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ユダヤ問題のポイント ― 特別編(黄金の流出から)6 ― 黒歴史の必然 ー

藤原鎌足の正体 〜武甕槌命が鎌足を導いた意味

藤原鎌足
Wikimedia Commons [Public Domain]




いわば藤原が中臣に背乗りの成りすましをやっているわけでやすね。これはこれでえらい問題ではありやせんか?

また、その家督念証の横にある「天國の霊鉾」欄で次の記述があるね。
悪逆非道の蘇我入鹿を中大兄皇子(後の天智天皇)中臣鎌足(藤原鎌足)等と謀り天國の霊鉾を奉じその御加護のもと蘇我入鹿を誅し給う。

中山家が藤原の流れなのでこういう記述になっているんでやしょうが、これはいわゆる645年の大化の改新、「乙巳の変」のことでやすね。






当時の状況だが、基本情報3に記されてあるように、霊的には応神天皇やマイトレーヤをバックにした蘇我氏が日本の経済・政治という王権を実質的に握っていたわけさ。八幡系の天下になっていたわけだね。
その状況に対して武甕槌命は「中臣(藤原)鎌足、つまり百済の王子豊璋の力を借りてまでも奪取した」わけだ。八幡系と春日系の権力争いの典型ではあるのだが、武甕槌命の行為に大変な問題が含まれていた。
映像配信「日本史講座第6回(後半)」の30分すぎの「文字起こし」をよんでごらん。

カナンといえばブラック・ロッジの地上組織の主力部隊の「カナン族」の祖。デーヴァダッタはゴータマ・ブッダの従兄弟で、仏典では「生きながら無間地獄におちた」とされる男。地獄の首領たちではありやせんか。

こりゃ〜大変な問題だ。


藤原氏が日本の支配層に君臨の意味 〜ヤクザと切り離せせない政治



鎌足がデーヴァダッタでブラック・ロッジの首領で、以降は藤原氏が朝堂を独占し、支配層として君臨していやすね。
てぇいうことは、日本の支配層はブラック・ロッジが席巻してきたということで?
藤原氏の人間は代々ブラック・ロッジの出だったのでは?

しかし藤原氏が代々ブラック・ロッジ出身か?といえば、最初の方はともかく、途中からはそうではなくなるようだね。

ふーむ、しかし藤原の人間がブラック・ロッジの出身者では途中からなくなっているとは?これはどういうことで?

元の出身がどうであれ、金や権力を握ってしまい事情が変わると、周囲の扱いも変わり、良家の子女も結婚したりするってやつだね。

ふむ、ところで鎌足はカナンが霊導していやしたね。カナンはセム、ハム、ヤペテのノアの息子たちのうちハムの血統でやしたね。セムつまりマイトレーヤの血統がユダヤになって、ハムの流れのカナンの系統は元祖偽ユダヤとされていやしたね。
藤原氏も渡来系でやすがこちらも偽ユダヤの系統で?


ただしカナン族ではなく、大きくハム系統の流れからの家系と見ていいんではないかな。まぁ基本[裏]南朝勢力となっているね。鎌足の息子である藤原不比等が『日本書紀』を完成させているのがポイントになるだろう。

藤原不比等
Wikimedia Commons [Public Domain]

ところが実際に『古事記』『日本書紀』が完成したのは、藤原不比等が権力を掌握していた時代。それで不比等が特に『日本書紀』の改竄を命じ、自分達の都合の良い内容に仕上げたということでやすね。
なぜ歴史を改竄するのか? 〜日本人の起源をシュメールに求める勢力

具体的には乙巳の変で蘇我氏の本家を抹殺した藤原が、それだけではなく日本の歴史から蘇我氏の功績を消し、歴史的に蘇我氏を抹殺するのが『日本書紀』を改竄した目的だろうね。
まぁしかし、古代ユダヤの南朝勢力も[裏]南朝勢力もそれぞれが日本の歴史を改竄し、自分たちが君臨する王朝を建て、それが古代から続く由緒正しいものだと正当化しようとしたわけだ。

…そういえば、天界レベルでは南朝勢力も[裏]南朝勢力も天照政権の転覆を目論んでいやしたね。天照大神から続く日本天皇の血統、それを正確に伝えている『ホツマツタヱ』は、南朝勢力も[裏]南朝勢力も邪魔なものだったんでやすね。
ところで南朝勢力は日ユ同祖論で、日本人、天皇が古代ユダヤの由来だとの主張でやすね。では[裏]南朝勢力は日本天皇の由来をどこに?

