氏と春日系の神々もいたのです。
南朝勢力の攻勢に苦吟する孝明天皇 〜反撃の「八月一八日の政変」
1863年、この頃孝明天皇は天皇の座を「譲位」することを考えてもいたようで、倦み疲れ(うみつかれ)、深い懊悩(おうのう)と葛藤のうちにあったのが分かります。ウィキペディア「八月一八日の政変」記事には次のようにあります。
「8月13日、大和行幸の勅が渙発された。大和国の神武天皇陵・春日大社に行幸、しばらく逗留して親征の軍議をなし、次いで伊勢神宮に行幸するということだったが、もとよりこれは天皇の真意に出たものではなく、議奏の三条ら急進派公家や真木が主張したものだった。天皇は憔悴のためろくに寝食も取れない状態となる。行幸の間に御所を焼き払い天皇を長州に迎えるのだとか、横浜の征伐に向かうのだといった風説が流れた。」
第5話で見たように、「大和行幸」は、徳川将軍を飛び越えた天皇親征による攘夷を、つまりは天皇が征夷大将軍をも勤めることであって、これは江戸幕府の終焉をも意味します。この計画は長州の正義党久坂玄瑞が中心となって画策され、「大和行幸の勅」の文案を記して直接孝明天皇に迫ったのは三条実美たち急進攘夷派の公卿でしょう。南朝勢力の攻勢です。
孝明天皇は佐幕派で、天皇による日本の直接統治を拒んでいたのです。しかし不承不承ながら「大和行幸の勅」の煥発を許したのは、不本意ながら倒幕に同意したことにもなります。孝明天皇の深い懊悩と葛藤が見受けられます。
しかし北朝勢力の反撃といえるのでしょうか、「大和行幸」は中川宮朝彦たちの働きにより、その実行直前8月18日に打ち切られます。このことによって、それまで攘夷を叫び京都を席巻していた長州勢と共に、三条実美たち急進攘夷派の公卿が長州へと都落ちしました。「七卿落ち」です。これが「八月一八日の政変」です。
この政変には、前年に自藩の急進攘夷派を粛清処分していた薩摩の島津久光も加わっていました。更には天忠党図で一味とある「近衛忠熙も協力」していた模様です。南朝勢力の足並みが乱れていたとも言えるでしょう。
「八月一八日の政変」による南朝勢力の足並みの乱れは、彼らの勢力に緊急事態を生じさせました。「大和行幸」に呼応して、8月17日に大和で天忠党の直属下部組織の天誅組が中山忠光を主将として挙兵・決起していたのです。大和行幸と天忠党の挙兵はセットと見なせます。
しかしこの軍は「八月一八日の政変」によって朝敵となり成敗されました。このため天忠党総督の中山忠伊は翌年の1864年に自害しているのです。
勅の通りそれが実行されていならば倒幕の決定打になっていた「大和行幸」ですが、注目は「大和国の神武天皇陵・春日大社に行幸、しばらく逗留して親征の軍議をなし、次いで伊勢神宮に行幸」というこの大和行幸の行程です。
大和行幸の行程 〜南朝勢力と外国勢力の関係
大和行幸は、神前に天皇が先頭となって外国勢力の夷狄を打ち払う戦勝祈願と報告を行うものです。この報告には倒幕も必然的に入ります。その大和行幸の最後が伊勢神宮であるのは分かります。代々天皇は天照大神の血統を引き、皇祖神天照大神を祀るのが日本の最高神宮伊勢神宮ですから。
問題は春日大社です。日本における倒幕の中核組織は天忠党であり、これは八咫烏の政治組織です。そして八咫烏のバックにはホワイト・ロッジが、さらにその背後には応神天皇の八幡系の神々がいます。
ところがこの戦勝祈願と報告の対象には八幡系の神社が入らず、春日大社がその対象になっています。そして「神武天皇陵・春日大社」とセットで記してありますが、神武天皇もたしか春日系だったはずです。おまけに「神武天皇陵・春日大社に行幸、しばらく逗留して親征の軍議をなし」とあります。孝明天皇が先頭となって外国の夷狄を打ち払うという軍議を、春日系の神々の前で行う計画となっていたのです。
今年の新嘗祭は「大嘗祭当日祭」として11月14日(木)に行われます。午前10時から御本殿前にて神事が斎行され、引き続き林檎の庭で舞楽「太平楽」が奉納されます。「太平楽」は春日大社では式年造替や天皇陛下の即位に関わる神事で奉納されます。(写真撮影:桑原英文)#大嘗祭 #新嘗祭 #太平楽 #舞楽 pic.twitter.com/EvepaYeUVi
— 春日大社 kasugataisha shrine【公式】 (@KASUGASHRINE) October 27, 2019
こうなると明治維新を主導したのはホワイト・ロッジと八幡系の神々もありますが、それ以上に闇組織と春日系の神々の裏からの操作によるものが本命だった?という気もしてきます。この場合、地上での活動では秦氏以上に藤原一門が重要な役割を担っていたことになるかもしれません。
八咫烏には2つあったということでした。もしかすると天忠党の所属する方の八咫烏は藤原氏や春日系の神々に近いグループだったのかな?という気もしてきます。
大和行幸は明治維新に春日系の神々が介入していたことを明瞭に示しますが、もう一点注目点もあります。大和行幸とセットで挙兵した天忠党直属の天誅組の動きです。
ウィキペディアの「天誅組の変」には「幕府天領の五条」を襲撃制圧し、その「五条を『天朝直轄地』と称して」いるのです。「幕府天領」を制圧し、そこを「天朝直轄地」と称しているのは、「幕府の領地を天皇の領地とした」という意味です。つまり
①日本全土を天皇の領土にすること。
これに直結する行動を天忠党は取っていたのです。
霊存在の意味レベルではもとより、天忠党と外国勢力は繋がっていたのですが、地上の物理的レベルでの繋がりもこの事実が見え隠れしてきています。
外見上は「攘夷」を叫ぶ天忠党に連なる南朝勢力と外国勢力は敵対関係の戦争を見せています。しかしその実態は…手を繋いでいた…。現在にまで続く民衆支配の騙しのテクニックだな、とは感じます。
藤原氏と秦氏は基本的に敵対関係にあり、それぞれのバックにあったホツマの神も互いに敵対関係にあったのは教えてもらっていました。
藤原氏は藤原鎌足から始まる超有力氏族です。天皇家と婚姻を繰り返し、朝堂を独占していました。ウィキペディアでは次にある通りです。
この藤原氏を守護していたのが祖神であるタケミカヅチ尊です。春日大社で祀られる有名なホツマの軍神です。一方の秦氏は古代ユダヤの末裔であり、応神天皇の時に大挙して日本に渡来してきました。秦氏を守護するホツマの神の代表は応神天皇で、八幡系の神社で祀られています。この秦氏が「藤原氏の朝堂独占に対抗するために 聖武天皇の密勅により丹波国で結成」(ウィキペディア)したのが秘密結社八咫烏です。
タケミカヅチ尊を代表とする春日系の神々と、応神天皇を代表とする八幡系の神々は激しい対立と権力争いをしており、地上世界でも基本的には藤原氏と秦氏は敵対関係にあったのは確かです。
しかしことは単純ではなく、秦氏(八幡系の神々)と藤原氏(春日系の神々)の関係は対立関係だけでは括れないのです。幕末の孝明天皇とその周囲や、八咫烏の政治組織・天忠党の動向を見ていくとその複雑さが浮かび上がります。そして地上世界の支配の実態の一端も…。