大雑把にはこの勢力が藤原氏[裏]南朝系ではないか?とあたしは現時点でにらんでいる。まぁ『ホツマツタヱ』を読めば古代ユダヤもシュメールも噴飯ものだがね。

ああ、そうか、特殊稿3と4の聖婚儀礼で触れていやしたね。国家をあげての神殿売春、悪魔崇拝儀礼が盛んに行われた地域だ。ハムの系統ブラック・ロッジの本拠地がシュメールでやしたね。
なるほど、それで藤原氏が大きくはハムの系統で、大雑把には日本人の起源をシュメールに求める勢力が[裏]南朝系と…。

日本人、天皇の起源をシュメールとする根拠は天皇をスメラミコトやスメラギと呼び、それがシュメールと語感が似ているというものがあるね。
三島氏は「スメラ」は「スメル(シュメール)」の転訛で、「ミコト」は「ミグト(Migut)=天降る開拓者(神)」が転訛したもので、両方が合わさって「スメラミコト」になったと述べている。= 「シュメールからの天降る開拓者=スメラミコト」と考え、「天皇シュメール起源説」の一つの論証としている。
— ニコイの水芭蕉 (@bonchan1) December 3, 2019


イシュタル門はネブカドネザル2世によって建設されたのだが、そのレリーフに王家の紋章として16菊花紋が施されている。サダム・フセインも16菊花紋を古代から続く王家の紋章として使用していたようでもあるね。

皇室の菊花紋とイシュタル門の菊花紋
Author:Radomir Vrbovsky [CC BY-SA]
Wikimedia_Commons [Public Domain]
Author:a_marga [CC BY-SA]

それにしてもやはり『ホツマツタヱ』は大切でやすね。これがなければいろんな言説に惑わされやすいね。
ところで、途中から藤原氏はブラック・ロッジ出身でもなくなっているとのことで、これはホワイト・ロッジに変わってもいるということでやすね。日本の支配層にもブラック・ロッジとホワイト・ロッジが同居しているということでやすね。
なぜこんな入り混じりが?

実は、マイトレーヤとブラック・ロッジのトップとは密約があり、地球を本拠地とするレプティリアンを始末することで、合意が取れていたのです。しかも、NWO完成の暁には、ブラック・ロッジのトップ(彼もまたルシファーの名を持ちます)が地球を統治することも、密約の中に入っていたのです。


他方、日本にはホワイト・ロッジに所属する裏のイルミナティの高位者はいなかったことを竹下さんはコメントされています。これに対し表のイルミナティ、ブラック・ロッジの強い影響下に日本はありました。
具体的には、ブラック・ロッジの武闘組織であるイエズス会が侵入し、バテレン大名も広がり、危うく日本が乗っ取られそうな段階にまできたこともあります。
それでいわゆる鎖国体制を引いたのですが、その状況下に貿易をしていたオランダ東インド会社、アムステルダムを本拠とするオランダ東インド会社もまたブラック・ロッジを主力とする組織でした。
明治維新は英領日本の完成で、英国女王を代表とする300人員会の管轄下に日本が入ったことを意味します。しかし、実際に明治日本の骨組みづくりを指導していったのは、イエズス会の別働隊のカルヴァン派のグイド・フルベッキでした。実際に日本の運営管理を担ったのはイエズス会とも見て取れます。
日本はホワイト・ロッジの関与があった反面、ブラック・ロッジの強い影響下にあったのですが、なぜ日本にブラック・ロッジの強い関与が絶えずあったのか? その原点は645年の「乙巳の変」の主役である藤原鎌足に、そして鎌足の子孫である藤原氏による日本支配に求められそうです。
通史はともかく、藤原鎌足が「百済の皇子の扶余 豊璋である」との説は、幾人の方も唱え、多くの同意もあります。鎌足は豊璋で間違いないでしょう。
ところがもっと重要なことがあったのです。実は鎌足はブラック・ロッジの首領だったことが竹下さんによって明かされています。その鎌足の子孫の藤原氏が朝堂を独占し、日本を牛耳ったのです。おまけにその藤原氏をホツマの武神である武甕槌命(タケミカヅチノミコト)が守護したのです。
日本がブラック・ロッジの強い影響下に晒されるのは必然だったと言えるでしょう。